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婚約者候補

シュウェッテ卿はソファに腰掛けていた。向かい側のソファを指さして「おかけなさい」と言う。メリッサはからくり人形のようにぎこちなく歩いてソファに浅く腰掛けた。ごく浅く座ったはずなのに柔らかいソファはぐんと沈む。

「あの、あの、申し訳ございませんでした!あの、」

必死にそう声を絞り出すメリッサに、シュウェッテ卿は少し驚いた顔をしてすぐさまメリッサの言葉を遮った。

「いやいや、あなたは何も悪いことはしていないから、謝罪の必要はない、メイド長にもそう伝えたつもりだったが‥うまく伝わっていなかったかな」

困ったようにシュウェッテ卿は笑って、メリッサの前に湯気の上るお茶と美しいお菓子を差し出した。

「緊張しているかな?‥これでもおあがりなさい。気を楽にして」


そう言われてもメリッサは、まだ自分の身に何が起こったかわからないので安心ができない。だが勧められたものには手をつけなければという気持ちで、ティーカップを手に取った。手が震えているからカタカタと音が鳴る。無理にもごくりとお茶を飲むと、そのよい香りが少しだけメリッサの心を柔らかくしてくれた。

その様子を見て、シュウェッテ卿は優しく声をかけた。

「あなたは何も悪いことをしていないから、罰を受けるわけではないよ。だからそこは安心していい」

「はい‥」

ようやくメリッサは落ち着いてきた。シュウェッテ卿の言葉や物腰はとても柔らかく、厳しい雰囲気を感じさせない。

「急に殿下にあのようなことを言われて驚いたね。これまでに殿下と言葉を交わしたことはあるのかい?」

「ありません」

「何度かお会いしたことがあるとか?」

「いえ、こんなにお近くでお姿を拝見したのは今日が初めてです」

「‥じゃあ、やっぱり今日がほとんど初対面なんだね‥?」

「はい」

シュウェッテ卿はソファの背もたれにぐったりと背中を預け、上を向いて片手を額に当てた。何やらぶつぶつと呟いているがメリッサには聞き取れない。緊張したまま膝の上で手を握りしめていると、またシュウェッテ卿が声をかけてきた。

ただ、先ほどのような優しい、探るような口調ではなく、ただただ疲れたような口調だった。

「では‥‥大変申し訳ないんだが‥しばらく、ここで皇太子殿下の婚約者候補として暮らしてくれないだろうか?」


しばらくここでこうたいしでんかのこんやくしゃこうほとしてくらしてくれないだろうか。


こんやくしゃこうほ‥‥



婚約者⁉


「え、えっ!?え、あ、あの、こ、婚‥」

「婚約者候補。‥まあ、驚くだろうねえ。ざっとあなたの事を調べさせてもらったけど。

メリッサ=ロント、十八歳。ロント質店の次女で家族は母一人兄一人姉一人。兄姉は既婚、母と兄で質店を経営。行儀見習いを兼ねて十五から皇宮に出仕。掃除婦から半年前にメイドに上がったばかり。‥間違いない?」

「は、はい!」

口で説明されると自分の人生なんて薄っぺらで、大したことのないものなんだなあと感じさせられてしまい、ため息が出る。それなりに毎日充実した日々を送っていると思っていたのだが。

シュウェッテ卿はまた軽いため息をついて話を続けた。

「どういうわけか、皇太子殿下は絶対にあなたとしか結婚しない、というか結婚できないと言い張って、今皇帝陛下と皇妃殿下に自ら直談判なさっているところなんだよ。‥あまり個人的なことで我儘をおっしゃらない殿下の事だから‥ひょっとしたら聞き入れられてしまう可能性は、高いんだ」


聞き入れられてしまう‥


「あ、あ、あの、そ、それ、って‥」

緊張と悪寒のあまりどもりがひどくなって言いたいことが全然口から出てこない。そんなメリッサの事を、心底気の毒そうに見やりながらシュウェッテ卿は決定的なことを告げた。

「おそらく、あなたはこの後、皇太子妃殿下となる可能性が、極めて高い」

メリッサは念願かなってここで気絶してしまった。



喉がカラカラで目が覚めた。

一生懸命唾液を飲もうとするが唾液が湧いてこない。水が欲しいと思って起き上がろうとした時、異変に気付いた。

どこだ、ここは。

たくさんのゲストルームや目的室を見てきたがこの部屋は見たことがない。かなり豪華な調度品で埋まっている。かけられたカーテンにも複雑な刺繍が施されているし、床に敷かれた絨毯は毛足が長く、こちらもまた優美な紋様が織り込まれている。

サイドテーブルに水差しとコップが置いてあったので、恐る恐るそれを取って水を注いだ。からからに乾いていた咥内に甘露が染み渡る。大きなコップ一杯分の水を飲み終えて、ふうと息をつき、また改めて辺りを見回した。

かなり広い部屋だ。今日の小会議室くらいはある。実家の質店がそのまますっぽり収まってしまいそうだ。先ほどまで自分が寝ていたベッドはふかふかで横に四人くらいは眠れそうである。重厚な柱の天蓋がついており、天井には美しい季節の花々の絵が描かれている。天蓋から垂れている布は薄く、だが光沢のあるものだ。ダーマシルクではないだろうか。こんな大きなダーマシルクの布など見たことがない。絶対に触らないように気をつけようと思って思わず身を縮めた。

その、身を縮めた際にふと自分が来ている衣服を見れば、いつものメイド服ではない。‥‥今しがた絶対に触らないようにしようと思っていた、あのダーマシルクの生地で出来たとおぼしき薄手のワンピースだった。「ひっ」と小さく悲鳴をあげて、もう動けない。

何が起きたのだったか‥


こんやくしゃ。

皇太子殿下の、婚約者候補になる、多分皇太子妃になるだろう、と。


そう言われたのだった。


じわ、と涙が滲む。恐ろしい。なぜそんなことになったのか。そんなこと、夢にも望んだことはなかった。出来れば皇宮で働き続けるか、もしご縁があったらどこかで出会った、勿論平民の男性か女性と家庭を持つか、その程度の展望しか持っていなかったのに。

なぜ、自分が。

教育だって帝国民学校に行っただけだ。最低限の読み書き計算くらいはできるが、貴族や皇族に必要な知識など何も持っていない。そもそも貴族や皇族についての知識もそれほどない。国の大事なことだってそんなにわからない。

ごく、ごく平凡な平民のメイドなのに、なぜ皇太子殿下は私と結婚したいのだろう。皇太子殿下ほどのお方であれば、この国の高位貴族でも諸外国の王族でも選び放題のはずなのに。

涙がボロボロと溢れてくる。袖口で拭おうと思い手を上げたが、ダーマシルクが目に入ってやめた。

ただただ頬を涙が伝う。

これから自分はどうなるのか。

皇太子殿下の気が変わったとしても、その後皇宮で働かせてもらえるのだろうか。

「‥なんで、こんなことに‥」

涙が止まらない。

だが拭うこともできず、ただただ豪華なベッドの上で座ったまま涙を流すことしか、メリッサにはできなかった。



お読みくださってありがとうございます。

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