3 過去
過去ばなです。
ちょっと一休み、的に読んでもらえれば。
料理研究家。
そんな仕事があることにもアイオリアは興味を示したが、その説明はまたあとに、と衝太郎は続ける。
衝太郎の母親、郁美は高名な料理研究家だった。
だった、とは死んだわけではなく、現在異世界にいる衝太郎には連絡の取りようがないから、そんな表現になってしまうのだが、それ以前から、
(もう一年以上か、会ってもいないな)
断絶状態にある。
といっても、母親の姿を見ない日はないほどだ。
それはテレビ、新聞や雑誌の記事、街中や電車の広告など、メディアで、ということになる。
もともと若々しい郁美はさらに若返ったような、みずみずしい華やかな姿をメディアに露出していた。
年収はもしかすると億に達するかもしれない。
ただ料理番組に出演したり料理本を出すだけでなく、最近では食器や料理器具のプロデュース、トータルな食のケアやらアドバイザー、ひいては、
「アジアだかグローバルだか、食のシンポジウムだかに招かれたりしてな」
「シンポジ、ウム?」
「いや、そこで切るなって……まぁ、そんなんで有名な母親だから、オレもなんとなく注目されたりするんだよ。あの笹錦郁美の息子か、ってな」
「わかったわ。それで衝太郎は料理ができるのね! こんなにおいしい……」
「いや、違う。オレは料理が大っきらいなんだ」
「え、まさか」
「まさかじゃない。大きらい、だったんだよ」
いまでは超有名な衝太郎の母親も、最初からそうだったわけではない。
無名、というよりももっと、逆境の中にいたと言っていい。
衝太郎がまだ小学校に上がるまえ、両親は離婚した。
衝太郎を引き取った郁美は、母子ふたりの生活を始めることになる。
それまで住んでいた小さいとはいえ新築の一戸建てから、古ぼけた1DK築数十年のアパートへ。
初めはパート、すぐに事務員としてはたらき始めた郁美は、朝早くから出勤し、帰りは夜七時、八時になることもあった。
だが忙しい日々にも郁美は埋没することなく、むしろ発起して、かねてよりの夢だった料理研究家を目指すようになる。
休みの日は朝から、仕事から帰って来た夜も、さまざまに料理を作り、試す。
「いろんなものを食わされたよ。和食、中華、洋食、イタリアン、フレンチ、エスニック、懐石料理……」
「それで、料理が嫌いに?」
「違う違う。毎日楽しかった。いろんなものが食えて。母親はずっと厨房……っていうほどじゃない。台所に立ちっぱなしだったけど、いろんな音が聞こえて、うまそうな匂いがして、オレは呼ばれて、味見をして」
そして食卓に、その料理が出て来る。
味見役は衝太郎。
ときには一日四食くらい食べることもあった。
「だからかな。そのころオレ、けっこうころころ太ってたんだぜ」
「ええ、そうなの?」
貧しくとも楽しい食事。母親は、作った料理のさいしょの感想を衝太郎に聞く。衝太郎は意見を言い、料理が改良される。
料理、食材、調味料、さまざまなことを話し合った。
会話はほとんど料理ばかり。
衝太郎のアイデアで料理ができることもあった。
食べるだけでなく、そんなふうに知識もどんどん増えていったから、母親が不在のときには衝太郎自身が料理を作るようにもなっていった。
なにしろ食材も器具もふんだんにある。
衝太郎が作った料理を食べて、郁美が目を輝かせる。
『衝太郎は料理の天才かもしれないわね! こんな発想、ママにはぜんぜん浮かばないもの!』
ほめられると、もっともっと、いろんなことを考えて試して料理を作りたいと思った。
母親を助けたいと思った。
楽しかった。
(毎日、楽しかったな……)
あれは衝太郎と母親の、濃密なコミュニケーションの日々だった。
そんな努力が実を結び始める。
最初は新聞や雑誌、地域の小冊子などに、郁美は自分の料理を投稿していった。そうした読者投稿はつねに求められていたからだ。
そうして投稿料理の常連になると、こんどは向こうから仕事の依頼が来る。
単に投稿して掲載された謝礼ではなく、仕事の報酬がもらえるようになった。
初めての仕事は、小冊子の料理欄。
仕事帰りのOLが作る、かんたんで栄養価が高く、しかも太りにくいスピード料理、そんな難しい仕事だったが、郁美は完璧にこなし、評判も上々。
すぐにレギュラー化されて、それがまとまった本になり……というころにはどんどんほかの仕事も依頼されるようになっていく。
「うれしかったな。母親が作って紹介する料理には、オレが考えたやつもけっこうあったんだぜ」
「そう。でもそれならどうして……料理が嫌いだなんて」
アイオリアの疑問ももっともだった。
しかしそのころから、衝太郎と母親の距離が離れていく。
衝太郎は母が他の仕事を止め、料理研究家として専念すると、いっしょにいられる時間が増えると思っていた。
もっといっしょに料理を作ったり食べたりできると。
だが逆だった。
テレビの収録は四本を一度に録るなどするため、朝から深夜までかかるのもざらだ。
料理本の執筆に専念すると、部屋に閉じこもってしまう。
せっかく広いキッチンのあるマンションに越しても、郁美は仕事の予行練習としてのみ料理を作り、作り過ぎると捨ててしまった。
そしてついに、事務所を借り、人を雇い、家には帰って来なくなる。
「世界中を飛び回るうちに、母親の料理自体も変化していったな」
「料理が、変わるの?」
「ああ。昔はかんたんで気取らず、すばやくできておいしい、栄養のバランスもいい、そんな料理が売りだったし、好評だったんだ。それが、文化だとか、思想みたいなものを表現するとか、見た目が奇抜で味は、そうだな、二の次になっていった」
郁美に言わせると、ただの料理番組で視聴者を相手にするならともなく、世界のシンポジウムで供される料理となると、それなりの理屈がいるし、そのほうがウケがいいのだそうだ。
「なんだそりゃ。料理はうまければいいんだ。料理が理屈を言うかよ。肉や魚がしゃべるかってんだ。そのうえ」
衝太郎の表情が険しい。
「そのうえ?」
「……いや、いい。やめとこう」
「なによ、言いなさいよ。イヤなの?」
「んー、いったん人気が頂点になるとさ、バッシングも起こりやすいっていうか。企業の広告塔だとか、間違ったことでも宣伝のために言うとか、プロデュースした調理器具や食器がデザイン優先で使いにくい、とか、な」
「そういうものなの? よくわからないけど」
「そういうものさ」
(それだけじゃないけど、な……)
あからさまに、あるいは陰で、郁美にからめて話題をほのめかす大人たち。衝太郎自身、これまでが郁美がらみで有名人だった分、退かれるのも早い。
気がつくと、いままで周囲にいた級友たちまでが去っていった。そうでなくとも距離を置くようになる。
そして、
「オレは料理を止めた。それまで、たのまれれば学祭のイベントで料理したり、友だちの集まりで腕をふるったり。……よろこんでもらえるのが楽しかった。自分でも毎日自炊していたし、将来はオレも料理研究家かな、なんて」
「衝太郎……」
「もうわかっただろ。オレは料理を止めた。それどころか、料理にかかわる全部がイヤになったのさ。料理なんて、くだらねえ。うまいものを作ったからどうだってんだ。いまどき、金を払えばそこそこうまいものなんてどこにでも転がってる。あ、オレの世界の話だけどな」
そうして衝太郎は料理から離れた。
料理だけでなく、学園からも離れて行った。
登校が減り、登校しても授業を途中で抜け出したり、どちらにしても身が入らないから成績も急降下。
家でも料理はいっさいしなくなったから、キッチン本位で郁美が選んだマンションの広いキッチンは、コンビニ弁当のプラ容器やファーストフードの袋であふれることになる。
(あのまま高校、辞めてたかも、な。てか、もう後がなかったし)
あの日も、ひさびさ登校したものの昼には抜け出し、とくに目的もなく街を歩いていたのだ。
そこに、あの眩い光……。
「こっちの世界へ来ちまった、ってのもなにかの……ぅん?」
さっきからアイオリアがなにも言わないのに気付いた衝太郎が見ると、そこに真っ赤な目を潤ませて、アイオリアが衝太郎を見つめていた。
「……」
「おい、アイオリ……ぁ!?」
「衝太郎! ぁああああん!」
気がつくと、ぶつかるようにアイオリアが抱きついて来ていた。
それだけでなく、衝太郎をぐいぐい抱きしめると、
「かわいそう! かわいそうな衝太郎、ぁあああああんっ!」
自分が泣いている。
しまいには衝太郎に胸に顔を埋めて、しゃくりあげる。
「お、おい……うん、ああ」
これには衝太郎も面食らうが、しだいにその顔に小さく笑みが浮かぶと、
「ありがとう、な。アイオリアはオレを最初に見つけて、認めてくれた。オレの命の恩人じゃないか。アイオリアがいなかったら、オレはもうとっくに死んでるか、この世界で路頭に迷ってたんだ」
(それがいま、こんなふうに料理を作ってる。料理がこんなに楽しくて、元気の出るものだったなんて)
いつのまにか、衝太郎のほうがアイオリアの頭を撫でていた。しばらくして、ようやくアイオリアが泣きやむころ、
「そうだ。アイオリアに食べてもらいたいものがあるんだ」
「まだ料理があるの? あたしもう、お腹がいっぱいよ」
衝太郎の言葉に、アイオリアが顔を上げる。その頬にくっきり涙の跡がついている。衝太郎は指でなぞるように拭き取ると、
「まだ料理は終わってないんだぜ。さあ、もう一度席についてくれ」
「でも」
「なあにだいじょうぶだ。次はな、お腹がパンパンでも、食べられる料理さ!」
衝太郎の性格形成、料理に対する考えが、まとまって出せたかなと思います。
こういうシーン、難しいけどわりと好きです。
 




