祈りの間
体が浮く様なフワフワっとした心地良さを微睡みの中で感じていた。
浮き沈みする意識の中で幾度かの寝返りを繰り返し意識の覚醒を目指す。
それは一応の成功を修めた。
最後の足掻きだ!と、ひどく久しぶりだった感覚に浸かったまま、のっそりとした緩慢な動きで体を引き起こす。
それはここ最近では味わえなかった《良く寝た感》に似た《寝過ぎた感》で、覚醒しない体に引きずられた思考は、ひどくぼぉ~っとしていた。
ピシャリ!!っと両手の平で頬を軽く叩き覚醒を促したが、まだ正常な働きを示さない頭は、かなりの部分が休止していて、いまいち自分の現状が理解出来ずにいる。
己を包み込むフワフワした物に手を触れ、微かに眉間に皺を寄せた。
フワフワの布団は重さを感じさせない程の軽さで、さりとて作りが粗悪な訳でも無く、しっかりとした保温性と吸気性も兼ね備えている上物。
四隅の天蓋を支える柱には精緻な細工が施されおり、埋め込まれている宝石が時折淡く優しい光を放っている。
囲むように廻らせた薄手の天幕には《遮断》の魔法が付加されていて、幕の外からは何んの気配も感じられない。
・・・随分と無駄に豪華なベッドだが・・・
それに何故、俺がここに寝かされていたんだ…?
自分の感覚とは、あまりにかけ離れた贅沢な状況に頭痛を覚えて暫し頭を抱えた。
はぁー・・・。
正直なところ、頭痛を感じるのは豪華さにだけって訳じゃない。
微妙に少女趣味な気配がそこかしこに散らばっているのも原因だ。
派手に目立つ物では無いが、その存在は忍び込む様に然り気無く、されどクッキリと目に写り込む。
例えるならば、今まで頭を支えていた複数の枕にコッソリと動物の手と足と頭が付いているアニマルピローが混ざって置かれていたり、シックなベットカバーの柄にアニメチックなウサギが混入していたりと、探せば際限無く出てくるだろう。
そして俺は、そんな場所でグッスリ寝こけていたって訳だ…。
あぁ…
精神的負荷を感じる。
ググッと突き刺さる感じで。。。
心のダメージはあるが、とにもかくにも、このまま只ボォーっと、このベットに座り続ける訳にもいかない。
っと言うか・・・・・・座っていたくない・・・。
少しでも状況の分かるヒントを求め、ゆっくりとした動きで布団から抜け出した。
トンっ!と軽い音を立てて足を降ろす。
床に触れた足の裏からは、木の感触と仄暖かい温もりを伝えてくる。
揃え置かれていた靴に足を納めながら、なんとなく、ベットを返り見てデジャブにも似た感じに襲われた。
んーっ…、何だっけか?
この覚えのある感じは…。
思い出そうと暫く頭を悩ませたが、結局、ヒットする記憶はみつからなかった。
消化不良な感じが否めないが思い出せない物は思い出せないんだ。
仕方ない。
気を取り直して、周囲の探索に戻る事にした。
目の前には薄手の天幕が降りている。
それは乱暴な扱いをすれば簡単に裂けてしまいそうな繊細な生地で出来ていて、軽く触れるだけでも要らぬ緊張を強いられる物だった。
慎重にそっとその合わせ目に手を添え、少しづつ左右に天幕を動かす。
僅かに出来た隙間から顔だけを覗かせ、天幕の外を窺う。
最初に感じたのは温度の変化だった。
少しだけ室温が下がった気がする。
視線を巡らせ分かった事は、この部屋には窓というものが無いと言うこと。
自然光を完全遮断した部屋の中は闇に閉ざされていそうだが、実際は魔法で構成された灯りが等間隔で配されていて適度な明るさを保っていた。
それが何のための処置なのか考えるまでも無く、答えは視界いっぱいに広がっている、この壁画を保護する為だろう。
それは本来ならば窓を作るべき位置の天井付近から横壁の上半分位までを精細なタッチの絵が描き巡らせてあった。
鮮やかな色合いの樹木や伝説として語られる鳥や獣達の姿で、白く調えられた壁の表面に生き生きとした表情で描かれている。
入り口、ドアの上辺りから右回りに順を追って絵を辿って行けば、この国では誰もが知っている、子供の頃に語ってもらった伝承を紡いでいるのが分かった。
絵を目で追いながら、頭の中では聞き齧った伝承が浮き上がってきた。
この世界には昔、神様の森があった。
森は神の愛に溢れ、そこに自生する全ての物は神の祝福を常に与えられている。
神の祝福を体内に溜め続けた森に暮らす獣は聖なる力を持ち聖獣と呼ばれるようになった。
彼ら聖獣は爪も牙も角も無い弱い生き物の人間に対して非常に寛大だった。
正しい手順を取れば契約にも応えてくれ、その契約を成功させると、彼等は人を愛し守る存在になる。
しかし恵まれた状況に慣れてしまった人間は、愚かな思いに囚われる様になった。
それは聖なる力を自分の物にしたいと言う思い。
自由に思いのまま力を使いたいっという思いに囚われた。
そして一人の人間は思い至る。
契約の手順に手を加える事に。
偽りの契約は成功し、聖獣を隷属させた。
願い通り力を思うままに使い始めた人間は、世界を混乱に落とし、時が経つほどに聖獣と共に変質していく。
世界は滅びに向かう足を止める事が出来ず、ただ絶望に包まれていた。
嘆きの声が神に届き、神は荒れ果てた世界を目にして涙を地に落とす。
神の涙は人間と聖獣を包み込み眠りに着かせ、神様の森に封じた。
封じた事により神様の森は消え、世界は落ち着きを取り戻した。
確か、こんな話だったよなぁと思いながら、目は引き続き壁画を追い続けた。
視線は暗く淀んだ色で表されている人間と聖獣の姿と金色に耀く涙が描かれている部分で一度留まる。
胸の中に切なさの様な淋しさのようなものが沸き上がって、たまらず絵から視線を外した。
外した視線の先、入り口とは真逆の位置に、祭壇の様な空間が設けられている。
それ以外は、ほぼ何も無い部屋で、中央に豪華なベッドと壁の絵を邪魔しない場所にデスクと衣装箪笥、それに書棚が置かれているだけだ。
物は少ないが、どれも美しい木目と精緻な細工が施された一級品に値する立派な物に間違いない。
本当に、無駄に豪華だ。
豪華だが…祈りの間にベット。。。
豪華さに感動するよりもむしろ呆れ返る、そんな感情の方が強かった。
教会でミサを行う場所にデーンっと立派なベットがど真ん中に置いてあるそんな感じなんだ、呆れ返るのも当然だよな。
俺は誰一人として存在しない部屋の中だと言うのに、滑稽なほど臆病に周囲を警戒している。
端から見れば鼻で笑われるだろう。
俺が、こんな臆病な奴を見たら確実にそうするだろうし。
・・・まるで道化師の様だ。
みっともないって分かっていても、警戒する事を止められないのは、天幕に掛けられた《遮断》の魔法のせいだ。
その効果のせいで、一切の気配を感じ取れなくなっていて、情報は目で確認する事しか無い。
天幕から出た途端に、襲われたくは無いからな。
状況が分からない分、慎重にもなるさ。
取り敢えず、安全の確認が取れると、顔だけ覗かせていた天幕の外にからだ全体を晒し出した。
《遮断》の範囲外に出れば、今まで感じなかった人の気配を感じ取れる様になり、思わず苦笑を浮かべた。
慎重に警戒したが、やはり部屋の中は自分一人きりで、感じた人の気配はドアの外。
これでやっと通常の感覚を取り戻したと安堵の息を吐き出す。
そんな頃合いを態々狙ったのだろう、と勘繰りたくなるタイミングでドアの外の気配はこの部屋の前で足を止めた。
コンコン。
ドアをノックの音が部屋中にこだました。
「蓮、もう起きているわね。応接室で皆が待ってるわ。」
ノックに続いた柔らかい女性の声は聞き覚えのあるものだった。
彼女なら自分が目を覚ましていた事などとうに知っていただろう。
確認する必要など無い、自分を凌駕している存在だ。
彼女と対して比べれば、魔力量だけなら俺が勝つ…魔力量だけならな………が、他の一切の物は全く歯が断たない。
あぁー…あれだ。
経験の差って奴だ。
やっと自分の状態を理解し無意識の内に軽い溜め息を吐き出した蓮は、同時にベットを振り返った時のデジャブに似た感じの正体にも思い至った。
何故思い出せなかったのかと不思議に思いながら苦笑を浮かべる。
消化不良だったチョッとした気掛かりが解消された事で心がスッキリとした。
たった其だけの事なのに妙に清々しい気分に包まれている。
本当に妙な感じだ。
俺は軽い足取りでノックされたドアに向かい歩き出した。
広くとも部屋の中だ、ドアまでの距離は大した事はなく、直ぐに到着する。
ドアノブへ手を掛けようと伸ばしかけたが、思い止まった。
直に触るなと直感が警告している。
何か無いかと周囲に目を配り、部屋の片隅に立て掛けられていた木の棒に気付いた。
・・・何か・・・これを使えって言ってるみたいに不自然だよな・・・。
豪華な部屋の中に不釣り合いな木の棒…ってか、バッキリ折って持って来た感満載の木の枝一本。
他の物は犠牲にするには高価過ぎて俺の心臓に悪影響を及ぼしそうだ。
そんな訳で仕方なく、その木の枝を使う事にする。
木の枝を前にして、何か仕掛けがされていないか調べないと安心して手を出せない。
入り口を振り返り、見る限り鍵などかかっていないドアに目を向ける。
開けて入って来ないばかりか、大人しくドアの向こうで待ち続けている人物を思う。
やっぱり、何か仕掛けて有りそうだな…。
そんな事を思いつつも、軽く意識を集中し、魔力を練り上げ始めた。
掌が淡く光だすと、木の枝に照準を合わせる様に指し示す。
木の枝の下に急速に魔法陣が描かれ短時間で完成した。
「リサーチ!」
声と共に魔法の効果が発揮された。
木の枝の先端に属する部分が グニョリ と蠢く。
まるで何か絡める物が無いか探しているようだ。
……やっぱり、仕掛けがあったか。
グニョグニョ動く枝を見つめゲンナリとした。
この動きって、あまり気持ちの良いものじゃないよなぁ。
・・・・・・。
取り敢えず、極力下の方を持てば大丈夫・・・な気がする。
仕掛けを解除出来ない訳じゃ無いが、めんどくさいからな。
グニョグニョ暴れる木の枝に、そっと近付き下の方に手を伸ばす。
幾度か枝先が手を掠めたが、軽い引っ掻き傷の様なものを作っただけで、比較的簡単に手にする事が出来た。
手にしてしまった事で間近で蠢く姿を見ることになり、ちょっとだけ後悔…。
枝を片手にドアの前に戻り、もう一度 《リサーチ》の魔法を行使する。
効果を現した魔法のお陰でドアノブの部分に仕掛けが施されているのが解った。
ドアノブは激しくスパークを繰り返し、その危険度を知らしめている。
触らないで良かったと胸を撫で下ろしながら、さて、この先をどうするかと暫し思案。
枝越しにドアノブを触っても危険そうだしな。
蠢く枝先を見つめていて、思いついた。
これ、逆さに置いたらどうなるんだ?
グニョグニョ動く様子を真面目に観察して、歩き出しそうだと結論を出す。
今少しドアに近付き、枝を逆さに立て掛けるようにして手放す。
コトっとドアに寄りかかった枝が、まるで蛸の様な動きで移動を始めた。
枝先以外は普通の木の固さをもつ枝は幾らか先に進むと、バランスを崩し傾いて行く。
傾いた先にはちょうど良い位置に例のドアノブがある。
そのまま滑るように傾き続け、枝の先がドアノブにかかると、当たっている箇所が一気に炭化した。
・・・こっ・これ・・・悪戯のレベルじゃ無い!!
あまりの凄まじさに、呆然と見つめ続けた俺の目の前で、丈の半分程までを炭化させた後、ドカン!!っと派手な音を立てて爆発四散してしまった。
枝の欠片が飛び散り、俺目掛けて飛来した一部の物が頬に浅い傷を残す。
ピリッとした痛みを感じ、傷付いた頬に手を添えた。
・・・・・・えっ・・・こんなの生身で受けたら、絶対死ぬよな・・・。
物騒な悪戯に青くなりながらも、再度ドアに対して《リサーチ》の魔法を行使する。
先ほどの爆発四散のお陰なのか、ドアノブに掛けられていた仕掛けは綺麗さっぱりと消えていた。
もう問題は無いのだと分かっていても、ドアノブに手を伸ばすのは躊躇われた。
炭化に爆発四散を目にしていれば当然の感覚だろう。
それでも恐る恐ると逃げ腰になりながらもドアノブに手を伸ばした俺は、かなり頑張ったと思う。
よくやった!!
偉いぞ、俺!!!
取り敢えず、誉めてくれる人は此処にはいないから自分で誉めておいた。
微妙に虚しさを感じるが気にしたら敗けだ。。
手にしたドアノブは何の変鉄も無い物に戻っていていた。
捻りを加えると、抵抗無く カチャ っという音を立てて木製の扉はスムーズに開いていく。
開いたドアの正面には、黒衣を纏った女性が腕組みをしながら立っている。
少々不機嫌そうな態度を示している彼女に軽く頭を下げた。
「師匠、お世話をかけました。仮眠室を貸していただいて有難うございます。」
そう、あのベットの持ち主は彼女だ。
俺が弟子入りしたばかりの頃は師匠の家で寝泊まりしてお世話になってい・・・た?
・・・・・・んー……、お世話してた記憶しか思い出せん。
寝起きの悪すぎる師匠を叩き起こしたり、好き嫌いの…いや、こだわりの有る師匠に食事の提供したり、修行と銘打った庭木の剪定をしたり等々。
まぁ、弟子だからなぁ、仕方ないさ。
決してコマヅカイじゃないぞ!
弟子だ、弟子。
そんな事を考えながら下げた頭に手を置かれた。
グワッと鷲掴みされ、数回グシャグシャっと撫でられた。
もう少し、優しい扱い希望…。
「今度はちゃんと落ち着いたようだな。」
穏やかな声だが、少しばかり疲れているようだ。
そんな様子を目にして、頭に甦るのは、ほんの少し前に取った自分の行動。
あの状況はシッカリと記憶に残っている。
魔力大放出!!して
↓
魔力枯渇させた為に
↓
精神状態異常を引き起こし
↓
魔力酔い状態のハイテンションに陥った。
あぁー…、フォローが大変だったんだろうな。
・・・・・・。
えっと、お疲れな様子って、もしかして俺のせいか?
いや、もしかしなくても俺のせいだろう。
そんな事を考え、少しだけ後ろめたさを感じた俺は、無意識にお愛想笑いを発動していた。
「蓮、お前何か、しょうも無い事を考えているな。」
目線を上げれば、師匠の呆れた様な顔が・・・。
「・・・。」
「私の弟子なら、そんな情けない顔をするな!!」
キツイ口調で叱咤された。
が、あまり様子の変わらない俺に仕方の無い奴だといいたげな苦笑を浮かべる。
「お前が何を気にしているのは分かっているぞ。」
俺を見る眼差しは真剣でその瞳にはカラカウような感情は一切無かった。
「魔力枯渇で迷惑を掛けたと思っているようだか、私はお前の師だ、そんな物は当たり前だ。それに魔力枯渇など魔法師ならば誰でも経験する事だぞ。気にする程の事では無い。」
ピシッ!っと丸めていた人差し指を弾いて額に打ち付けられた。
あまく見るなかれ…。
デコピンは地味に痛い!
「何時まで、その湿気た顔をしているつもりだ。優しい師匠の言葉を無駄にするつもりか?この愚かな弟子は…。」
今度はニヤッとした悪戯っ子の様な表情を浮かべた。
「部屋のドアノブに《ドライレンジ》の魔法をかける人の事を優しいとは形容しませんよ。一般的には。」
ドライレンジの魔法は、対象物に触れた者を、超音波で急激に乾燥させて発火させる。
何の防御も無く人が触れれば、あっと言う間に天国へお引っ越しするような危険な魔法だったりする。
常と変わらぬ口調で対峙すると師匠が、本当に優しげな笑顔を返してくれた。
「それも修行の一環であろう。そのお陰でお前は成長しているのだから良いではないか。仕掛けに気付けた事がその証拠だな。」
気付けなければ、俺は天国の住人になってますよ…。
瞳を閉じて腕組みをし、ウンウンと頷いていたはずの師匠は、返す言葉を聞く事もなく何時の間にか踵を返していた。
「へぇ?」
離れて行く後ろ姿を見て間抜けな声を出した俺を顔だけで振り返った師匠は真っ正面にある扉を指差す。
「いいかげん、皆が待ちくたびれているぞ、蓮。」
言外に早くしろと伝えてくる。
結局、何も言えずに話は打ち切られた。
俺は先を行く師匠を追いかけ祈りの間と言う名の仮眠室を後にする。
酷く乱された髪に気付かぬままに…。