すれ違いの予感
親指と人差し指の先をくっつけて作った丸に張った氷を覗く。
雪女の亜人・雪見マトイのちょっとした特技である”氷の望遠鏡”で覗いた先には、美しい黒髪を靡かせる女がひとり立っていた。
さわやかに頭を揺らす花壇の花と、彼女の長い黒い糸。彼女がそこに一人立っているだけで、なんだか絵画のような。まさに画になるとはこのことだろう。マトイが息を呑んだ、まさにその瞬間だった。
――黒髪の彼女が、ふと顔をこちらに向けた。
教室の窓の、さらにその奥。見えているはずのない距離なのに、不意に目が合ったような錯覚。氷越しに覗くその瞳は、まるで鏡のように冷たく、真っ直ぐにマトイを射抜いてくる。
(……いま……目、合った?)
マトイが思わず望遠鏡を外したのと、氷がじゅわりと溶け出したのはほぼ同時だった。
そんなマトイの動揺もよそに、机に突っ伏した竜子が深い息を吐き出した。
「園崎百合子さん……転校生なんだって」
「……この時期に転校してくるなんて珍しいですね」
「ねー……それなのに、もういろんなお友達がいるんだって。陽介もその一人」
友達にならないでほしいなんて、言うつもりはない。友達を作る事はいいことだし、それだけ交友も視野も広がる。でも、彼女の隣には常に陽介が居る。それが不安で仕方が無いのだ。……現に彼女の後に続いて、陽介や穂積がきちゃったし。
一体、何を話しているんだろう。
穂積が何かを話して、陽介が笑い、転校生も笑っている。窓から覗いてみえる光景は和やかで、仲睦まじい。途中でマトチャは氷の望遠鏡で穂積を見てしまったのか、ぢゅわ!とまた肩あたりが熱を上げて溶けていたが、私はその様子を眺め続ける事はできなかった。
「まぁまぁ、陽介なら大丈夫だって。ほれ、一口あげるから元気だしなって」
私の隣で、呑気なチヒロ。
チヒロはいつだってマイペースだ。何か先を見据えてそうなその言葉に、シャグっと響く氷菓子を食べる音。冷たい水色の棒アイスを食べる様子をボンヤリ見上げると、口元にアイスが向けられて一口頂くことにした。
口の中でホロっと崩れる氷菓子のヒンヤリとした冷たさと、後から続く控えめな甘さ。それは今ある熱を冷ましてくれるようで、チヒロの慰めに甘えるように尋ねた。
「本当?」
――しかし、チヒロはアッサリと言いきった。
「いやー、わかんないけどさ」
あんまりにもスッパリ言うものだから、私の身体は一瞬宇宙に漂っていたと思う。
なんで?いまこういう瞬間って、やさしく慰めてくれるものじゃないの?そんなにスッパリと言いきっちゃうものなの?
宇宙から一転、ズバっと体を切られたような気がして体をもう一度倒すと、チヒロはパチパチと瞬いたあと、またアイスをシャグッと齧りながら言った。
「だって、一緒に居るからって好きとは限らないじゃん」
「そうかなぁ……」
「そうだって。距離で好きが決まるならマトイはあんなビシャビシャにならないって」
「それはまぁ……確かに」
隣で、「お、当たりだ」とアイスの棒を見るチヒロが呟く。
「当たり棒か……いいなぁ」とぼんやり呟いたその直後。
「――東陽!」
突然の呼びかけに反応できず、気づけば私は教室の外に立たされていた。
さっきまで昼休みだった教室は、今は静かに授業が始まっている。……ああ、いや、気付けばではない。五限目の授業も、六限目の授業も窓の外を見てぼんやりとして、ゴリ先生にあてられてもなお答えもしなかったから叱られて、こうして外に立たされてしまったのだ。
窓から入る風だけが、まだ夏を名残惜しんでいた。
「……はぁ」
ついてない。というか、考えすぎなんだと思う。そこまで分かっていても気持ちを切り替えられないのは、未練がましいとか、そういうものなんだろうけど、陽介とは常に一緒に生きてきたのだ。それをきょうとかきのうやってきた――ポッと出の女の子に言い寄られるなんて。
「もっと早くに猛アタックしてればよかったのかなー……」
だって、私はその機会が十七年もあったはずではないか。
そうしたら、今とは違う結果になっていたのかもしれない。いや、というか、そもそも一度フられただけで諦める必要なんてないのでは?世の中には百一回のプロポーズって言葉もあるくらいだし、数うちゃ当たるって言葉もあるし。……今回だって、別にフられたからといって陽介が嫌がっている感じではなかった。つまりはそう、まだ可能性としては残っているのでは……?
そんな希望を見出して、ようやく気分が上昇しはじめた頃、「あれ、ドラ美?」という声が聞こえてそちらを見た。
「ゲッ陽介………と、」
「こんにちは」
……転校生の園崎百合子さん。
嬉しい反面で、なんとなく気まずい。それを誤魔化すように尋ねる。
「まだ授業中だよね、どうしているの?あ、移動教室?」
「そ、うちの班は図書館で調べものがあってさ。……あ、こっちは園崎」
「初めまして、普通科の園崎百合子です。あなたがドラ美ちゃんね、陽介くんから聞いてるわ」
優しい声色に混ざる、少しの違和感。
普通科なんて分かってる事なのにな。それに、ドラ美って。
「あ、……っと、ドラ美じゃなく、って、東陽、竜子です」
「え?そうなの?ドラ美ちゃんって名前かと思っちゃってた。あ……でも、そのドラ美って呼び方……なんだかマスコットって感じで可愛いわね」
「……うーん、そうかな?」
なんとなく曖昧な笑いになってしまう。
こうやって違和感を感じてしまうのも、全て先に抱いた印象が良くなかったせいだろうか。まぁそれもこれも、陽介が私のことをきちんと竜子だって紹介してくれていたら勘違いもなかった問題なので、恨むべしは陽介なのだと思うが。