漢方薬とラーメンと
「ところで、薬屋に何の用なんだい?」
ちょっと色々試したいことがあってさ。サキ。
「生理じゃなきゃ食い過ぎか?」
お前がそれを言うかウキ。
ということで、薬屋さんに到着。
おお、見事なまでの『漢方薬局』だわ。爺さまが『薬研』で、得体のしれないものをゴリゴリとすりつぶしていそうだわ。
これは期待できるかも。
「ご主人、消化薬や整腸薬をいくつか見せてもらってもいい?」
「ああ、構わんぞ」
木箱に入った粉薬の匂いを片っ端から嗅いでいくオレに、サキの興味深そうな視線と、ウキのアホの子を見るような視線が注がれる。
今に見てろよウキ。
あ、あった。まずはこれ。
「ご主人、これはなあに?」
「ああ、それは『甘茎草』の実を挽いたものじゃよ。甘い香りが特徴の、消化を助けるのに効果がある薬じゃ」
次はこいつね。
「それは『辛豆粉』じゃよ。舌にピリピリ来るが、同時に食欲を増進させる効果がある」
これは?
「そいつは『星香実』じゃ。すっきりした香りで、お腹の調子が悪い時に飲むといいぞ」
最後はこれ。
「すっとした良い香りじゃろ。それは『爽快花』の花弁を乾燥させたものじゃ。胸やけを解消する効果があるぞ」
ふっふっふ。
思った通りだわ。
この世界では、スパイスはまだまだ『薬』なのね。それに気付いたオレ大勝利。
「ご主人、それぞれ一瓶づつ下さいな」
「結構値は張るが大丈夫か?」
「いくら?」
「一瓶五千エルが相場じゃ」
日本の十倍以上の値段だなあ。でもそれだけ高価ってことだよね。でも、たくさん使うものでもないし、ここは奮発しよう。
「なんだ、やっぱり食い過ぎか」
後で吠え面かくなよウキ。
「で、『魔法薬』はいらんのか?」
え? 何それ。 知ってる? サキ?
「ああ、店独自の処方で色々と効果を持たせた薬さ。ご主人、この店の魔法薬はどんな効果なんだい?」
「うちのは『体力回復の薬』じゃよ。疲れた日も、これを一瓶飲めば翌朝は快調じゃ。傷口に振りかければ、多少じゃが治療効果もあるぞ」
へええ。最初はドリンク薬みたいなセールストークだったけど、後半はファンタジーね。って、この世界は魔法ってあるの?
「なんだいユーキ、知らなかったのかい?」
誰も教えてくれなかったじゃない!
「まあ、他人に自慢するようなもんじゃないからな」
そうなのウキ?
「で、どうすんじゃい。一日分一瓶五千エルじゃ」
「ユーキ、念のため買っておきな。明日出発したら、次の街まで歩き詰めだからね」
そうでした。サキの言うとおり、明日からは徒歩の旅でした。
「それじゃ、さっきの五種類と、回復薬五本下さいな」
締めて五万エル。ガスボンベよありがとう。
「次はユーキの旅装束を用意しなきゃね。行くよ」
サキとウキに次に連れて行かれたのは、衣料店と道具店が一緒になったような店。日本で言うところの『アウトドアライフ』の店ってところかな。
サキが手招きしてくれたところに行ってみると、そこには旅の道具がまとめられているセットものが置いてある。
うーん。着るものとか寝袋なんかは必要だけど、食事道具は不要だなあ。
「そういや、ユーキは立派な調理道具を持っているものね。これは個別に揃えたほうがいいわね」
そうなのよサキ。それに、オレってそんなにたくさん荷物を担げないしさ。
ところで誰だ、オレのスカートのすそを引っ張るやつは。
ああ、フルかい。どうしたの? 何、ちょっとこっちに来いって? あなたは三匹の中で一番積極的ね。お姉さんちょっとドキドキしちゃうかも。
痛い痛い! アキレス腱は噛んじゃダメだってリル! ああ、そんな悲しそうな背を向けて、とぼとぼと店の外に出て行かないのよリート!
この三匹には公平に接しないと自分の首を絞めてしまうわね。ハーレムの維持って難しいわ。
「ケダモノ相手に楽しそうだな」
うるさいよウキ。
って、わかったよフル。そんなに怒らなくてもいいじゃないの。
ん? これを買ってくれって?
へえ。これはかっこいいね。
それは馬用の『サドルバッグ』
二つのバッグが二本の紐でつながれていて、馬の背に乗せて左右それぞれにバッグを固定するというもの。
え、いいの? オレの荷物をバカなウキには任せておけないって。ホント、フルは頼りになるね。
今度はリート? どうしたの? お前はこれが欲しいの?
へえ、『薪式オーブン』かあ。結構しっかりしているね。
あ、そうだね。これならガスボンベのところにすっぽり入るわ。
これで料理のバリエーションが広がるわ。さすが火の精霊ね。
で、リルは何が欲しいの。
???
『漏斗』?
また地味なものを選んだね。なになに? これがあれば水を勢いよく吹き出すことができるの?
そっか、そうすれば流水で洗い物とか便利だよね。これはじわじわと役に立ちそうだわ。
「ユーキ、お前はこの店にいったい何を買いに来たんだい……」
サキ、そんなに呆れないでよ。お勘定を済ませちゃえば、荷物をフルが持ってくれるからさ。
バッグとオーブンと漏斗でお勘定は十万三百エル。漏斗の三百エルが光るわ。
リルには今度、お値段が高いものを買ってあげるわね。
ということで、アウトドア用のシャツにパンツ、下着とブーツに防寒具、寝具と一揃い購入して、お勘定は五万エル。
見事全てがフルのサドルバッグに収納されたわ。
「それじゃサキ、ウキ、オレは先に宿に帰っているね」
「ああ、近道しようとするんじゃないよ」
気をつけるわサキ。
「ケダモノナイト様達に、しっかり守ってもらうんだぞ」
なにウキ、もしかしてやきもち?
サキとウキは他にもいろいろ準備があるからと、出かけて行った。
さあ、それじゃ、オレは夕食の仕上げに入るかな。
まずは昨日から白トマトの出汁に小魚の干物を浸しておいた鍋を火にかけ、沸騰する直前に弱火にして、アクを取りながらことこと煮てあげる。
今回はラーメンスープ用だから、ちょっと強めな出汁くらいでちょうどいいんだ。
これをこして、昨夜こしらえたトリガラスープと合わせてあげれば、ダブルスープのできあがり。
次に肉の塊を大きめに切り、全体をフライパンで焼き固めて、これをねぎとしょうがニンニクと一緒に水で下茹でしてあげる。時間は二時間くらい。
そうしたら肉を取り出し、今度は鍋底でひたひたになるくらいの水、果実酒、シロップ、さっき手に入れた『星香実』をほんの少しだけ。そして虎の子の『醤油』を投入。落とし蓋をしてとろ火で煮込んでいく。頑張れリート!
ちなみにさっきまでの茹で汁は、冷めると美味しい油が浮いてくるので、取っておくんだ。
次は麺。
生棒パンの実を、まずはこねないで薄く伸ばし、そこに『魔法の水』を塗り込める。
って、実はこれ、魔法の水でもなんでもなくて、宿の厨房からもらってきた『藁の灰』を水に入れて、ガシガシ混ぜてから、しばらく置いてあげて、上澄みになったところを掬ったものなの。
これはいわゆる『灰汁』
昔からこの灰汁が、山菜とかの『アク』を取るのに使われていたから、今では『アク』も『灰汁』と書くんだ。あ、これは日本での話だけどな。
オレが思い出したのは、じいちゃんが昔教えてくれた『身の回りのアルカリ成分』の話なんだ。
かん水も重曹も灰汁も『アルカリ性』で、それが小麦の成分を変質させて、中華麺独特の色や歯ごたえになるんだよ。南の方では、灰汁そのものを麺に仕込むところもあるらしいし。ああ、食べに行きたかったなあ。
で、こねる。薄く黄色がかるまで塗ってこねて塗ってこねる。
最後は製麺機を通して麺も完成。麺はいくらでもおかわりできるように多めに仕込んでおく。
残っても、ちょっとした日持ちをさせるアイデアもあるし。
で、今度は『背脂』を大きめに刻み、中華鍋に投入して、背脂自身からにじみ出す油で、ぷりんと揚げ煮しておくの。
ふっふっふ。
卵はお尻に小さく穴を開けてから、おもむろに熱湯に投入。ああ、キッチンタイマーがほしいわ。
ゆっくりと三百数えてから、卵を熱湯から引き上げ、リルが待つ氷水のボウルに投入して一気に冷まし、殻を剥いておくの。
時間があればタレに漬け込むけど、今日は黄身の食感を楽しんでもらいたいからここまで。
最後はネギをこれでもかとばかりに刻んで準備完了。
肉の角煮が煮える香りがぷーんと食堂にも伝わる。いい感じで柔らかく煮えたので、リートは一旦お休み。味が染み込むように鍋を休ませてあげる。
「おう、お嬢ちゃん、いい香りだねえ」
いい香りでしょご主人、今日は特別よ!
「それが『ラーメン』ってものかい? こないだの『カルボナーラ』と似てるなあ」
うっふっふ。おじさん、食べてみてのお楽しみよ。
「おや、これって『ラーメン』の香りかい?」
さすがサキだわ。醤油の香りを覚えてるんだ。
「腹減った。死ぬ。ユーキ、助けてくれ……」
なんかやつれているわねウキ。いいわよ、今日は胃薬の世話になるまで食べてね。
「それじゃ、一気に行きますねー!」
さあ、ラストスパートよ、リート!
まずは寸胴にたっぷりのお湯を沸かし、もうひとつのコンロにはトリガラスープと魚介スープを合わせた鍋を乗せて、沸騰しないように温める。
お湯が沸騰したら人数分の麺投入!
そうしたら丼に、じいちゃん秘伝のタレを入れ、ダブルスープを注ぐ。
スープを温めていたコンロに中華鍋を戻し、背脂を弱火で再加熱してあげる。
ほい、麺の茹で上がりよ。
麺を平ざるで丼に取り分けたら、中華鍋の背脂ミンチをその上にちゃっちゃと浮かべてあげる。熱いぞう。
そうしてから特製角煮と半熟卵を乗せて、最後にネギを山盛りにして完成。
「特製『猪角煮ラーメン』だよ、熱いうちに食べてくんな!」
初めて見る料理に目を白黒させた宿のご主人と馬番のおじさんだけど、ものすごい勢いで麺を食べ始めたウキと、スープをふうふう言いながら口に運ぶサキの姿に勇気を持ってくれたみたい。
「ユーキ、こないだのとは違うけど、これもすげえうめえよ!」
こないだのはあっさり醤油ラーメンだったものね。
「このお肉、柔らかい上に臭みが全くないけど、もしかしてお前……」
大正解よサキ! これよこれ。
オレはサキに『星香実』の瓶を見せびらかしたんだ。
「まいったねえ」
喜んでくれて嬉しいよサキ。
「何だこのトロッとした黄身は! こんな火の通し方があるのか!」
「俺はこの浮いている油の甘さとネギの食感に驚きだよ」
ご主人、おじさん、ありがと。
「ウキ、もっと麺を食べるでしょ?」
「おう!」
ならスープは飲んじゃわないでね! さすがにタレが残り少ないんだ。ごめんよ。
「じゃ『替え玉』を茹でてくるから待っててね」
「何だそれは?」
「麺のおかわりよ」
「ユーキ、私もだ」
「お嬢ちゃん、ワシも」
「俺ももらえるかい?」
こういうのをきっと、『料理人冥利に尽きる』っていうんだね。
その晩はラーメンを食べ終わった後も、宿のおじさんが『秘蔵の酒』とやらを出してくれて、皆で夜遅くまで楽しんだんだ。
酔っぱらってへらへらしているだらしがないウキの様子や、一層色っぽくなったサキの姿も楽しんだ。オレは未成年だから飲んでないけどな。
その夜のベッドでオレは思い出しちゃった。学校の友達やお店のお客さん達。楽しかったとき。この世界に飛ばされる前のときを。
『現実は切ない。でも前を向くしかない。いいか、辛い時こそ笑え』
そう散々聞かされたよね、じいちゃん。
でもね、ごめん。
今日は泣かせて、明日からまた頑張るからさ……。
リート、リル、フル、ごめんね、ごめんね……。お休み……。
’我らが君主よ……泣いてもいいのです……,
翌朝は早朝からの出発だから、朝食の準備はしていない。
オレは顔を洗い、着慣れない旅装束のシャツとズボン、ブーツを履いて、リート達と走ったんだ。
そこには見慣れた姿のサキとウキ。
そして宿のご主人と馬番のおじさん。
「ユーキ嬢ちゃん。色々と旨いものを食べさせてくれてありがとう。これは餞別だよ」
村長さんが持たせてくれたのは小さな『網』
「これは『カモフラージュネット』という魔法装置でな。隠したいものをその場で隠すことができるんだ。お嬢ちゃんの屋台が旅の途中で盗まれないように、これを使うといい」
え? 魔法装置?
いいのこんなのもらっちゃっても?
「ユーキ、ありがたく頂いときな」
うん。うん。
「俺からはこれだ。主人に比べると恥ずかしいもんだけどな。女房がこないだのタルトのお礼にって、お嬢ちゃんが悩んでいた『生棒パンの種』を使った料理をこしらえたんだ。『ちっちゃな豆と棒パン種の蒸しもの』だ。お嬢ちゃんがこしらえるこれからの料理のヒントにしてくれ」
それはほんのり黄色く、少しつまむとやさしくしょっぱかった。
あ、この食感って……。
「それじゃ、元気でな」
「戻ってくることがあったら、また寄ってくれよ」
おじさん二人が手を振って見送ってくれる。
ねえサキ、また戻って来れるよね。
ねえウキ、またおじさんたちに会えるよね。
何で返事をしてくれないの……。
オレが涙を流しているから?
それとも……




