4 危機と脱出
ちょっと短いけどこれで第一章が終わりです。
お読みいただきありがとうございます。
ケルスティンの前足が浮き上がる。
そのまま体重をかけて押しつぶすのではなく、反動をつけて振り下ろし、いっきに踏みつぶす気だ。
しかしそれは瞬間、衝太郎への押さえがなくなったということ。
「いま、だ!」
衝太郎がとっさに身体を避ける。身をかわし、転がった。
しかし転がった先は、
「なにっ!?」
ケルスティンの足の間だった。
完全にケルスティンの馬体の下に潜り込んでいる。自分の馬体がじゃまになって、ケルスティンは衝太郎が見えない。
「くっ! ここか、どこだ!」
なんどもなんども、たたらを踏むように四つの足で地面を踏みしめるケルスティン。
もし衝太郎がケルスティンの前か横へ転がって逃げていたら、簡単に踏みつぶされるか蹴られるかだったろう。
ケルスティンの直下に逃げたことで、視覚から消え、動揺を誘ったのだ。
それでも、
「ぉっ! うっ、ぐっ!」
(そうとうキツイ!)
完全に蹴られ、踏みつぶされるのではなくとも、小突きまわされているのに等しい。それも馬の蹄で、だ。
だがすぐにケルスティンも気づく。
いったん下がるなどして、衝太郎の身体を露わにしてしまえばいい。そのうえでまた踏みつぶすなり蹴るなりするのはたやすいではないか。
気を取り直したケルスティンは、
「ここまでだ。衝太郎とやら! ……ぁっ、きゃぁあああっ!」
しかし自信たっぷりな言が、途中から悲鳴に変わる。
その馬体に、
「ぅぅううううううっ!」
衝太郎が取りついていた。
しがみついたのだ。下から。
こんどこそ驚き、困惑し、取り乱すケルスティン。
「ぁあっ! ぅああああ! やめろっ! は、離せ! その手を……吾に、触れるな! 抱きつくなああ!」
なんどもすべての足を踏みしめ、身震いするように身体をゆする。それでも衝太郎はしっかりとくっついて離れない。
(ここで振り落とされたら、か、確実に……)
ぐちゃぐちゃに踏み殺される!
必死に、ケルスティンの馬体の毛を握りしめた。両脚で馬体を挟んでつかまる。
「離せ! 離れよ! この、このっ!」
ケルスティンが激しく暴れるせいで、落っこちそうにズレた衝太郎の顔が、馬体の下腹にめり込む。
これがどういうことかというと、
「!!」
ケルスティンの顔がこれまでにないほど真っ赤に染まる。
ブルッ、と身を震わせ、
「きゃぁああああああっ!」
長く尾を引く悲鳴を放った。
拒絶と含羞の、本気の悲鳴だ。
同時に、なんどもなんども前足をはねあげ、後ろ足で宙を掻く。四つの足全部で跳ねたりもする。
完全にパニック。
「わぁああああ!」
こうなるともはや、つかまってなどいられない。
ついに振り落とされる衝太郎。
ドッ! 雑草の上へ背中から落ちる。そこへ、
「おのれ! こともあろうに、わ、吾の! なおれ、そこへなおれ! 動くな! いますぐ蹴り殺してくれる、ぅっ」
殺到しようとするケルスティン。
その声が、途切れた。
「そこまでよ!」
アイオリアだった。
鑓をかまえている。
ケルスティンが馬上から取り落とした鑓だ。切っ先が、ケルスティンの首筋に正確に突きつけられていた。
「貴様……!」
「あたしだって、おまえが遊んでいる間にこのくらいできるわ! 甘く見たわね!」
見上げるアイオリア。
その瞳がまっすぐ、なにものにも怯まぬ覚悟でケルスティンを見つめる。上から見下ろすケルスティンの目に、動揺が広がった。
しかしアイオリアがその鑓でケルスティンの喉首を突くことはなかった。
「兵を退きなさい! 命令するのよ! それで、命は助けてあげる!」
言い放つ。
「なんだと。吾が自らの命を惜しむとでも」
「どうかしらね。でもこれだけの近さで、しくじることはないわ!」
アイオリアの言葉に自信が満ちる。
逆に焦りが深まるのはケルスティンだ。
「くっ! 吾が兵を退いたら、この場を無事に離れられる保証はあるのか!」
それを聞いて、アイオリアの顔に笑いが浮かんだ。
「主神ギラーミンの吐息にかけて。このアイオリア・セラ・フィーネバルトの名にかけて、誓いましょう!」
それでも見つめるケルスティンと、その視線を受け止めて動じないアイオリア。
ケルスティンが視線を、ふっと外した。
前方の戦線へ向かって叫ぶ。
「我がドルギアの兵たちよ! 退け! いますぐに、シーシラスの川まで退くのだ。全軍、退けぇええい!」
その細い身体からどこにそんな、という大音声だった。
前線の兵にもじゅうぶんに届く。
そしてケルスティンの命令を受けた兵たちは、三々五々、撤収し始めた。騎馬や弓兵たちもこれに続く。
リュギアスの兵には、追撃の気力などすでになかった。
それほどにケルスティンのドルギア軍の徹底的な勝利だったのだが、それが覆されるとは、前線の兵たちには及びもつかなかっただろう。
ごく一部、ドルギア軍を追おうとするリュギアスの騎馬などがいたが、
「やめなさい!」
アイオリアが叫び、手を振って合図すると従い、その場にとどまった。
「終わった、のか……い、痛てて!」
雑草の中から身を起こす衝太郎。痛む背中に顔をしかめるが、それよりも安堵のほうがずっと大きい。
味方の撤退を確かめてケルスティンが、
「これでよいのだろう」
「ええ。こっちも約束は守るわ」
言うとアイオリアも答えて、鑓の穂先をケルスティンの喉元から外した。
「吾の勝ち……のはずだった。それがかなわなかったのは」
ケルスティンは衝太郎を見る。
鋭い視線に、
「うっ! まさかまだ」
思わずひるむ衝太郎。だがケルスティンは、
「異世界から来たとかいう、その者にしてやられたようだ。その奇妙な戦い方にな」
そこまで言うと微笑んだ。
衝太郎に笑みを送り、
「笹錦、衝太郎と言ったか。正直に認めよう、今日はおぬしの勝ちだ! だが次もあのような戦法が通用すると思うな! いずれまた合いまみえん! おそらくはそう遠くないうちに、だ」
ケルスティンが馬首をめぐらす。この場合、馬首、で適切かどうかは、見ていた衝太郎にもわからないが。
「ええ、これで終わりだなんて思っていないわ。決着はいずれ、つけなくてはね。それまで勝負は預けるわ」
アイオリアも下がる。鑓は完全に下ろしていた。
「さらばだ!」
ケルスティンが駆け出す。あっという間にその姿が小さくなって、撤退する兵たちと合流していった。
「行った、か。助かった」
その後ろ姿を見送りつつ、衝太郎が立ち上がる。
(馬のお尻……)
ミニスカートのような布がひらひら、翻るをながめていたら、
「ちょっと、いつまでも何見てるのよ!」
視界を遮るようにアイオリア。
「あ、いや。……助かった、な」
衝太郎が向けると、
「ぇ、あ……そうね」
アイオリアはひどく顔を赤らめて、視線を外す。小さく、
「あ、ありがとう」
「は?」
「ありがとう、って、言ってるのよ! 感謝、してるんだから。おまえの……衝太郎のおかげで助かったんだもの。アイオリアも、兵たちも」
口を尖らせる。
けれど言いながら、しだいにその表情が和いでいく。瞳が潤んでいた。
「まぁ、オレも必死だったし。異世界の超能力で楽勝! のはずだったんだがな。ははは、悪ぃ」
衝太郎が笑う。アイオリアもつられるように小さく笑って、
「超能力? そんなものがなくたって、衝太郎はアイオリアを守ってくれた。すごい、って思う。そこだけは、今日だけは! お礼を、言わせて。……ありがとう、衝太郎」
「アイオリア……」
「か、勘違い、しないでよね! おまえにはあとで館でいっぱい聞きたいことがあるんだから! 異世界がどうとかっていう話も怪しいし。救世主、なんて! まだほんとに信用したわけじゃないって、おぼえておくことね!」
なぜか怒ったように言う。最後は、ふんっ! とかぶりを振った。
「はぁ……はいはい」
「なによ! なに笑ってるのよ!」
「いやまぁ」
(とりあえずは、なんとかやっていけそうだな。しばらくは……)
衝太郎は学生服の土埃を払い、地面に落ちたままのカバンを拾い上げる。
アイオリアのブルーデも戻って来た。
たった今まで戦場だったのがウソのように森と草原は青々と輝き、心地よい風が通り抜ける。
「何をしてるの。行くわよ!」
声に振り返ると、いつの間にか側に来ていた従兵の手を借りて、アイオリアがブルーデの背に跨る。
さっそうと駆け出していくその姿は、やはり風格ある王女のそれだ
風になびく赤い髪がどんどん遠くなっていくのを眺めながら、
「けっこうこっちの世界も悪くないかも……、って、あれ? オレはどうするんだ。乗せてくれないのか? だいたいその館ってどこにあるんだよ。どれだけ遠いんだよ、おい! おーいっ!」
衝太郎はあわててアイオリアを追いかける。
次からは第二章。
料理も出てくる……はずw