まだ、怒ってるけど
「でも、どうして百合子さんはあんなことをしたんだろう」
百合子さんとしっかりと顔を合わせて話をしたのは、アレが初めてであった。
思い返せば、彼女は私の事を前々から知っているようで、悪意がそこかしこに滲んでいた。
でも、たとえ恋敵であったとしても、ファーストコンタクトであんなことをするだろうか。ただ私個人を狙えばよいのに、亜人を迫害するように仕向けたその行動の根本には、亜人嫌いがあるように思えてならない。
独り言ちるように呟いた私の言葉は、暗く沈んでいた。
「ちょーっとオイタが過ぎるよねー」
「ただ陽介君を狙うにしても……どうしてあんな……」
「分かんないけど……百合子さんって聡明って感じするし、カッとなってやったって感じではなかったんだよね……」
衝動的に騒ぎを起こしたのであれば、もっと騒ぎ立てるとか、詰めが甘いところが見えていたんじゃないかと思う。それなのに、百合子さんは私が悪であるとは主張せず、そう演出することに徹底をしていた。
……百合子さんは、ただ陽介が好きなだけなのだろうか。なんだか、違和感が胸の奥で渦巻く。ただ、全てが明らかにならない状態で百合子さんひとりを悪く言うのも違う気がする。
あの事件――私が能力を暴走させてしまったかのように見せかけた、あの演出。
今はパクッとシュークリームを頬張ることで誤魔化すと、口の中で柔らかくてもったりと甘さを堪能し、そして呟いた。
「明日は学校行くよ」
「え、まじで?」
「うん、いつまでも休んでられないし、何より暇すぎるし」
勿論、このまま被害者ってテイで休む事はできると思う。でも、長引かせれば長引かせるほど、亜人科と普通科の心にあるわだかまりを増やすだけ。個人の問題を超えてしまった以上、ひとりの考えで周りを巻き込むわけにはいかない。
――それに、陽介ともきちんと話さないと。
あの時は私がしたんじゃないよってことも、庇ってくれて嬉しかったってことも。そこに付き合うとか、付き合わないとかは関係なくて、きちんと陽介とも向き合ってあの時のことをきちんと話をしたい。そんなことを考えていると、たまらなく陽介の顔を見たくなったけど、でも、そのためには一刻も早く体調を治さないといけない。
顔に熱がジワジワと熱が集まってくるのを感じて、両手で頬を押さえる。チヒロはその様子を見て、知ってか知らでか「そんなにシュークリーム美味しかったの」と尋ねていたが、今は「美味しかったよ」と言っておこうと思う。
*
リュコの家を出た頃には、赤々とした茜色の空に、夜を感じる紫色が混ざり始めていた。
遠くで聞こえる放課後チャイムに、窓際で手を振るうリュコ。その顔はいつも通りで、ようやく私たちの胸にあった不安が拭えたように思う。
「竜子ちゃん、思ったよりも元気そうで安心しましたね」
「……そうだね、ほんと安心しちゃった」
だって、本当は――まだ胸の奥がザワザワしている。
あの日。竜子が走り去ったあとの私たちには、まるで関係ない存在として向けられた視線と声があった。亜人ってだけで、なにもしてないのに。
リュコはあの視線や声を一人で受けたんだ。あの時に声をかけられなかった自分を思い出すたびに、リュコはどんな気持ちだったんだろうって少しだけ、胸が痛む。だから、同じ立場の人間を見ると少しだけイラついてしまうんだ。
「鎌手、雪見……」
私は、真っ直ぐに陽介を見た。
タイミング悪く、リュコのいないベランダをチラリと見た陽介は、多分リュコの事を聞きたいんだと思う。視線をベランダから落とし、足元に落とした後、どこか気まずそうな声色で尋ねた。
「その、アイツ……大丈夫だったか」
まるで見舞いに行ってもいいのか尋ねるようなその様子。マトイは優しいから「体調は良さそうでしたよ」と答えたが、私はそんなの許さない。
「体調は大丈夫そうだったけど、まだ万全ってわけじゃないし行かないほうがいいんじゃない?」
ニコリと笑い、棘を添えて呟いた言葉。それに陽介はグッと堪えるような顔を向けていたが、自分から行動もしない奴に彼女を任せることなんて出来ない。
足元に落ちた葉が一枚、風に転がって、静かにアスファルトを滑った。あたりに人の声もなく、ただ季節の音だけが響いている。
「マトイ、帰ろ」
誰も何も言わなかった。
空気がふっと、薄くなったけど、陽介の目線だけは地面の一点を見つめていた。
……やっぱり、今の陽介にリュコは任せられないかもしれない。一人でに歩き出すと、後ろを歩くマトイがさっきのはあんまりじゃないかと言っていたが、こればっかりは許してほしい。
「私だって、怒ってるんだよ」
だって、あのとき陽介が守りぬいてくれたら、こんなにリュコが傷つくことも、病に倒れることもなかったんだから。
私は悪くない。でも、マトイの顔を見ることはできなかった。
後ろから駆け足で追いついてくる足音だけが、やけに鮮やかに耳に残った。