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彩雲  作者: 秋津島 葵
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第一話 見つけたいもの―その3

 お通しと注文した飲み物が来たところで、「では」と口火を切った慶介に合わせて、全員がグラスやジョッキを手に取る。

 結衣も優子もカクテルなのだが、和香は生ビールだ。とはいえ、アルコールに強いかと言えばそうでもない。むしろどちらかと言えば弱い方なのだ。けれども和香は、ジュースのような甘いお酒よりは、ビールや日本酒、焼酎などの方が好きだった。

 男性がそんな女性をどう思うかは、和香にとってはそれほど重要ではない。せっかくそれなりのお金を払うのだから、好きなものを好きなように飲みたいのだ。


 「カンパーイ!」と言うが早いか、慶介たちは一瞬でジョッキのビールを空けた。

 目にもとまらぬその早さに、和香たちは自分のグラスに口をつけるのを忘れ、あっけに取られて見つめるしかなかった。

「あ、ごめん。つい癖で」

 固まってしまった彼女たちを見た慶介は、気まずそうに笑うとジョッキを座卓の上に戻した。彼らは、“乾杯は『杯を乾かす』と書くから乾杯をしたらまずは持っている物の中身を空けなければならない”のだと、先輩から教わっているという。

 慶介の言葉に和香たちは、顔をひきつらせながら目線を交わし合った。



 アルコールも回り、幾分打ち解けた雰囲気にはなって来たものの、和香は表面だけの笑顔を作り聞き役に徹する。

――女子だけの部屋飲みとかだったらこんなに話すのに苦労しないのに……

 優子は案外あっさりとしていたけれど、結衣は慎吾を気にしていたし、男性陣がどういうつもりでいるのかもいまいちよく分からない。だからどう振る舞ったらいいのか判らずにいるのだ。

 そうは言っても、実際には和香が身構えすぎているだけである。他の五人にこの場で恋人を作ろうだとかいう考えはほぼ皆無だ。楽しく飲めればいいとかしか思っていない。

 結衣が言っていた、

「髙橋君とどうにかなろうなんて、そんなおこがましいこと考えてないよ!ていうか、考えらんない!話できるだけで十分だもん」

 という言葉も、今の和香の頭の中からは抜け落ちている。


 結衣と慶介は元々の仲であるから会話は合うので、雅仁と慎吾ともその流れで会話を弾ませていた。いつの間にか席順も変わっており、和香が座っていた一番奥には結衣が座りその正面に慎吾が座っていた。慎吾の隣に優子が座り、その隣に和香。結衣の隣には雅仁、その隣に慶介。

 結衣と慎吾の周囲には微妙に二人の空間が出来上がりつつあるように見える。結衣が一生懸命話しているのを慎吾がのんびりと聴いている。走り高跳びをしている(いた)者同士、話題が合致するのだろう。時折顔を赤くしたり焦ったりしている結衣は、クールな見た目とは裏腹にとても可愛らしい。

 優子は人の話を聞きだすのがとても上手く、こういった場でもその実力は活かんなく発揮されている。


 そんな中、なかなか話に入るタイミングを掴めていなかった和香を気遣って話題を振ったのは雅仁だった。

「和香ちゃんは何かスポーツやるの?」

「あ、えっとね。高校の時卓球部で、今は卓球サークルに入ってるよ。たまに優子とか結衣ちゃんとか誘って大通り沿いのアミューズメントパークでもする。ね」

 遠慮がちに答えた和香に、雅仁は爽やかな笑顔を向けた。

 ね、と話を振られた優子は、

「和香って普段はのんびりしてるのに、ラケット握るとしゃきっとするのよ。私はすっごく下手なんだけど」

 と言って笑う。

「へえ。なんか二人とも印象変わるなあ。あそこのアミューズメントパークなら俺らも結構行くよ。大抵は打ちっぱなしだけど」

 少し驚いた顔をした雅仁だが、そう言うと、軽くバットを振る動作をした。

「野球の?三人で行くの?」

「うん。ま、気分転換にね。大抵は俺と新井ともう一人別の短距離のヤツだけどね。慎吾はブロック違うから練習合わないんだ」

「へえ。やっぱりスポーツ得意なんだね」

 感心したように言う和香に、雅仁は

「え、全然だよ。身体は操れるけど道具は操れなくてさ。陸上の走る系の種目やってるヤツって不器用なの多いんだ。俺なんて基本、まっすぐ走ることしかできないからね」

 照れたような焦ったような声でそう答えた。

「でもすっごく速く走れるんだから、それはそれですごいと思うよ。大学でも続けてるって言うのもかっこいいし」

 優子はそう言ってから、どうぞ、と雅仁の御猪口に日本酒を注ぐ。そうしてから、和香の方へ顔を向けた。

「あ、走ると言えば、和香は結構走ってるよね」

「そうなんだ」

「うん。ジョギング初めて半年くらい。高校の時は部活で結構走らされてたけど、引退してからは本当に何もしてなくて。私、学童クラブのお手伝いしてるから、子どもと遊ぶのに体力つけなきゃって思って、また走り出したの。今は一時間走れるようになったよ」

 意外だ、という表情をした雅仁は

「へえ。すごいね。俺は10分でもう無理だよ」

 と言うと、今度は、外から慶介が戻って来たのを見て

「あ、でも、こいつはジョック好きだよ」

 そう付け加えた。

 

 今まで席を立っていた慶介は話の前後がうまくつかめていない様子で、少しだけきょとんとしたけれども、すぐに笑顔になって言う。

「え?ああ!まあ、高校の時からのクセっていうか……」

 その言葉は少し意外だった。ジョギングなどという耐久力の必要なものを、こんなに軽い印象の彼がするものなのかと、そんな失礼なことまで思ってしまう。

 和香は、正面に座りなおした慶介に身を乗り出して訊ねた。

「短距離なのに長い距離も走るの?」

「ああ。俺は短長……、あ、短距離の中でも長めの距離を走るタイプだから。高校までは800も走ってたし」

 400mだ800mだと言われても和香にはピンとこない。体力テストの1000m走よりも少し短い距離と考えればいいのだろうか。

 そもそも、陸上競技のことを和香は詳しく知らないのだ。先ほどから、慶介の第一印象で全ての物事を考えてしまっていたと気付いた和香は、もう少し色々話を聞いてみたいと思った。


「800mは長距離?」

「ううん。800は中距離。1500もね」

「1500mは走らないの?」

「それはさすがに無理。あれは体力テストだけで十分だよ」

「そうなんだ。男子は1500mなんだっけ。私女子校だったから見たことなかったな。でも私は体力テストの1000m、好きじゃなかったけど得意だったよ。部活で走らされてたのが効いてたみたいで!」

 得意気に笑顔を作った和香は胸を張った。

 そんな彼女を見て、慶介の頬は緩む。

「そうなんだ。最近ランニングもブームだから、ちょうどいい趣味にもなりそうだね。そう言えば、部活何してたの?」

 そう訊かれて和香はほんの一瞬考えた。そうして言い淀む。

――おかしいな。さっき甲斐君に訊かれた時にはすんなり答えられたのに


 世界を相手に戦える選手がいないわけではないが、卓球という競技そのものが注目されているかと言えばそうでもない。それに輪をかけて、和香の高校には全国大会で活躍できるような運動部がたくさんあったため、卓球部は体育館の隅に追いやられながら細々と練習をしていたのだった。

 卓球自体は好きだ。それに特段マイナーな種目ではない。けれども、バスケットボールやサッカーのような華やかさは何となく無いように感じている。だから、彼らのような強い人の前でそういった話をするのは、少し憚られた気はしていた。

 そこで、雅仁とは違い派手さのある慶介の前では、特にその感情を強く抱いてしまっていたのだったと和香は気付いた。

 けれども、そんなことを今この場で考えて口ごもったところであまり意味はなく、楽しく続いている会話の流れを止めるわけにはいかないのだ。


 コンマ数秒の間にそんな結論に思い至った和香は

「卓球。地味でしょ?」

 少し自嘲気味にそう答えた。それに対して慶介はまたも優しく笑う。

「そんなことないよ。俺結構好きよ、卓球。スポーツチャンネルで試合よく観るけどさ、動きが速くて観てて楽しいんだよね」

 そうして続けられたその言葉が和香は嬉しかった。この人は分かってくれているのだと、そう思った。ずっと、「卓球って地味だけどハードなんだよ」と、ふんぞり返って言いたかったのだ。

 そんな和香は、嬉々として続ける。

「そうなの。温泉卓球とかだとポーンポーンって感じなんだけどね」

「だよな。みんな卓球のこと甘く見過ぎてんだよ。あれ本格的にやったらハードだって。それに陸上の方が多分地味だと思う。誰にでも知られてる選手ってマラソン選手くらいだし」

 弾んだ声の和香をさらに愛でるような笑顔で見つめた慶介は言った。

 けれども、その言葉を訊いた和香は顔を曇らせてしまい、

「ごめんなさい」

 と呟いて俯いた。

 その理由が分からない慶介はきょとんと首をかしげる。


 確かに自分が知っている陸上選手はマラソンランナーだけだ。それもオリンピックで金メダルを取ったような選手。自分のやっていたスポーツのことがあまり知られていないことに不満を抱いていたのだけれども、その自分も結局他のスポーツのことについては無知なのだ。

 そんな自分を恥ずかしく思った和香は、それでもその理由を慶介に話した。

 和香の言葉を聞いた慶介は、ケロッとした顔で言う。

「まあ、そんなもんだって。俺だって、大学に入って体育とかスポーツの勉強しだすまで、マジで陸上意外知らなかったからね。つーか、他の学部に入ってたらマジで陸上バカになってたと思うわ」

 最初よりもいくらかくだけた言葉遣いになったわりには、声の調子は真綿のように優しいものだった。こんなところで無駄に優しさを発揮している彼は、無自覚でそれをしているのか狙っているのか。確かに彼に魅かれる女性は多いだろうと和香は思った。


「それにしても、卓球部って走るんだな。すげー意外なんだけど。でも、そっか、あれだけハードなら体力いるよなあ」

 話題を切り替えるように言った慶介は、一口ビールを飲んだ。

「うん、うちはすごく走ったなあ。先生が走るの好きで一緒に走らされてたって言う方が正しいかもしれないけど」

 心底うんざりしたように苦笑してそう言った和香に、

「うは、そりゃ災難だったな。そうか、それで今でもジョックできるんだ。あ、根性も結構ついただろ?」

 慶介はそう言って、朗らかに笑う。

 それは、先ほどの妙に人好きのする笑顔とは全く違うものだった。声のトーンも一瞬落ち着いたものになり、和香の心の内にはホワンとした何かが広がった。


 そのせいでなのか、和香はポケっとしてしまった。そんな彼女を少し不思議そうに見た慶介は、飛んでしまった意識を引き戻させるように和香の顔を覗き込む。それに驚いた和香が身を引けば、可笑しそうにクスリと笑った。

「今度一緒に走ろうね?」

 そうして耳元で囁くように言われた和香は、不覚にも顔を真っ赤に染めてしまった。くすぐったさと恥ずかしさが、全身を巡る。

――この人、絶対分かってやってる!!

 そんなものに引っかかるのは絶対に嫌だと思った和香は、余裕たっぷりと言わんばかりの表情を無理に作ると、

「そうだね」

 と軽く言葉を添えたのだった。



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