第5話「見えないサイン」
違和感は、ほんの些細なものだった。
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「ミネル、大丈夫?」
昼休憩の前、サヤはそう声をかけた。
「え?ああ、うん……ちょっと疲れてるだけ」
ミネルは、いつも通りの柔らかい笑顔を浮かべる。
でも。
「ほんとに?」
「大丈夫だよ」
「……無理してない?」
「大丈夫だって。ほら、午後もあるし」
(昔から、こういうときほど平気な顔をする)
立ち上がる動きが、ほんの少しだけ遅い。ほんの一瞬だけ、息が浅くなる。
――なんか、変。
理由は分からない。でも、胸の奥がざわついた。
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「サヤ、次行くよ」
カイヤの声が飛ぶ。
「はい!」
考えている余裕はない。目の前の仕事をこなすだけで精一杯だ。
――それでも、さっきの違和感は頭の片隅に残り続けていた。
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ナースステーション。書類とモニター音が静かに重なる。
そのとき。
「……ねえ」
ミネルの小さな声。
「どうしたの?」
「あの人……ちょっと苦しそうじゃない?」
視線の先。開いた病室の奥、ベッドの上の患者。
穏やかに眠っているようにしか見えない。
「え……?」
サヤも目を凝らす。けれど、はっきりとは分からない。
「バイタルは安定してるけど……なんか、違和感」
ミネルの声は、自信がなさそうで、それでも確かだった。
すぐ近くで、紙のめくれる音。
「……呼吸、浅い」
ラーナだった。
「え?」
「数値は問題ない。でも、リズムが不自然」
淡々とした声。けれど、その目は鋭く患者を見ている。
「でも、先生は様子見って……」
ミネルが戸惑う。
ほんの一瞬の沈黙。
(……どうする?)
確信はない。でも――
(でも、このまま放っておきたくない)
「……見に行こう」
気づけば、口にしていた。
「え?」
「何もなかったら、それでいいし。でも、気になるなら……放っておきたくない」
ラーナが、わずかに目を細める。
「……非効率」
「うん、そうかも。でも、それで助かるならいい」
一瞬の沈黙。
「……行く」
ラーナが立ち上がった。
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三人で病室へ向かう。
廊下は静かだった――そのはずだった。
病室の前。そこに、一人の男が立っていた。
モップの動きは止まっていなかったが、視線だけはすべてを見ていた。
「……グレーテルさん?」
ゆっくりと振り返る。
「――あと5分で落ちる。見逃すな」
低い声。
「え……?」
「表面だけ見てると分からん」
それだけ言って、
「……仕事しろ」
静かに通り過ぎる。
沈黙。
「……やっぱり、変」
ミネルが小さく呟く。
「……確認する」
ラーナの声は、もう迷っていなかった。
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処置はすぐに行われた。再測定、観察強化、医師への報告。
そして――
「……やっぱり」
数値が、わずかに崩れ始める。
「酸素、落ちかけてる」
対応は早かった。大事には至らない。けれど。
「……ギリギリだったわね」
振り返ると、メイが立っていた。
「はい……」
「誰が気づいたの?」
一瞬の沈黙。
「……ミネルです」
ラーナが言う。
「え?」
ミネルが戸惑う。
「違うよ、ラーナだよ」
「いや、サヤが――」
三人の声が、少しだけ重なる。
メイはそのやり取りを見て、
「……いいチームね」
それだけ言って立ち去った。
少しだけ照れくさい空気が残る。
「……よかった」
ミネルが小さく息を吐く。
その横顔を見て、サヤはまた少し引っかかった。
(……やっぱり、無理してる気がする)
でも、今は何も言わなかった。
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夜。寮の部屋。
「……ねえ、ラーナ」
「……」
「今日さ。グレーテルさん、なんで分かったんだろうね」
ラーナの手が、ほんのわずかに止まる。
「……知らない」
「でもさ、見ただけであれって……」
「……サヤ」
「ん?」
「あの人……関わりすぎない方がいい」
「え?」
ほんの一瞬、言葉を選ぶような間。
でも、それ以上は続かなかった。
ラーナはそのままベッドに横になる。
「ラーナ?」
「……Zzz」
「寝てる!?」
静かな部屋。
でも。
(関わらないほうがいいって……どういうこと?)
(……でも、あの人は)
(どうして、あそこまで分かるんだろう)
その言葉が、胸に残る。
そしてもうひとつ。
(ミネル、本当に大丈夫かな……)
(あんな顔、久しぶりに見た気がする)
小さな不安が、消えずに残った。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
少しずつ、関係も空気も変わってきました。
次回もゆるく更新していきます◎




