なべのくまさん
「まずは血抜きじゃ。お嬢ちゃん、手伝ってくれるかの」
はいはーい。
「嬢ちゃん、そこにも刃を入れてくれ」
はいです!
すげえ、やっぱりこの体躯だと、いくつかの場所から同時に血抜きをしないと間に合わないよね。勉強になるなあ。
「次は内蔵の処理じゃ、兄ちゃん、その壷を持ってきてくれるかの。隣の瓶もな」
「はいよ」
ウキも手伝ってくれる。
うわあ、さすがだなあ。慣れた手さばきですぐに腹を割いて内蔵を取り出したぜ。脂肪がすげえ。
「それじゃ嬢ちゃん、その太い臓物と袋から汚物を絞り出してから内蔵を壷に放り込んで、瓶の酒を注いで漬けてくれ。意味はわかるな?」
わかった。ここじゃ水も少ないし、まずは腐敗防止だね。
これくらいなら平気だよ爺さん。サキは遠くで顔をひきつらせているけどな。
「よし、これでとりあえずはいいじゃろ。さあ、急いで村に帰ろう」
こうしてオレたちは『薬膳熊』の血抜きと内蔵処理だけすませてから、爺さんの村に戻ったんだ。
「井戸を借りるぞい!」
アンテ爺さんの凱旋で村は沸き立ったんだ。そりゃそうだよな。三メートル級の獲物をゲットだもんな。
やっぱり熟練はすげえなあ。アンテ爺さん、あっという間に熊の毛皮をはがしていくぜ。
「嬢ちゃん、熊の皮を剥ぐのはココがポイントだ」
うお! 一気に行った! そっか、そこに刃を入れるのか。
おや、村のおばはん達がさっき酒に漬け込んだ臓物を水洗いし始めたぞ。
「ねえアンテ爺さん、あの臓物はどうするの?」
「あれは街の薬屋に売るんだ。早馬を走らせて薬屋に届けさせるから、今日中には代金を回収できるぞい。取り分は当然ワシと嬢ちゃん達三人で山分けじゃ」
「薬屋?」
「そうじゃ。薬膳熊の内蔵はいろいろな効能を持つ薬になるんじゃよ」
へえ。そうなんだ。
「ところでアンテ爺さん、あそこだけちょっともらってもいいかい?」
「いいが、どうするんじゃ?」
「食う」
「はあ? ありゃ薬屋が毒消しに加工するもんじゃぞ」
なんだよ爺さんその顔は?
「生臭くて食えたもんじゃないぞ?」
まあ、ものは試しだよ。
「ちょっと試したいことがあるんだ」
「まあ、嬢ちゃんがそう言うなら好きなだけ持っていけ」
オレが欲しかったのは熊のレバー。
他の内蔵も興味はあったけど、さすがに手が回らないし、メインイベントの熊肉料理もあるから、まずはこれだけでも試してみるんだ。
もらった熊レバーはまだ新鮮だから臭みはない。でもこれからが勝負だとは思う。何より、さっき大腸を処理していた時に香った香辛料っぽい香りに興味があるんだ。
とりあえずレバーはリルが出してくれたたっぷりの冷水に浸けて血抜きしておき、爺さんの手伝いに戻る。
「ねえユーキ、あたしゃちょっと爺さんの家に戻っていてもいいかい?」
そっか、そうだよねサキ。この風景はちょっと刺激的だよなあ。
「ユーキ、もしかしてあれも食うのか?」
ウキの指差す先にはさっきのレバー。
「サキ、準備ができたら呼ぶからそれまで休んでてね。ウキはサキについててあげてくれよ。後はオレを信じろ」
「助かるよ」
「うええ」
任せろ。サキ、ウキ。
「次は肉をばらすぞ」
うは! 大量の肉が取れるなあ。熊といえば有名なのは『熊掌』だけど、この料理はオレには無理だ。
「アンテ爺さん、熊の手はどうして食べるんだい?」
「ありゃ食わんぞ。皮がしっかりしているから、なめしてやると良い水筒になるからな」
そっかあ。そういう使い方もあるよね。
「で、嬢ちゃん、どこの肉を先に押さえとくかい?」
ここは無難に肋の肉と背中の肉、後は腿の肉をもらっておこう。
うん、やっぱりそうだ。独特の香りがする。決してイヤじゃない香りが。
「ところでアンテ爺さんは熊料理はできるの?」
「ワシもできるが、今日は村の女どもに任せてみるかの。嬢ちゃんもまずは基本の味を知りたいじゃろ? まもなく昼じゃ、まずは昼飯を皆で食ってみようぞ」
嬉しいよ爺さん。じゃ、引き続き熊をばらすの手伝うね。
しばらくの後、肉をばらし切り終わり、皮は村の加工職人が持っていった。
骨は煮てみようかな。どうしようかな。と悩んでいるそばから、「これは乾かしてから砕いて肥料にするからな」と、おっさんたちに持ってかれてしまった。
頭と血はおっさんたちの夜の部ハッスル用に加工されるらしい。
オレ知らねっと。
「よし、嬢ちゃん、これでワシらの仕事は一段落じゃ。飯ができるまで休んでおれ」
はーい。そんじゃレバーの血抜きでもすっかな。水を頼むねリル。
「アンテさん、飯ができたよ! お客人たちも広場に呼んでおくれ!」
「おお、できたみたいじゃな。嬢ちゃん、他のお二人を呼んできてくれるかな?」
「わかった!」
レバーの血抜きを終えたオレは、昼食ができるまで、アンテ爺さんに熊の肉それぞれの部位のクセを教わっていたんだ。
「サキ、ウキ、お昼ごはんができたってよ!」
「もう片付いたかい……? ユーキ?」
「肉か? 肉なのか?」
スプラッタは片付いているよサキ。ウキ、まずはこの村の熊料理だって!
オレたちは車座になっているおっさんたちの上座に通されたんだ。
なんか偉そうなおっさんがアンテ爺さんの隣に座っているなあ。
「サキさん、ウキさん、ユーキさん、お三方のお陰で村は恐怖を取り除かれ、幸を得た。ここに村を代表して礼を言う」
へえ、この村の村長さんらしいな。いえいえ、頑張ったのは主にウキとリルですから。
「それでは『アポロス』の元、粗餐ではありますがお召し上がり下さい」
ん? オレもこれを持っていいのか?
「それでは、『良い今日を』」
「良い今日を!」
乾杯のように、皆は右手のカップを差し出したんだ。
「ユーキ、きつかったら替えてもらいな」
「お前には無理だろう」
そう? 試しに一口飲んでみるかな。
ぼっ!
うひゃあ、口の中が焼ける!
こんなんオレには肉の味付けと消毒にしか使えねえよ。
ってオレ、もしかして『蒸留酒』ゲット? やったぜ! 燃えるぜ!
……。
うえ……
うええ……
うええええ……
「すいませんお姉さん、これと果汁を薄めたのと交換してください……」
こんなん嬉しそうに飲んでる連中は『アホ認定』にしておこう。
目の前には数人ごとに大鍋と鉄板が並べられている。
「ユーキ嬢ちゃん、これが『薬膳熊』の料理方法じゃよ」
蒸留酒に目を回していたオレをアンテ爺さんが隣に呼んでくれたんだ。
へえ、鉄板はともかく、鍋の方も肉の前に野菜を入れておくんだ。
「それじゃまずは食え! お客人、そして男ども!」
歓声と同時に、輪の後ろにいたおばはんおねーちゃん達が、次々と鍋と鉄板に肉を乗っけていったんだ。
「ほれユーキ、まずは焼いたのを食ってみろ」
アンテ爺ちゃん、いつの間にかオレのことを呼び捨てにしているぞ。だが許そう。
「へえ、香りが強いや!」
「そうだ。薬膳熊の肉はそれ自身に強い香りがある上に、火を通しすぎると臭みが強くなる。こうしてさっと焼いたのは美味いじゃろ?」
うん、美味いよアンテ爺ちゃん!
ウキはものすごい勢いで食いついているし、サキも満足そうだ。
「次は鍋じゃな。ほれ、ユーキ、食ってみろ」
うわあ、これってまんま中華スープだよ。鼻を薬臭く刺激しながらスープがやさしく甘いとか、反則だよね!
「薬膳熊は手間をかけんでも美味しく食える上に、鍋にすると野菜どもに香りと旨味を移すから野菜も美味く食える。ポイントは煮過ぎないことだ」
煮過ぎるとどうなるの?
「わからん。煮過ぎたことはないからの。その前に食え。美味いじゃろ」
美味いよ爺ちゃん。
って、この村には薬膳熊を煮込む習慣がないってことか。
ふっふっふ。
俄然やる気が出てきたぜ。




