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よろしくお願いします。
「ここでお前を倒す!」
「やってみろ!」
暗く広いフロアに青白い火花が飛び散る。
ここは魔王城最奥地。
勇者と魔王は最後の死闘を繰り広げていた。
勇者は大量に出血しながらも、異形の王、魔王とほぼ互角に渡り合っていた。
勇者が剣を振るえば魔王がその太い腕の爪で弾く。
両者がぶつかり合うたびに込められた魔力が火花を散らし、それぞれを明るく照らした。
勇者は人類最強。
幾度となく死線をくぐり抜けてきたその剣は一切の無駄が削ぎ落とされた技にまで昇華されており、また勇者自身の身体は濃密な魔力で強化されている。
まさしく人類の最高戦力であった。
だがそれでも能力値は僅かに魔王には届かない。
そもそも種族が違うのだ。魔王はその圧倒的な身体能力と魔力とで人類の限界をも越える。
その戦力差を勇者は豊富な戦闘経験によって埋めていた。
勇者の曲芸じみた綱渡りのような戦い方により、両者の力は拮抗している。
「ちょこまかと!」
巨大なモンスターの姿をした魔王は角を光らせ、口から巨大な火球を連続で放った。
それを勇者は必死の形相でくぐり抜けていく。
魔王の火球は、もはや地獄の業火だ。
濃密な魔力をもとに形成された火球は触れるもの全てを蒸発させる、人にとっては1発で即死に至る代物。
飛んできた最後の火球を転がりながら回避した勇者は、ほんの一瞬、接近する魔王への反応が遅れた。
踏み込みだけで床を砕きながら迫り来る魔王。
その迫りくる爪からの回避を試みた勇者だが、避けきれず左腕が宙を舞った。
直後、勇者は歯を食いしばった。
勇者に残された体力は既にあまりなく、回復に割ける時間も魔力ももうなかった。
彼にとっては魔王の大振りな攻撃による事後硬直の今こそが、残された最後の好機だった。
勇者は重量バランスの悪くなった上半身を無理矢理に抑え込むと、剣を握りしめ重心を前に乗せた。
残った魔力をありったけ突っ込んで、剣に紫電を纏わせる。
しかし勇者のその剣が振り降ろされるよりも早く、魔王の口に魔力が収束した。
勇者の攻撃よりも早く、魔王の攻撃は完了する――。
それでも勇者は止まらない。
魔王の火球が発動しても、彼は回避を最小限に留めた。
火球によって脇腹が大きく削れる。だがこれは致命傷であっても即死ではない。
そのまま勢いを殺さず振り下ろされた勇者の剣は、魔王の硬い鱗に守られた肩から胸までを斬り裂き、帯電した剣は肉を焼いた。
ぶつかり合った2人はしばらくそのまま硬直した後、ともに崩れ落ちた。
互いの顔を見合わせるような形で倒れた2人は、どちらも大量に出血しており、戦いは相討ちで終わりを迎えた。
「……くそ、貴様まさか捨て身でくるなどと」
「好きでやったわけじゃないが、こっちだってギリギリだったんだよ」
「……いい覚悟だったぞ勇者。だが、それでも――勝負は私の勝ちだがな」
「どういう、ゴホッ……ことだ」
2人の血が混ざった海に倒れ伏した勇者は、床の血を飲みながら呼吸をしている。
このままであれば勇者は死に至るが、回復魔法を唱える魔力も回復薬も残されていなかった。
「私は深手を負ったがギリギリ剣は心臓に届いていない。この傷なら、時間は掛かるが自己再生で生きられるだろう……だが、動けない状態で魔力の切れたお前はどうかな」
魔王はニヤリと笑った。
それを見て勇者は一瞬悔しそうな表情をしたが、すぐに笑った。
「なんだお前、知らなかったのか……? 俺は死んでも生き返るんだぞ。すぐに復活して、本調子でないお前を殺せば俺の勝ちだ」
「……え?」
「……え? いや、知らなかったのか? お前を倒すまでは俺は死んでも死なないぞ」
「え、ちょっと待て、それって異常じゃないのか? 生物としておかしくないのか?」
「女神の加護ってやつでね」
「気持ち悪っ! お前どーりで! どーりでおかしいと思ってたんだ!! 何回部下からの勇者討伐を受けて祝勝パーティー開いても、またすぐ勇者が現れるし!」
「いや、なんかスマン。っていうか楽しくパーティー開いてたんだな……」
「私は何もしてないのに人間は殺そうとしてくるし、勇者は何故か死なないし、人間はいったい何なんだ」
「お前達が人間を滅ぼそうとするからいけないん――モガッ! おいやめろ! 薬草を口に突っ込むのやめろ! 死んで全回復ができないだろ!」
「お前も私と同じように時間をかけて痛みと苦しみを味わえ! というかそもそも私は、人間が栄えようが滅びようが興味ない! 滅ぼそうとなんてしないわ面倒くさい!」
「は!? じゃあなんで魔物が人間の村を襲うんだよ!」
「知るか! そんな野生動物の管理なんて出来るわけないだろ!」
「はぁ!? ごふっ! ……じゃあ魔族は人間を滅ぼす気はないって言うのか?」
「個々人は知らんが私が指示したことはない! それに白々しいぞ、お前達こそ魔族を滅ぼそうとしてるんだろう!」
「そんなこと無い! そう言うなら人間の街まで様子を見に来てみろ!」
怒号が飛び交った後、魔王城には2人の荒い吐息が響いた。
「……なるほど、じゃあ見に行ってやるか」
そこからぽつりと呟かれた言葉。
「……え?」
「だから、そこまで言うなら見に行ってやる」
魔王はゆっくりと立ち上がった。肩の傷はもう塞がり始めている。
「解呪」
そう小さく唱えたかと思うと、魔王の体は輝きながら形を変えていき、光が収まった時、そこには裸体の少女が立っていた。
小さな顔に艶やかな黒髪、紅い瞳は大きく睫毛も長い。
肌はまるで陽の光を浴びた事もないように白く透き通り、その姿は可憐で神秘的ですらあった。
そして少女は微笑んだ。
「よし行こうか」
少女は視線を勇者に向け、腰に手をあて仁王立ちをした。
「だだだ誰だお前ー!!」
「魔王だが」
「嘘だ! 魔王はもっとゴリッゴリのモンスターだった!」
「カッコ良かったろ? 変身魔法をかけた後、固定化魔法を重ね掛けしてたんだ。魔力を異常に喰うから大変なんだぞ」
「なにそれすっげぇ無駄! 全然カッコ良くなかったし!」
「はあ、これだから人間ってやつは嫌なんだ。センスの欠片もない」
魔王は呆れ顔で、左手を肩から豊かな胸に向けて、治りかけの傷をなぞるように這わせた。
「ほら見てみろ、この傷、いまお前にやられた傷だ。これでも私が魔王ではないと言うのか?」
「……とりあえず服を着てくれ。裸だと目のやり場に困る」
「なにを言ってるんだお前。私はさっきからずっと裸だったろ」
「ゴリッゴリのモンスターだったじゃねぇか!」
どうにかこうにか魔王からの薬草で強制的に回復させられた勇者は、自分が身につけていた赤いマントを魔王に巻き付けた。
紐を結びながら、勇者は溜息をついていた。
「人間を滅ぼすつもりがないっていうなら、なんで俺はこんな魔王と戦ってたんだ」
「私は知らん。そういえば昔、夢に女神が出てきた事があったな。そのせいだろうか」
「……どんな夢だよ」
「なんだか気持ち良く寝てたら突然女神が私の前に現れて、世界の平和がどーたらこーたら身勝手に言い出したんだ。だから全力で罵倒した。そんな夢だ」
「なんで罵倒するんだよ! それ夢じゃなくて現実だろ! それが原因じゃないのかよ!」
「夢だったか現実だったかは知らんが、イメージしてみろ。気持ち良く寝てた深夜に女神が突然現れて、世界の平和がぺこぺこプゥとか突然言い出したんだぞ。意味わからないし眠いし殺意しか湧かないだろ。うっせーババァって率直な気持ちで叫ぶだろ。そしたらアイツ、なんかキレて私を滅ぼすとか言ってたわ」
「それで女神の怒りを買ったのかよ……それで女神は俺を遣わして……」
勇者は肩を落として落胆した。この戦いの発端が、こんな真相だったなんて知りたくなかったと背中が語っている。
「で、本当に人間の街に来るつもりなのか?」
「お前が来いと言ったんだろ。ぶっとばすぞ」
「馬鹿らしいからもう戦う気も無くなったとはいえ、流石に勇者と魔王が仲良く帰還するわけにもいかないし困ったな……。この際、行方をくらましたという事にして冒険者として戻るか……」
「ボウケンシャ? なんだそれ」
「新しく始まった機構だ。何でも屋さんみたいなもんだ」
「何でもするなんて嫌だぞ」
◇◆◇
その後、勇者と魔王は世界から姿を消した。
王都が派遣した観測隊の見立てにより、勇者は魔王を討伐したが相打ちとなった、と結論付けられ、世界に平和が訪れたと人々は歓喜に沸いた。
しかしそれは何の解決ももたらさなかった。
魔物は相変わらず出現するし、魔王の脅威が無くなった今度は国家間での主導権争いも懸念されるようになった。
そこで、国家の軍事力を削ぐことを隠された目的とした冒険者機構が現実的に稼働を始めたのだった。