動きゆく事態
本日は16時にもう一度投稿致します。
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既に事態は動いている。
メリッサに、拒否権はない。
その事を改めて思い知らされ、顔から血の気が引くのが自分でもわかった。
自分の人生が、自分のものでなくなっていく。
心臓が痛いほどキリキリとして、足元がおぼつかない。
リッチェは顔面蒼白になっているメリッサを見て、少し躊躇った後近くまでやってくると優しく肩を抱いてくれた。
その優しさに、また涙が出てくる。
「あたし‥どうなってしまうのか、わからなくて‥怖いんです、無理ですあたしに殿下の、つ、妻になる、なんて‥」
リッチェは優しくメリッサの髪を撫でた。
高位貴族の子女であればこの話はかなり喜ばしいことかもしれないが、平民の普通の少女には荷が重すぎることだと、リッチェは理解していた。だが、イズリーシュの意思は相当に固い。既にメリッサをどこかの貴族籍に養女として組み込んでから婚約が整えられるように手配を始めているし、いま別の場所ではメリッサのための様々な教師陣が選抜されているところなのだ。
リッチェ自身も普段の暮らしの立ち居振る舞いを教えてやってくれと言われている。だが、ここで涙を流しているまだあどけない平民の少女を見れば、リッチェの心は痛んだ。
皇太子付きの侍女の間ではもうこの話は知れ渡っており、どちらかと言えばメリッサに同情的な見方が多かった。貴族子女であっても皇太子妃教育はかなり厳しいものである。本来ならば幼少期に決められた婚約者が、成長とともに生活の中で長い時間をかけ、学んでいくものなのだ。それを何の下地もない平民の少女に強いるというのである。どれほどつらい道のりになるか侍女たちは理解できるだけに、メリッサに同情的にならざるを得なかったと言える。
「メリッサ様」
リッチェは優しくメリッサの髪を撫でながら言った。どこかで腹を括ってもらわなければならないのだ。だとすれば、早い方がいい。
「私も力の限りにお助け申し上げます。‥‥皇太子妃としての教育を、まずは頑張ってみられませんか?大変な道のりだとは理解しておりますが‥恐れながらもうメリッサ様と殿下のご婚約は避けられない情勢です。‥先々を見据え、ご自身にできることから、少しずつ始めてみられてはいかがでしょうか‥?」
メリッサは、リッチェの優しい手の感触をぼんやりと感じながらその言葉を聞いていた。‥リッチェの言う通りだ。偉い人の言った言葉は、よほどのことがない限り覆らない。自分がどれだけ嫌だと言っても、おそらく婚約、結婚からは逃れられないのだろう。だとすればリッチェの言う通り、自分ができることをやっていくしかない。
他に生きる道はないのだから。
「‥ありがとうございます、リッチェさん。‥怖いけど‥頑張って、みます‥」
リッチェはメリッサの言葉を聞くと、少し目を見開いてから優しく笑ってくれた。
「シュウェッテ卿の養女にしてもらうことはできるかな?信頼できて、政治的にまずくない高位貴族ってあまりいないんだ」
執務室でそう言いながらまた別の書類を手にしているイズリーシュに、シュウェッテ卿はため息をついた。
「私のところは伴侶が男性ですけど、そこはよろしいんですか?」
「うん、こだわりはない。逆にそこに文句を言ってくるものがいたら同性婚に不満を持っている輩だというのがあぶりだせていいんじゃないか」
そう言いながら書類を振り分け片付けていく。皇太子が有能であることには疑いを持っていないが、今回の婚約話はあまりにも突飛すぎる。
「殿下、なぜそうもあの者にこだわるのですか?‥かわいそうに私が話をしたときにはガタガタ震えていましたよ。ご成婚の後ご公務などで出られるときなど、あの者がその職責を担えるとは到底思えないのですが‥」
カリカリと書類にサインをしてからイズリーシュはシュウェッテ卿を見上げた。そっとペンを置いて話し出す。
「そうだね。‥先ほど私が話をした時も泣き叫んで呼吸困難になっていた」
「かわいそうですよ」
シュウェッテ卿は突然のことに驚き、真っ青になって震えていた少女の姿を思い出すと、自分がとんでもない悪だくみに加担しているような気がして、どうにも気持ちが落ち着かなかった。イズリーシュはごく真剣な顔をして考え込んでいる。
そして決意したように話し出した。
「アンドル、これは他言無用に願いたいことなんだが‥」
そう言い出したイズリーシュを見て、シュウェッテ卿は一度手を上げイズリーシュを制してからドアを確認し、何やら呪文を唱えた。
「よろしいですよ、防音をかけました」
「ありがとう。‥私が数字が見える、というのはアンドルも知っていると思うが」
「はい、何の数字かわからないと」
「‥子どもの数なんだ」
「え?」
シュウェッテ卿はその意味をすぐには理解できず、何度か瞬きをした。イズリーシュは言葉を続けた。
「私が単独で見ている場合は私と結婚した場合に授かれる子どもの数が、私が誰かと手を繋いだ時には、繋いだ相手が結婚した場合に授かれる子どもの数が見える」
「何と‥!」
シュウェッテ卿は驚きのあまり言葉が続かない。イズリーシュはそのまま話を続ける。
「これまで、私との間に子供を授かれる人は一人もいなかった。今まで出会った全員が、0という数字しか持っていなかったんだ。‥だがあの少女だけは違っていた。あの少女と結婚すれば四人の子どもが授かれる。初めて数字を持った人物と出会ったんだ」
シュウェッテ卿は、思いもよらない理由に何も言えなかった。
イズリーシュは現皇帝夫妻の唯一の子どもである。皇帝夫妻は非常に仲がよかったのだが、イズリーシュ以外に子どもを授からないことに対し側妃を勧める勢力もあった。が、皇帝自身がそれを断固として拒否したのである。
つまり他に皇族直系がいないこの状態では、イズリーシュにはなんとしても後継者を儲けてもらわねばアイシュタルカ帝国の直系が絶えてしまう事になる。
「それで、あの者に求婚を‥」
「うら若い、平民の娘に無理を強いることになるのはわかっている、だが‥子どもは皇族の義務として儲けねばならない。‥無理を承知で言っている。申し訳ないが‥協力してほしい、アンドル」
真剣に、まっすぐにこちらを見てそういうイズリーシュに、シュウェッテ卿は否とは言えなかった。ただ、一つ確認をした。
「殿下。殿下はまだ十八歳でいらっしゃいます。今後、あの者以外に殿下のお子をなせるものが見つかり、そのものが貴族や王族であったなら。‥どうなさるおつもりですか?」
イズリーシュは迷いなくこう言い放った。
「一人の少女の人生を私が奪い去るのだ。そこには誠があるべきだと思う。今後誰が見つかっても、彼女以外を妻とはしないつもりだ」
イズリーシュの、固く決意をした目を見て、シュウェッテ卿は短くため息をついた。‥若さというのは、真っ直ぐで気持ちのよいものではあるが、時にその真っ直ぐさが恨めしく思える時がある。
今後、イズリーシュの子どもを産める人間が現れるかどうかは、イズリーシュにしかわからない。もし、イズリーシュが今後好ましく思う人間の中に産める者が現れたら。その可能性はゼロではない。そして、まだ十八歳と若く、そのような暇もなかったイズリーシュは、おそらく恋を知らない。
シュウェッテ卿はイズリーシュの方に向き直って言った。
「ご成婚まで二年かけましょう。ここから一年、妃殿下教育をして一年後に正式な婚約披露、その一年後にご成婚と致しましょう。‥そうすれば、イズリーシュ殿下とメリッサ様は二十歳になられますから、そこまで遅い結婚でもないでしょう。‥いいですか、イズリーシュ殿下。それまでの間に、殿下がお好きになられてお子様を産める方が見つかればメリッサ様を解放してあげてください」
「‥わかった。皇太子妃教育の事もあるから、二年は現実的なところだろう。‥子どもだけでも先に欲しいところだが‥」
シュウェッテ卿は強い口調でその言葉を遮った。不敬だと承知だが言わずにはいられなかった。
「殿下。女性は子どもを産む道具ではありません。貴族でも平民でも同じです。‥子どもは授かりものです。そのようなお心積もりは、皇族としてもよろしくないお考えだと私は思います」
イズリーシュは鈍器で殴られたような顔をした。
いつも帝国のため帝国民のためと色々な事を考え、自分のことは二の次で考える癖がついているのはわかっていた。
だがあの気の毒な少女にまでそれを押しつけようとしていた自分の無意識が、イズリーシュに衝撃を与えた。
小さな声でシュウェッテ卿に礼を言う。
「‥すまない、シュウェッテ卿。‥また私が道を踏み外しそうになったら、遠慮なく言ってほしい」
「かしこまりました」
シュウェッテ卿は、そう言ったイズリーシュの顔を見ながら、まだこの若者は大丈夫だなとひとまず胸をなでおろしたのだった。
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