第47話「止まらない先へ」
――二年後。
朝の病棟。
変わらないはずの景色は、どこか少しだけ違って見えた。
「ルート確保済み、バイタル安定してます」
「このまま経過観察でいけると思います」
サヤの声が、はっきりと通る。
迷いがない。
必要な情報だけを、正確に落とす。
「……いい判断だな」
隣にいた医師が、ぽつりと呟く。
「ヘンリー先生いなくても回るようになってきたな」
軽く笑われる。
少し前なら、引っかかっていた言葉。
でも今は。
「……そうですね」
素直に頷ける。
(あの人がいなくても、じゃない)
(あの人の隣にいたから、だ)
その違いを、ちゃんと分かっている。
⸻
昼休憩。
スマホに一件のメッセージ。
『進級した。まだやれる』
短い文。
差出人はラーナ。
(……ほんと、ラーナっぽい)
思わず笑う。
添付された写真。
白衣ではない、学生の姿。
でも。
(変わってない)
きっと、あのまま進んでいる。
⸻
「ねえサヤ」
後ろから、柔らかい声。
「今度さ、ちょっといい?」
振り返ると、ミネルがいた。
「結婚式、来てほしいなって」
相変わらず、ゆるい調子。
でも。
「ちゃんと招待するからね」
少しだけ、目が鋭い。
「……おめでとう」
「ありがとう」
ふわっと笑う。
「でも仕事は続けるよ」
「やめる理由、ないし」
さらっと言う。
(……ほんと、この人も)
ちゃんと、自分で選んでる。
⸻
夜。
ヘンリーの家。
ドアを開けると、変わらない空気がそこにある。
いつも通り、2人並んでソファに座っている。
「今日、褒められました」
サヤがぽつりと言う。
「いい判断だって」
少しだけ、得意げに。
ヘンリーは、横目で見る。
「……ああ」
それだけ。
「……それだけですか?」
「何を期待してる」
「もうちょっと、こう……」
言いかけて、やめる。
ヘンリーが、少しだけ息を吐く。
「……見てた」
「え?」
「お前の判断」
一拍。
「悪くない」
短い。
でも。
(……ちゃんと見てた)
それだけで、胸が少しだけ熱くなる。
「……まだ甘いところはある」
「やっぱり」
思わず笑う。
「でも」
「前よりは、使える」
ほんの少しだけ、口元が緩んでいる。
「……それ、褒めてます?」
「褒めてる」
即答だった。
⸻
ふと、視線が、自然と奥へ向く。
――何もいない場所。
前は、そこにいた。
(……エイル)
何もないのに。
そこだけ、少しだけ空気が残っている気がする。
ソファに座っている。
距離は、昔と同じ。
テーブルの上。
置かれたままのカップ。
ふと、サヤが小さく笑う。
「ここ、よくいましたよね」
「ああ」
「膝の上」
一拍。
「……あったな」
ヘンリーが短く答える。
「重かったです」
「文句言うな」
「言ってないです」
少しだけ、空気が柔らぐ。
沈黙。
でも、居心地は悪くない。
サヤが、ぽつりと落とす。
「……あのとき」
「私、ちゃんと触れてよかったなって思ってます」
ヘンリーの視線が、わずかに動く。
「……エイル」
名前を出すのは、久しぶりだった。
少しの間。
ヘンリーが、ゆっくり口を開く。
「……あいつがいなかったら」
一拍。
「俺は、戻ってない」
短い言葉。
でも、それだけで十分だった。
「ノアのときも」
「その後も」
「……全部、見てた」
視線は、あの場所のまま。
もう、いない場所。
サヤは、何も言わない。
ただ、少しだけ近づく。
肩が触れる。
昔と同じ距離。
「……最後」
ヘンリーが、ぽつりと続ける。
「静かだった」
一拍。
「騒ぐやつだったのに」
ほんの少しだけ、笑う。
「……ちゃんと、終わらせていった」
それは。
ノアと同じ言い方だった。
サヤは、ゆっくり息を吐く。
「……見てますよ」
「たぶん」
小さく、柔らかく。
「今のヘンリーさん」
一拍。
「ちゃんと進んでるか」
ヘンリーは何も言わない。
でも。
ほんの少しだけ、力が抜ける。
⸻
そのとき。
ふっと、風が通る。
窓は閉まっているのに。
カーテンが、わずかに揺れる。
「……?」
サヤが視線を向ける。
何もいない。
でも。
一瞬だけ。
そこに“いた気がした”。
ヘンリーが、小さく息を吐く。
「……うるさいやつだな」
独り言みたいに。
サヤが、少しだけ笑う。
⸻
静かな夜。
でも。
もう、空白ではない。
ヘンリーが、立ち上がる。
「送る」
「……ここからですか?」
「文句あるか」
「ないです」
即答だった。
⸻
ドアが閉まる。
部屋には、もう誰もいない。
それでも。
残っているものは、確かにあった。
――全部、繋がったまま。
⸻
家の外。夜も深まっている。
並んで歩く。
静かな道。
昔と同じ距離。
でも、少し違う。
少しの沈黙。
夜の空気が、ゆっくり流れる。
ヘンリーが、ふと視線を落とす。
「……サヤ」
名前を呼ばれる。
「はい」
「お前、今いくつだ」
「……二十八ですけど」
一拍。
「……そうか」
それだけ言って、少しだけ笑う。
「なんですか、その反応」
「別に」
軽く流す。
でも。
「……同じだな」
「え?」
「俺が、辞めたときと」
その言葉の意味が、ゆっくり落ちてくる。
サヤの動きが止まる。
その意味を、理解する。
ヘンリーが、一歩近づく。
「逃げるか?」
「……え?」
「今なら、まだ間に合う」
低い声。
「俺の横から」
「離れるなら」
静かに落ちる言葉。
サヤは、ほんの一瞬だけ目を見開いて。
すぐに、笑った。
「……何言ってるんですか」
一歩、近づく。
「今さらですよ」
逃げる気なんて、最初からない。
ヘンリーは、少しだけ目を細める。
「……そうか」
そのまま、手を伸ばす。
自然に。
当たり前みたいに。
サヤの手を、軽く取る。
「……じゃあ」
一拍。
「この先も」
ほんの少しだけ、言葉を選ぶ間。
「――俺の横にいろ」
サヤの呼吸が、止まる。
「……一生」
小さく、付け足される。
(……それって)
「――逃げるなよ」
言葉にしなくても、分かる。
「……はい」
小さく、頷く。
⸻
手は、離れないまま。
夜は、静かで。
でも、もう。
あの頃みたいに、止まることはない。
隣にいる。
それだけで、進める。
振り返る必要もない。
前に進む理由が、ここにあるから。
――止まらない先へ。
二人で、進んでいく。
ご愛読ありがとうございました♡
今後もたまに番外編など書ければなと思っています。
また、次回作に関するお知らせを活動報告に載せましたのでぜひご確認ください!




