私だけが特別、だと思ってた
ピピピの三音で目が覚める。早朝六時の涼しい朝。布団の外にある携帯を取って、明るすぎる画面にシパシパと瞬きを繰り返した。
チヒロから送られてきた、なんかよく分からないおもしろ動画のURLに、マトチャのおやすみスタンプ。それから、陽介の「さっさと寝ろ」という愛想のない一言。寝落ちして返信できていなかったやりとりを見返した後、窓の外から聞こえた音を拾うと、頭まで被った布団を落としてベランダに出た。
「陽介ぇ……いってらっしゃぁい……」
早朝なのに、空が青くて既に明るい。上空に広がった薄雲は朝焼けが反射して薄い黄色を混ぜており、雨の予感がまるでない晴れ空だ。けれども私の視線は、二階から下に。
ちょうどよく家を出た陽介と目があって、フハッと噴き出すように笑った。
「はは、すっげぇ寝ぐせ」
「起きて三秒のいってらっしゃいともなると、なかなか」
「無理して起きなくていいって、ちゃんとこのあと二度寝しろよ。お前ただでさえ睡眠とらねーと絶不調になんだから」
「んぁーい」
「ん。じゃあいってくるわ、ありがとな」
いつからか、部活へと向かう陽介に「いってらっしゃい」をすることが当たり前になっていた。家を出るのは早朝六時。部活にしては早すぎるが、二年にしてキャプテンになった彼には、人一倍プレッシャーがあるのかもしれない。
「……前は、あんなに早起きじゃなかったのにな」
遠く小さくなっていく人影に、ぽつりと呟く。
なにしろ高橋陽介と言う男は、よく眠る男だった。保育園の時なんて一緒に遊んでいた筈が気付けば隣で寝ていたし、昼寝をされたらまず帰りの時間まで目覚めない。あんまりにも目覚めないから陽介が寝たら遊べなくなっちゃうと、必死に彼の身体を揺さぶった事もある。
そんな寝坊助は小学生になっても続いて、まいあさ陽介の家にお迎えに行っていた。
「ようすけ、早くいかないとちこくしちゃうよっ」
「んぁーい」
そうやって彼の手を引いて歩いていたのに、今は彼ひとりで早起きして、誰よりも早くに家を出ている。サッカーに出会って、家にあったものもサッカーに関連したものばかりになって、身長だって百八十センチになって。まったく素晴らしい限りなんだけど、なんだか、ちょっと寂しいかもしれない。
ベランダの柵に凭れかかって豆粒になった影を見る。それからゆっくりフウと息を吐き出すと、ポコンッと携帯が揺れた。……なんだろう、メッセージかな。手にしたままだった携帯を見ると、思わず笑みが落ちた。
――まじで寝とけよ
「はは、……お母さんじゃん」
――もち。あと二時間は寝るもんね
――遅刻フラグすぎるだろ笑
寂しいけど、でも、この一瞬の時間は私だけのものだ。
いや、もしかしたら特別に思っているのは私だけで、驕りだったのかもしれない。
体育の授業中。サッカーボールを追いかけていると、陽介の教室で陽介たちが楽しそうに話している姿が見えた。
「なんの授業なんだろ……」
国語とか数学の授業にしては、なんだか楽しそうだしグループワークでもやっているんだろうか。みんな立ちあがって、わらわらと動いている。
もっと視力が悪ければ気にもならなかったのに、やたらと視力がいいせいで、望遠鏡をのぞいたように細かに見えてしまう。陽介がいて、廊下側の席だったはずの穂積がいて。――それから、顔に覚えのない女の子がいて、陽介が何かを話しかけて肩を揺らすほど笑っている。
いや、まぁ、別に、そんなの普通ですけどね?私だってクラスの男の子とだって話すし、面白い事を言えば笑ったりもするし。
……でも、それなのになぜだろう。何故陽介のことになると、こんなにも不安になるのだろう。
(やっぱり陽介は、人間の女の子がいいってこと……?)