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プロローグ

本作はSシリーズ一作目『アンダンテ』を読んでいるか否かで主人公の行動に対する解釈が大きく変化する可能性があります。必須というわけではありませんが、『アンダンテ』に目を通してから本作を読まれますことを推奨いたします。

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 桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!

 これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。 ――梶井基次郎『桜の樹の下には』より


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挿絵(By みてみん)|


 桜の木の下に死体を埋めてみたい。


 梶井基次郎の有名な一節を読んでから私は、桜の季節を迎えるたびにそう思うようになった。

 死という貴い犠牲の上に立っているからこそ、桜は美しい。なんて素敵な発想だろう。日本人が桜に特別な情緒を感じるのは、そこに死の余韻を見るからではないだろうか。

 冬の名残を塗り込めた純白の花弁に、ほんの少しだけ血の紅を差して、桜は妖しい薄桃色になる。それは、清らかな純潔の乙女が一筋の血を流して、美しい女夜叉へと変貌する様に似ている。


 桜の根元に埋められる限りの死体を埋めて、春を待ってみたい。前の春の桜が散ったら、すぐに準備を始めなければ。夏を超え、秋を過ぎ、冬になって……殺して、掘って、埋めて、また殺して、また掘って……。

 それは気の遠くなるような大変な作業かもしれないけれど、でも、きっと退屈はしないだろう。確実に成果が得られるものほど、実は単調な作業の繰り返しなのだ。それでも飽かずに続けられるのは、その成果が結実したときの恍惚に対する期待があるからで、新鮮な血肉の臭いを嗅ぎ付けて走り回る飢えた犬のような、マゾヒズムにも似たある種の渇望に支えられているのだと私は思う。


 麗らかな春の陽気の中に乱れ咲く桜の花弁。あの下に、もっともっと、夥しい数の死体を捧げたら。死肉と怨念を肥料にして妖しく降り注ぐ桜吹雪を想像するたび、私の心は得も言われぬ高揚感に満たされる。

 満開の桜の下、無機質で無粋なビニールシートを敷いて家族が花見に興じているのを横目に、私は一人でそんな甘美な妄想に耽るような少女だった。花に対する憧憬は、私のパーソナリティの中で最も女性的な部分だと言えるだろう。そうしたステレオタイプ的な発想は、私が最も忌み嫌うものでもあるけれど。


 より具体的に、人を殺してみたいと思うようになったのは、それよりずっと後のことだった。桜が死を吸って美しくなるのなら、私だって、人を殺すことで今よりずっと綺麗になれるかもしれない。『死』とは、生きとし生けるものにとって最大で最後の喪失だ。だがそれすらも、私の美しさの糧となった瞬間、貴い犠牲へと変わる。

 私たち人間は皆、他の生物の死骸を食べなければ生きていけない。美容のために人を殺すことだって、本質的な意味において違いはないはずだ。ならば、人を殺して美しさに磨きをかけることも、同じように正当化できる。若い娘を殺し、その血を浴びて美貌を維持した、中世の悪名高い伯爵夫人のように――そう考えるようになったのだ。


 一昨年、あの人に会ってから。



 この春、私は大学生になった。

 生まれて初めて親元を離れ、あの人を追いかけるように同じ大学、同じ学部に進んだ。そして、今日から本格的な講義が始まる。


 正門を過ぎると真っ先に目に飛び込んで来るのは、正門から伸びる通路の両脇に並ぶ桜並木。未だ八分咲きといったところだが、可憐に咲いた白い花弁が風に揺れるさまは、人を狂わせるに十分な色香を孕んでいる。

 通路の正面には各種の施設と一部の学科が収められたまだ新しいビルが聳え立っていた。採光性を重視したのか、正門から見て正面にあたる南側の壁一面がガラス張りのデザインになっている。どこか近未来的な雰囲気があって、好みとは言えないまでも、まあ悪くないな、と思う。


 一コマ目の前、まだ早い時間だからか、キャンパス内は思っていたよりも人が疎らだった。その大半は私から見れば上級生のはずだが、中には落ち着きなくキョロキョロと周囲を見渡している者も数人いた。あれは私と同じ境遇の新入生だろうか。人間なんてどれもこれも同じ顔に見えて仕方がない。普段から人の顔を判別するのが苦手な私だけれど、人混みの中では特に、皆手足の生えた芋にしか見えなくなるのだ。


 不快感の元はそれだけではなかった。すれ違いざまに向けられる男たちの視線が、べったりと皮膚に張り付いて離れない。承認欲求や自己顕示欲など微塵も持たない私にとって、人の視線はしつこく纏わりつく蠅のように邪魔なものでしかない。

 お前に見られるために綺麗になったわけじゃない。そう言いながら、大きな斧で一人ずつ芋の頭を切り落としてゆく――そんな想像を、私はよくする。それで気分が晴れるわけではない。ただ、私は常に体が破裂しそうなほどの苛立ちを抱えていて、その衝動を抑える術を探している。夢の中なら、頭の中なら、どれだけ人を殺しても罪に問われることはない。どんなに残虐な拷問を行ったとしても、誰にも責められない。だから私は空想の世界でいつも人を殺している。


 私の破壊衝動は、フーセンガムのように膨れ上がりながら、いつもギリギリのところで踏み止まっている。子供の頃から今までずっと、私は嗜虐性に満ちた本性を隠して、大人しく真面目な女の子を演じ続けているのだ。その甲斐あってか、私は周囲に『可憐で大人しい女の子』だと思われているらしい。頭の中にはいつも血みどろの光景が広がっているにも関わらず。


 例えば、群衆の中で私が今思い浮かべたのは、マッシュポテトの柘榴ソースがけ。茹で上がったジャガイモを槌で力いっぱいに叩き潰す。飛沫を上げて溢れだす柘榴の果汁。恐れ慄いた蠅たちは一目散に散ってゆく。

 いや、芋や羽虫のことなど、今はどうでもいい。


 私は人を探していた。それは私がはるばる東北の美矢城までやってきて、この青梛大学を選んだ動機でもある。


 あれからずっと、この日を待っていた。

 一昨年の夏、あの人と出会ってから。


 これだけの学生が蟻のようにうろついている中で、いきなりあの人と遭遇できるなんて、そんなことがあるだろうか。客観的に見ればその確率は決して高くない。学年も違うし、そもそも私が青梛大学に進学したことすらあの人には知らせていないのだ。

 もしも今すぐここで再会することができたなら、私は運命という、憐れな錯覚と願望の産物を信じてもいい。神でも悪魔でも信じてやろう。祈るだけで奇跡を起こせるのなら、これほど楽なことはないのだから。

 でも、現実はそんなに甘くない。桜並木を抜けて、学舎の正面入り口から中へ。目の前のロビーは天井が吹き抜けになっていて、採光性抜群のガラス張りの壁から日光が差し込んでくる。今は暖かい春だからこの明るさを楽しむ余裕もあるけれど、冬場は結構寒そうだ。天井は吹き抜けだから暖房も効きが悪いはず。断熱性はどうなっているんだろう……そんなどうでもいいことを考えながら私は、挙動不審に見られないよう注意して、瞳だけを左右に走らせた。


 ……いた。あの人が。


 あの人は、ロビーの椅子に腰掛けて、他の三人の学生と話をしていた。その中には、見覚えのある顔も二つある。一昨年、あの人と一緒に私の別荘に来た二人だ。

 嘘みたい。私は驚きのあまり気絶しそうになった。けれど、あの人の前で無様な姿は見せたくない。どうにか意識を保って、平然と、何事もなかったかのように歩き出す。

 一歩、また一歩。あと十メートル。向こうも私に気がついた。面識のある三人は皆大きく目を見開いて、狐につままれたような表情でこちらを見つめている。


 五メートル、三メートル……そして私は、あの人のすぐ目の前までやってきた。一年半余りの間に、随分大人っぽくなったように感じられる。私は急いで大人しい女の子の仮面を被り直し、とっておきの笑顔で微笑みかけた。


「お久しぶりです、皆さん。お元気でしたか?」


 ここまで随分長かったけれど、ようやくまためぐり会えた。

 もう逃がしはしない。


 形の良いその唇から、私の名前が零れ出す。


「心美ちゃん?」


前書きで過去作に誘導する暴挙(笑)

『アンダンテ』は四万字ちょっとであまり長くない(と私は思う)話なので、プロローグで興味を持っていただけた方には、本編開始前に是非目を通して頂きたいです。色々と粗の見える処女作ではありますが、本作に繋がる核心的な要素が色々と詰まっています。


本作のテーマを一言で表すなら『サイコパス』。私が描いてみたかったサイコパス像を、私なりになるべく綺麗に、ミステリっぽい伏線を張りながら書いてみたつもりです。

本格ものだとは口が裂けても言えませんし、事件が起こるまで少々時間もかかりますが、後半には一応警察が入って捜査が行われたりもしますので、その辺りまで飽きずに読んで頂ければいいなと思っております。


で、本作は一応シリーズものなので『アンダンテ』以外にも過去作のネタが度々登場しますが、『アンダンテ』以外は未読でも問題ありません。もちろん、ちらっとでも目を通してもらえれば嬉しいですけどね!


画像はフォロワーのうさこさんからの借り物です。

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