第一話 見つけたいもの―その2
飲み会の場所は大学近くの小さな居酒屋に決まった。最近新しくできたばかりの、創作料理の居酒屋だ。
和香たちの通う大学は全国各地から学生が集まるので、一人暮らしのものが圧倒的に多い。けれどもそのわりには都市部から少々外れた地域にあり、大抵の学生は大学近くのアパートに住んでいる。大学周辺は、学生向けのアパートのみで住宅街が出来あがっていると言っても良い。
また、大学周辺にはそれと同様にいくつかの飲食店街もあり、学生向けの安くてボリュームのある定食屋が所狭しと建ち並んでいる。もちろん、客層はほとんど和香たちの通う大学の学生だ。総合大学で全学部の学生数は相当なのだが、何処かの店に入れば必ず同じ学部の誰かを見つけることができるといっても過言ではない。
和香たちが行くことにした店がある飲み屋街は、比較的落ち着いた雰囲気の店が並ぶところだ。学部生が部活動やサークルの打ち上げなどで行くよりも、大学院生や教員が数人でしっとりと飲むにふさわしい店が多い。
五月最後の土曜日。集合時間十八時の三十分前。傾きつつある太陽の光はそれでもまだまだ健在で、時折吹く風が妙な蒸し暑さを和らげてくれる。もうしばらくして梅雨に入れば、この風もじめっとした何とも不快感漂うものになるのだろう。
そんな中、一人暮らしをしている和香と結衣は、優子を飲食店街近くのバス停で待つ。普段は自宅から車で通学している優子だが、本日は酒が入るためバスでここまで来ることになっているのだ。
結衣と二人で優子を待ちながら、和香は、自分と結衣の身長差が十五センチメートルあるということを思い出した。それは今年の四月の健康診断の際に発覚したことだ。そんな二人が並んでいる姿はきっと漫才コンビにありそうなアンバランスさで、それを想像した和香は、思わず吹き出してしまった。
驚いた結衣が和香の方を見る。驚いた時の結衣は、気の強そうな顔から少し間の抜けた顔になり、それがまた彼女の魅力でもある。
気を取り直した和香は羨望の眼差しを結衣に向けながら、彼女が履いているミントグリーンのタックスカートのティアード調になっている裾をつまむ。
「結衣ちゃん似合うね、そのスカート。足が長いとひざ丈でも決まるんだなあ……」
オフホワイトのシンプルなニットと合わせて膨張色を身に纏っているにもかかわらず、すっきりとして見える結衣のスタイル。これは天から与えられた才能なのだろうと和香は思う。
和香が着ているのは、ネイビーブルーベースで小花柄がプリントされた、半袖のシフォンワンピース。ウエスト部分で切り替えられており、丈は膝より少し短めである。本当はAラインのものが欲しかったのだが、試着をしてみたところ、寸胴に見えてしまい不格好極まりなかったので、泣く泣く諦めたのだった。
「ありがと。和香ちゃんも似合ってるよ。そのワンピ。珍しく髪も気合入れたね」
にっこりと微笑んだ結衣はそう言うと、鎖骨下辺りの長さの髪の毛をサイドにふんわりとアップさせた和香の髪の毛にそっと触れる。
「だってちゃんとしないと結衣ちゃんの株が……」
褒められて少し照れながらそう言った和香にますます頬を緩めた結衣は
「ありがと。ねえ、和香ちゃんてナチュラルな茶髪よね?いいなあ」
そう付け加えた。
和香の茶色い地毛は今でこそ目立たない色だが、校則の厳しかった高校時代は目立って仕方がなく、黒染めをしようかどうか本気で悩んでいた。カラーリングの色と地毛の色はよく見れば何となく違いがわかるため、教師から咎められることはなかったし、友達から何かを言われることもなかった。それでも、自分の心の中では、学校の中で自分だけ浮いているような気がずっとしていた。
そんな話を結衣にすれば
「和香ちゃんは色々気にしすぎなのよ。大丈夫だって。自分が気にするほど、人は大して気にしてないものなんだから」
そうあっさりと言われてしまった。小心者だと思っていた結衣よりも、実は自分の方が小心者なのかもしれないと、今さらながらに和香は気付いた。
しばらくしてバスから降りてきた優子は、ブラック系とホワイトのチェック柄のシフォンブラウスに、ベージュのパンツ姿だった。殆ど素顔に近い化粧も普段と変わらない。優子にはこれから合コンだという雰囲気は一切なかった。
和香が訊ねると、きょとんとした顔で優子が答える。
「え?だって話しながら飲むだけでしょ?どうにかなるなんて考えてないけど……」
けれども次には焦った色を顔に浮かべてうろたえた。
「あ!でも結衣の顔を立てる為にももっとちゃんとしてきた方が良かった!?」
「ああ。優子ならなんでも大丈夫よ」
結衣はそう言って、優子の言葉を軽く笑い飛ばした。
自転車で行くのが早くて楽なのだが、足のない優子に合わせて徒歩で目的地へ向かう。他愛ない話をしながら三人で歩いていると、不意に結衣がカバンの中を触りだした。
「はいはい」
と携帯電話の着信に出た結衣の声は、いつも和香たちとしゃべる声とは違い、幾分ぶっきらぼうなもの。それに驚いた和香と優子は、顔を見合わせた。
「あ、うん。もうすぐ着くよ。大丈夫、『囲炉裏屋』の反対側のとこでしょ?地下入ってけばいいんだよね?オッケー」
通話を終えた結衣に、和香は訊く。
「結衣ちゃん、今の電話って同級生の人から?新井君、だっけ」
「うん」
「その人のこと嫌いなの?」
和香の質問に目を丸くした結衣は、ごまかすように笑う。
「ああ。そういう風に感じた?まずかったかな……。そんなことないんだよ。陸上選手としてはすごく尊敬してるの。ただ、男としてはちょっとなって思ってるから、飲み会とかそういう時になると、ちょっと態度悪くなっちゃうのかも」
そんな風になりながらも友達でいるのには何か理由があるのかと、和香は不思議に思った。男女の関係を越えたものが二人にはあるのだろうか。
小さなビルとビルの間に挟まれた狭い階段を下りていくと、オレンジ色のスポットライトでふんわりと照らされた扉が見えた。それを開けた先に広がったのは、「お洒落で隠れ家的」といううたい文句のわりにはごく普通の個室のある居酒屋だった。元気な声で和香たちを迎えた店員は、多分、同じ大学の学生だ。
「新井で予約してるんですけど……」
結衣が言うと、「こちらです」と驚くほどの笑顔で案内される。
三人が案内された先は、小上がりの個室だった。結衣は木枠に曇りガラスがはめ込まれた引き戸をそっと開ける。その奥には掘りごたつ式の座卓があり、右側に男性が三人座っていた。
“三人とも真面目そうな好青年”というのが和香の第一印象だった。今まで和香が見てきた男子大学生の中では一番落ち着いて見えた。
けれども、纏っている空気は穏やかであるのに対し、目つきはどこか鋭く、何かを見据えているような、そんなものだった。彼らの中には、尖っているものと丸いものが混在している。スポーツマンというのは、やはりどこか独特の雰囲気を持っているものだと思った。
「ちょっと待たせちゃったね、ごめん」
という結衣の言葉に
「ううん。大丈夫。俺らがちょっと張り切り過ぎただけ」
と、一番手前に座っていた男子が魅力的な笑顔で答えた。彼が新井君なのだろうが、和香は何となく笑顔に胡散臭さを感じた。
結衣は和香と優子を奥へと促す。優子が一番奥に座りその隣に和香、そして、出入り口に一番近い位置に結衣が座った。結衣と優子に挟まれてしまった和香は、またも“デコボコデコ”の図を頭の中で想像してしまい、その可笑しさに顔が崩れそうなのを隠すのに必死だった。
集まったメンバーは、全部で六人だった。
中心になっているのは、今回の飲み会の橋渡し役である結衣と、彼女の中学高校時代の同級生の新井慶介。結衣は“アラケー”と呼んでいる。
彼については、結衣から事前に「絶対に隙を見せてはいけない」と忠告をされていた。慶介の専門はロングスプリントで、一年次のうちからリレーだけではなく400mでも全日本インカレに出場していた、チーム内では次期エースなのだが、いかんせん女性関係があまり好ましくないと言う。仲間内で色恋沙汰に走ることはないので、結衣が間に入っているうちは変な動きはしてこないが、それでも「念のため」ということだった。
慶介が連れてきた友達二人のうち、ショートスプリントが専門の甲斐雅仁は声のトーンが明るく気さくな印象を受けた。何より笑顔が爽やかだ。これぞスポーツマンという言葉がしっくりくる。慶介も一見すると真面目な好青年なのではあるが、しゃべり方や行動などからにじみ出ている雰囲気にはやはり軽さが見てとれる。確かに、「絶対に隙を見せるな」という結衣の言葉は納得できる。
対して、走り高跳びの髙橋慎吾は、二人に比べて少々おっとりしている印象を受けた。しかし、すらりとした長身の彼は、結衣と並んだら恐ろしく画になりそうだ。まさに、モデル同士のカップルのようになるだろう。
慎吾に関しては、結衣は前々から「髙橋君は高校の時からの憧れだ」と明言していた。男性としては警戒している慶介からの誘いを受けたのも、大見えを切った手前というよりは、「慎吾と話すことができるから」という理由が一番大きいのではないかと、和香は踏んでいる。
三人とも自己紹介には陸上の話を組みこんでいなかったが、競技成績は高く、慶介は400mで、雅仁は100mと200mで、慎吾は走高跳で、それぞれ全日本インカレの参加標準記録を切っているということを結衣から事前に聞いていた。
和香は、
――この人たちはすごい人なんだ……
と、一人気後れしそうになっていた。
正確には、全日本インカレの参加標準記録には、A標準とB標準があります。