2 騎兵
戦場のただなかで次々起こること。
ちょっとでもタイミングがズレたりしたらもうアウト、なんだろうなあと。
「逃げるな! 無駄だ! 待て!」
「待てるかっての! いったん退却、出直しだ!」
「おやめなさい、ゲルハート!」
アイオリアの声が聞こえる。
しかしもう騎兵は抜き身の剣を振りかぶっていたし、衝太郎が本気でいくら走っても馬のスピードにかなうわけがない。
最悪、迫る馬体に押しつぶされていたかもしれない。
が、そうはならなかった。
なぜなら、
「ぅぐあっ!」
当の騎兵が、うめき声とともに馬上、大きくよろけたからだ。
事故などではない。
そのしゅんかんを、衝太郎は偶然見た。
衝太郎の頭上をかすめた矢。とっさに振り返ると、騎兵の喉元に吸い込まれるように刺さっていた。
「!」
騎兵は落馬し、馬はころげそうになりながらも留まった。
(あいつ……!)
おそらくゲルハート、と呼ばれたほうの騎兵だ。衝太郎のことを遊び人、と言っていた。
鎧に包まれた身体が、雑草の中に埋もれるように落ちた。
唖然とする衝太郎。血の気がいっきに引いていく。
ここは危険だ。それも、ひどく!
「く、くっそ、早くも見せ場かよ! にしてもピンチ過ぎないか。まだオレの、異世界の能力ってのが、わかってないってのに!」
「ゲルハート! どうしたの! ロドネイ、ゲルハートを!」
向こうでアイオリアが命じている。もうひとりの騎兵、ロドネイがゲルハートを助けようと駆け出す。
「まずい! ダメだ!」
果たして、
(あれはっ!?)
がさっ! いっせいに草を跳ねのけ、あらわれた弓兵たち。
総勢二十名はいる。ゲルハートを射たのも、そのひとりだ。距離はおよそ百メートル。
(雑草に隠れながら近づいて来てたんだ。あのお姫さま、やられるぞ!)
いっせいに矢が放たれた。
ざっ! あまりに大量に飛んでくる矢は、雨の音にも似ているという。この規模なら小雨程度か。
しかし、
「きゃぁあああっ!」
アイオリアを襲うにはじゅうぶんだ。
なにより先に、ロドネイが倒れた。
「姫さま、お逃げを!」
それでも叫んでいる。馬が主人の周りを駆け回る。
(あんなに頑丈な甲冑を着てるのに、そんなものなのかよ!)
ならば、ただの学生服の自分はどうだ。軽装防具のアイオリアも。
「姫殿下をお助けせよー!」
向こうの陣からは、いさんで味方の騎兵が突進して来る。けれど、
「遅ぇんだよ!」
衝太郎が吐き出す。それほど敵のほうが近い。
「ぇ、え……」
アイオリアはまだ何が起こったのかわかりきれていないようで、馬上、動けずにいた。
身を低くしながら、下がろうとする衝太郎。途中、倒れたロドネイが見えた。首のあたりから血が噴き上げている。
(これ、マジだ。マジ戦だぞ! くそっ!)
衝太郎は理解した。
真に理解した、と言っていい。
(逃げろ!)
本能がそう告げてくる。
逃げるしかない。
武器もなく、防具もつけていない。たのみの異世界の超絶パワーもない。
そんな、ただの高校生に何ができる。
体力の続く限り走って逃げるしかない。それ以外ない!
けれど、
「だぁぁああああああああああああああああああああああっ!!」
なぜそんな大声が出せたのか、というほどの大音声が衝太郎の喉から迸った。
同時に、駆け出していた。逃げる方向へ、ではない。
アイオリアに向かう。
「伏せろぉおおおおおお!」
大声で叫びながら。しかしアイオリアの動きはにぶい。
視界に入る敵は、次の矢をもう引き絞っているはず。
あと少し! アイオリアの馬に飛びつこうとして、
「ぅぐっ!」
滑った。
衝太郎は地面に肩から突っ込む。しかしそれがよかった。地面についた手が拳大の石をつかむ。
身を起こしざま、放った。
石は絶妙のコースでアイオリアの乗った馬の鼻先をかすめた。
ブヒヒヒヒヒィィ、ン!
驚き、いなないて棒立ちになる馬。
必死に抑えようとするアイオリア。しかし、
「どう、どう! ブルーデ! ぁぁああああっ!」
御しきれずに振り落される。
その瞬間、たったいまアイオリアがいた空間を、ヒュンッ! 二十本以上もの矢がとおり過ぎた。
「姫さまぁああ!」
「落ちたぞ、姫さまが!」
向こうからの声に狼狽の色が混じる。
しかし地面は柔らかい土だ。雑草もある。
なにより、
「受け身くらいとれるんだろ! ……ぐぐぐっ!」
衝太郎の上だった。
石を投げたあと、やはりのめって草むらへ倒れた衝太郎の上へ、アイオリアの身体がまともに落ちて来たのだ。
「きゃぁあああっ!?」
「おげっ! う、ぐぐ……だいじょうぶかよ。まぁ、その大きなお尻なら平気そうだな」
「なんですって、失礼ね! は、離れなさい! きゃっ! ど、ど、どこをさわっているのよ! 無礼者ぉっ!」
とっさに抱き留めたかっこうの衝太郎の手が、アイオリアの胸に当たっているらしい。もちろん今も。
けんめいに身を突っ張るアイオリア。
衝太郎を突き放そうとする。
「それだけ元気があるなら安心だ。大きなケガもしてなさそうだな」
「ぇ……それを確かめるために」
「そうかな、まだ伏せて、ろ……!」
(偶然だけど!)
またも衝太郎がアイオリアの上に覆いかぶさる。
「きゃっ! なにするの……」
よ、と言おうとしたアイオリアの目の前を、ビュッ! 矢が飛んで行った。
「まだか。まだ来ないのか」
衝太郎が焦れはじめたころ、
「ぉぉぉおおおおおお!」
「たぁぁあああああ!」
「やぁっ! やぁああああっ!」
いくつもの声が雄叫びのように重なって、進んで来るのがわかった。アイオリアの上に重なったまま、衝太郎がわずかに顔を上げると、
「味方の兵よ! 来たのね!」
アイオリアが身をよじって、言った。
その言葉どおり、何騎もの騎馬、それに付き従う従兵たちが突撃していく。
こうなると、草の中に潜んでいた敵の弓兵は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
「やったわ!」
「ようやく、かよ」
ふたり、顔を見合わせる。
するとまだ、身体をぴったりと密着させていることにアイオリアは気づいた。再度、意識したのか、
「ちょっと! いつまで上に乗ってるの!」
「おおぅ、悪い。けど、まだ低く身をかがめてたほうがいい。馬は……」
「ブルーデ!」
身を起こしたアイオリアが叫ぶと、馬が気づいて近寄って来た。その手綱を、衝太郎がつかむ。
「もう心配ないわ! 見なさい!」
アイオリアが指さす。
味方の騎兵が、敵の兵の群れに突きかかって、戦列を崩していた。徒歩の従兵たちも大いに鑓や剣を振り回している。
「そう、だな」
衝太郎も見る。ときおり血しぶきが上がるのが見える。
(ぜったいもう撮影じゃない。異世界だ。オレは異世界へ来たんだ。それも、剣と……魔法? のファンタジー世界に!)
となりで友軍の奮戦を見つめているアイオリア。
(アイオリア……お姫さま、王女、かぁ)
陽に透けると明るい栗色の髪は金色にも赤にも見える。抜けるように白い肌。青い瞳。見たこともない美少女が、すぐ側にいる。
微笑み、話しもできる。
それに、
(でかい、よな)
いま見てもそうだが、とっさにおおいかぶさったとき感じた、アイオリアの胸の大きさ。身体は細いのに、そこだけ規格外に実っている。
「そうだよ、ここはオレのいた地球じゃないんだ。どこか、別の時空にある異世界。くそっ! なのに肝心の超能力はないし、これからどうしたらいいんだよ」
「えっ?」
衝太郎のつぶやきにアイオリアが顔を向けた、そのときだ。
「あれは!」
別の森から、騎馬の集団がとつじょ現れた。衝太郎が思わず声を上げる。
新たな敵騎兵部隊だ。
味方の集団を横から衝く形になる。味方の騎兵も気づいて立ち向かおうとする。が、スピードが違った。
「離れろ! やられるぞ!」
衝太郎が叫んだとおりになった。
迎え撃つ味方騎兵はほとんど止まっている。せいぜい駆け出したばかりだ。
いくら鑓をかまえても、鑓ぶすまをつくるほどの密度はない。たとえそうであっても、多少の犠牲をいとわず突進してくる騎兵を止められるものではない。
馬の体重は五百キログラムにも達する。
加えて甲冑をまとい、鑓を装備した騎兵の体重が約百キログラム。
最低六百キログラムの質量が、そのスピードのピーク、時速五十キロを超える速度で迫り来る。その運動エネルギーのすさまじさは想像して余りある。
あっという間に蹴散らされていく。
騎兵とは衝力。
それを目の前で見せつけられた。
「ドゥオーモン! ヴォー! なんてこと!」
アイオリアが叫ぶ。
倒れた騎兵の名のようだ。
しかし衝太郎は、敵の騎馬の集団に目を奪われていた。
無意識に、つぶさに観察する。
騎馬の先頭を行く、おそらくは敵の指揮官。
(あれ、は……)
重々しく馬にまで装甲を施している騎兵が多い中、その一騎だけは軽装で、つやめく白い馬体が輝いている。
またがる指揮官は、これも陽を弾くなめらかな銀色の甲冑に身を包み、青いマントが長くひるがえっていた。
手に大きな盾と長鑓。
兜の上には白い羽かざりが風になびく。
「ケルスティン!」
アイオリアが叫ぶ。
「ケルス、ティン?」
「敵の騎士姫よ! ケルスティン=アリアス・コッペリオン。あいつがじきじきに出てきたなんて!」
「姫? じゃあ……」
(女、なのか)
たしかにシルエットがほっそりとシャープだと思った。衝き従う騎兵たちが、がっちりと線が太いのと対照的だ。
「けど……うあっ! 来るぞ!」
前線の味方を蹴散らした騎馬隊が、次にこちらの後方の部隊へ向かってくるのは常道だ。しかも、
(しまった、見つかった!)
銀色の兜の下、仮面のような面覆いをしていてもわかった。その視線。こっちを見た、と思うと、まっすぐに馬を飛ばしてくる。ぐんぐん大きくなって来る馬体。
アイオリアは? と見ると、
「ブルーデ!」
馬に飛び乗ろうとする。しかしひとりでは乗れないようだ。
「待てよ!」
「なにしてるの! 早く手を貸して!」
どうやら馬に乗るときは、従者の手をステップ代わりにしているらしい。
(そういえば、あれ、なんて言ったっけ。足をかける輪っかみたいなの、ないな)
鐙だ。
アイオリアの馬には、というよりこの世界の馬にはつけないようだ。
「無理だ。いまから馬に乗ったって! さっきの、見たろう!」
全速力で突進してくる騎馬に、棒立ちで迎え撃っても蹴散らされるだけだ。
「なら、どうしたら」
「とにかく……伏せろぉ!」
横目で見たときには、もう圧するような馬体が視界をいっぱいに塞いでいた。
このくらいのボリュームで続けていければと。
しばらくは毎日更新予定です。
よろしくお願いします。