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エピローグ後編

 織原伊都子の頭部が発見され、その死因が縊死――つまり自殺――であることが判明して、あの事件の罪状は殺人ではなく死体損壊及び死体遺棄となった。また、直後に美矢城県内でよりセンセーショナルで大規模な大量殺人事件が発生したこともあって、美矢城県警は人員の多くをそちらに割かざるを得なくなり、私の起こした首切り事件の捜査は半ば放置されているようだ。

 時間が経てば経つほど証拠も証言も曖昧になっていく。おそらく今後実のある証言は出ないだろう。私は勝ったのだ。


 事情聴取を受けてから数日後、昼休みに学食で同級生と昼食をとっていた私を、あの伊達という刑事が訪ねてきた。数日ぶりに見る伊達刑事は、以前より少し窶れているように見えた。私が起こした事件の捜査も終わらぬうちにあれだけ大きな事件が起こったのだから、休日どころか、きっとまとまった睡眠時間すらとれていないのではないだろうか。


「どうも、こんにちは、袴田さん」

「こんにちは。その後、捜査の進展はいかがですか?」

「いやぁ、全く。現場に何の手がかりも残されていないので、まさに雲を掴むような話です。少々、お時間を頂いてもよろしいですか?」


 私達は、サークル棟の近くまで歩きながら少し話をした。久しぶりに訪れる昼休みのサークル棟はすっかり平穏を取り戻しており、とても静かだった。まるで事件など、そして織原伊都子という女など最初から存在しなかったかのように。


「伊達さん、こんなところで油を売っていていいんですか?向こうの事件も大変そうじゃないですか」

「ええ、まったくです。派手な殺人事件が立て続けに起こって、我々もてんてこ舞いですよ」

「それとも、もしかして、これも捜査の一環でいらっしゃる? でも、私からお話できることはもうありませんよ。諸星さんともあれ以来会っていませんし、連絡もとっていません」


 伊達刑事は一呼吸置いてから答えた。


「織原伊都子の頭部が発見されたことは貴女もご存じですね?」

「ええ、ニュースで見ました……川に棄てられていたのでしょう? ひどい話ですね……どうしてそんなに残酷なことができるのか、私には……」

「はい。被害者の死因が自殺だった件は?」

「……いえ、初耳です。そうだったんですか? ……何故自殺だとわかったんです?」

「発見された織原さんの首には、首吊り特有の索状痕がありました。頭部にそれ以外の外傷はなく、撲殺や刺殺の可能性は考えられません。また、首を切断してからあの索状痕をつけるのはまず不可能ですから、被害者が自ら命を絶ったあと、何者かが頭部を切断したものと考えられます。誰かに絞殺された場合と首吊りとでは、痕のつき方が異なるのですよ」

「へえ……そうだったんですね。でも、サークル棟の部室に、首吊りに使えるようなものがあったかしら……その気になればドアノブでも縊死はできるらしいですが、あの部室は引き戸だし……」

「ええ、その点については、西野園さんの推理を参考にさせていただきました」

「……えっ、西野園さんって、もしかして、真紀さんのことですか?」


 全く予期しない場面で真紀さんの名前が登場し、私は思わず聞き返してしまった。真紀さん以外に西野園なんて名字の人がいただろうか。いや、こんなに珍しい名字がそうそうあるわけない。


「そうです、西野園真紀さん。実は、頭部が見つかった日、私は袴田さんの関わった一昨年の事件についてお話を伺いに、西野園さんと京谷さん、瀬名さんの三人とお会いしていたんですよ。その話が終わってから今回の事件の捜査状況を伝えると、西野園さんは、袴田さんは殺人犯では有り得ないと指摘し、その根拠を示されました。これがまた、ぐうの音も出ないような正論でね……織原さんの頭部が発見されたと連絡が入ったのは、まさにその最中でした」

「そうだったんですか……」


 なんと、真紀さんが私を庇ってくれたというのか。もし私がその場にいたら、嬉しさのあまり失神してしまったかもしれない。同席できなかったことが悔やまれる。教えてくれれば飛んで行ったのに……。


「しかし、自殺の可能性が高いとなると、織原さんが自らあの部屋に行って自殺したのか、あるいは、織原さんが命を絶ったのはどこか別の場所で、遺体をあの部屋まで運んだ別の人間がいるのか、それが新たな問題として浮上します。首吊りに使われたロープは頭部と一緒にビニール袋に入っていましたが、あの部屋の天井にはロープを結べるようなものがありませんからね。それに関して、西野園さんは『結ぶ場所がないなら作ればいい』と仰って、その一例として、壁際に並んだスチール棚の真ん中の一つを倒し、上に鉄パイプを渡してそこにロープを結ぶというアイディアを提示されました」


 真紀さんの推理は、私があの夜見た状況と完全に一致していた。


「ただ、我々はその見解には懐疑的です。自分の死に場所としてあの物置を選ぶということ自体が妙ですし、わざわざそこまでの手間をかけるだろうか、とね。どこか他の場所で自殺した遺体を物置に運び込んだ者がいるはず、首を切断するために、斧や諸々の工具が揃っているあの部屋まで持っていったのではないかという見方が大勢(たいせい)です。まあ、そういった捜査方針のもと、まず死亡時刻前後に大学構内にいた人間から洗っていこうと思っていた矢先に、向こうの事件が起こって……。こちらの事件は殺人ではなく死体損壊及び遺棄ですから、向こうの事件が優先されるのは致し方ない。そんなわけで、こっちは現在ほぼ手付かずになっています」

「そうですか……自殺した人の首を切断するなんて、気持ち悪い。早く捕まってほしいですけれど、難しそうですね」


 私はまるで他人事のようにそう呟いた。実のところ、あの夜のことも、織原伊都子と諸星のことも、なんだかもう随分遠い昔の出来事のように思える。ただ、ホテルから大学まで裸足で駆け抜けた自分の不可解な感情に対する違和感が、しこりのように今でも胸に残っている。


「でも、いいんですか? あれが殺人ではなく死体損壊、遺棄だということは、死亡時刻時刻のアリバイがあった私も再び被疑者の一人になっているはず。捜査状況を知らせてしまってはいけないのでは?」


 すると伊達刑事は、ハハ、と声を出して小さく笑った。


「ええ、実のところ、上司にバレたら非常にまずいですよ。まあ、袴田さんは口が固そうだから、その点では心配していませんけどね。それに、もし犯人が貴女だとしたら、この程度のことは話そうが話すまいが、大した違いはないだろうと……これは私の個人的な判断です」

「随分買い被られたものですね。それとも、もう私に対する個人的な疑いは晴れたと判断してもいいのかしら」


 伊達刑事はそこでふと立ち止まり、こちらへ向き直って私の顔をまじまじと見つめた。


「いえ、個人的には、貴女が犯人だと……いや、貴女であってほしいと思っています」


 私たちの間に流れた短い沈黙を、突如吹き付けた春風がさらってゆく。


「ですが、幸か不幸か、この事件で貴女を捕まえることはできないでしょう」

「それは残念でしたね」


 私が笑って見せると、伊達刑事は自分の左頬に人差し指を軽く当て、


「その笑窪、素敵ですよ」


 そう言いながら、ニヤリと笑った。私はさらにはっきりと口角を上げ、笑窪を強調して、


「ありがとうございます」


 とだけ答えた。


「じゃあ、私はこれで失礼します。まだ山ほど仕事が残っていますからね」

「大変ですね。私が言うのもおかしいですが」

「またいつかお会いできるでしょうか?」

「……ええ、もしも、私の近くで事件が起こったら」

「では、それを楽しみに」


 伊達刑事は満足げに微笑みながら軽く頭を下げ、私に背を向けて歩き出した。そして、数歩進んだところでつと立ち止まり、再びこちらを振り向いた。


「そうそう、西野園さんに何か伝言はありますか? 向こうの事件が起こってから、直接の関係者である西野園さんはまだ署にカンヅメになっているんですよ。何しろ、死んだ人間が多すぎるものでね……」



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i



 それから数週間後、私は織原伊都子に教えてもらった闇医者で堕胎手術を受けた。


 破瓜の夜、私は避妊をしなかった。襲ったのは私の方だから、相手のものに避妊具を装着する余裕がなかったというのが現実的な理由ではあるが、それにしても、いきなり妊娠なんてするわけがないと高をくくっていたのだ。


 排卵日に避妊せずにセックスをしても、妊娠する確率はたったの20%しかない。

 この程度の賭けなら勝てる。首尾よく瀬名瞬をサークル棟まで呼び出せたこともあり、私は自分の運に自信を持っていた。


 だがその後、予定日になっても生理は来なかった。


 元々生理周期が不安定なこともあり、当初はさほど心配していなかった。だが、PMSの症状が出てからもなかなか生理が始まらない。さすがに不安を覚えた私は、市販の妊娠検査薬を使ってみた。


 結果は陽性だった。


 検査薬で陽性が出たからといって、確実に妊娠しているわけではない。正確な結果を知るためには産婦人科に行かなければならないのだが、そうなれば保険証の使用履歴から両親に知られてしまう可能性がある。それだけは何としても避けたかった。最終的に処置をする可能性まで考えれば、なるべく早く受診したほうがいい。わかっていても、なかなか行動に移せずにいた。

 織原伊都子から闇医者で受けた中絶手術の話を聞いたのは、ちょうどその頃だった。私が彼女に対して覚えた奇妙な親近感は、おそらく彼女と私が同じ悩みを抱えていたことに起因するものだったと思う。


 織原伊都子との最後の会話で、私は彼女が手術を受けた闇医者の場所を教えてもらった。

 数週間前、大学からの帰り道でレイプされた。その際に妊娠したかもしれない、と嘘をついて。

 彼女自身が闇医者での施術で生涯消えない後遺症を負ったため、彼女は私に正規の産婦人科で手術を受けることを強く勧めた。事情が事情だけに、両親も理解してくれるはずだと。だが、本当は、襲ったのは私の方なのだ。両親に話すとなれば事が大きくなってしまう可能性があるため、それはできない。

 渾身の嘘泣きが功を奏したのか、織原伊都子は最終的に、闇医者のことを詳しく教えてくれた。


 もしかしたら彼女は、私と諸星がホテルに消えていくのを見て、私のお腹にいるのが諸星の子供だと誤解したのかもしれない。今となっては確かめようもないし、どうでもいいことではあるが。


 手術の費用は瀬名瞬が負担した。貴方の子供を妊娠した、中絶するつもりだ、そう伝えたら、彼の方から負担を申し出てきたのだ。この件について、彼には全く否がないはずなのに。

 彼は優しすぎると思った。しかし、だからこそ私にも付け入る隙がある。瀬名瞬はもう私を無下には扱えなくなるだろう。

 彼は私がカーテンを切り裂いた犯人であることを知っているし、織原伊都子の首を切断したのが私であることにも、うすうす気付いているだろう。そして、私は彼の子供の件を真紀さんに話していない。私たちは、互いに秘密を共有し合う共犯関係になったのだ。


 冷たい手術台に横たわり手術を待つまでの間、私は何故か、母がよく語っていた乳幼児のころの自分の話を思い出していた。何度同じ話を聞かされたかわからない。うんざりする私に対して、母はいつも楽しそうだった。

 私のお腹の子は、男の子だろうか、それとも女の子だろうか。胎児の性別がわかるのは妊娠16週目ぐらいなのだそうだが、今はそれすらもわからない。



 私の膣に細長い金属の棒が差し込まれ、中でカチャカチャと音を立てる。自分の体内で一つの命が失われてゆく感覚。手術前には多少の不安があったのだが、いざ手術を終えてみると、不思議と何の感情も湧かなかった。それは単なる血と肉の塊になった我が子の死骸を見ても同じだった。あの日、織原伊都子の死体を見たときのように。そして一昨年、兄の死体を見たときのように。

 子供の死体を引き取りたいと申し出たら、闇医者はまるで獣を見るような目で私を見返したが、結局は何も言わずに引き渡してくれた。正規の病院では医療廃棄物として捨てられるらしいが、こういう点も闇医者だから融通が利くのかもしれない。私は持参した大きめのタッパーに、さっきまで私の子供だったモノを入れてマンションに戻った。


 その日は朝から雲が厚く垂れこめ、しとしとと冷たい雨が降り続けていた。

 私は夜が更けるのを待ち、深夜二時を回ったころ、子供の死体が入ったタッパーとホームセンターで買ってきたスコップを持って、マンション近くの公園の桜の木の下に向かった。


 桜の木の下に死体を埋めてみたい。

 私の夢の一つを叶えるために。そして、この子の死を無駄にしないために。


 雨でぬかるんだ地面は柔らかく、とても掘りやすかった。暗闇の中、雨のそぼ降る午前二時に、人目を気にする必要もない。ある程度深く堀り進めたところでタッパーの中身を穴の底に流し込み、その上に柔らかい土をかけて埋め戻していく。

 桜はすっかり葉桜になっていたが、私の子供の血肉を吸い上げたこの桜の木は、来年の春にはきっと今年よりもずっと美しい花を咲かせて、私たちを狂わせるだろう。

 私の心は妖しく咲き乱れる桜の夢想に満たされ、そのあまりの美しさに、冷たい雨に濡れた頬にも温かいものが流れた。


 それから私は、公園まで毎日足を運び、あの桜の木を眺めるようになった。


 織原伊都子と比べるとかなり早く手術を受けられたため、手術もそれほど大がかりなものにはならなかった。術後の経過も良好で、私の体には後遺症の兆候は表れていない。

 私が失ったものは何もない。


 諸星亘は大学をやめ、青葉から姿を消した。彼が今どこで何をしているのかは、誰も知らない。


 風景に四季があるように、木にももちろん四季がある。

 私はこれまで、花の季節を過ぎた木に対して、単なる背景という認識しか持っていなかった。しかし、一本の木を毎日眺める習慣がついてから、木にも季節の移り変わりに応じた表情があることに気が付いた。

 夏の青さ、秋の紅葉、裸木になった冬の侘しさ、それだけではない。晴れの日には朗らかに葉を揺らし、雨の日には陰鬱に影を落とす、そういった細かい表情の変化が感じられるようになった。


 そして、雨にも負けず、風にも負けず、それら全ての艱難辛苦を乗り越え、桜は次の春に大輪の花を咲かせる。

 私の子供の血肉を吸ったあの桜の花は、どんなに美しく咲き誇ることだろう。

 その光景を想像するたび、私の心にも、じんわりと暖かい気持ちがこみ上げてくるのだ。

 いかがだったでしょうか。


 いずれ読者への挑戦状に関する解説をしてみたい気持ちもあるのですが、それは気が向いたらエッセイにでもまとめることにして、今はとりあえず、これにて完結とさせていただこうと思います。

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