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伊達刑事の葛藤

 何を食べたいか、と袴田心美に尋ねると、彼女は『ご飯以外の、できれば軽いものがいい』と答えた。

 昨夜は諸星とイタリアンに行ったはずだから、候補は和食とイタリアン以外に絞られる。そうなると、フレンチか、中華か……。こんなときにうってつけのレストランを数ヵ所知っているのだが、いずれも、土曜の夜に予約なしで行ってすんなり座れるような店ではない。

 いや、軽いものがいいと言っているのにコース料理メインの店はあり得ないか。なかなか難しい注文である。


 労働基準法という都市伝説が存在しない伊達の職場にとって、事件直後は、夜中だろうが早朝だろうが当然のように勤務時間内である。被疑者の女(しかもとびきりの美人)を連れ回すという、ただでさえ職務上賞賛すべからざる行為をしている都合上、あまり時間をかけて同僚に痛くもない腹を探られるのは避けたかった。

 結果として、甚だ不本意ながら、伊達はいつでもどこでも食べられるような全国チェーンのファミリーレストランへ袴田を連れ込むことになったのである。


 席に向かい合って座り、メニューに目を通す。外回りの多い伊達は、職業柄こういった安価なファミリーレストランを利用する機会が多く、期間限定のものを除けば、どれも何度か食べたことのあるものばかりだ。彼女はどうだろうか。ざっと報告を聞いた限りでは、袴田の実家はかなり裕福な家庭らしい。都内にはいい店がごまんとあるのだし、こんな安手のレストランに入る機会はあまりないかもしれない。


 ウエイトレスを呼び、伊達は定番のハンバーグセットを、袴田は野菜がたっぷり乗ったサラダ麺なるものを注文した。

 この店員の目に、自分たちはどのように映っているだろう。目の前にいる中年男と女子大生という二人組が、まさか殺人事件の被疑者と、それを移送中の刑事だとは夢にも思うまい。あまり似ていない親子が妥当なところで、時間帯を考慮すれば、援助交際の男女にも見えるかもしれない。いずれにしても、まともなカップルには見えないだろう。

 伊達はよく『刑事らしくない』と言われるタイプである。刑事に見えない、ではなく、刑事らしくない、というところがミソで、つまり、褒め言葉ではまったくないのだ。


 袴田が頼んだサラダ麺は、見た目も量も随分と可愛らしいものだった。果たしてあれで朝まで持つのだろうか。伊達なら間違いなく夜中に小腹が空くような量である。ご飯ものを避けるのは、今流行りの糖質制限ダイエットというやつかもしれない。メニューのサラダ麺の欄には、目立つ配色で『糖質ゼロ』という文字がでかでかと躍っていた。


 食事の席で、事件の話題は全く出なかった。フェアプレー宣言(和製ダーティ・ハリーと呼ばれる普段の伊達には考えられない行為である)をしてしまった手前、ここで探りを入れるのはルール違反に思われたし、伊達個人としても、今は仕事のことを忘れ、目の前でジョークのような麺を啜るチャーミングな女性に集中したかったからだ。


 では、食べ終わるまでの数十分間、二人が一体何を話したのかというと、こちらに来て間もない袴田に対して、生まれも育ちも青葉市、生粋の青葉っ子である伊達刑事が、市内の有名スポット(特にデートスポット)を教えたのだった。美術館、桜の名所、夜景の見える展望台。郊外まで足を伸ばせば遊園地も水族館も動物園もあるし、夏には七夕祭りもある。海水浴場は震災以降ずっと閉鎖されていたが、昨年の調査の結果、海水浴場としての利用に問題がないことが確認され、現在利用再開にむけての環境整備が行われているらしい。

 彼女と話しているうちに、若かった頃の苦い思い出が次々と思い起こされ、伊達はどうにもやるせない気持ちになった。

 女というやつは何故ああも面倒臭いのだろう。袴田のような女でも、親しくなるにつれて面倒になっていくのだろうか。そんな彼女も、知りたいような、知りたくないような。


 食事の済んだ二人は、そのまま店を出た。代金はもちろん全て伊達持ちである。

 外はすっかり暗くなっていた。この女を酔わせてみたい、そんな強い衝動にかられたが、まさか曲がりなりにも刑事である伊達が未成年に飲酒を勧めるわけにもいかず、また伊達自身が飲酒運転をするわけにもいかない。昨夜の諸星を羨ましく思いながらも、伊達は大人しく袴田をマンションまで送り届けた。


 マンションの前に車を停めると、袴田は『ありがとうございました』と丁寧に頭を下げ、マンションのエントランスに消えていった。この仕事についてもう十年以上経つが、事情聴取をして礼を言われたのは、これが初めてだ。

 袴田の姿が見えなくなったのを確認してから、伊達は周囲に目を走らせる。袴田のマンションを張り込んでいるのは、『留守』という珍しい苗字の若い刑事だ。伊達に気付いたのか、留守はマンション近くに停めてある覆面パトカーの中で、伊達に向かって手を上げた。

 代わってやろうか、と言いたい気持ちを堪えながら、伊達は留守に頷き返し、青葉中央警察署へと車を走らせる。


 帰りの車中、伊達は袴田と諸星の関係について考えていた。

 袴田ほどの女が、諸星如き男のために、殺人にまで手を染めるだろうか。男女の仲はわからないものだ、先入観を持つのは危険である、それは伊達のこれまでの刑事としての経験から得た最も大きな教訓だ。だが、それにしても腑に落ちない。

 もしかしたら、これは袴田が諸星の女であるということを認めたくない故の、嫉妬含みの願望ではないか……いや、まさか。俺はまだそこまで落ちぶれてはいないはずだ。本当に袴田と諸星に何の関係もなかったとしたらどうなる? 我々警察は何かとんでもない勘違いをしているのではないか。

 では、織原伊都子の殺害が袴田とも諸星とも無関係な、通り魔的犯行だとしたらどうだろう。その場合、捜査は一からやり直しとなる。人間関係から犯人を炙りだせないとなると、容疑者の絞り込みは困難を極めるのだ。


 しかし、袴田はこの事件と全くの無関係なのか、というと、そうも思えない。これは伊達の刑事としての勘だった。


 署に戻った伊達を、司法解剖の結果を携えた片倉が出迎えた。眉間に刻まれた深い皺が、状況の悪さを物語っている。


「伊達さん、こいつぁどうも、袴田心美単独での犯行は無理ですね。解剖の結果、被害者の死亡推定時刻は午後九時から十時までの間という結果が出ました。ですが、被害者は九時二十分から袴田へ立て続けにLINEのメッセージを送っているので、実際の死亡推定時刻は九時半前後から十時までの間に絞られます。これは袴田がホテルを出た時刻とほぼ同じ、ホテルから大学までは徒歩で三十分、走っても二十分はかかる距離で、どう考えても間に合いません。昨夜の袴田はヒールの高いパンプスを履いていたというホテル従業員の証言もあります。それに、袴田は運転免許を持っていませんから、車での移動も不可能です」

「タクシーは? 袴田か、もしくは諸星でもいい。どちらかの姿を見た人間は?」


 片倉はゆっくりと首を横に振った。


「市内のタクシー会社全てに当たってみましたが、この二人らしき人物を乗せたタクシーはありませんでした」

「自転車は? 盗めばいくらでも……」

「無理ですよ、駅前ならまだしも、繁華街にそう簡単に盗めるような自転車が転がっていますか? それに、自転車でも時間的には不可能です」

「待て、走りやすい靴を事前に用意しておいて、ホテルを出た瞬間に履き替えれば、或いは……」

「伊達さん、落ち着いてください。袴田を呼び出したのは被害者の織原の方なのですよ。あの夜、家を出る前から、織原に呼び出されることを予期して走りやすい靴を用意してバッグに入れておいた、とでも言うんですか。最初から織原を殺すつもりだったのなら、もう少し余裕のある計画を立てるはずです。こんな無茶苦茶な犯行計画なんて有り得ない」


 伊達はしばし言葉を失った。片倉の報告に間違いはないだろう。つまり、俺の勘が外れていたのか。この初動捜査の大事な時期に、俺はただただ美人と話をして飯を食っただけか……。

 失意に暮れる伊達に構わず、片倉は報告を続けた。無駄に言葉をかけても余計に相手を傷つけるだけ、冷徹に職務を遂行することが、片倉なりの気遣いなのである。


「また、被害者の頭部は未だ見つかっていません。警察犬を出動させて調べてみたのですが、青梛大の三内キャンパスから国際センター前を通って平瀬川にかかる大橋のど真ん中で、死体の臭いは途絶えているようです。つまり、犯人は大橋から被害者の切断した頭部を投げ捨てたものと見られます。明日、川を捜索してみますが、見つかるかどうか……」

「……そうか、頭部が見つかれば死因が特定できるかもしれない」

「それと、事件当時、青梛大の正門は既に閉じられていましたので、犯人が大学の外からやってきたのだとすると、裏門を通らなければなりません。裏門には警備員の詰所があるのですが、これがまた……伊達さんは、昨晩野球中継をご覧になりましたか?」

「野球……? いや、見てないが」

「運の悪いことに、昨晩は満天フォーゲルスの試合がナイターで、延長十二回まで続く乱打戦になっていました。昨日の夜シフトの警備員はフォーゲルスの熱狂的なファンで、試合中……特に、延長戦に突入してからはずっと、テレビにかじりついていたそうなのです。つまり……」

「……人の出入りがあったかどうかもわからない、と?」

「そういうことです。試合開始は六時で、それから五時間を超える大熱戦だったそうですから、十一時過ぎまでは……」

「……最悪だ……」


 満天フォーゲルスとは、青葉に本拠地を置くプロ野球チームである。

 伊達は頭を抱えた。これでどうやって犯人を特定しろというのか。犯人は外部からも大学内部からも出入り自由で、現場には犯人を示す痕跡が何一つ残されていない。唯一の希望は切断された頭部だが、それすらも見つかるかどうかわからないし、よしんば発見できたとしても、腐敗が進んでからでは有力な手掛かりが得られないかもしれない。こんな状況で怨恨の線まで断たれてしまうと、森の中で木の葉を探すかの如く、犯人逮捕は絶望的な状況である。


「ただ、悪いことばかりではありません。学生達への聞き込みを進めていくうち、妙な話が出てきました。先月のことになりますが、あのサークル棟の他の部室で、カーテンがズタズタに切り裂かれる事件があったそうで」

「何、カーテンが? 警察に被害届は?」

「出さなかったらしいですな。大学本部は、それを単なるイタズラと判断したようです。まあ、被害がカーテンぐらいだったら、そんなものかもしれませんね。しかし今回、被害者の衣服が細かく切り裂かれていたことから、学生達の間では、そのカーテン切り裂き事件との関連を疑う声が上がっているとか」

「……サイコパスの可能性があるというわけか。これはまた厄介な……」


 サイコパス。特殊な嗜好を持ち、常人には理解できないような理由で犯行に及ぶ精神異常者のことである。そのため、怨恨や金銭トラブルの線で洗っても犯人に辿り着ける確率が極めて低く、さらにそれが知能犯だったりすると、警察の組織力を持ってしても手に負えない存在となる。だが、と伊達は思考を巡らせた。


「しかし、仮にそのカーテン切り裂き事件と今回の事件の犯人が同一人物だとすると、二度も続けてあのサークル棟を現場に選んでいることになる。つまり、犯人は大学関係者の可能性が極めて高いわけだな」


 伊達の推理に、片倉は重々しく首肯して見せた。


「はい。今回の事件だけなら断言はできませんが、前の事件と関連があるとすれば、話は違ってきます」

「よし。僅かに光明が見えてきたな」

「それともう一つ。諸星の人間関係は洗っても何もありませんでしたが、袴田の方は少々面白い情報が得られましたよ。袴田は同性に対しては基本的に来る者拒まずで、浅く広く人間関係を築いているようです。ただ、まだ入学して間もないですし、特に親密な友人はいないらしいですな。男に対しては一応それなりの距離感をとって接しているようですが、まあ、あの容姿ですから、ちょっと声をかければコロっといく男もいるでしょう」


 片倉の何気ない一言が、さっきまでその女との会食を楽しんでいた伊達の心を容赦なく抉った。いや、いや、俺はまだコロっといってはいないはず。


「ですが、実は、袴田が青梛に入学するより以前から面識のあった人間が、三人だけ見つかりました。それが、この三人です」


 片倉はそう言うと、三枚の写真を提示して見せた。女二人と男。女のうち一人は、袴田に匹敵、あるいは上回るほどの美人である。


「西野園真紀、京谷小雨、瀬名瞬……どこかで聞き覚えのある名前だと思いませんか?」


 伊達の灰色の脳細胞がチリチリと音を立てる。そう、確かに、どこかで……。


「……監獄島……監獄島の生き残りじゃないか?」


 片倉は口辺にうっすらと笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、その通りです。忘れられませんね、あの事件は。しかし、実はそれだけじゃないんですよ。伊達さん、馥志摩で冬に起こったあのアマチュア作家殺人事件(※)、覚えてますか? あれを解決したのが、この西野園真紀という女らしいんです」

「ああ、もちろん。あれは全国ニュースにもなったからな。だが、あれはうちの管轄ですらない事件だぞ。何故その女が?」

「それが一番面白いところで……実は一昨年、袴田の兄が向こうの別荘で亡くなっているのですが……」


 片倉が一昨年の事件について説明する間、伊達は心の底から湧き上がってくる興奮を抑えるのに必死だった。


「そういうわけで、袴田心美と一緒にその場に居合わせたこの三人は、その事件を担当した里見という馥志摩県警の刑事と顔見知りになり、その里見という刑事から、件のアマチュア作家殺人事件への捜査協力を頼まれたらしいんですよ。実は、私が袴田の身柄を確保した際、袴田と一緒に居たのもこの三人でした。これまた随分美人がいるなと思ったものですが、あれがあのアマチュア作家殺人事件を解決に導いた素人探偵だったとはね……だから、袴田が青葉に来るより前から交流があったのはこの三人だけになります。どうです、伊達さん。話を聞いてみたくなったでしょう?」

「片倉、その三人の連絡先はわかるか?」

「ええ、抜かりなく」

「明日は日曜か……さすがに大学には居ないだろうな。よし、ダメで元々、俺はその三人に会ってみよう」


 俄かに活気を取り戻した伊達の顔を見て、片倉も安堵の表情を見せた。一刑事として、素人探偵に頼ることは警察の組織力と頭脳の敗北を意味する。だが今回のケースでは、探偵が被疑者の知人であり、被疑者に関する情報を集めるという建前があるのだ。そして何より、かつては熱心な推理小説ファンであった伊達自身、難解な事件を解決に導いた現実の素人探偵という存在に強い興味を持った。


 念のために補足しておくが、伊達がこの三人に会ってみる気になったのは、ひとえに事件解決への糸口を探し求めてのことであって、西野園真紀がとびきりの美人であったからでも、袴田のプライベートな話が聞ける可能性があるからでもない。決して……いや、多分。

(※)シリーズ九作目『フューネラル』参照

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