10.和木乱心
「何なんだよ。あの男は」
たった今までいた「空想科学小説研究会」の部屋を出るなり和木は毒づいた。
「全く。昼だっていうのにわざと部屋の中真っ暗くしてこもっちゃって」
「江戸川乱歩みたいよねえ」二人して歩き始めながら、志徒子が言った。「あれは相当の偏屈だわ」
和木は勢いづいてまくし立てる。
「そうだろ? 乱歩だか何だか知らないけれど、散々自慢話をしたあげく、最後はこっちを狂人呼ばわりだぜ? 馬鹿らしい。タイムトラベルだかトリップだか知らないけれど、そんなもの絶対にあり得ないなんて、向こうから言われなくったって、とっくの昔に承知してるよ」
「本当にそうよねえ」志徒子が腕組みをしながら言った。「時間旅行が絶対にあり得ないって言い切るなんて、知識はあるみたいだけれど、頭はコチコチに固いわよね」
和木は思わずよろけそうになった。「おい。何だよそれは。まさか志徒子、タイムなんとかがあり得るなんて、まだ思ってるんじゃないだろうな?」
「思ってるわよ」何をいまさらという口調で志徒子が言った。「だからあたし、今日はちょっと寄り道して帰ろうかと思ってるの」
「え? 寄り道って、志徒子」
「そうよ。決まってるでしょう?これから和木の家に行って、ご本人に会ってお話をうかがうのよ。大昔からやって来たかもしれない、サムライさんにね」
結局志徒子は、和木の家まで付いてきてしまった。彼女が家に来るのは初めてだった。いずれ呼ぼうとは思っていたが、それがこんな日に実現することになろうとは。
願わくばあの侍男がすでに家を出ていってくれていることを期待しつつ、自宅の古ぼけた門の前に立ち、和木は志徒子に最後の説得を試みる。
「なあ、本当にあいつと話をするっていうのかよ」
「もちろん。だからこうやってあなたの家の前に立ってるわけじゃない」
和木は溜め息を吐いた。
「おい。絶対に止した方がいいと思うぞ?そんなことする前に、警察に電話して、とっとと追っ払ってもらうっていうのがまともな反応っていうもんだろう?」
「うるさいわねえ」今度は志徒子が溜め息を吐き言った。「和木って、こういう面白くなりそうな場面に限って、妙に常識人ぶるわよねえ。そんな調子だから、要領ばっかりで中味スカスカ人間だって周りに思われちゃうのよ」
和木は憤然とした。「な、何言ってんだ、面白くなりそうなんて、人の家のことだと思って無責任な。それに、言うにことかいて人のことを『中身スカスカ』なんて」
「ああ、もう騒がないの。わかったわよ。じゃあ和木は大人しくしてればいいわよ。さっきと違って今度はあたしが、きちんと話を進めてあげるからさ」
駄目だこりゃ。今までの経験から和木は思う。こうなったら志徒子はてこでも意志を変えないだろう。全く、姉にしろ志徒子にしろ、どうして自分の周りの女どもはこう頑固なのか。ぼやきつつ玄関を開けたとたん、奥の間から女のすすり泣きが聞こえてきた。
「な、何だ? また何か起ったのか?」
和木は蹴るように靴を脱ぎ捨て、奥の間へと飛び込んだ。勢いよく襖を開け放ったとき、目の前では菫が泣き伏せり、その側ではあの侍男が、狼狽も顕わな表情で、正座から尻を浮かせたような不自然な恰好で、両手をあたふたと空中にさまよわせていた。
「お、お前、これは一体!」噛みつくように和木が訊ねた。
男は額に汗を浮かべ、ますます狼狽しきった顔で、
「ち、違うのだ。ご当主どの、それがしは、」
「ここに至ってまだ、妙ちきりんな侍言葉を使うかぁ!」
そう言って今まさに和木が男に飛びかからんとした瞬間だった。
「やめて、和木!」という言葉とともに、両脚に、姉の菫がしがみついた。
全身のバランスを失った和木は、ぶざまに畳の上に倒れた。
「か、和木どの!」
和木は畳の上で身をよじりながら、「まだその言葉遣いを止めないのかぁっ、この、この、変質者が」
「いいかげんにしなさい!」
突然、声が轟き渡った。志徒子だった。志徒子が、一転して静まりかえった部屋の入口で仁王立ちになり、一同を睨め回していた。
彼女は畳の上に音もなく座ると、侍男と姉の両方に深々と頭を下げた。
「突然お騒がせをいたしました。私、和木さんとお付き合いをさせていただいております、橘志徒子と申します。初めまして」
「は、はい、こちらこそ初めまして、和木の姉の菫です。こちらの方は――」
「寺田友五郎行現と申す」菫の言葉を継いで、男が頭を下げた。「橘どのとおっしゃったか。こちらこそ見苦しいさまを見せてしまい、まことに汗顔の至り」
志徒子は落ち着いた笑みを見せると、
「お気になさらないで下さい。それよりも寺田さま。あいすみませんが、菫さんにお話ししていたことを、私にももう一度語っていただけませんか?」




