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葛藤


メリッサの部屋から出たイズリーシュは、シュウェッテ卿と自分の筆頭侍従であるソルンを呼び、家族への接触を命じた。

その命を受けてソルンが直接、母と兄が経営する質店を訪れたところ、突然連絡がとれなくなってしまった娘を憂えて母親は寝ついてしまっていたらしい。つまり、何の連絡もメリッサの家族にはいっていなかったのだ。

メリッサの兄の、煮えたぎるような怒りに満ちた慇懃無礼な物言いをソルンは黙って聞いた。

「皇族の方や貴族の方からすれば我々平民など取るに足らないものとお考えかもしれませんが、我々とて生きている生身の人間です。ちゃんと家族の情もありますし心配もするんです。‥この二か月‥我々が‥どんなに‥」


そこまで言って兄はうつむき、唇を噛んで言葉をのみこんだ。握りしめられた拳が小刻みに震えているのをソルンはじっと見ていた。これ以上、兄が言葉を発しそうにないのを見て取ると、ソルンは静かに話し始めた。

「メリッサ様は今、体調を崩されておられますが、‥もしお望みであればすぐに城内までご案内致します。または、お母様の回復を待っておいでになられても構いません」

「‥こちらにも都合があるので改めます。どなたに連絡すればいいんですか」

「では皇宮のソルン宛てにお言付けください。‥こちらの刺繍印章を見せていただければ話は早く伝わります」

掌におさまるくらいの、ずっしりとした刺繍が施された印章を受け取り兄はばたんと店のドアを閉めた。

ソルンたちが帰ったのを見届けると、印章を握りしめ兄は静かに涙を零した。妹が生きていたことだけが救いだった。兄の妻は黙ってその肩を優しく撫でていた。



メリッサが倒れてから二週間が過ぎた。皇太子妃教育は一度すべてキャンセルされた。それを告げた時、メリッサは喜ぶどころか顔をひきつらせた。

「‥私が、出来損ない、だからですか?‥あの、他に何かやらされるのですか‥?」

ようやっとのことで震えながら言葉を吐き出したメリッサの顔には、酷い怯えと恐怖の色が見えた。それを見て取ったイズリーシュは、この少女がどれほど追い詰められていたのかを悟った。

イズリーシュは優しくメリッサのやせ衰えた手を取った。

「何もしなくていい、メリッサ。あなたは私のせいで体調を崩し、こんなにもやつれてしまった。だから今は身体を大事にして健康を取り戻すのがあなたの仕事だよ。食べたいものをたくさん食べて、好きなことをして過ごしてほしい。ご家族に会いたければすぐにでも呼ぶことができるよ」

この会話の一週間前には、母と兄夫婦への面会が許されて涙の再会をしていたのだった。母もメリッサに負けず劣らずやせ衰えていて、自分が心配をかけたからだとメリッサは胸が苦しくなった。


イズリーシュはメリッサが倒れてから、必ず日に一度はメリッサのもとを訪ねるようになった。その時東宮を管理する官長が変わったことも聞いた。メリッサはそれが自分にどんな関係があるのか、よくわからなかったが、リッチェ達侍女がみなそれを喜んでいたので、いいことなんだろうとぼんやり考えた。

イズリーシュは来るたびに何か土産を持参した。それは珍しい茶葉であったり、市中で流行り出したお菓子であったり、最近評判の本であったりした。それらの説明をしながらゆっくりと時を過ごす。

メリッサは最初緊張のあまり、全くイズリーシュと話すことができなかった。イズリーシュはそんなメリッサにも優しく丁寧に接した。

そのうち、少しずつメリッサも話せるようになっていった。会話ができるようになると、イズリーシュはとても喜んで色々な話をしてくれた。それは時々難しい政治の話であったり貴族のやり取りの話であったりもしたが、イズリーシュが丁寧に噛み砕いて話してくれるのでメリッサにもわかりやすく感じることができた。


ただ時々、イズリーシュと話していても、

(この人は子どもが欲しいから私に親切にしてくれているだけなんだ)

という思いがふいにメリッサの胸の中に湧いてきて、それがメリッサの心を何度も傷つけた。

イズリーシュとの語らいは楽しく感じれば感じるほど、後から昏い思いがメリッサの心を蝕んでいくのだった。 


このような面会は必ず侍女が同席し、メリッサの重荷になりすぎないよう配慮がされていた。

何とか少しずつメリッサの食欲も戻り始め、そのおかげで頬に肉が戻ってきたのを見て侍女たちは胸を撫でおろした。

表面上はイズリーシュとメリッサの関係も、触れ合いが増えるにつれよくなっているかのように見えていた。


メリッサ自身、イズリーシュは人間としてそう悪い人物ではないことはわかってきていた。見た目は文句のつけようがないほどに美しいし、平民であるメリッサにも丁寧な言葉を使い、わかりやすく話してくれる。高圧的な態度など取られたこともない。かなり気を遣ってくれているのはわかるのだ。


だが、どうしても、『この男のせいで自分の平穏な暮らしは奪われたのだ』という思いが湧き上がってきてしまう。

いくら美しい男だからと言って、好きでもない男と夫婦になるなど考えること自体ができない。

絶え間なく自分を訪ねてくれ、色々と気を配ってくれるイズリーシュへの感謝の気持ちと、自分を解放してくれない恨みの気持ちとに挟まれて、メリッサの心は少しずつ疲弊していった。

ただ、自分の周りの侍女たちが優しく接してくれることだけが救いだった。




メリッサはメイドとしての仕事も捌きが早く物覚えがいい、と評価されていた。メイド総長はもう少し仕込んでからなら侍女にも上げられると踏んでいたらしい。そのように評価されるだけあって、メリッサの頭の回転は速かった。ただ身分の高いものに対してはどうしても気がひけてしまってはっきりとした物言いができないのが懸念されていた。

だからマナー教師たちに好きなように罵られても、何も言い返すことができなかった。その結果、メリッサは何も言い返せぬまま食事をとれなくなり、痩せこけて倒れてしまったのだった。


この底意地の悪いマナー教師たちをどうしても許せなかった侍女たちは、彼女たちがどれほど無体な真似をメリッサにしたのか一切をしたためた報告をイズリーシュに奏上し、適切な処罰を与えてくれるよう願った。

以前、自分も少し耳に入れただけの内容でも腹に据えかねていたところがあったイズリーシュは、彼女たちに処罰を与えることにした。




お読みくださってありがとうございます。


メリッサの家族は何度も皇宮に問い合わせをしていたのですが、全て握りつぶされていました。また、実家の家業にまでアラゼン侯爵(東宮官長)の手が及ぼうとしているところでしたので、家族はとても疲弊していました。ちょっとそこのところが入れられなかったです。

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