沈黙の守護神と燃える角
人間たちが通う普通科は二クラスあって、亜人科のクラスはたったひとつだけであった。それも一クラス三十名の普通科に対して、亜人科は二十名。男女比率もやや女生徒が多く亜人の男は選び放題だと言われがちだが、亜人の女たちは気が強い女ばかりだ。
誰だよ、女子がおしとやかだっていってたの……!
そりゃあ更間田や中葉のようにカップルもいるが、それもごく少数。ほとんどの男たちは尻に敷かれているような状況で、口に出した願いは切実であった。
「俺もさぁ普通科に行きたいわけよ……!」
なのに、友人の陽介やカズの反応はイマイチで、薄情なほど冷めていた。
「そういや、俺ドラ美に告られたわ」
「いや聞けよ!!しかもそんな祝いネタ言われたら聞くしかねぇしよォ……!」
なんなのコイツ。そりゃあもう毎日耳タコのように言い続けた悩みだけども、スルーしなくたっていいだろうが。これでも俺――天宮烏は、亜人のなかでも結構な地位を築いた烏天狗ぞ?そうやって、色々思うことはあるけども嬉しそうに言われたら、先の通り聞くしかなかった。
怒りで外に開いた黒い翼を押さえて息を吐き出すと、微笑ましいとばかりに向かいに座ったカズがフと息を落とした。
「……それで、東陽にはなんと返事をしたんだ」
俺とは違って、やたらと落ち着いた低音。
相変わらず室内でも帽子を被ったカズの目元には影が落ちて見えず、表情も硬い。彼は食堂で一番人気のない蕎麦をズルズルと啜るが返答はなく、烏天狗って亜人名からはもっとも離れているであろうイチゴストロベリーホイップパンを頬張った。
「その……ドラ美は亜人だから無理だって」
「はぁぁ?お前東陽の事好きなんじゃなかったか?いや、というか好きだったろ?願ったりかなったりなのになんでそんな」
「いや、別に断ったわけじゃねえって。……その、……お前の言うとおりで、アイツのこと好きだし」
「じゃあなんで……」
「待ってほしいって言ったんだよ」
「待ってってのは?」
「高校卒業したら、亜人とか人間とか関係なく大学に行くなり働けるだろ。だからそれまでは待ってもらおうかと」
「ああ……そういうことか」
確かに、俺たち亜人は自分たちの能力をコントロールできないからと幼年亜人保護法により高校卒業までは”区分”されている。人間が普通科で、亜人たちは亜人科。そもそも人間が普通なのであれば俺たち亜人は普通じゃねえのかよと思わないこともないが、まぁ、これまでも散々コスられてきたネタだ。いまそれを議論する気はなく――、ここでおいそれと付き合わずに待って貰うよう決めたのは陽介なりの気遣いだろう。
だって、亜人と人間が付き合うなんて、まだまだ差別意識があるのだから。
「オーイオイオイ、高橋、穂積。まーた亜人科と食ってんのかよ」
「羽が邪魔くせ~」
ちょうどよく現れたデリカシーのない人間二人。典型的なモブというか不良というのか。男たちは陽介とカズに近付いて、ニヤニヤと笑いながら俺を見る。その様子は本気で嫌悪しているというよりも、弄りの対象として見ているのだろう。
「その黒マスクとかなんだよ、恰好いいとか思ってんの?」
「あーあー、亜人が居ると気持ち悪いわ」
わけわからないことまで突っ込んでくる。
……こういう奴がいるから、陽介は東陽と付き合わずに保留にしたのだろう。正義感の強い陽介はこういった奴が嫌いだ。彼は眉間に皺を寄せて男たちを睨み、何か言おうと口を開いた瞬間、ゴオッとあたりの気温が高まるほどの熱風が押し寄せた。
「はぁ?何言ってんの?」
――東陽だ。それに、雪見に鎌手も一緒に居る。
とくに東陽は角の先がメラメラと揺らぐほどに火を炊いており、彼女が口を閉じるたびにカチッカチッと歯が鳴って、火花のようなものが走る。
「さっきの言葉、取り消しなさいよ」
一緒についてきた雪見は、一触即発なその様子に東陽の腕を掴む。しかし炎を宿す彼女と、雪女の雪見では相性が悪すぎるのだろう。「あっ」そう言った瞬間、指先がじゅわっ!と音を立ててどろりと溶け落ちる。あまりの熱に溶けた雪は蒸気となって、さらに温度が高くなったが――それを分散させるようにチヒロが鎌鼬の力をもって不良たちに指を振るうと、その熱が男たちだけに向いた。
「食らえロウリュ!」
「あっちぃ!!」
顔面を手で覆って悶える不良たち。こちらには涼やかな風が向いて、男たちだけがただもがいているだけしか見えず、騒ぎを聞きつけた教師が不思議そうな顔をしていたが、それでも男たちが亜人差別をやめる事はなかった。
「~~~ッこ、れだからよぉ!亜人は!」
「そこの手が溶けた女もキモいんだよ!燃える女もキメェし、その角も尻尾も可愛いとか思ってんのか?!亜人なんかと付き合える奴の気がしれねぇわ――」
場を遮るようなドンッと重たいものを叩き落とすような音が響いた。一瞬で沈黙を描いたその大きな音、不良たちがビクリと肩を震わせて向けた視線の先には――カズがいた。
「不愉快だ、飯を食わないのならさっさと出ていけ」
沈黙の中で響く、地を這うようなド低音。思わず呼吸を止めてしまうほどの不機嫌さに不良たちは、そこでようやく内にあった熱が冷めたようで、何か言いたげな顔をしていたが踵を返すと「行こうぜ」と言って食堂を出ていってしまった。
残るはただの静寂。それもカズが食事を再開してソバをずるずると啜りだせば、止まった時計が動き出したように人々はまた元の日常へと戻ったわけだが……なんだよオイ、恰好いいなァ!
「んははっ、流石は沈黙の守護神だなァ!」
そう言っても、沈黙の守護神は照れたような顔も見せずに蕎麦を啜る。
その様子に鎌手は向かいの席に座りながら首を傾げた。
「沈黙の守護神?なにそれ」
「カズの二つ名だよ。ほらゴールキーパーって守護神って呼ばれるだろ?それで、見ての通り無口だから沈黙の守護神って言われてんの」
「へぇ~、っぽいね」
言いながら、鎌手が雪見にアイコンタクトを送る。すると先ほど東陽の熱で手を溶かしていた雪見が頭を下げて、ぎこちなく隣へと座った。
「ほ、……っ穂積くん、あ、……ありがとう」
「…………ああ」
……ははーん?なるほどね?雪見はカズが好き、と。
彼女の指先が溶けて雫がテーブルの上に落ちる。雪見は必死にそれをタオルで拭いて誤魔化していたが、タオルの先が凍って水を伸ばすだけになっている。なんとも分かりやすいことだ。
ただ、それ以上に分かりやすいはずの東陽は立ったまま複雑そうな顔を見せていた。
なんというか、先ほどの言葉に傷ついているような。
(別に両想いで付き合い間近なら、気にしなくてよくね?)
そんなことを思いながらも食べている途中だったパンを口に放ると、陽介が向かいの席を指した。
「ドラ美、座れよ」
「うん……」
「なんだよ、お前らしくない。気にしてんのか?」
「……ちょっとだけ」
「ふうん……」
その時、改めて陽介が付き合うことを保留にした意味が分かった気がした。だから、ほんの少しだけ同情する気持ちも沸いたけれど、「ほら元気だせって」と言って目の前でから揚げをアーンし始めたので、俺はひっそりと胸にあった同情をひっこめた。