パンの実ですか
居酒屋だとわからないことがある。
それは『主食』
日本だって、最初からおにぎりやお茶漬けを注文する奴はいない。
いないよね? いたらごめんね。
そう。オレは棒パンしかまだ知らない。この世界の『主食』を。
「ユーキ、そんなに棒パンをしゃぶるのが楽しいか?」
うるさいわねウキ。この固いのが、お口の中でどう変化していくのか試しているだけでしょ。
「そんなに固いのがいいなら、オレのも……」
バシッ!
音を立てたのはオレの右手とウキの左頬。
「エッチな事言わないでよ!」
何よウキの固いものって! 死ねよセクハラ野郎! ウキのバカ!
「何で棒パンをお前に譲るのに、いちいち叩かれなきゃならんのだ?」
え?
あ……。そういうことなのね。
でもね、乙女は引っ込みがつかないときがあるの。
「自分のものは自分で食え!」
ごめんねウキ、ちょっとした勘違いだからさ。
「何遊んでんだい?」
あ、お帰りサキ。
サキは色々打ち合わせがあるみたいで、一回目のステージと二回目のステージの合間に、スタッフとの打合せとかで、余りゆっくりしていられないことが多いんだ。
「で、ユーキが知りたかったのは『プレートリーフ』だったね。これだよ」
それは茶色の薄いお皿。リーフという割には、『葉っぱ』という感じが全くしない。
「これは『プレートリーフ』の葉を焼いたものでね。味はしないけど、パリパリ食べられるから、お皿代わりに使っているんだよ」
へええ。
「一枚もらってもいいかな?」
「棒パン咥えてガリガリできるなら、屁でもないだろうよ」
あっそう。ウキ。覚えとくわ。
カリッ。カリカリッ。
うわあ。これ、まるっきり味のない『ワッフルコーン』だ。甘くもなんともないけど、食感だけはパリパリだわ!
「汁気の少ない料理なら、こいつを皿がわりに使って、最後に料理が残した汁といっしょに食べるんだよ」
へえ。エコね。エコなのね。
「ところで、棒パンの材料ってなあに?」
「棒パンは『棒パンの実』を焼いたものだよ」
……。
もしかして、棒パンは『粉モン』じゃないってことかしら。
「ねえサキ、棒パンの実とか、市場で売ってるの?」
「そんなもん買う奴なんかいねえよ、お前馬鹿か?」
うるせえウキには聞いてねえ!
「店頭に並ぶことはないねえ。そのままで食べるもんじゃないし。って、ユーキ。見てみたいのかい?」
さすがサキ姉さま! そうよ! 焼かれる前の棒パンの実を見たいのよ!
「なら、明日にでも問屋に行ってみるかい」
ああ大好き、サキお姉さま。
ということで、朝が来た。
今日の朝食と屋台は、好評だった棒パンのフレンチトーストを二種類にしてみた。
ひとつは、前回と同じく、ばあちゃんのよくわからないシロップがけの甘いやつ。
もう一つは、パプリカ玉ねぎを細かく刻んでバターと塩で炒めたのを乗せたしょっぱいやつ。
結果は二対三。
オレとサキは甘いのが好き。馬番さんとウキと宿の主さんはしょっぱい方がいいみたい。そうだよね。しょっぱいほうがたくさん食べられるものね。
「ねえウキ、このフレンチトースト二本セットはいくらで売ればいいと思う?」
「セットはやめとけ。一本五百エルで売った方がいい。というか、今日はしょっぱい方だけにしておけ」
わかった。すぐに追加のパプリカ玉ねぎを買ってくるね。
昼の公演は今日も大盛況。
オレの『甘くないフレンチトーストパプリカ玉ねぎ炒め乗せ』も順調に売れた。
でも、残念そうな表情のお客さんがいたのも目にしちゃった。
多分甘い方のフレンチトーストを期待して、屋台に来てくれたんだろうなあ。
棒パンのフレンチトーストは、日替わりじゃなくて、定番にしようかな。
「ああ、あたしもそうしてくれると嬉しいよ。ユーキのことだから、フレンチトーストも色々バリエーションを揃えられるんだろ?」
サキは嬉しい事を言ってくれるなあ。
「ユーキ、今度は肉も合わせてみてくれ」
お、リクエストだ。わかった。いろいろ試してみるよウキ!
「ここが棒パンの問屋だよ」
へえ、お店というより、工場みたいな感じね。
「何か用かい」
「この娘が、『棒パンの実』に興味があるっていうもんでね。良かったら少し分けてもらえるかい?」
「まあ、原料はいくらでもあるから、売ってあげるよ。ちょっと待ってな」
工場の中からはパンが焼けるような香ばしい匂いが漂ってくる。これは期待度大だわ。
「ほい、これが『棒パンの実』だよ」
へえ。
棒パンの実は、ぱっと見るとヘタがない白いナスみたいな感じ。
「これをまずは縦に半分に切るんだ。で、芯から種をとって、更に縦に切ってから、カリカリになるまで焼けば『棒パン』の完成だよ。
手触りはまんま小麦粉をこねて耳たぶの固さにしたような感じ。
こねるとなんとなく弾力が増すような気がする。
「種はこんな感じさ。生だと食べられないけど、煮れば柔らかくなるよ」
種は米粒くらいの大きさ。色はちょっと黄色がかっているかな。
ここで素朴な疑問。
「ねえおじさん、何で棒パンの実は、あんなにカリカリに焼いちゃうの?」
「簡単な話さ、生だと日持ちがしないんだよ」
そういえばそうね。小麦粉もこねちゃうと日持ちがしないし。
「それじゃ、棒パンの実を十個くださいな」
「はいよ。合計二百エルでいいよ」
安いわあ。
棒パンの実は大量に栽培されていて、すぐに収穫できるんだって。
「それじゃあたし達は『この世の天国亭』に行くけど、ユーキはどうする?」
「今日は宿で棒パンの実の料理を試してみるね」
「じゃ、晩飯の用意を頼めるか」
わかったわ、サキ、ウキ。いってらっしゃい。
それじゃ、市場で仕入れをしなきゃ。
ロバのフルが荷物持ちでお伴してくれているから、これまでよりも色々買えるし、犬のリルが氷をこしらえてくれるから、保存の問題もないわ。猫のリートのお陰で、ガスの心配もしなくていいし。
いつものようにデカ水牛の生乳と、何者が産んだのかわからない卵と、材料を聞いても黙って微笑むばかりで教えてくれないおばあちゃんのシロップを買っておこう。
それから今日は、目につく野菜と果物もかたっぱしから買ってみる。
「お嬢ちゃん、今日も肉はどうだい?」
そうね、猪の肉もひとかたまり買っておこう。
調味料は、岩塩が固まりで売っているだけ。もしかしたら、調味料は別の場所で売っているのかな。
色々と手作りするしかなさそうね。
まずは棒パンの実を、おじさんに教わったとおりにおろしてみる。
種はザルにとって、実はまな板の上にのせる。
打ち粉がないのがちょっと心配だったけど、それほどベタベタはしないわ。それに、こねると徐々に弾力が増してくるのも確認できた。
うん。ちゃんといくつかのパンの実をひとつにまとめることもできる。
まずはそれを小さくちぎってお湯で茹でてみる。あ、リートはまだいいわ。先にガスを使っちゃいましょう。
すると、鍋底に沈んだ固まりが、三分くらい茹でたら浮いてきた。
どれどれ。
……。
おお! 味も食感も『すいとん』だわ。これなら麺も打てそう。
次は野菜と果物。ちなみに名前はわからない。
それぞれをまずは生で齧ってみる。
……。
野菜は『生でもイケる葉っぱ』と『どこからどう見てもネギ』以外は生食は無理ね。ああ口の中が渋い。
次は果物。
緑色のさくらんぼのようなのは、果肉がとっても甘い! これは『みどりんぼ』と名付けよう。
この黄色いのは見た目通り酸っぱいわ。歯ごたえはりんごに近いわね。『レモンりんご』と呼ぼうっと。
黒いイガイガの実は、割るとぷるんぷるんの中身が楽しい。これは『ゼリー栗』ね。
次は火を通してみる。簡単なのは『茹でる』こと。
皮も身も真っ黒い『黒芋』は、ねっとりとなった。うん。とろっとしてこれも甘いわ。
白いトマトみたいな『白トマト』は柔らかくなって旨味が強く出る。でも、トマトみたいな酸味は感じない。まるで鰹出汁をたっぷり吸い込んだふろふき大根みたいな食感だわ。
『パプリカ玉ねぎ』はお馴染み。まんま玉ねぎみたいで使いやすい。
『パプリカじゃがいも』は真っ赤だけど味はホクホク。
小さな『生姜にんにく』は生姜とにんにくの風味を併せ持っている。単独で食べるよりも、肉と一緒のほうが合いそう。
『みどりんぼ』と『ゼリー栗』は、火を通したらベチャベチャになっちゃった。特に栗の方は、溶けちゃった上に、煮汁が臭くなってしまった。
一方『レモンりんご』は酸味が柔らかくなって、歯ごたえも残る。
よっしゃ。夕食の献立決定。リル、氷と水をお願いね。
オレはさっそうと、屋台からじいちゃんの形見そのニ『ハンドル式製麺機』を取り出したんだ。