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五月二十日 小雨

「織原伊都子と……諸星亘?」


 心美ちゃんが連行されていったことには、私だって勿論驚いた。だが、それだけではない。刑事と真紀と心美ちゃん、この三人の会話の中で、知っている名前が二つも登場したことに、私は驚きを隠せなかった。しかも、さっきの刑事は『織原さんと思われる遺体』と言っていなかったか。


「知ってるのか、小雨」

「うん……二人とも、文芸部の後輩。ねえ瞬、さっき、あの刑事『織原さんと思われる遺体』って言った?」

「……どうだったかな」


 目の前で心美ちゃんを連行され、真紀は不服そうな表情でテーブルに戻ってきた。ついさっきまで心美ちゃんが座っていた席の前には、食べかけ(というよりほとんど手付かず)のハヤシライスがそのまま残されている。


「まったく、どうして心美ちゃんが……」

「ねえ真紀、さっきの刑事、『織原さんと思われる遺体』って言ってなかった?」

「……え? ええ、確かに、織原伊都子って……まさか、知り合いなの?」


 地獄耳の真紀が至近距離で聞いたのなら、間違いはないだろう。念のため、織原さんにLINEをしてみたが、数分待っても既読はつかなかった。昼休みだから講義中ということも有り得ないし、マメな織原さんにしては珍しい。


「ごめん、私ちょっと現場に行ってみる!」


 私は梨子ちゃんに連絡を取りながら学食を飛び出し、サークル棟へと向かった。




 サークル棟の周辺はパトカーのサイレンを聞いて集まってきた野次馬でごった返しており、その数たるや、先月起こったカーテン事件なんかの比ではなかった。サークル棟の周囲は立ち入り禁止の黄色いテープでぐるりと囲まれていて、見張りに配置された数人の警官が、威嚇するような鋭い視線をこちらに向けている。

 居ても立ってもいられずに、とりあえず現場に来てはみたものの、当然のように中の様子は窺えないし、私にできることは何もない。無力感にうちひしがれながら人垣の外で呆然と立ち尽くしていると、背後から突然、耳慣れた甲高い声が聞こえてきた。


「小雨ちゃん!」


 振り返ると、そこには私の連絡を受けて飛んできた梨子ちゃんの姿があった。すっぴんで髪はボサボサ、黒い上下のジャージ姿で、その格好を見ただけでも、寝起きに慌てて飛び出してきたのがわかる。デリヘル嬢の彼女にとって、金曜の夜は一番の書き入れ時だ。昨夜も相当忙しかったとみえて、大きく見開かれた彼女の両目は真っ赤に充血していた。


「おり……織原さんが殺されたかもって、何なん?」

「あたしも詳しいことは知らないんだけど、さっき学食に刑事が来て、そう言ってた」

「ええ? なんで警察が学食に……」

「それで、なんかよくわかんないうちに心美ちゃんが連れて行かれて……」

「はあ? 心美ちゃんが? わけわからん……ちょっと! あんたら! そこどき!」


 梨子ちゃんはそう叫びながら、無理矢理人混みをかきわけて現場へと突進していった。普段なら上級生である私が止めに入らなければならないような場面なのだが、今は彼女のこの強引さがとても心強く感じられる。



「なんなんだ君! ここは立ち入り禁止だぞ!」

「おっさん! あんたでもいいっちゃ、殺されたのが織原さんっちいうのは本当ね?」


 見張りの警官に体を押さえられた梨子ちゃんは、むしろそれを押し返すような勢いで警官に詰め寄っていた。そのあまりの剣幕に、警官のほうがたじろいでいるように見える。突如やってきたギャル風の闖入者に、辺りは騒然となっていた。


「捜査に関することは一般人には教えられないんだよ、お嬢ちゃん」

「殺されたのが織原さんやっち言うんやったら、うちは関係者やけん、教えてくれてもいいやろ? 嘘なら嘘っち言ってくれたらそれでいいんやけ」

「わけのわからんことを言うな、この……」

「なんだ、この騒ぎは?」


 二人が激しく言い争う声を聞きつけて、サークル棟の玄関から、この警官の上官らしき男が出てきた。……いや、あれは、さっき心美ちゃんを連行していった、あの強面の刑事じゃないか。


「は、この女が、なんだかんだとうるさくて……」

「殺されたんが織原さんっちいうのは本当なん? 違うっち言われたらこのまま帰るけ、それだけ教えてくれたらいいっちゃ」


 いかにも面倒臭そうに首を掻いていた強面の刑事は、梨子ちゃんが織原さんの名前を出すと、明らかに目の色を変えた。


「……む、君は織原伊都子のことを知っているのか?」

「知っちょるも何も、うちは織原さんの友達やっち言いよろうが!」

「君が織原さんの……ん、そこにいるのは、さっき袴田心美と一緒にいた女の子じゃないか?」

「私は織原さんと同じ文芸部で……織原さんは、私の後輩にあたる子です」

「そうでしたか。……先程は、部下が失礼なことを申しました。私は美矢城県警捜査一課の片倉と申します。改めて、織原伊都子さんについてお話を伺いたいのですが……」



 私たちが織原さんの関係者だと知った途端、刑事は態度と言葉遣いを露骨に改めた。この反応の変化が、事件と織原さんに何らかの関わりが――もしかしたら、被害者として――あることを如実に表しているように思えた。

 私と梨子ちゃんは、片倉と名乗った刑事に連れられて、サークル棟裏の物陰で、立ったまま事情聴取を受けることになった。梨子ちゃんは、いかつい容貌の片倉刑事に対しても臆することなく質問をぶつける。


「殺されたのが織原さんっちゆうのは、何かの間違いやろ?」

「司法解剖の結果が出るまで、あの遺体が織原伊都子さんであると断定することはできません。しかし、現場に残されていたスマートフォンが織原さんのものであることは既に判明しています」


 片倉刑事はそう言うと、懐から一枚の写真を取り出した。そこに写っていたのは、紺地に黄色くスヌーピーの絵柄が描かれたスマホカバーと、それが取り付けられた型落ちのスマートフォン。


「このスマートフォンに見覚えがありますね?」

「これ……織原さんの……」


 写真を見て絶句した梨子ちゃんの強張った表情が、全てを物語っていた。私は彼女ほど織原さんと接点がなかったからうろ覚えではあるが、織原さんのスマホは確かにこんな感じだったような気がする。


「お二人と織原さんのご関係について、もう少し詳しく伺ってもよろしいですか?」


 織原さんのスマートフォンが『証拠品』あるいは『遺留品』として提示されたことに、梨子ちゃんはショックを隠し切れない様子だった。呆然としている彼女に代わって、必然的に、片倉刑事の質問には私が応じることになった。


「関係……といっても、さっきお話した通り、私と梨子ちゃんは文芸部に所属していて、織原さんも同じ文芸部で……梨子ちゃんは、学年も学部も同じですし、私より彼女と一緒に過ごす機会は多かったと思いますが」


 とはいうものの、織原さんはあまり積極的に自分の話をするようなタイプではなかったし、梨子ちゃんだって彼女と特別親しかったわけではない。部に昇格し、急激に増えた部員全員と平等にコミニュケーションをとる(しかも学業とバイトもこなしながら)のは極めて難しく、その中でも、貴重な女子部員である織原さんとは意識的に多く接するようにしていたらしいのだが……。

 私と梨子ちゃんは文芸部が同好会レベルの集まりだった頃から一緒だったけれど、織原さんが入部したのは去年の秋の暮れで、知り合った時期には数か月の差があった。梨子ちゃんが、一応は上級生である私を『小雨ちゃん』と呼ぶ一方で、彼女を『織原さん』と呼んでいることにも、二人の微妙な距離感が表れているように思える。


「うちは、時々一緒にお昼食べたり、新入生の勧誘に行ったり……これから、もっと仲良くなろうっち思いよったところで……」

「昨夜から今日にかけて、織原さんの姿を見たか、あるいは、連絡をとったりされませんでしたか?」

「……私は見ていません。梨子ちゃんも、同じだよね?」


 梨子ちゃんは小さく頷いた。


「では、お二人以外に、どなたか織原さんと親しい相手をご存じありませんか?」

「いえ、彼女は、あまり交友関係が広いタイプじゃなかったので……私は、梨子ちゃん以外のコと一緒にいるところを見たことがないですね」

「では、織原さんが、同じ文芸部の諸星亘という学生と同棲していたことは?」

「「ええっ!?」」


 私と梨子ちゃんは互いに顔を見合わせた。そう、確かに、この刑事が学食に来たとき、織原さんの名前と共に諸星くんの名前も口にしていたが、それにしても、二人が同棲していたなんて初耳だ。


「知りません……えっ、あの二人、付き合っていたんですか?」

「なるほど、やはり周囲には隠していたのですね。では、諸星亘と袴田心美の関係については?」


 これが、現時点での最大の疑問だった。織原さんと諸星くんは学部も学年もサークルも同じだから、接点があるのはまだ理解できる。しかし、そこに心美ちゃんがどう関わってくるというのか。心美ちゃんは二人とは学部も違うし、サークルにも入っていない。何より、つい先月入学したばかりなのだから、織原さんとも諸星くんとも、それほど深い関係があるとは思えないのだ。私はその疑問をストレートに片倉刑事へぶつけてみた。


「あの、どうしてここで心美ちゃんの名前が出てくるんです?」


 しかし、片倉刑事は私の質問返しを無視して、さらに質問を重ねる。


「……たとえば、諸星亘と袴田心美が男女の関係にあったとか」

「はああああ?」


 いや、まさか……。あまりにも予想外な片倉刑事の言葉に、梨子ちゃんは大きく声を荒げた。その声と表情にはハッキリと非難の色が浮かんでいて、さしもの片倉刑事も、一瞬鼻白んだようだった。


「ちょっと、刑事さん何言いよるん? あんなびったれ、織原さんと同棲しちょったっちいうだけでもびっくらこいとんのに、心美ちゃんはないやろ、あんた」

「び、びった……?」

「あ、あの、『びったれ』っていうのは、北九州弁で、不潔でだらしない奴、みたいな意味です」

「は、はあ……どうも、よその方言はさっぱりなもので、助かります」


 梨子ちゃんの剣幕に気圧されて困惑気味の片倉刑事だったが、私の翻訳を聞いて、何か手帳に書き込んでいた。北九州弁の『びったれ』の意味をメモっているのだろうか。梨子ちゃんと知り合った当初は、私も彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかったものだ。


「ちなみに、お二人は昨夜の夜九時から十一時の間、どこにおられましたか?」

「え、刑事さん、うちらを疑っちょるの?」

「ああ、いえ、一応関係者全員にお聞きしていることですので……」


 梨子ちゃんにかかれば強面の刑事も形無しだな、と思いながら、私は答えた。


「私は夕方五時から十時までコンビニでバイトして、上がったらすぐ家に帰りました」

「うちも、昨日の夜は九時ぐらいからずっとバイトしちょったね。泊まりで。終わったのは今朝の九時前十五分ぐらいやったかな……」

「ふむ……職場はどちらで?」

「穀分町のシティホテル」

「なるほど、ホテルでアルバイト……と」


 今の梨子ちゃんの言い方だと、まるでホテルで働いているかのような誤解を与えてしまいそうだが、いちいち訂正するようなことでもないか。


「情報提供、ありがとうございました。もし織原さんからお二人に何らかの連絡がありましたら、警察にご一報ください。もしあの遺体が織原伊都子さんのものでなかった場合、織原さんには、重要参考人としてお話を伺う必要がありますので……。では、私はこれで失礼いたします」


 片倉刑事は慇懃に礼を述べて、再び現場のサークル棟へ戻っていった。

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