荷物持ちのレン
「――『暁の牙』の次期Cランク昇格に、乾杯ッ!」
木製のジョッキがぶつかり合う音が、冒険者ギルド『銀の羅針盤』の酒場に響き渡る。 エールが泡を吹きこぼし、脂の乗った肉料理の匂いが充満するその場所は、今日の依頼を終えた冒険者たちの熱気でむせ返るようだった。
そんな喧騒の只中で、俺――レンは一人、床に膝をついていた。
「おいレン、エールがこぼれたぞ。早く拭けよ」
頭上から降ってきたのは、嘲笑を含んだ男の声だ。 見上げれば、金髪をオールバックにした大柄な剣士、ゲイルがニヤニヤと俺を見下ろしている。俺が所属するパーティ『暁の牙』のリーダーだ。
「……はい、今すぐ」
俺は反論を飲み込み、腰に下げていた雑巾で床を拭く。 周囲のテーブルから、クスクスという忍び笑いが漏れてくるのが聞こえた。
「見ろよあれ。万年荷物持ち(ポーター)のレンだ」 「ああ、『固定』とかいうゴミスキルの?」 「コップが倒れないようにするしか能がないんだろ? 冒険者じゃなくて大道芸人になればいいのにな」
遠慮のない陰口が突き刺さる。 俺のユニークスキル『固定』。 対象をその場に固定するという能力だが、今の俺の魔力では、せいぜい「揺れるコップを押さえる」とか「紙が風で飛ばないようにする」程度の力しか発揮できない。 戦闘には全く役に立たない、正真正銘のハズレスキルだ。
「おい、手が止まってるぞ」
不意に、脇腹を革のブーツで蹴り上げられた。 「ぐっ……!」 「俺の剣にもエールが跳ねた。その汚ねえ服でいいから拭いとけ。どうせお前自身より、この剣の方が価値があるんだからな」
ゲイルはそう言って、鞘に収まった剣を俺の目の前に突き出す。 悔しさで奥歯が軋んだ。 けれど、Gランクの俺を雇ってくれるパーティは彼らしかいない。生きるためには、頭を下げるしかなかった。
「……わかり、ました」
俺は黙って剣についた雫を拭き取った。 ゲイルは鼻で笑うと、再び仲間たちの輪に戻っていった。
◇
宴会が続く中、俺は酒場の隅にある荷造りスペースで、明日の遠征準備を進めていた。 『暁の牙』のメンバー四人分の装備、食料、水、予備の武器、そして大量のポーション。 すべて合わせれば百キロ近い重量になる。それを、俺一人で背負うのだ。
巨大なリュックサックに荷物を詰め込みながら、俺はそっと右手をかざした。
「――『固定』」
指先に微かな魔力が集まる。 俺はリュックの中で重なり合うポーション瓶同士を、わずかな接点で『固定』した。 こうすることで、激しく走っても瓶同士がぶつかって割れることはないし、カチャカチャという音も鳴らない。 さらに、荷物の重心がブレないようにリュックの底と中身を『固定』する。
地味だ。あまりにも地味すぎる作業。 けれど、こうして少しでも負担を減らさなければ、非力な俺はこの荷物を背負って歩くことすらできない。
「ふう……準備完了、と」
額の汗を拭ったその時だった。
「レン君」
鈴を転がすような声に、顔を上げる。 そこに立っていたのは、亜麻色の髪を緩く編んだギルドの受付嬢、ルナさんだった。 彼女は心配そうに眉を下げ、俺の膨れ上がったリュックを見つめている。
「また、そんなに持たされるの? これじゃあ規定重量を大幅に超えてるわよ」 「あはは……まあ、いつものことですから」 「笑い事じゃないわ。レン君、本当に『暁の牙』についていく気? あの人たち、最近ちょっと功を焦ってるって噂よ」
ルナさんの瞳には、真剣な懸念の色があった。 彼女はこのギルドで唯一、俺を「ゴミ」扱いせず、対等に接してくれる人だ。
「大丈夫ですよ。僕にはこれしかありませんから」 「……レン君の荷造りは、芸術的よ」
ルナさんは、俺が『固定』で整えた荷物を指先で撫でた。 逆さにしても中身が落ちないほど完璧に計算されたパッキング。それに気づいてくれるのは、世界で彼女だけだ。
「その丁寧さと慎重さは、いつかきっと報われる日が来るわ。だから……死なないでね」 「はい。ありがとうございます、ルナさん」
彼女の言葉が、冷え切った胸にじんわりと染み渡る。 もう少しだけ、頑張れる気がした。 ――その時はまだ、そう思っていたのだ。
◇
翌朝。 街の出口に集まった『暁の牙』のメンバーを見て、俺は息を呑んだ。
「ゲ、ゲイルさん……本気ですか?」
彼が広げた地図。その指先が示していたのは、初心者が近づくべきではない危険地帯だった。
「ああ。今日は『深緑の樹海』へ行く」
俺の背筋に冷たいものが走る。 「樹海って……あそこは推奨レベルが平均Cランク以上ですよ!? 今の僕たちの装備じゃ危険すぎます!」 「うるせえな、臆病風に吹かれたか?」
ゲイルは苛ただしげに舌打ちをした。 他のメンバーも、「ビビってんじゃねえよ」「楽勝だって」と楽観的な声を上げる。
「次の査定までにデカい獲物を狩らなきゃなんねえんだ。ゴブリン退治なんざやってられるか」 「でも、もしBランク相当の魔物が出たら……!」 「そのための『荷物持ち』だろうが!」
ドンッ、と胸を突き飛ばされる。 よろけた俺を、巨大なリュックの重みが地面へと引きずり込んだ。
「いいか、お前は余計な口を叩かずに、俺たちの後ろをついてくればいいんだ。せいぜい、俺たちの足元を照らすランプ代わりにな」
ゲイルの目は、獲物を狙う猛獣のように血走っていた。 誰も俺の警告など聞いていない。 嫌な予感がする。 腹の底が冷えるような、死の予感が。 それでも俺は、重すぎる荷物を背負い直し、彼らの背中を追うしかなかった。
それが、地獄への片道切符だとも知らずに。




