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過信と警告

街の喧騒が遠ざかり、鬱蒼うっそうとした木々が視界を覆い始める。 『深緑の樹海』。そこは、冒険者ギルドが「Cランク以上推奨」と定めている危険地帯だ。


湿った土の匂いに混じって、どこか錆びついたような異臭が漂う。レンは背負った大荷物の重みに耐えながら、周囲の気配に神経を尖らせていた。


「おいレン、遅いぞ! さっさと歩け!」


前方を歩くリーダーのゲイルが、苛立った声を上げる。 彼を含めた『暁の牙』のメンバーたちは、まるでハイキングにでも来たかのように足取りが軽い。周囲の警戒など、微塵もしていない様子だった。


「すみません、すぐに……」


レンは息を整えながら足を速めるが、視線は地面と木々に釘付けになっていた。 (おかしい……。浅い階層なのに、小動物の気配がまったくない)


森が静かすぎる。それは、このエリアに「すべての小動物が恐れて逃げ出すような捕食者」がいることを示唆していた。 レンはふと足を止め、一本の巨木に目を凝らした。


「……これは」


幹の高さ2メートルほどの位置に、生々しい爪痕が残されている。樹皮が深々と抉られ、そこからまだ新しい樹液が滲み出していた。 3本の爪。爪の間隔。そして、抉られた深さ。 レンの脳内で、知識と現状が結びつく。


「ゲイルさん! 止まってください!」


レンの叫びに、パーティ全員が不機嫌そうに振り返った。


「あぁ? なんだよ急に大声出して」 「痕跡トレースを見つけました。見てください、この爪痕。それに、あっちの藪には真新しいフンもあります」


レンは必死に説明した。 「この高さに爪痕を残せるのは、体長3メートルを超える熊型魔物だけです。しかも、フンからは強い獣臭がする。まだ近くにいます」


レンは言葉を区切り、ゲイルの目を真っ直ぐに見据えた。


「これは『レッドベア』の特徴です。Bランク相当の魔物だ。今の僕たちの装備じゃ歯が立たない。……引き返すべきです」


沈黙が流れた。 森の奥から風が吹き抜け、木々がザワザワと音を立てる。 レンの警告は、論理的かつ的確なものだった。少なくとも、命を預かるリーダーならば、足を止めて検討すべき情報だ。


しかし、ゲイルの口から漏れたのは、嘲笑だった。


「プッ……アハハハハ!」


ゲイルが腹を抱えて笑い出すと、他のメンバーもつられたように笑った。


「おいおい聞いたか? 『レッドベア』だとよ!」 「ビビりすぎだろ、レン。これだからGランクは」


ゲイルはニヤニヤしながらレンに近づくと、その肩を乱暴に小突いた。


「いいか、レン。俺たちはもうすぐCランクになるパーティだ。熊の一匹や二匹、この『暁の剣』で斬り伏せてやるよ。功績スコア稼ぎにはちょうどいい獲物だ」 「でも、相手はBランク相当なんですよ!? Cランク昇格試験だって、もっと安全な相手を選びます! 死にに行くようなものです!」 「うるせえな!」


ドガッ、という鈍い音と共に、レンは地面に転がった。ゲイルに腹を蹴り上げられたのだ。


「ぐっ……」 「臆病風に吹かれたか? 荷物持ち風情が、一丁前に意見してんじゃねえよ」


ゲイルは冷ややかな目でレンを見下ろした。 そこには、仲間を心配する感情など微塵もない。あるのは、自分の武勇伝を邪魔されたという不快感だけだった。


「立て。置いていくぞ」


背を向けて歩き出す仲間たち。 レンは泥にまみれた手を握りしめ、痛む腹をさすりながら立ち上がった。


(……ダメだ。言葉が通じない)


恐怖で背筋が凍る感覚。 レンのスキル『固定』が、本能的に「何か」を求めて疼くような感覚があった。 この先に待っているのは栄光ではない。 ただの、理不尽な暴力と死だ。


それでも、レンには彼らに付いていく以外の選択肢がなかった。


森の奥。 暗闇の中から、一対の赤い瞳が、愚かな獲物たちをじっと見つめていることに、レン以外は誰も気づいていなかった。

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