出張の思い出
出張の思い出
私は、アパレルメーカーで製品開発をしています。専属デザイナーのデッサンを評価し、製品化するのが仕事なわけです。洋服も製品になるまでは完全に分業化されていまして、生地、染め、縫製、刺繍と専門業者とタイアップしています。というのは、特に自分の勤める会社は少数しか作らないことで評判を得ているからです。
こんな桜の咲く頃になって夏物を手がけるというのは常識外れなのですが、柔らかくて風合いのある生地が開発されたので、他に先駆けて製品化するために、急遽京都へ出張しました。これは、その日の思い出です。
部長とともに出張した私は、染めの色合いが少々不満でした。なぜかというと、あまりに鮮やかすぎて、少し研究すればいくらでも真似のできる色合いだったからです。それを指摘しても、染色工房のご主人は「あかん、でけへん」の一点張り。
しかたなくその夜は料理屋でご主人のご機嫌とりとなりました。
筍料理に伏見の酒、芸妓と舞妓、お囃子と散財ですが、会社の経費だから腹は痛みません。それどころか、部長が大喜びでお客そっちのけで騒いでいました。
お酒が次々に追加され、部長が大はしゃぎで舞妓相手に遊んでいたのですが、急に頭をおさえてばったり倒れてしまったのです。
人というのは薄情なものだというのをつくづく知りました。
芸妓も舞妓もお囃子も、「ほな、おおきにー」
帰ってしまいました。
「例の件な、あんさんの希望通りにこさえたげっさかい……」
お客もドロンです。
こうなったら自分でなんとかしなければいけません。帳場に救急車の手配を頼みました。
「お客さん、御供がつきましたぇ」
帳場へ行ってみると救急隊員がいました。
「山下はんでっか?」
「いえ、山上です」
「山下はん、いてまへんの? 『料亭 小狸』のお客さんからの通報やけど……」
「ちょっと、うちは『小狸』ちゃいます。『女狐』どす」
帳場から出てきた女将さんが、あからさまに嫌な顔をしました。
間違えたことに気付いた隊員が店を出ようとするので、一緒に搬送してもらえないか頼んでみたのですが、
「すんまへん、相乗りは禁止されてますねん。お上がうるさいよってな、バレたら首吊らんならんさかい。……ごめんやっしゃ」
「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ。山上はどうなるのですか?」
隊員さん、気の毒そうな顔をして小声で教えてくれました。
「表通りへ出てみなはれ、けっこう流しの救急車が走ってまっせ」
そんな馬鹿な、流しだなんて……。
でも、一本出れば表通り。遠くからピーポーが聞こえてきます。
赤い回転燈が目に痛いほどです。近づくにつれ、助手席の上に空車の表示。
まさかと思いながら手をあげたら停まり、窓を細めに開けました。
「どなたはんか、ご紹介おますか?」
ふるふると首を振ると、
「すんまへん、一見さんはお断りしてまんにゃ。……ごめんやっしゃ」
走り去ってしまいました。
しかたなく店に戻って待つことしばし。
「お客さん、駕籠屋はん来ましたぇ」
帳場から報せがありました。
救急車に乗ってもなかなか発車しません。しきりと受け入れ先を探しているようです。
「お客さん、今日は接待でっか? けっこうなこっちゃ。わしらには縁のないこってすわ。ちゅうと、費用は会社もちでんなぁ。なるほど」
運転手が根掘り葉掘り聞くのですよ。別に困ることではなし、正直に答えました。
ようやく受け入れ先がみつかって、出発しました。すると、助手席でサイレンのスイッチを捻ると同時に、もう一つのスイッチもひねりました。ちょうどサンバイザーの位置に表示されていた『お迎え』が『賃走』に変わりました。サンバイザーの数字が凄い勢いで増えてゆきます。それもご丁寧に、『カシャッ』という音をたてて……。
まさかねぇ……。そう思うのもつかのま、病院に到着して、すぐに部長が運ばれて行きました。
私も一緒に病院に入りかけたその瞬間、運転手に呼び止められました。
「お客さん、料金払うてもらわんと……。いっぺん乗ってもらいまひょか」
否応なく救急車に戻されると、
「……ごめんやっしゃ」
運転手は私のシャツをはだけてシートを貼り付けました。AEDのパッドですよ。
「現金、カード、どっちゃでもかましまへん。嫌や言うんやったらよろしぃで。天下御免のスタンガンおますよってな」
補足. 京都で駕籠屋といえば、葬儀屋を指します。
……許して。