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ⅰ 謎の客

 片田舎の小さな宿屋に来る客はそう多くない。


 夏の終わり、その辺鄙な宿屋に来たのは既に白髪の混じった壮年の男だった。


 シンプルなデザインだが仕立てのいい黒いローブに身を包んだその男は、ぱっと見はただの旅人なのだが、彼を目立たせていたのはそのガタイの良さ。

 相当長い間鍛錬を積み重ねないと、柔らかく厚みがある筋肉で覆われた体と、その立ち居振る舞いにはならないだろう。


 宿屋の看板娘であるミーシャは男性の筋肉のつき方なぞ全然詳しくはないが、そのミーシャでも彼のガタイの良さには少し驚いた。


「ジークフリートだ。この宿にひと月ほど居させてほしい」

「ひと月ですね。銅貨一枚で食事がつけられますが」

「それも頼みたいな」


 これで足りるだろうか、とジークフリートが差し出してきた袋の重さに驚く。

 ずっしりと重みで弛んでいる朝袋の中には銀貨が詰まっていて、一月どころか半年でも滞在できそうだ。


「その半分の半分で問題ありませんよ。あとお客様、失礼ですが旅の途中なら大金を持っていることを簡単に教えると危険です。お気をつけて」

「そうなのか。世間知らずで済まない。今朝王都を発ったばかりで」


 今朝王都を発ったばかり?


 早馬でも二日はかかるのに、と驚いた顔を隠しきれていなかったのだろう。


 ジークフリートと名乗った男は苦笑した。


「私の馬はケンと言うんだが、もう10年も連れ添っている愛馬で優秀な馬なんだ。彼に乗れば国境にも三日で着く。食事なんだが、ケンにあげる人参も一本つけてくれると嬉しい」

「かしこまりました、ジークフリート様」

「ジークでいいよ。それじゃあひと月頼む」


 そう言って帽子のつばをあげたジークに思わずミーシャはごくりと唾を飲んだ。


 青い目に凛々しい眉毛、シワが目立つが整った顔立ち。


 これは若い頃は相当な美丈夫だっただろうに、妻も帯同せずに一人旅とは訳ありだろうか。


 ゲスな勘繰りをしてしまう頭を振ってジークに鍵を渡すと、ジークはローブを翻して廊下の奥に消えた。


 ガシャン、とジークが歩くたびに足音がするのは彼の革の編み上げブーツに飾られている金具が音を立てるからだろう。

 背筋はピシッと伸びており、眼光は鋭い。


 その姿はまるで────昔王都に観光に行った際に見た王立騎士団のパレードで先頭に立ちながら民衆の黄色い声を受けて微笑む、()()騎士団長のようだった。


「まさかね」


 その騎士団長も60になり先月騎士団を引退したという。


 様々な伝説を残した彼を惜しみ、新聞の各紙が騒ぎ立てていたことも記憶に新しい。


「まさか、まさかだよね」


 あの時に差し出された麻袋に、王立騎士団の紋章である双頭の黒鷲が見えたのは気のせいだろう。


 田舎の夜は早い。すでに窓の外はぬばたまの闇だった。

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