5 鑓隊
戦いは続きます。
弓隊が引っ込んで、敵騎兵の最初の攻撃を退けると、あとは鑓隊どうしのど突き合いです。
「なんだと」
前線から上がってくる報告に、ケルスティンは表情を曇らせた。
自慢の主力、騎馬隊の突破がならなかったばかりか、損害が思った以上に大きい。
「おかしいではないか。敵はただの鑓隊。弓もさほどおらぬというに」
ケルスティンのイメージでは、騎馬は自由に動いてこそ威力を発揮する。
そのため、多くは部隊長に任せ、事前の大まかな作戦のほかはいちいち指示を伝達したりはしない。
しかし、
「ふむ、どうするか」
騎馬隊の突撃が不発に終わり、こんどは各鑓隊の攻撃に移っている。
リュギアス軍の右翼、ケルスティン側から見れば左翼に分厚い鑓隊が迫って来ている。言うまでもなくリュギアスの正規部隊だ。
突出する敵鑓隊に、相対するドルギアの鑓隊。
三部隊が真正面と右から打ちかかっている。つまりリュギアスの鑓隊は真正面と左から鑓を受け、圧迫されていた。
他の部隊は、ようやくリュギアスの横一線陣に到達し、鑓を交えるというところ。
「ならば……」
ケルスティンは右手を上げる。
走り寄って来た従卒に、
「騎兵を引き揚げさせよ。いったん退き、再編して当たる。鑓隊は敵の突出した部隊に当たれ。第四、第五部隊も側面から突き込め!」
告げる。
すぐに従卒が動いて、伝令の騎馬が駆け出していく。
さらに、ガラン! ガラン! ガラン! 大きな鐘が打ち鳴らされる。音による合図だった。
ケルスティンのこの指示で、騎兵は味方の陣へと引き返してくる。残った騎兵のうち、負傷などもなく戦えるのは五十騎ほど。
「半分か」
ケルスティンは本隊とともに残してあった予備隊の騎兵に目を走らせる。
四十騎。騎兵四隊は編成できよう。
「騎馬は待て! 鑓はどうなっている!」
問いながら、ケルスティンは自分の目でも確かめる。
じつに五部隊を投入しての攻撃で、リュギアスの正規鑓部隊はついに後退し始めた。
「よい! 押せ! 押し込め! 敵を喰い破れ! じき、我も出る!」
「押されてる! どうするの!?」
不安げな顔を向けるアイオリア。
「いや、いいんだ」
「いい、って。あの鑓隊が頼みだったんじゃないの?」
「だからいいのさ」
衝太郎の顔には笑みさえある。
そうやってアイオリアを安心させようとしてはいたが、
(ここが正念場だぞ。どうする? どうなる! もってくれ。もたせてくれよ! うまく、敵を……!)
五百人もいる正規鑓隊だが、敵の五部隊もが向かって来ては、相手はざっと千人にもなる。
倍の兵力を相手に、勝てるわけがなかった。
しかし、部隊は崩壊していない。
損害は出しながらも、方陣の隊列を維持している。そのまま少しずつじりじりと下がっていた。
じつはこれが、衝太郎の作戦だった。
五部隊もが向かって来たのは予想外だったが、むしろ敵部隊をよく吸引してくれたとも言える。
その分、一般市民部隊への負担が減る。
数では千五百人もいる市民部隊へも、残りの敵の五部隊、約千人の鑓隊が接触して来ていた。
しかし敵騎兵を撃破して意気上がる市民部隊は、周りで倒れる兵が出ても退かずに踏みとどまっている。
(いいぞ。もう少し、もう少しだ……!)
衝太郎の思惑で当たったのは、正規鑓隊五百人の塊に対して、敵は正面と左翼側からしか当たって来ないことだ。
鑓は右手で後ろを、左手で前を持つ。左手には盾がくくりつけられていた。
そのため鑓隊は、前と左へは、鑓を容易に向けることができる。
しかし右へは、身体ごと向かなくてはならず、とっさの対応、陣形ともに不安定になる。しかし最右翼に位置していたため、敵はさらに右へ回り込もうとはしてこなかった。
鑓隊ならば、敵も徒歩のため、そこまでの機動性がない。
敵の最左翼部隊が正規鑓隊の真正面からぶつかると、他の部隊はそれを超えて左翼へ回る(リュギアス側からは右)手間や時間をかけるのを嫌って、つぎつぎ正面から、ないしは右翼から当たって来た。
前述のとおり、リュギアス側からは左へ鑓を向けやすいほか、左腕には盾もある。
これがかろうじて、倍もの敵を相手に隊形を維持しえる理由と言えた。
「どこまで下がるの? もう最初の位置まで」
アイオリアの言葉どおり、ついに正規鑓隊は、その出撃位置までも後退してきていた。衝太郎たちの本陣からも、ほんの数百メートル先だ。
「まだだ。もう少し……!」
衝太郎は歯を噛み締める。
ギリギリと歯が鳴った。それに気付かないほど、集中している。その手は拳を握りしめ……ているということはつまり、
「まだなの!?」
アイオリアの脇腹をまたつかんでいるはずなのだが、アイオリアもまた、それに気付かなかった。
「……よし、いまだ!」
衝太郎は決断する。
直接伝令と信号旗手に合図を送る。
伝令が馬で駆け出し、高々と旗が掲げられた。
それを受けて、隊列が動き出す。
うごいたのは、五百人の正規鑓隊だ。
倍の敵を引き受けてじりじり後退していたが、すでに最前列が市民部隊よりも後方へ下がりつつある。
最初の出撃位置よりも後ろへ来ていた。
これ以上下がると、引き付けている敵鑓隊が市民部隊に向かい、なだれ込む恐れがある。
加えてもう後ろはない。アイオリアと衝太郎の本体がいるだけで、それより後方は敗走にも等しい。
しかし合図で隊列が分かれた。
五百人のうち、後方の十段が右へ滑るように分かれていく。
二十段の隊列のうち、どうしたって損害を受けるのは最前列から。そしていまの場合左列だ。
騎馬隊の突破以来、後方は正直に言えば仕事がない。
だが二十段もの後方があるから前列は安心して戦えるし、その縦深が敵に与える心理的影響もある。
仕事がないのが仕事のようなもの。無駄では決してない。
この後方十段を分離するのは、だから危険でもあった。
しかし正規鑓隊がすっかり後方へ下がり、戦列として市民部隊と最前線を直線的に形成しているいま、左側面への圧迫もなくなっている。(その分、市民部隊への圧迫が強まっている)
ここで後方を切り離すのは、タイミング的にもっとも安全だ。
そして切り離したことで新たにできた十段の鑓隊を、
「前へ! 右からかかれ!」
新たな合図を衝太郎が発する。
後方の正規鑓隊は、それまで一体だった前方の十段に右から並びかけると、追い越し、左へ回転した。
九十度回転し、敵の鑓隊の側面を衝く。
新たに攻撃を受けた敵鑓隊は、リュギアスの正規鑓隊を正面と左側面から受けることになる。
左へは鑓を回しやすいものの、リュギアスの正規鑓隊は五百(損害によって一割程度が減ったとはいえ)。
ドルギアの鎗隊は、ひとつの部隊が二百もいない。もう百五十以下に減っていた。
つまり受ける圧力は三倍以上だ。
あっという間に崩れていく。
「すごい! 敵の部隊が次々……!」
アイオリアが声を上げる。
ひとつ、またひとつと、敵の鑓隊が押しつぶされていく。
リュギアス軍の片翼包囲の形になりつつなった。
だがまだ、勝敗は決しない。
衝太郎は次の号令を放つ。
「鑓隊全軍、突撃だ!」
すかさず伝令と旗信号。
いままで攻撃を受け止めるだけだった正規鑓隊の前列も攻撃に転ずる。
敵右側面に回った後段の鑓隊が、もはや次々と敵部隊を蚕食している中、前面部隊も攻撃に出たのだ。
ドルギア軍鑓隊はもはや一歩も踏みとどまれない。
「やったわ!」
アイオリアの興奮は、さらに市民部隊にも伝わる。
敵が崩れ、味方が勝ちつつある。あと一歩で勝利がつかめる!
すでに突撃命令が出て、前へ出ようとしている部隊に、圧倒的な熱狂が吹き荒れる。最高に高まった士気の中、
「うぉぉおおおおおおお!」
「やれ、やっちまえ!」
「進め! 進めぇええ!」
口々に叫びながら鑓をかざして前へ出る。
こうなると、市民部隊の長い戦列が功を奏した。
ドルギア鑓隊がおもに、リュギアスの正規部隊攻撃に重心を置いていたせいで、市民部隊はその戦列の長さを持て余している。
もっといえば、最左翼などは戦っていなかった。ただ、戦列を離れるなという最初からの命令を守って、その場にとどまっていた。
そこへ全軍の突撃命令。
とうぜん、敵鑓隊の側面へ殺到する。
リュギアス軍の右翼で行われたことが、左翼でも、それも自然に起こったと言える。
(正規部隊は命令でいろんな動きが正確にできる。敵を引き受けて、退かない練度も度胸もある。けど、市民部隊には無理だ。だから……)
衝太郎は市民部隊にはごく簡単な命令しか出さないと決めていた。
動かすのは正規部隊のみ。
市民部隊は、その場で戦うだけ。
そして勝機をつかんだときだけ突撃させる。それももはや、秩序だった攻撃でなくともいい。
そうして戦いは衝太郎の思いどおりになりつつあった。
「わぁぁあああああ!!」
市民部隊は我先にと敵の突きかかり、崩していく。
ドルギア鑓隊も、本来ならばもっと受け止め、もしかすると引き込むように戦うこともできたはずが、左翼が崩れ、全軍が浮足だっているところに無秩序な攻撃を受けては、防ぎきれない。
ついにドルギア鑓隊が総崩れになる。
リュギアス軍の両翼包囲が完成しつつあった。
「リュギアス! リュギアス!」
「やれ、やれぇええ!」
「ひとりも逃すな! 討ち取れぇえ!」
これまでとはまったく異なる大勝利の感触に、興奮した兵たちが叫ぶ。さらなる成果を求めて攻撃を止めない。
どんどん前へ出る。
「勝ったの? 勝ったのね!」
アイオリアまでが、頬を紅潮させて叫ぶ。
その目に感激の涙が浮かんでいた。
しかし衝太郎は、
「いやまだだ!」
「どうして!? もう敵は……」
そのとき、アイオリアも目にした。
敵騎馬隊が土埃を上げて向かってくるのを。
衝太郎も言っているとおり、古代ギリシアの戦いがベースになっています。
エパメイノンダスの斜線陣ですね。




