第一話(未来を変える為に負うリスク)'
長い期間登校拒否状態だった俺がやっと高校へ通い、復帰してから三日目の朝。
深紅たんが同じ屋根の下で住んでいることが幼馴染の日向にバレてしまったのは、遅すぎたのか早すぎたかと問われればもちろん後者の方だった。
いつものように俺と深紅たんが仲良く同じベッドで寝ているところをとうとう目撃されてしまったのである。
「ももも、もしかして掴としんちゃんは一緒に住んでっ……ど、同棲しているのでしょうか?」
何故に言葉の最後の方だけが敬語になったのかと、朝起きたばかりで寝ぼけている俺に態々ツッコミをする元気などない。
二日目辺りから何となくそうなんじゃないかと思っていたが、深紅たんって一度眠ったら中々起きないのな。
今もベッドの上で一人気持ち良さそうに布団に包まっている姿は何とも可愛らしかった。
「ああ、眠い……そうだよ……だから何だってんだ。何か文句でもあんのかよ」
「べ、別に文句とかないけど……掴がしんちゃんに手とか出さないか心配なだけ」
「心配すんな。手ならいつも出してるよ」
「心配するわっ!掴君、日向お姉ちゃんと約束しようか。これからはしんちゃんに変なことしちゃ駄目だからね」
「はぁ?お姉ちゃん?そんなん何処にいんの?俺の目の前には高校の制服着てる小学生しか見当たらないんだけど」
俺の悪口が相当お気に召さなかったようで、日向は自分を苛める掴君を懲らしめる為の必須道具スマホ(お父様召喚機)を制服のポケットから取り出したのだった。
「ふふふふふ。掴君、そんなこと言っても良いのかな?ぱぱにお願いして強面のお兄さん達に来て貰っちゃうよ」
強面のお兄さん=簗嶋組の若頭である。
日向のことを「お嬢」と呼ぶ、門松という男に違いない。
俺は死という運命から逃れる為、全力の本気で簗嶋組のお嬢に土下座した。
「すいやせんでした、お嬢!どうかこの私めの失礼をお許し下せぇ!」
今まで何回日向に土下座をしてきただろうか。やり過ぎて覚えてねぇ。
若頭の門松には中学時代に日向を泣かしちまって一度本気で殺されかけたときがあったな。日本刀握って追い回されて、流石の俺も死を覚悟したぜ。
確かその辺りだったか、俺が日向へペコペコ土下座して謝るようになったのは。
「約束するって。深紅たんに変なことしなきゃ良いんだろ」
「わかれば宜しい」
「けどさ、変なことって例えば何だ?」
この二日ちょいで深紅たんにしてきた事をあげれば切りがない気がするが。
頭撫でたり、一緒の布団で寝たりとか。ちょっとした恋人気分を満喫出来て最近の俺はかなり幸せ者だったな。俗に言うリア充という奴等の仲間入りを果たせたのかもしれない。
一応説明しておくが、リア充=リアルが充実している奴等のことである。
「変なことと言えばあれだよ……え、えっちなこととか……ですよ」
「ううむ、それはまだしてないかもな」
とても残念なことにな。
えっちなことと聞いて一つ深紅たんとご一緒してみたいことを思いついたので、折角だから日向君に発表してみることにした。
「一緒にお風呂は変なことに入りますか?」
「う~ん……水着着てればそこまで問題はないような、あるような?」
水着と聞いて俺が最初に思い浮かんだ水着は、もちろんスクール水着だ。
深紅たんみたいな子には絶対に似合うんだろうな、スク水。
どうしてすぐに思いつかなかったのか不思議なくらいだ。
「日向の小学生の時のスク水貸してくれよ。それ深紅たんに着せるから」
「まさかとは思うけど、今日一緒にお風呂に入る~とか言い出すんじゃないでしょうね?」
「まさしくそのつもりだったが、何か問題でも?」
「問題あるでしょ。しんちゃんにお風呂で何して貰うつもりよ?」
「体を洗って貰おうかと考えている。あと、目の保養」
俺は真顔でそんなことを口にしていた。この話を深紅たん本人が聞いていたらどう思うだろうな。眠ってて良かった。
「掴の変態。幼女趣味」
「俺は幼女趣味な訳じゃないぞ。ただ純粋に深紅たんのことが好き何だ」
「でも好きだからって、何しても良いってことにはならないでしょ?」
「深紅たんは俺の作ったアンドロイドだぞ。何でも言うことを聞いてくれる素直な良い子だ」
「それは掴が勝手に設定したしんちゃんの話でしょ」
「お前が信じられないのもわかる。けどな、この前深紅たんが話したのは全部本当のことで未来の俺が深紅たんを作ったのも、俺と日向が将来結婚することも、どっちも嘘でも冗談でもない。事実を口にしてたんだよ」
「いきなり未来とかアンドロイドとか言われても……ひな、そういうのよく解らないし……」
「深紅も心は主と同じ。奥方には信じて貰いたい」
いつの間に眠りから覚めたのか、深紅たんが俺と日向の話に途中参加。
可愛らしいアンドロイドの寝癖っていて所々跳ねている髪が俺のハートを見事に撃ち抜いた。
ああ、直したい。直してあげたい。
「……しんちゃん」
「深紅は未来の主と奥方のことが好き。だからこの時代の奥方とも仲良くしたい。駄目?」
「ううん、駄目じゃないよ。掴の言うことはまだ信じられないところが沢山あるけど、ひなはしんちゃんの言うことだったら何でも信じるよ。だってしんちゃんは掴と違ってひなを困らせる意地悪な嘘をつくような悪い子には見えないもん」
おいおい、酷いな。俺の言うことはそんなに信じられないのかよ。
まあ、良いや。今俺の注目すべきところは他にある。
それはこの可愛らしい金髪少女の寝癖で跳ねまくっている短髪だ。
「し、深紅たん……その君の寝癖、俺に直させてくれないか?」
「主はちょっと黙ってて」
何か深紅たんがとても冷たい感じがするのだが、これは俺の気のせいか?
それを確かめようとして、髪の毛に手を伸ばし触ろうとしたら、
「や!」
滅茶苦茶嫌がられて、気持ち悪がれる。
俺は毎週見ている萌えアニメを一話見逃した時のような強いショックを受けた。
……もう立ち直れる気がしない。
「深紅たんに嫌われた」
「何か掴、少し可哀想かも。しんちゃん、慰めてあげてくれないかな?」
「奥方がそう言うなら」
俺が部屋の隅っこで一人落ち込んでいると、後ろからやって来てくれたのはクシを手に握った深紅たんだった。
「主、深紅のぼさぼさの髪直したいんでしょ。良いよ」
「深紅たん大好き!」
「その台詞、未来の主もよく言ってた」
自分の膝に深紅たんを座らせて、受け取ったクシを使い、目の前にある可愛らしい寝癖った髪を優しく直し始める。
「掴、すごく嬉しそう。しんちゃんのこと大好き何だって見てるだけでわかるなぁ。顔がニヤついてるもん」
「主、痛い。下手くそ」
くっ、髪がクシに引っ掛かって上手く梳かせない
。
「……すまん。後少し我慢してな」
女の子の髪を梳かすことは意外にも難しく、俺はその後も深紅たんに何度か痛みを与えてしまうことに。
「……うう、頭が痛い。主はやっぱり下手くそ」
「ごめんて。毎日深紅たんの髪の毛で練習したら上手くなるかもよ」
「や。痛いの嫌い。もう主には触らせない」
「そんな冷たいこと言うなよ~。深紅た~ん」
「主じゃなくて奥方が良い。次からは奥方にお願いする」
「おのれ、ひなっちめ。俺の深紅たんを横取りしやがったな。許さん、許さんぞ」
「掴がしんちゃんに痛いことするからいけないんでしよ~。勝手にひなのせいにしないで」
深紅たんの俺に対する好感度がまたまた下がった様子。
真に残念なことだが、これからの俺が深紅たんの可愛らしい金髪に触らせて貰える日は永遠に来なそうだ。
こんな結果になるのなら髪の毛梳かしてみたい何て言い出すんじゃなかったなぁ。
「わぁ~、すご~い。本当にすぐ学校に着いちゃった」
朝っぱらから三人で長々と話をしていたらいつの間にか学校に向かう時間が過ぎていて、このままではホームルームに間に合わないと慌て始めた日向へ救いの手を差し伸べたのはもちろん俺ではなく、万能アンドロイド深紅たんだった。
「これで、信じられるだろ。深紅たんが普通の人間と違うんだって」
このテレポーテーションがあれば、もっとギリギリまで寝ていられるだろう。
態々、学校まで歩いて行く必要がないのだからな。
「言ったでしょ。ひなはしんちゃんの言うことは信じるって」
「俺のことは信じないんだもんな。ひなっちさん、サイテー」
「だってしんちゃんは掴みたいにひなのこと苛めたりしないもん」
仲の良い姉妹のように深紅たんに抱きつく日向は本当に嬉しそうで、何だか、いつもコイツを困らせている俺が性格の悪い苛めっ子のように思えてくる。
これからはほんの少しだけ優しく接してやった方が良いのだろうか。
「主は奥方に対する優しさが全くと言って足りていない。これからはあまり奥方を悲しませたり困らせたりする行為は控えた方がよいと思われる」
「しんちゃん……ひなのこと心配してくれてありがとう。嬉しいな」
「くぅ……深紅たんと仲良くなりおって……羨ましい」
「深紅、奥方のこと苛める主きらーい」
二度と日向を苛めないことを深紅たんに誓った俺だった。
「深紅たん、今日は時間を経過させなくて大丈夫だからな」
「おお。主、まさか勉強に目覚めた?」
「目覚めねぇよ。昨日の日向が何となく時間の経過が可笑しいことに気付いている様子だったからな。それで使用を控えた方が良いと考えたまでだ」
「了解した。今日は六時間みっちりと授業を受ける」
そして始まった勉強と言う名の生き地獄は俺(世界最強の馬鹿)を予想以上に苦しめる結果となった。
反対に深紅たんはと言えば、一時限目の音楽の授業で歌姫と呼べるような歌唱力と美貌で俺を含めたクラスの奴等全員を魅了。
続いて二時間目の英語ではまるで本当の外国人のような素晴らしい発音で英語をぺらぺらと喋り、教師や皆を驚かせていた。
「次、出席番号十五番、輝来」
続いて三時限目。俺が数学教師に名指しされ黒板に数式の答えを書く使命を任されていたのだが、答えが解らずに暫くの間ぴたっと固まっているとチョークを持った右手が俺の意思とは関係なく勝手に動き出し、これまた勝手に数式の答えを導き出したのだった。
「……せ、正解だ」
何故に馬鹿なお前がこの問題をと、教師はかなりビックリしているご様子で。
もちろん俺の右手を遠隔操作したのは深紅たん。
こんなことも出来たのか。すげぇ……。
「はぁ……こんなの描ける訳ねぇだろ」
そして昼前、四時限目の美術の授業ではブルータスとかいう男の石膏デッサンを描くことになったのだが、これがまたかなり難しく俺は開始から五分後、早くも描くことを諦めていた。
「出来た」
隣から聞こえた声に深紅たんのスケッチブックに視線を向けて見れば、そこにはすでに影まで完璧に描かれたブルータスの姿が。
改めて思う。このアンドロイドに不可能という文字は無いのだろうと。
「……だ、だるい~」
「主、お昼」
午前中の四時間分の授業を終えた俺は疲れきってもうへとへとだ。まだ残り二時間もあるとか考えたくもねぇ~。
腹はもちろん減ってはいたが、愛しの深紅たんに声をかけられようが、今の俺には机に倒した上半身を起こそうと考える気力はゼロだった。
「深紅たん、食べさせて」
「や」
「そんなこと言わずにさ」
「や」
「頼むよ~」
「や」
「どうしても?」
「や」
「一生のお願い!」
「や」
二人のこんなやりとりが暫く続いて、俺はとうとう心が折れた。
近頃の深紅たんはあまり俺のお願いを素直に聞いてくれなくなったな~。
もしかして反抗期か。 反抗期なのか?お父さん淋しいぜ。
「……あるじ。主」
深紅たんが俺を呼ぶ声が聞こえて夢から覚める。
もう五時限目の授業が始まるのかと体を起こしてみれば、教室の中をオレンジ色の光が照らしていて今が放課後だということに気付いた。
「あれ、授業は?」
「とっくに終わった。主は口からよだれを垂らしてずっとお昼から眠っていた」
「よく教師に起こされなかったな」
「主の存在感を薄く設定しておいた。彼等に主の姿を捉えることは出来ない」
「やはり、深紅たんのおかげか。ありがとうな」
「良い。起こすのが面倒だっただけ」
「そうっすか……何か、腹減ったな」
「お昼も食べていない主に関しては当然だと思われる。奥方が迎えに来る前に食べてしまっては?」
「そうだな。それじゃ」
深紅たんの提案に頷いた後、俺は彼女へ弁当箱を差し出した。
「食べさせて」
「や」
そうだ。深紅たんが絶対に俺の誘いを断れない方法が一つだけあるじゃないか。
日向のことを大切に思うこの子はこの言葉には抗えまい。
「良いのかなぁ。食べさせてくれないなら、このお弁当無駄になっちゃうよ。俺は深紅たんがお願い聞いてくれないと絶対に食べないって決めてるし、日向が悲しむ顔が目に浮かぶぜ」
「むむ、主、深紅を脅す気?」
「ふっ、ふっ、ふ。すまんな深紅たん。俺は何気に性格の悪い男なのだよ」
「知っている。主はたまにすごく卑怯で意地悪」
「さて、どうするんだい、深紅たん」
「わかった」
やっとわかってくれたか。
姑息な手段を使ってみて正解だったようだな。
俺が「あ~ん」と口を開け、食べさせて貰おうとスタンバイしていると、深紅たんは弁当箱を開けて、
「主が食べないなら深紅が食べる」
そう言って自分の口へサンドイッチをくわえたのだった。
この展開は予想してなかったな。
今回の件で何気に深紅たんが恥ずかしがり屋だということに気付けたよ。
周りに俺と恋人同士だと思われるのが嫌だった訳ね。
「はあ……ようやく休みかよ」
暫くの間家の中でぐうたらしていた俺から言わせて貰えば六日も連続で学校に通うとか拷問としか感じない訳で、すっかりと疲れきったこの体には相当なストレスが溜まっていた。
何かをしてこのストレスを解消したいなとぼんやりTV画面を眺めていると、一つのCMが俺の興味を誘導する。
「カラオケかぁ~。たまには良いかもな」
俺の「カラオケ」という言葉を聞いた深紅たんがビクッと体を震わせる。未来で何か苦い経験でもしたのかね。
「なぁ深紅たん。今日休みだしさ、二人でカラオケにでも行かないか?」
「…………やだ」
「え?」
「主一人で行って来て」
いつものように中々釣れないことを口にする深紅たん。
一人でカラオケに行ったって面白くも何ともないのだが。
「もしかしてカラオケ嫌い?」
「未来の主のせいで嫌いになった」
おいおい、未来の俺何てことしてくれてんだよ。過去の俺が深紅たんの可愛らしい歌声を楽しむチャンスを台無しにしやがって。
俺がぶつけようのない怒りを必死で抑えようとしていると、そこへ学校に通う日でもないのに日向がやって来た。
「あ、掴がちゃんと起きてる。珍しい~」
「おい、こら。勝手に入って来て最初の台詞がそれか?ノックくらいしろ。今日は何しに来た?」
「掴がまだ寝てると思ったからひなが起こしに来てあげたの」
「けっ。悲しいことに朝早く起きることに慣れちまったんだよ。毎日のつまらん学校生活のせいでな」
日向の奴が「二人で何の話してたの?」とか言い出しやがったのでカラオケのことを素直に話すと、日向も「行きたい」と俺の提案に賛成。
多数決だったら二対一で深紅たんの「反対意見」に勝っていた。
「決まりだな。深紅たん、観念して一緒について来なさい」
「やだ。行かない~」
「駄目だ。お前の可愛い声ご主人様に聴かせろや~」
「や~だ~」
「え~、何で?しんちゃんも一緒に行こうよ~」
両手を引っ張って無理矢理に連れ出そうとする俺に抵抗していた深紅たんも、日向のお願いには断ることが出来ず観念したのか逆らうのを止めた。
「う~、主の馬鹿。手が痛い」
綱引きでもやっているかのような引っ張りあいだったからな。
流石はアンドロイドと言ったところか、ああでもしなければ力負けしそうだったし、つい本気出しちまったよ。
「ごめんて。つうかさ、どうしてそんなに嫌だったんだよ。理由を教えてくれ」
「未来の主は深紅にばっかり歌わせて自分はほとんど歌わない」
深紅たんはこうも言った。
未来の俺は深紅たんに自分の好きなアニソンばかりを歌わせているばかりで、それを聴いているだけで満足していたと。
「掴、サイテーだ。女の子にばっかり場を盛り上げさせて。ごめんね、しんちゃん。今日はひながいっぱい歌うから、未来の掴のことは許してあげてね」
その言葉通り、カラオケ店に入って最初にマイクを持って歌い出したのは日向だった。
俺はしばらくの間、注文したポテトとドリンクバーに夢中になっていたのだが、深紅たんはというと、受付で借りてきたマラカスとタンバリンを両手にシャカシャカと鳴らして気持ち良さそうに歌っている日向を盛り上げていた。
一曲歌い終わると、
「しんちゃんも一緒に歌お!」
そう言って日向がデュエット曲を選曲し、深紅たんの手を引いてソファーから立ち上がらせる。
あれだけ歌うことを嫌がっていた割りに誘いを断わることはなく、もう一本のマイクを持って二人で仲良く歌い始めた。
俺はそんな二人の歌声をポテトとジュースを両手に飲んだり食べたり、途中ピザやパフェ、プリン何かも追加注文したりしながら、とにかく楽しく聴いていたのだった。
「次、主の番」
二人のデュエットが終わって深紅たんから俺に差し出されるマイク。
しかし、俺は、
「いや、俺はまだ良い。ピザ食べ終わってからにするわ。深紅たん、アニソン歌って」
そう言って、未来の俺と同じように深紅たんにアニソンを歌わせようとしていた。
やっぱりというか、何というか、俺と未来の俺は同一人物のようだ。
「むぅ。やっぱり主、歌おうとしない」
「いやいや、ちゃんと歌うよ。これ食べ終わったらね」
そうして、仕方なくと始まった深紅たんのソロ。
やはり流石と言うべきか、俺の作ったアンドロイドちゃんは歌唱力も十分にある。
音楽の授業でその腕前はすでに知ってはいたが、改めて聴くとやっぱプロ並み。
いや、プロをも超越する歌声だ。
日向がマラカスを振って応援している中、俺はというとピザを食べ終わって次は何を注文しようかとメニューに目を通していた。
品揃え豊富な食べ物に悩んだ結果、
「すいませーん、カレーとスパゲッティ。後、ケーキセット追加で」
そう店員に注文した後、皆の空になったコップを手に取って、ドリンクを注ぎに部屋を出た。
ふふ、ちょっと日向に悪戯してやるか。
「飲み物持って来たぞ~」
深紅たんにはオレンジジュース。日向には三つの飲み物をミックスして作ってきた俺特製ジュースを手渡した。
味はどうなっているのかって?
ふ。そんなもん味見などしていないからわからん。
「ありがと。う……な、何これ?変な味がするぅ~」
「メロンとリンゴ、そしてオレンジジュースをミックスして作った俺特製ジュースさ。有難く飲むと良い」
「ひなはこれいらないかな。後は掴が飲んでよ」
「すまんな。俺はカレーとスパゲッティを食すのに忙しいんだ。そんな不味そうなもんは飲めん。ひなっち、そんな変な物飲まそうとして俺を殺す気なのか?」
「それ、作って持ってきた本人が言う台詞じゃないよね」
久々の日向弄りを深紅たんが見過ごすことはなかった。
日向の持つジュースの入ったコップを受け取ると、
「主、奥方困ってる。これは作ってきた主が責任を持って飲み干すべき」
「……へ、深紅たん……や、やめろ……ご主人様に一体何をするつもりだ?ひっ、いやぁああああああっ!!」
「口開けて」
俺のところへやって来て無理矢理にジュース(激マズ)を飲ませようとするのだった。
「うげぇ……まじぃ……こんなもん飲み物何て認められないな」
「主、そういうの奥方に飲ませようとするの良くない」
「ちょっとした出来心だったんだ……すまん」
その後深紅たんにマイクを手渡されるが、俺は食い過ぎによって上手く歌うことが出来なかった。
「げぷ……苦しくて歌いずれぇ……深紅たんパス」
「やっぱり主は歌わない」
「しゃあないだろ。食い過ぎで苦しくて歌い辛いんだ」
「わかった。主の体内の状態を一時間前に戻す」
「……へ?」
深紅たんが何をしたのかは全く解らなかったが、俺の膨れていた腹は魔法でも使ったかのように凹んで元の大きさに戻っていた。
「これで歌える筈」
「またまたすげぇ能力だな。何かまた腹が減ってきたぞ」
「当然。主が一度消化した食べ物も食べる前の状態に復元した」
テーブルの上には俺が全部食い尽くした筈の料理がオールコンプリートされていた。
こりゃ良い。一度に二回も食べる喜びを味わえるとはな。
「よっしゃ。じゃあさっそく食べようぜ~」
「主は歌う。今度は深紅と奥方が食べる番」
「でもしんちゃん、これ、一度掴が消化した食べ物だよね?汚くないの?」
「おい、日向。お前結構酷いこと言ってるの自分でわかってるか?」
「問題ない。料理は全て主が手をつける前の状態に戻してある。十分食べられるレベル」
「そっかー。じゃあ大丈夫だね」
「大丈夫」
「ほら、掴。早く歌ってひな達を楽しませて」
日向め、にこにこしやがって。
ケーキやプリンを食べながら俺の歌を楽しむつもりだな。
「はい、しんちゃん口開けて。あーん」
深紅たんにケーキを食べさせるとか何と羨ましいことを。
その役目俺に代われ。
「主、深紅早く歌聴きたい」
「はいはい只今~」
俺が選曲したのはもちろん大好きなアニソンだ。
女の歌手の歌だが男である俺にこの女声を出すことが出来るだろうか。
ええい、迷うのも面倒だ。やってやる。コイツ等女共を楽しませてやるのが今の俺の仕事何だからな。
「あははは。掴が女の子みたいな声出してる。おネェみたい」
「主、面白い。もっと歌って」
アニソンの弱点は男の歌手があまりいないことだな。
女の歌手ばかりで男が歌うには少し厳しい。高い声を維持しようとしても途中で元の低い声に戻っちまう。こんな時だけは高い声の男が羨ましいぜ。
「はぁ、はぁ……もう良いだろ。深紅たん、俺に暫しの安らぎを。お前の可愛い声をご主人様に聴かせてくれ」
「や。主まだ二十二曲しか歌ってない。もっと歌って」
「日向、パス」
「ひなはまだパフェ食べてるから、掴まだ歌ってて良いよ」
もう歌う曲も元気もねぇよ。
二十二曲もぶっ続けで歌ってんだぞ。少しは休ませろ。息が持たねぇ……。
結局二人が代わってくれることはなく、俺はそれから八曲続けて歌い、合計三十曲のアニソンを熱唱したのだった。
「主、すごい」
「もう無理……どっちか代わって。歌わないならもう帰ろうぜ」
「そだね。結構な良い時間になってきたみたいだし、そろそろ帰る?」
時間を確認すれば今は十六時。来店時間が十一時くらいだったから、五時間くらいは此処にいたということになる。フリータイムでそれだけ出来れば十分な感じだな。
「いつもすまないな、ひなっち君。お代の方は任せた」
「うん。わかった。どうせ掴はお金持ってないもんね。良いですよ。ひなが払いますよ~」
「奥方、お代なら深紅がどうにかする」
「え?大丈夫だよ、しんちゃん。ひないっぱいバイトしてるからお金払えるよ」
「平気。お金ならいくらでもある」
そう言って深紅たんは両手一杯の一万円札を何処からか出現させて日向に渡そうとしていた。俺はそれに一番に反応して、そのお金を手に取ってみた。
「お~!すげぇ~!!」
見た目は本物と何も変わらない。最初は偽札何じゃないかと思ったが、これはちゃんと真ん中の透かしもある。
俺は思った。深紅たんさえいれば働かずとも一生ニートとしてやっていけると。
「しんちゃんの気持ちは嬉しいけど、大丈夫だよ。ひなが自分のお金で払っておくからそのお金は全部しまって」
「おい、良いのか日向。それ使えばいいじゃん」
「ううん、大丈夫。何だかずるいことするみたいでお店の人に悪い気がして」
ほんと、この子は真面目だねぇ。俺だったら容赦なく使ってるだろうな。
だってただで歌い放題ってことだぜ。宝くじにでも当たったことにしとけば気持ちも楽になるだろうよ。
「そうかい」
「奥方、その点は気にしなくて平気」
「え、何で?」
「これ全部、主が未来で稼いだお金だから」
……え、それ全部俺の金だったの?
つうか未来の俺すげぇ!めっちゃ金持ちじゃねぇか!
「掴のお金?」
「そう。これは未来の主から深紅へ手渡されたお小遣い。だから気にする必要はない」
「そうなんだ。それなら今日は掴にご馳走になろうかな」
「ちょっと待て。俺はまだ良いとは言ってないぞ」
「主、これは未来の主が深紅にくれたお小遣い」
未来の俺は何て太っ腹なのだろう。普通自分の作ったアンドロイドにそんな大金を渡したりするか?見た感じざっと一億円くらいはあった気がするが。
……まあ、良いか。今日のカラオケ代は未来の俺にごちになるとしよう。
「はぁ……今日は何だか疲れたな」
また明日から六日続けて学校に行くとか考えたくもないわ。こんな時は熱めの風呂に入ってリラックスするに限るぜ。
背中を流してくれる可愛い子がいたらもっと良いんだけどなぁ。
ちょこんと座布団に座ってテレビを眺めている深紅たんに視線を送ってみた。
「深紅たん、俺から君にプレゼントがあるのだが、受け取ってもらえるだろうか?」
「主が深紅に?」
俺が深紅たんに差し出したのは日向に無理言って持ってきて貰った紙袋。
その中に入っているのは彼女に来てもらうつもりの、
「主、これは?」
日向が小学生の頃着ていたスクール水着。
小柄な深紅たんならこれを着れる筈だ。
「スク水だ。これを着て一緒にお風呂に入ろう」
「どうやら主の幼女趣味は過去も未来も変わらないらしい。この水着なら未来の主に飽きる程着せられた」
「それじゃ、良いんだね」
「恥ずいから、嫌」
そうですか。
何となく断わられる予想はしていたが、すごく残念だ。
……このスク水どうすっかな。
その日の夜。俺は悪夢を見た。
一体どんな内容だったのかと説明するとしたら、簡単に短めな言葉で片付いてしまうのだが、あまり口にはしたくない程の残酷な結末だった。
ずばり言ってしまうと、大好きな深紅たんが俺の目の前で殺されるという内容だ。
……しかもただ殺された訳ではない。
命を絶たれた後に、頭、手足、胴体と、全てをばらばらに切断され完全に人としての形を奪われたのだ。
その悪夢から目覚めてすぐに俺は深紅たんの名を大声で叫んでいた。
「深紅たんっ!!」
冷や汗がすごい……あれが正夢にでもならないようにと心から思う。
「主、深紅なら隣にいる」
「…………し、深紅」
その可愛らしい姿を見つけるなり、ばっと被っていた布団を捲って深紅たんの身体がちゃんと繋がっているかの確認作業に入った。
目で見てしっかりと全身を触って、すぐ隣で眠っていたアンドロイドさんが幻や幽霊的な何かでないことを早急に確かめたかったのだ。
うん。どうやら大丈夫のようだ。このお方はいつもの可憐で無表情の俺の嫁、深紅たん様で間違いない。
「主のえっち。深紅の胸触った」
「ああ、すまん。夢を見てな……深紅たんの姿がちゃんと此処にあるのか確かめたかったんだよ」
「夢……えっちな?」
「いや違う。深紅たんが死んでしまう悪夢だ。まったくも~、心配させんなよな。無事で良かったよ」
「心配してくれた?」
きょとんと俺の顔を見つめる深紅たんへ、
「当たり前だろ。俺は深紅たんのこと大切な家族だって思ってるんだからな」
そんな照れ臭い台詞を口にして頭を撫でた。
「ほら、日向の奴が来る前にさっさと起きようぜ」
二度寝する気分になれなかったのは今回が初めてだ。
もう一度眠ったらまた同じ夢を見てしまう。そんな気がして。
(……何だこりゃ)
正直にそう思った。
学校に着いて隣の深紅たんの席の方へ視線を向けて見れば、机の上に置いてあったのはハートのシールの貼ってあるあからさまなラブレター。
何処の馬の骨とも知らん野郎が俺の娘、深紅たんに恋をしているのである。
破り捨てて証拠隠滅しようと考えた俺の手からそのラブレターが奪われたのはそれからすぐのことだった。
「主、これは?」
「深紅たん様の机に置いてあった物であります」
ハートのシールを外してラブレターを開封する。そこから出てきたのは見たこともない文字で書かれた謎の手紙だった。
これ、何よ?日本語でも英語でもない不思議な文字だ。
きっと頭のイカれた中二病な野郎が書いた悪戯に違いない。
「深紅たんこれ読めんの?」
深紅たんは無言でこくんと頷いた後、俺にこう言った。
「屋上に行って来る」
「は?屋上?もう授業始まりますけど」
手紙を書いた奴はこんな早朝から深紅たんを呼び出して「好きです」と告白でもするつもりなのか?
断わられた時のことを考えろよ。一日ずっとブルーになるぞ。
「すぐ戻る」
「ちょっと待った。俺も行くよ」
「主は来なくて良い。此処にいて」
それだけ言うと深紅たんはお得意のテレポーテーションで教室から姿を消した。
能力を使うのは別に構わないのだが、次からは人目のつかないところでお願いしたいものだな。
クラスメイト共がすげぇ驚いてるぞ。手品みたいだってさ。
(……さて、屋上って言ってたよな)
深紅たんに告白しようとする野郎の面が気になって、こっそりと後をつけてみることにした。俺のアンドロイドちゃんに手を出そうとしやがったらぶん殴ってでも止めてやるぜ。
深紅たん共々一時限目をサボるつもりで教室を飛び出した。
「あれ……誰だ、あの子?」
深紅たんと向かい合って話をしているのは野郎ではなかった。
相手は緑色の髪にサイドポニーの少女で、左目が長い前髪によって隠れている。
何処か雰囲気が深紅たんと似ている気がするのは俺の気のせいであって欲しい。
「人間、だよな……」
二人の会話内容を盗み聞いてみる。
「来夢姉、深紅を追って来たの?」
「ありがとね、深紅。大人しくあたしに破壊されに来てくれて」
「破壊されに来たつもりはない。深紅は来夢姉を正気に戻す為に此処にいる」
「へぇ。出来るの?戦闘型でもないマスターの愛玩専用だったアンタにそんなことが」
来夢と呼ばれた少女が右手に突如出現させたのは拳銃のような得物。
そんな物騒な物出して何するつもりだよ?
「止めろ!深紅たんに何するつもりだ!」
深紅たんの身の危険を感じて、自然と体が動いていた。
「主」
「あら、マスターもいたのね。ちょうど良いわ。アンタがどれだけ無力かその体にしっかりと感じさせてあげる」
来夢が銃口を深紅たんから俺へ向ける。
撃ち殺されると思った瞬間、深紅たんが俺の前に立ち銃弾をもろに受けて右腕が吹っ飛んだ。
「深紅たん……右腕……」
「大丈夫。主、早く逃げて」
……いや、俺には何が大丈夫なのかわからない。
出血も酷いし、腕一本失くして可哀想とか、そういうレベルの話じゃなくなってきたぞ。
このままじゃ俺達、アイツに殺されちまうんじゃないか?
「不味い血ね。こんな腕いらないわ」
来夢が深紅たんの地面に転がっていた片腕を拾って、血をぺろっと一舐め。不味いと言って投げ捨てた。
「その体じゃ抵抗することも難しいでしょ。諦めて死になさい」
「そうでもない。深紅はまだ諦めてない」
「痛いんでしょ。あたし達アンドロイドにだってちゃんと人間と同じく痛覚がある。意識を保っていられるだけすごいわ」
瀕死の状態の弱っている深紅たんに容赦無く向けられる銃口。
止めろ。これ以上ダメージを負ったら本当に死んじまう。
「主?」
「今度は俺が深紅たんを守る番だよな。俺のせいで大怪我させちまって……本当にごめん」
敵アンドロイドの向ける銃口から深紅たんの体を自分の体で隠すように抱きしめる。
「撃つなら俺を撃て。深紅たんはこれ以上傷付けさせない」
「そう。ソイツを庇うと言うならあたしはマスターでも容赦しない。痛みを味わう覚悟はあるのかしら?」
「主退いて。このままじゃ二人共殺られる」
「でも、その体でどうするって言うんだ」
「大丈夫。主が時間を作ってくれたおかげで再生の準備が完了した。見てて」
いつの間にか深紅たんの転がっていた片腕が何処かに消失していて見当たらない。
気付けば完全に遮断された筈の腕が元の状態へ戻っていた。
「アンタを殺すには完全にその不死身の身体を消滅させない限り無理っぽいわね。そう簡単に再生されちゃいくらダメージを与えても切りが無いもの」
「なら、どうするつもり?」
「そうねぇ。棺桶にでも閉じ込めて焼却炉で焼いてあげるわよ。生きたまま死体みたいにね。泣いても出してあげないわ」
「何か来夢姉じゃないみたい。深紅の知っている来夢姉はいつも優しく接してくれた。そんな意地悪なこと言ったりしない」
そうなのか。俺にはまったく解らない情報だが、妹の深紅たんが言うのだからそうなのだろう。
「嫌いになったのよ。理由何かそれで十分でしょ。アンタはあたし達アンドロイドをこの世から消そうと考えているのよね。そんな奴を野放しにはしておけないでしょ」
「主を救うには他に方法がない」
「なら、あたし達はどうなっても良いと言うのね。わかった。やっぱりアンタは殺す。これ以上マスターの勉強の邪魔はさせないから」
来夢が銃をしまって次に出現させたのは日本刀だ。またまた物騒な物を取り出しやがる。
「主、離れてて」
「一人で大丈夫か。また怪我負わされたりしないだろうな」
「さっき負傷したのは主がいきなり飛び出して来たせい。いくら深紅でも対応出来ない場面もある。体を盾にしていなければ確実に撃ち殺されていた」
「つまり、俺が役立たずだった。ということだな」
「そう」
はっきりと言ってくれるな。俺だって深紅たんの身を案じて飛び出して来てやったんだぞ。
少しは褒めてくれ。
「死ぬ覚悟は出来た?行くわよ」
「深紅はそう簡単に殺されたりしない」
はっきりと言っておこう。
それからの二人の戦闘風景は凡人である俺にはまるで早送りでもしているかの如く速く、全くと言って良い程視認することが出来なかった。
風を切る音が何度も聞こえて来るということは深紅たんはきっと無事で、あの物騒な日本刀を簡単に回避しているんだろうなぁ。
俺の作ったアンドロイドすげぇ。
「ちょこまかと躱すばかりじゃ、いつか殺されるだけよ」
「ただ回避している訳ではない。現在来夢姉を傷付けずにこの戦闘に勝利する方法を検索している真っ最中」
「残念だけど、その検索結果に該当する答えはないわ」
二人のアンドロイドが特撮物や少年漫画のバトル物に勝るとも劣らない戦闘を繰り広げている間、俺は何をして良いのかわからず屋上で一人呆然と立ち尽くしていた。
手を貸そうにも、役に立たない自分の非力さを呪っていたら、敵に吹っ飛ばされたのか、深紅たんが俺の後方にある屋上の入り口へ激しい音を立ててぶつかったのだった。
「深紅たん!」
「……平気」
慌てて駆け寄って行ったら驚いたことに今度は深紅たんの両手首がスパッと綺麗に斬り落とされていた。
きっとあの日本刀でばっさりとやられたのだろうな。何とも痛々しい。
「いや、全然平気じゃないだろ!手首がねぇ!」
「大丈夫。これくらいの軽傷なら三十秒もあれば元通り。ほら」
すげぇ。切断された筈なのに爪とか髪と同じで新しい手が生えるみたいに元通りじゃねぇか。
「軽傷ならそのぶん回復も早い。反対にさっきの腕一本は重症と言えるレベル。破損が激しいぶん少しだけ時間が掛かった」
アンドロイドには軽傷と言えても人間だったら手首無くしただけで死んじまうくらいの重傷になるだろうな。
深紅たんだって痛みを感じている筈なのにいつもの無表情を全くと言って崩していない。
いいや、それか必死に痛みを堪えているのかもしれないな。俺を心配させないようにと、この子なら平気でやりそうだ。
「随分と余裕ねぇ。いつまでそんなところに転がっているの?」
何とグロテスクな奴だ。
深紅たんと同じように高速世界から戻って来た来夢の日本刀には血がびっしりとついている。片手にはさっき斬り裂いたばかりの深紅たんの手首が握られていた。
奴はそれを口に運び、美味そうにかじり始める。
「やっぱり何度口にしても不味いわ。今思うと殺したての人間の肉が一番美味ね」
何か、過去に人間を殺したことがあるような言い方だな。
つうか不味いならかじるな。気持ちが悪い。そんな光景を見せられているこっちが不快だわ。
来夢はゲームのデータのように跡形もなく消失した手首を確認した後、またしても懲りずに深紅たんへ日本刀を向ける。
奴の殺気を感じた俺は咄嗟に、屋上に置いてあった鉄パイプを投げ渡したのだった。
「深紅たん、これ使え!」
それをキャッチした深紅たんは鉄パイプで日本刀による一撃を防ぐことに成功。
何か、今日始めて役に立てた気がするよ。ほんと、大した助けにはなってないかもしれないけど。
「ふふ。さて、次は何処を斬り裂いてあげようかしら?深紅、何処が良いの?自分でちゃんとお姉ちゃんに言いなさい。首?お腹?胸?それとも目?目をくり抜いてやったらその無表情も少しは崩れるのかしら?」
そんな普通の人ならそれだけで恐怖してしまいそうな言葉を掛けられても俺の深紅たんは少しも怖気付く様子は無く、真剣にじっと姉の瞳を見つめていた。
「深紅痛いの嫌い。だから、何処もやだ」
「あたしはアンタの泣き叫ぶ姿がみたいのよ。教えてくれない?いつも無口で無表情のアンタは何をすれば命乞いをするのかしら?」
「おい!もうそこら辺で止めておけよ!これ以上の言葉攻めは深紅たんが可哀想だ。俺にはお前の姿が妹を苛める嫌な姉にしか見えねぇぞ!」
我慢の限界だと俺は深紅たん救出の為、意を決してもう一本の鉄パイプを握って来夢に襲い掛かった。
死を覚悟して挑んで行ったのはいいが、戦闘経験皆無の俺が深紅たんでも苦戦するような相手に一撃入れられる筈もなく、やたらと長い刀でグサっと脇腹あたりを刺され、今日一番の勇気ある行動は無駄に終わったのだった。
「あ、主……」
深紅たんの心配する声(多分)が聞こえてきたが、俺にはそれを気にする余裕などすでになく、気を抜いたら仏の世界にすぐにでも逝ってしまいそうだった。
洒落にならねぇくらい痛い。慣れないことはするもんじゃなかったと若干の後悔を抱きながら、体を倒した。
「余計なことするからよ。そこでじっとしていなさい。あたしが貴方の大好きな深紅を殺すまで生と死の世を彷徨うのね」
俺から視線をそらしてまた深紅たんのところへ行こうとする来夢の足首をそうはさせるかと、朦朧する意識の中がしっと掴んだ。
どうせ死んじまうのなら、もう少しだけ抗ってみよう。あの子の役に立ちたい。そう思っての行動だった。
熱意が伝わったのか、来夢は倒れている俺にまた一度振り向いて、
「そう。そんなに早く死にたいの?わかった。望み通りにしてあげる。もしかしたら貴方が死ぬようなことになればあの子の泣き顔が見れるかもしれないしね。試させてもらうわ」
そんなことを言って俺の握っていた鉄パイプを奪い取る。きっとそれで、頭でも殴って殺すつもりだろう。
死を覚悟して目を瞑った。大体皆こういう場面に陥った時はそうする筈だ。
どうしてだろうな。目を閉じても与えられる痛みなど開いていたって同じで痛みが和らぐとかそんなことは絶対にないのに……。
きっと気持ちの問題とか、そのくらいのしょうもない理由に違いない。
(俺がどうにか二~三発は殴打されても耐えてみせる。だから深紅たん、今のうちに逃げろ。姉を殺せないというのならお前に残された道はその一つしかない)
さよなら世界。それと日向、最後まで迷惑かけて悪かった。次この世界に誕生する機会が与えられるのなら、その時は真っ当な人間になれるよう努力するわ。
俺がいくつかの遺言のような言葉を頭の中で思い浮かべていると、誰かが重傷で死に損ないの体をぎゅっと抱きしめてくれた。
人に抱きしめられるとか初めての経験かもな……いつ魂が抜けてもおかしくない肉体だが、その時が来るまでこの何ともいえない温もりを最後まで感じていたい。
「……主。死んじゃ駄目。すぐに傷を負った体を治癒させる。だからもう少しだけ持ち堪えて」
意識がはっきりとしていないせいか、俺の体を小さめな体で抱きしめて一生懸命に話しかけてくれているのが深紅たんだと気付いたのはその声を聞いてから少し後のことだった。
何かを強めに叩くような鈍い音が何度も聞こえる。
誰かが深紅たんの体を何かで叩いているのか?視界がぼやけていてよく見えない。
(……あれ、何か痛みが和らいできたような……)
「もう大丈夫。傷口は塞いだ」
どうやら深紅たんが俺の傷付いた体を完全に治してくれたようで、すっかりと状態が回復した。
おかげさまで、さっきまでほとんど見えていなかった視界もよく見える。
「深紅たん……お前」
元気を取り戻してさっそく目にした光景は深紅たんが頭から血を垂れ流し、大怪我を負わされながらも俺の体を必死で守る健気な姿だった。
「主、ごめん……深紅もう無理……」
そう言って俺のすぐ隣に力なくバタンと倒れた。
「お前、深紅たんに何をした?」
「何って、ずっとアンタを庇ってたのよ。その子はあたしに背中や頭を何度もパイプで殴られようが瀕死の状態だったアンタの治癒を止めようとしなかった。馬鹿よね。あたし達アンドロイドだって無敵って訳じゃない。そりゃ、頭をこんなんで何発も殴られたら正常ではいられないわ」
「深紅たん起きろ!死ぬんじゃねぇ!お前が死んだら俺は明日から猛勉強を始めるぞ!絶対に天才になってやる!それでも良いのか!」
目を瞑って横たわる深紅たんへ必死に声をかけた。
「それは困る」
思いが通じたのか体をすくっと起こして俺を安心させる。酷い怪我を負っているにも関わらず、何でもなさそうに立ち上がる。深紅たんの体は不死身に近いのかもしれない。
普通の人間は鉄パイプで頭を殴られたら高い確率で死ぬからな。
「主に勉強はさせない」
「ああ。俺もやる気何かねぇよ」
「ほんとタフな子ね。目障りだわ」
復活を喜んでもいられずに敵の次なる仕掛けが迫る。
深紅たんの立つ真下からたくさんの鎖が飛び出して、それが体を拘束し完全に動きを封じた。
「おい、それで深紅たんをどうするつもりだ?」
「どうするって、さっきから言ってるでしょ。殺すのよ。ねぇ、どうして抵抗しないの?アンタならこんな鎖何かに簡単に縛られたりしない筈でしょ」
「来夢姉をどう正気に戻すか考えていたら、反応に遅れた」
「チェックメイトね。呆気なかったわ。やっぱり姉の姿を利用して正解だった。鍵中深紅が家族思いなアンドロイドだという情報はどうやらガセではなかったらしい」
「……やっぱりそうだった。深紅の予想は当たっていた」
目の前にいる来夢が自分は偽物だとはっきりと解る言葉を口にした。
それじゃ、本当のコイツの正体は?
「お前は簗嶋掴が作り出した最高傑作だ。ズルでもせねば私は一分、いや、一秒も持たずに存在を消されていただろうな」
確かにそうだ。
深紅たんは今まで豊富な能力を使って、俺をその度に驚かせてきた。
正直、こんなに苦戦している方が可笑しい。
「でも、どうして?来夢姉は確かに心を支配されていた筈」
「彼女なら自力で洗脳を解いて逃げ出したよ。四季内来夢によって我々の味方アンドロイドが何万体も破壊された。こちら側としてはお前一体を破壊しても足りないくらいだ。
さて、お喋りはここら辺で仕舞いとしよう。
これからお前の体を斬り裂いて棺桶に詰める。跡形もなく焼殺してやるよ」
「止めろ!俺が科学者になれば済む話何だろ!なってやるから深紅たんを解放しろ!」
「口約束では我々は納得しない。鍵中深紅がそれに了承するとも思えない。どうせ貴様が未来で製作するアンドロイドだ。此処で私に殺されようが未来で会えるであろう」
敵アンドロイドが深紅たんの腕を切断しようと日本刀を振り下げようとしたその時、奴は自分の肩を叩く何者かの存在に気付いて後ろを振り向いた。
そこに立っていたのはもう一人の四季内来夢。多分だが本物の方だ。
「ねぇアンタ。あたしの深紅に何しようとしてるの?」
「き、貴様っ!どうしー」
返した言葉の途中で彼女が握る日本刀によって逆に体を斬り殺された。しかも腕、足、頭、胴体と全てをバラバラにされて。
敵アンドロイドが戦闘不能になって、深紅たんを縛っていた鎖は跡形も無く消え去り体が拘束から解放された。
「深紅ぅ~っ!!」
がばっと飛びついてきた来夢(本物)にそのまま押し倒される深紅たんは何も抵抗することなくされるがままになっていた。
「来夢姉、本物?」
「本物よ、アイツは偽物。深紅可哀想。こんなに酷い怪我負わされて。治療してあげるから目を閉じて」
そう言われて深紅たんは素直に目を閉じる。
来夢がどう治療行為をするのかと気になって見ていたら、姉妹で唇と唇をくっつけあってキスをしていた。
これがアイツの治療方なのか?羨ましい。俺も深紅たんとキスがしてみたい。
「はい。これで完全に治ったわ」
「来夢姉、助かった」
「良いのよ。姉として当然のことをしただけだから。それにしても許せないわね。あたしの姿を使う何て」
「ほんとだよな。本物のお前が深紅たんに優しくて安心したよ」
「あら、貴方もしかしてマスター?若いわね。四十代のマスターと比べ物にならないくらい若いわ」
そんなに連呼されなくても自分が若いことくらいわかってるさ。
まだ十七歳の高校生何だからな。若くて当たり前だ。
でもまあ、コイツ等アンドロイドからしたら十代の若い俺よりある程度歳を取った俺の方が親しみやすいのかもしれないが。
「マスター、あんた深紅が可愛いからって我慢出来ずに襲ったりしてないでしょうね?大切な妹に手を出したらあたし許さないわよ」
「大丈夫だ。深紅たんが可愛いことは知ってる。だが、現時点では襲ってはいない。本当だ」
「あら、わかってるじゃない。まさか若いマスターとも話が合う何て思わなかったわ。ほんと若ってマスターと趣味が同じなのね」
深紅たんに手を出していないのは本当だ。
それに最近は日向のことをイジリ過ぎて毛嫌いされている感もあるし、最初に会った時よりもお願いを素直に聞いてくれなくなった気がする。
一緒のベッドで毎日眠っていることは言わないでおこう。何かそんなこと言ったらマジで殺されそうな気がする。
というか、その「若」ってのはもしかしなくても俺のことかな?
「だってマスターって感じしないし」
だそうだ。
来夢の奴、ご主人様に対する敬いの心が無さ過ぎだろ。
少しは深紅たんを見習ったらどうだ。一緒に眠ってくれるとか、とりあえず俺にご奉仕的な何かをだな……まあ良いや。
俺には深紅たんがいれば十分、それだけで幸せだから。
「なぁ深紅たん。今日こそ良いだろ?一緒に風呂入ろうぜ。なぁ、なぁ」
家に帰宅するなり昨日の今日でまた深紅たんに混浴しようと誘いをかけていたのだが、何やら最近ハマっているお笑い番組に夢中になっているようで、暫くの間だんまりしたままだった。
……しかし、深紅たん。芸人の漫才やらコントを見てもほとんど笑いやしないなぁ。
最近流行りのパン一芸人の時にちょこ~っとだけピクッと肩を震わせたくらいで後はほんと全然だ。
その芸人の出番が終わるなり俺の方へくるっと振り向いて、
「や。と言いたいところだが、主のお願いを何でも聞くのも深紅の役目。了解した」
「へ、良いの!?やったー!」
「ただし」
「……ただし?」
「主にはパン一芸人のモノマネを見せて欲しい」
良いだろう。それくらいいくらでも見せてやらぁっ!
俺にも海パン着て風呂に入れってことね。あれと同じようなの持ってたかはわからんが、その
リクエストには答えよう。深紅たんのスク水姿を見られるんだから、それくらい安いもんだ。
「ふふふ。そうと決まれば」
深紅たんにゆっくりと歩み寄ると、休みの日でも普段着のようにいつも着ている学生服を脱がそうと手をかけた。
「あ、主?一体深紅に何を?」
「俺がスク水に着替えさせてあげよう。さぁ、バンザイしてごらん」
まるで変態親父のようにハァハァと息を荒くしながら深紅たんの服を脱がそうとする俺の姿は誰が見ても正に変態だった。
そんな異常な行為に深紅たんが嫌がらない筈もなく、着替えさせるのに少々時間が掛かってしまった。
こんな場面を来夢に見られでもしたらまず俺の命は無い。
「うぅ……主、酷い。深紅の服脱がした。深紅は主の着せ替え人形じゃない」
「ふ。悪く思うな。最近俺の言うことを素直に聞いてくれなかった深紅たんへささやかなお仕置きをしたまでさ」
深紅たんのスクール水着姿はやっぱりというか予想通りというか、滅茶苦茶似合っていてそのまま抱きついてしまいたいくらいの可愛さだった。
「深紅たんマジで可愛いわ。俺の彼女になってくれ」
「前にも言った筈。主には奥方がいると」
「ああ。そうでしたな」
同じ湯船に浸かっているのに全然狭くない。深紅たんの体が小さいからだろう。
隣を見れば、お湯に顔半分を沈めてブクブクと泡を出して遊んでいる。
そんな姿がまた魅力的で、俺からしたら文句のつけようがない最高ランクの可愛さなのである。
「主、目が痛い。シャワー、シャワー」
「はいはい。ちょっと待ってな……ほれ」
気付けば背中を流して貰う筈が、俺が深紅たんの髪の毛を洗ってやっていた。
シャンプーの泡が少し目に入ったくらいで騒ぐとことか何か子供みたいで可愛いな。
あんな激しい戦闘で頭かち割られたり腕や手首斬られたりしても泣いたり痛がったりしなかったのにな。不思議なもんだ。
「主、髪洗うの下手くそ」
「そうかよ。じゃあ次は体洗ってやる。スク水脱げ、脱げ」
「大丈夫。自分で洗う」
先程無理矢理着替えさせられたことを思い出したのか、俺に対してすっかり警戒心を持ってしまっていた深紅たんだった。
「なあ、深紅たん」
「……何?」
体を洗い終わった後もう一度湯船に浸かり、隣の深紅たんへ話しかける。
「こんなとこで話すような内容じゃないと思うのだがな、俺を天才科学者にさせないよう馬鹿に導くとしよう……でも、そうしたらお前は、深紅たんはどうなっちまうんだ?」
ずっと、未来の話を聞いてから気になっていたことだ。
俺の人生を変えちまえばタイムマシンもアンドロイドもこの世に誕生しなくなるということだろうから、もちろん同じアンドロイドである深紅たんの存在も消えて無くなるのではないのか。
そんな未来は嫌だぞ。俺はもちろん悲しむし、日向だって同じくらい淋しがるだろうぜ。
「主が天才科学者になったからこそ、深紅は此処に存在している。未来が変わればもちろん跡形もなく消滅する筈」
「お前はそれで良いのかよ。未来で処刑され
る俺を救って自分は消えるって言うのか?」
「深紅はその為に過去に来た。主を救えるのなら悔いはない」
「……俺は、反対だからな」
「……主?」
「深紅が消えるなら俺は明日から死ぬ気で勉強を始める。お前の計画には賛成出来ない」
深紅たんが俺を死刑という道から救う為、態々過去にまでやって来てくれたその気持ちは正直に嬉しい。
でも、彼女が消えるくらいなら例え後二十年ちょいくらいしか生きられなくてもそれでも構わない。残された時間を明るく楽しく生きていこうじゃないか。
「主、駄目。深紅は大好きな主に死んで欲しくない」
「俺も気持ちは同じだよ。お前が俺を思ってくれるように、俺もお前に消えて欲しくないんだ。俺のお願い、聞いてくれないのか」
「でも、それでは主は……きっと死刑に」
「俺が死ぬまで後二十年ちょいもあるんだ。死刑にならない道を考える時間は十分にあるんじゃないか?」
「……わかった」
俺の言葉を聞いて何となくだが深紅たんがちょっと涙目になっているような気がしたが、風呂の中だし目に水が入って赤くなってるだけかもな。
「それにさ、天才の道を行くならこれからは悪いアンドロイドに深紅たんが苛められないで済むだろ。あんなのはもう嫌だからな。深紅たんが痛そうな目に合ってるとこ何か俺は見たくないぞ」
「あり、がと……深紅のこと心配してくれて」
いつもほぼほぼ無表情の深紅たんが少しだけニコッと微笑んだのを俺は見逃さなかった。
防水のカメラがあるのなら持ち込んで激写したいところだが、家にそんな高価な物を買える金などない。
「ほらほら深紅たん。あひるさんだぞぉ~」
湯船にぷかぷかと浮かんでいたあひるのおもちゃを深紅たんに差し出した。
「主、深紅子供じゃない」
「子供みたいに可愛いのは確かだろ」
「照れるな、主」
「よく言われるんだろ。未来の俺に」
「そう」
俺の深紅たん好きは二十年以上先の未来でも続行中らしい。
……そう言えばと、俺が深紅たんに頼まれたモノマネをしていないことを思い出したのは風呂を出た後だった。