メリッサの窮状
本日二回目の投稿です。
メリッサはダーマシルクのワンピースで目覚めた日から職員寮には戻れなかった。そのまま勝手に寮を退出させられ、わずかで粗末な手荷物は全てこのだだっ広くて豪華な部屋に運び込まれた。豪華な部屋の調度品に見合わないメリッサの持ち物は、部屋の隅でまるで冗談のように申し訳なく佇んでいた。
家族に連絡を取りたい、とも願ったがそれがかなえられることはなかった。一応手紙を渡してくれるということだったので書いて渡したが、実際に家族に届いたかはわからない。とりあえず一か月は経っているが返事を受け取ってはいない。
まずは身近なところからということで、この一か月メリッサはテーブルマナーを叩きこまれていた。並べる順番しか知らなかった数々のカトラリーをうまく使えず、何度もテーブルマナーの教師にため息をつかれた。
メリッサはどんどん食が細くなっていった。
メリッサがほとんど食べられなくなってしまったのを心配して、時折リッチェがお茶菓子を用意してくれる。その時は、手づかみで食べてもいいような庶民的なお菓子をチョイスしてくれるのだから、リッチェはかなり気遣いもできて有能な侍女なのだろう。
そんな人に「メリッサ様」と呼ばれることも、やはりメリッサにとっては苦痛だった。また、リッチェをはじめとする侍女たちは、決してメリッサの事を軽んじたり見下したりすることはなかったが、テーブルマナーの教師はずけずけとメリッサの身分の低さや教養のなさを責め、当てこすりを言った。
メリッサはどんどんやせ細っていき、リッチェの用意してくれる菓子もだんだん喉を通らなくなっていった。
そうして二か月が過ぎようとしていた。
あれ以来、イズリーシュがメリッサのもとを訪れることもなかった。それがマナー教師にもわかっているらしく、「愛されているわけでもないのにどうしてこんな‥」とか「本当に平民を選ぶにしてももう少し見栄えが‥」などと言った嫌味や当てこすりの内容がどんどん酷くなっていっていた。
メリッサも覚えようとしなかったわけではない。が、教えられるものは今まで全く馴染みのないものだったし、食事時に気を張るということはかなりのストレスをメリッサに与えていたのだ。それでなくともストレスしかない環境なのである。
とうとう、メリッサは水も飲めなくなり、倒れた。
医師を手配しながら、リッチェ達メリッサ付きの侍女たちは怒り心頭に達していた。
こんなひどい仕打ちがあるだろうか。いきなり家族からも仕事からも引き離され、聞いた事もないマナーを毎回食事時に叩きこまれ、嫌味ばかり言われてそれを助ける人もいない。
そんなことが許されていいのか。
皇太子殿下とはそんな人だったのか。
メリッサ付きの侍女たち八人は、全員の連名で意見書をシュウェッテ卿に出した。形の上だけではあるが、メリッサがシュウェッテ卿の養女として届け出が出ていることからここに頼むのが一番いいと考えたからだった。
シュウェッテ卿は意見書を受け取って仰天した。
すぐさまメリッサの様子を見に行ってみれば、あんなに健康そうで豊かな頬をした娘だったのに、今は幽鬼のようにやせ細り目の下には濃い隈ができていた。
もはやその姿は別人のようだった。
「これは、酷い‥」
思わずそう声が出た。横に控えていた侍女たちは皆一様に下を向いて唇を噛んだ。リッチェは、ぎゅっとこぶしを握りしめ地の底から這い出るような声でシュウェッテ卿に言った。
「‥‥どのような理由で、平民出身のメリッサ様を婚約者にと殿下が望まれたのか。私どもには、はかり知れぬことではございましょうが‥この仕打ちはあんまりです。この二か月、ただの一度も殿下はこちらに足をお運びになりませんでした。‥殿下の御為に、平民出身のメリッサ様はあのような暴言をも受け入れ日々努力なさっておられたというのに‥」
リッチェの大きな黒い目からほろりと涙がこぼれた。
これはよくない、とシュウェッテ卿は焦った。
皇太子付きの侍女たちは、ほとんど全員が貴族の子女である。つまり実家である貴族と繋がっている。そこにこういう話が広まってしまうのはいいことではない。それに、行儀見習いの意味合いも込めて勤めているものが多いが、彼女たちはそれぞれに誇りを持って仕事に当たっていることをシュウェッテ卿は知っていた。また、皇太子付に選ばれた侍女たちは、優秀な上、心根も優しいものばかりだと聞いている。だからこそ平民出身のメリッサをも軽く見ることなく、むしろ平民の身でよくやっていると好意的に見ていたのだろう。
その彼女たちをここまで怒らせてしまう、というのは将来の皇帝たるイズリーシュにとっていいことではない。身近に控える者たちの信頼を得ていなければ、私生活で気が抜けないことになる。
シュウェッテ卿は侍女たちに向かって丁寧に言った。
「まずは知らせてくれたことに礼を言う。このような事態になっているとは夢にも思わなかった」
リッチェは低い声を崩さず返した。
「お言葉ではございますが、『夢にも思わなかった』という思い込みこそがこのような事態を生み出したのではないでしょうか。‥ぜひ、皇太子殿下にも早急にお知らせくださいませ」
この二か月、イズリーシュは東宮にも帰ってきていない。視察や外遊などに忙しく、全く東宮で暮らしていなかったのだ。侍女たちはその事も知ってはいたが、それにしても配慮がないと考えて怒っていた。
侍女たちの沈黙からなる気迫を感じ、思わずシュウェッテ卿は数歩後ずさった。侍女たちに言われずとも、この状態のメリッサを見れば何か対策を打たなければならないのはわかる。色々と頭の中で考えながら、シュウェッテ卿は侍女たちに言葉を尽くした。
「相わかった、殿下にもさっそく奏上して事態の改善を図る。少し時間をくれ。皇太子妃教育は休みの手配をしておくから、お前たちはメリッサ様の回復に努めてくれ」
「‥‥かしこまりました、よろしくお願い申し上げます」
リッチェはそう言って下がっていった。シュウェッテ卿はその後ろ姿を見ながら汗をぬぐった。‥‥あれはたしか、コンダール伯爵家のリチェエンヌ=コンダール嬢だったか。才媛だとは聞いていたが、なかなかの迫力だった。そう思いながら今一度メリッサの顔に目を落とす。酷い顔色だ。すっかり痩せてやつれてしまっている。これは侍女たちが知らせてくれなかったら、取り返しのつかないことになっていただろう。
早速イズリーシュに会う手はずを整えなくては、とシュウェッテ卿は部屋を足早に出ていった。
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