11 悪役令嬢アリシア編
荘厳な屋敷の広いフロア、煌びやかな装飾、国中から集まった貴族の若者たち。そんな貴族階級が集う大きな夜会。
わたしぐらいの年齢の令嬢であれば普通は目を輝かせながら喜ぶでしょうそれらも、今のわたしには非常に虚しく写ってしまいます。
なぜなら。
「アリシア、君との婚約を破棄する!!」
こんな感じだからです。
壇上からわたしを指差して叫ぶ美男子。
その背後には怯えた表情でこちらを伺う可愛らしい令嬢がいて、その光景はまさに姫を守る騎士さながらです。
側から見たらさぞ美しい光景なのでしょう。
側から見たら。
美男子はわたしを思いっきり指差していますし、それ以前にアリシアとはわたしの名前です。
どうやらわたしは当事者で、夜会だの荘厳だの言っている場合ではなさそうなのです。
ええと……まず言いたい。
貴方達は誰なんでしょう?
今日の夜会に寸劇なんて出し物が組み込まれていたのでしょうか?
いいえ、そんなはずありません。
今晩の夜会は公爵家主催のもので、伝統を重んじたものですから。
というか実はわたしにはこの状況に思い当たる節があります。
家を出る時にお父様が言っていた言葉。
「今日の夜会にエスコートはついていないけれど安心しておいで。あちらでお前の婚約者マルクス君と落ち合うよう手配しておいたから。顔合わせと順番が逆になってしまうが、マルクス君となら初対面でもすぐ打ち解けられると思うよ」
というもの。
であるなら、壇上に立つ方がわたしの婚約者、伯爵家のマルクス様なのでしょうか。はじめまして。
この婚約はつい最近お父様が勝手に決めた事なので世間にまだ婚約発表はされておりませんし、実際にマルクス様とはお会いしたことも無いのですが、この状況的に彼がマルクス様だと仮定するならば。
婚約発表をする前に婚約破棄される。これいかに。
そしてマルクス様(仮)の後ろに隠れている令嬢は、ええと……本当に誰なんでしょう――
こんな時、普段から夜会に参加していなかったことが悔やまれますが今そんなこと言っても仕方がありません。
わたしの家は領地を持たない男爵家で、早い話が貧乏なのです。
普段のわたしは自分の家で家事をこなしたり弟達の世話をしたりと忙しくしており、またドレスを用意する余裕もないため夜会などは基本不参加とさせて頂いている次第。
お父様が伯爵家に友人のツテを使って婚約を取り付けてきた事には執念を感じましたがそれはともかく、そんなわけでわたしは貴族の名前は知識として知ってはいても、恥ずかしながら外見とお名前がまるで一致しないのです。
もちろんマルクス様の後ろにいる令嬢がどなたなのか大変失礼ですが存じ上げません。
どうしよう、帰りたいなぁ。
「アリシア、君との婚約を破棄する!!」
あ、2回言った。
わたしが何も反応しないから聞こえてないと思ったのでしょうか。
まずいです、彼に恥をかかせるわけにはいきませんが、この場合どう対応するのが正解なのかわかりません。
「えと、アリシア・フォルテです、初めまして。あの、はい、婚約の破棄、承知いたしました」
努めて優雅にカーテシーを行う。
普段はしない動作ですけれど日頃鍛えた足腰で何とか形にはなっているはずです。
わたしはマルクス様にこだわりも何も無いので、ここはあっさり流してしまいましょう。
お父様には申し訳ありませんが、伯爵家に逆らえるはずもありませんし。
あっさりと婚約破棄を承諾すると壇上のマルクス様はぽかんとした表情を浮かべました。
しまった、対応を間違えたのでしょうか。
「こ、婚約破棄など当たり前だ! それよりも君がリリアン嬢にしたひどい行いについての謝罪も無いのは、どうなっている!」
はあ、どうなっているんでしょう。
リリアン嬢がそもそも何処のどなたなのか存じ上げませんけれど、状況的にはマルクス様の後ろに隠れているのがリリアン嬢なのでしょう。
怯えた表情もかわいいですリリアン嬢(仮)。
しかし身に覚えのない事に対しては謝罪もなにも、どうしたら良いのか見当もつきません。
困ったなぁと考えていると、マルクス様が助け船を出してくれました。
「リリアン嬢を学園の階段から突き落としたのはアリシア、君だと聞いている!」
なるほど。
階段から突き落とされたと。
「学園というのは貴族の方が多く通う王立学園のことでしょうか? それでしたらわたし、学園に足を踏み入れた事は一度もございませんが」
なにせ貧乏なもので。
再びぽかんとした表情を浮かべるマルクス様。
「貴族なのにか?」
「貴族なのにです」
ほっといてください。
基本的な初等教育はわたしも受けましたけど、王立学園はいわば高等教育。
それこそ社交界に出ていく貴族の子息や商家の子が通うような場所でして、ほぼ庶民のわたしには縁の無い場所なのです。
そんな所に通うよりも日々の生活が大変なんです。
すると、マルクス様の後ろに隠れていたリリアン嬢が身を乗り出してわたしを指差してきました。
「嘘です、わたしは確かに見ました! わたしを突き落としたのはアリシアさんです!」
なんということでしょう。
わたしはついに分身の魔法を使えるようになったのでしょうか。そしたら野菜を切るスピードも2倍になりそうです。ちょっと素敵です。
ですが現実は非情で、そんな楽など出来ません。
それにしても彼らは簡単に人を指差しますけれど、お行儀が悪いと教わらなかったのでしょうか。
どんな教育を受けてきたのでしょう。あ、王立学園の教育か。
「ほら見ろ、リリアン嬢が嘘などつくはずもない、恥を知れ! アリシアとの婚約は破棄させてもらう、そして私はリリアン嬢との真実の愛を知った。私はここにリリアン嬢との婚約を宣言する!」
どこか演技じみたセリフを声高に叫ぶマルクス様。
わぁ、と周りから漏れる歓声。
なんなのでしょう、この安い寸劇は。
帰ってもいいんでしょうか。
「アリシア、君への裁きは改めて生徒会長に下してもらう」
あの、わたし王立学園に通っていないので、そんな所の会長さんが出てきても困るのですが……
とそこで、わたしは思い出しました。
これは恋愛小説で最近人気の悪役令嬢ものと同じ展開なのではないでしょうか。
不本意な政略結婚ではなく真実の愛に目覚めたふたりは、意地悪な悪役令嬢を断罪して幸せになるというアレです。
古本屋でわたしも買いました。
だとするならば、それはあまりに無茶ではないでしょうか。
段上にいるリリアン嬢が何かの不幸を背負った身の上だったとしても、どう見てもわたしよりも上等なドレスを着ています。
そこは断罪イベントのためマルクス様より頂いたドレスとかで納得はできますが、それに対してわたしはお母様が若い頃に着ていたドレスを無理矢理補修した、古い型のドレスを着ている有様です。
物語の悪役令嬢ならば絶大な権力を持っていたり、有り余る財力を持っていたりするはずです。
好き勝手やっていた悪役令嬢を断罪するからこそスカッとする物語として人気を集めているわけで、悪役令嬢ならば決して日頃は弟達の世話をしていたりダンスを踊ったら空中分解するようなドレスを着ているはずもありません。
ちょっとバランス! バランス考えてください!!
呆然とするわたしをよそに勝手に話はまとまったようで、そのままわたしは群衆に突き飛ばされ夜会の会場から追い出されてしまいました。
居場所の無くなったわたしは会場に戻るわけにもいかず。
結局ひとりでとぼとぼと歩いて帰るはめになりました。
夜の貴族街は比較的明るく治安もいいですが、こんな夜中に歩いている人など他に誰もいません。
帰りはマルクス様に送っていただける段取りをお父様がしていたため、馬車の手配も何もされておらず歩くしかないです。
ひとり寂しく街灯に照らされた静かな夜道を歩いていると、昼から優れなかった空の雨雲が限界を迎えたようで次第に雨が降りだしました。
もちろんわたしは傘など持っているはずもなく。
為す術もなく俯いて歩いていると、どんどん雨に降られました。
雨に濡れていれば誰もわたしが泣いている事に気付かないのが、せめてもの救いなのでしょうか。
わたしだって女の子のはしくれ。
本当は少しだけ、今日の夜会には期待していたのです。
日々の生活に追われるような毎日から抜け出した、キラキラ輝くような貴族の夜会。それは一夜に限り許された夢だったのです。
普段は断る夜会も今回は公爵家が主催なのと、婚約のお祝いも兼ねてお父様が行かせてくれたものです。
こんな私でもお伽話に憧れる子供のような気持ちが少なからずあって、まだ見知らぬ婚約者はもしかしたら王子様のような人で、こんな生活を変えてくれるんじゃないかって。
そんな愚かな期待を抱いていたのです。
「ぇうぅ……」
そんな愚かな期待は、みなさんの前でものの見事に打ち砕かれました。
憧れていたキラキラした世界は、わたしを拒絶して追い出しました。
わたしには夢をみる事すら許されないのでしょうか。
必死に毎日を過ごし、贅沢も我慢して、今日のために努力して。
わたしね、亡くなったお母様が遺してくれたドレスで夜会に参加したんですよ?
わたしが幼い頃に、きっとアリシアが大きくなったら似合うわって言ってくれたこのドレス、夜更かしして手直ししたんです。
それに見合うよう頑張って髪もまとめて。弟達も綺麗だよって褒めてくれたんですよ。
本降りになった雨に濡れて、たくさん泥に汚れて、お母様のこのドレスももう完全に駄目になってしまったでしょう。
「うぁぁぁあぁああぁぁ……」
わたしが何をしたというのでしょう。
いきなり悪役令嬢に仕立て上げられて、みんなの前で断罪されて。
わたしを悪者にして楽しかったのでしょうか。
雨の降る夜に投げ出されて。
こんなドブネズミのように追い立てられて。
こんなのあまりに惨めです。
これが必死に生きてきた報いなのでしょうか。
「ふあああぁぁぁぁぁぁ」
普段は家族にも見せるわけにはいかないわたしの弱い部分。
今だけは。
本降りになってきた雨は、わたしに追い打ちをかける雨なのでしょうか。
わたしの弱さを包み隠してくれる雨なのでしょうか。
ずぶ濡れになりながら帰宅したわたしにお父様が投げかけた言葉は「アリシア、もうお前を家に置いておくことは出来ない」というものでした。