第31話「変わる視線」
――医局。
「サヤ、あの人と付き合った?」
「……えっ?!」
ラーナの指摘に、思わず声が裏返る。
ラーナはカルテを見ながら、特に驚いた様子もない。
「2人見てたら普通にわかる」
「……そんなに分かりやすいかな?」
「……他の人は知らないけど」
「先生をよく見てる人なら分かるかもね」
その言葉が、妙に胸に残る。
(そんなふうに見えてるんだ)
自分では隠しているつもりだったものが、ほんの少しだけ揺らぐ。
「……私には、無理だけど」
「え?」
「なんでもない」
(……いや)
(まだ、無理なだけ)
ラーナは視線を落とす。
(……気づいてない)
ほんのわずかに、息を吐いた。
⸻
今年も新人看護師が入ってくる時期になった。
サヤたちは2年目となり、後輩ができる。
新人看護師たちの間では専ら話題の医者がいた。
「ねえ、あの先生かっこよくない?」
「ちょっと怖いけど、逆にいいよね」
「ヘンリー先生って彼女いるのかな?」
興味はすぐに一点に集まる。
積極的な新人が、ヘンリーに近づく。
「ヘンリー先生って、彼女いるんですか?」
「……さぁな」
「えー!教えてくださいよ!」
「……仕事しろ」
「はーい……」
冷たいわけじゃない。
ただ淡々としているだけ。
それが逆に印象を強くしていく。
「なんかあれ、かっこよくない?」
「距離感ちょうどいいよね」
「普通に好きかも」
そんな声が、医局のどこかで増えていく。
その様子を見ながら、サヤはどこか落ち着かない。
(あの人、そう見えるんだ)
いつも隣にいる時とは違う顔。
でも、それが“本来の姿”なのかもしれないと思うと、少しだけ胸がざわつく。
⸻
その夜。
いつもの家。
ココアの湯気がゆっくり揺れている。
「新人の子たちに人気みたいですよ、ヘンリー先生」
「……そうか」
淡々とした返事。
「気に食わないのか?」
「そ、そんなこと……あるかも、です」
「ほう?」
少し間を置いてから、静かに言う。
「それをいうなら」
「お前もだろ」
「え?」
「若いやつらがお前のこと見てる」
「無駄に話しかけようとするのを防ぐのも大変だ」
⸻
サヤの脳裏に、昼間の光景がよぎる。
若い医師がこちらに向かってくる
「サヤさ……」
「サヤ」
その前にヘンリーがサヤを呼ぶ。
「……はいっ」
「この患者の記録」
何気ないようで、確かに“間に入っていた”呼び方。
⸻
「……もしかして、今日、守ってくれてました?」
「……さぁな」
「じゃあ……バレないようにしてるんですか」
「厄介だからな」
その言葉に、少しだけ現実が混ざる。
「……バラすか?」
「えっ、それは無理です!」
即答する。
「周りの人たちの目が怖いです」
「なら今のままでいい」
短く、当然のように。
⸻
翌朝。
医局にはいつも通り人がいる。
新人たちは、サヤとヘンリーについて噂していた。
「ねえ、やっぱりあの2人ちょっと雰囲気違くない?」
「でも付き合ってるとかはないでしょ、歳の差ありすぎ」
「でもさ、なんか距離近いんだよね……」
そのとき。
ヘンリーがサヤの隣に立つ。
ほんの一歩だけ、距離を詰める。
「……っ」
サヤの息が一瞬詰まる。
「……?」
新人たちの空気が一瞬だけ変わる。
ヘンリーは何も言わない。
ただ一度だけ視線を動かす。
それだけで十分だった。
(何も言ってないのに)
(分かる)
「……えっ」
小さなざわめき。
サヤは息を止めたまま、横を見ることもできない。
(やっぱり……見られてる)
でも、ヘンリーは何も変わらない。
ただそこにいるだけだった。
⸻
医局は、またいつものように動き出す。
誰もはっきりとは言わない。
でも。
サヤとヘンリーを見る視線だけが、
ほんの少しだけ、変わっていた。




