とある僕の一生
目覚まし音が鳴って僕が目を開けると、お姉さんのドアップがそこにあった。もういつものことなので驚かない。
「こらこら。もう少し離れなさい」
「え~いいじゃん」
お母さんがそんなお姉さんを注意して、お姉さんは文句を言いつつも僕から離れた。ちょっと安堵したような、寂しいような。いつもそんな心地がするから不思議だ。
「お姉ちゃんばっかりずるい~僕も」
弟もそこへやってきて、2人で僕の取り合いをする。そんな瞬間がとてもこそばゆくて、照れくさくて、嬉しくて。
「こら~しっかりしろよ~」
でもぼけっとしていたらガンガンガンっと弟に叩かれて、とても痛くて目が覚めた。ちょっと止めてってば。
「おっなんだ。やればできるじゃんか」
怒りたかったのに、すぐに笑顔になった弟を見てしまえば、もう僕には何も言えなかった。だって僕はお兄さんだから、弟のしたことは許してあげなくっちゃ。
「だからほらっ! すぐ気を抜くな!」
って、今度はお姉さんに叩かれる。痛い痛い。半端なく痛いよ。お母さん助けて~。
「叩くのは止めなさいってば」
「だってお母さん」
「だってじゃないの!」
怒られているお姉さんが可愛そうにも思えたけど、でも本当に痛かったからもう少しだけ怒られてよね。僕だって怒ったりするんだよ。
「だいたいあなたは乱暴すぎるの。この前だって」
「…………」
あらら、でもお母さんの話が段々とずれて、お姉さんが泣きそうだ。でも今回はお姉さんが悪いし……でも泣きそうだし……仕方ないな。
「あっ」
弟が声をあげて僕を見て、お母さんとお姉さんも僕を見て、みんなで笑顔になったから、僕はとても安堵した。
まったく。僕がいないとみんな駄目なんだから。
夜になるとお父さんが帰って来て、みんなで食卓を囲む。お父さんはあまりしゃべらない人だけど、とても優しい人だから、僕は大好きなんだ。
……お姉さんと違って乱暴に叩いたりしないし。
「お父さんばっかりずるい~次私!」
「しょうがないでしょ。お父さんは昼間仕事に行ってるんだから」
ああ、またお姉さんが我がまま言ってる。お母さんが怒って、お父さんはちょっと困った顔でお姉さんに呼びかけた。
「お前は本当にこいつが好きだなぁ」
「うん! だって面白いもん!」
「僕も好きー!」
お父さんの声に、お姉さんも弟も頷いた。お父さんは笑って2人の頭を撫でた。
そして今、お父さんはとても悲しい顔で僕を見ていた。
「今まで、ありがとう」
優しく優しく僕の頭を撫でてくれた。
その次に、めったに僕へ触れなかったお母さんが撫でると、お姉さんも弟もそれを真似てぎこちない手で撫でてくれた。なんだかこそばゆい。
こちらこそ、今までありがとう。そう言いたいのに、今の僕には何もできない。ただただ、お父さんたちの顔を鏡の用に映し返すだけ。
ごめんね、ごめんね。
僕はあなたたちへ言葉を贈れない。
そりゃたしかに、いきなり起こされたり、殴られたり、喧嘩したり、いろいろあったけれど。でも思い返せば全部楽しい思い出で。総合すればありがとうと言いたくなる一生で。
だから寂しいけど、本当は悔しいけど……新しく来た僕の後輩を大事にしてあげてね。あと、僕のことも覚えていてくれたら嬉しいな。
「今までお疲れ様」
「ありがとね」
お父さんとお姉さんが最後にそう言って、みんながその場を去っていった。僕を置いて。
僕はついていかない。ついて行けない。
そうして夕方。
雨が降って僕はびしょぬれになった。意識が遠のいて、僕が僕でなくなるのを感じた。もうご飯があっても、僕は何も映せない。
でもいいんだ。だって……だって僕は、ほんとうに……幸せだったから。
僕がダレなのか分かりましたでしょうか。
そして今の子たちには分かりづらいかもしれません。でも私の時は一家に一つだったんですよね。叩いて直す、という今ではあまり見られない治療法(笑)とかありましたし。
今思うのは、【僕】の前って家族みんなが集まる場所だったんですよね。そこでわいわい騒ぎながらご飯食べたりお菓子食べたりしゃべったり。
家族関係が希薄になったと言うのに、【僕】の数が増えたのも一つの要因としてあるかもしれません。
……なんていうと大げさでしょうか。
※少し修正しました。