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手紙と贈り物


その後も少しずつ皇太子妃教育が進められ、することもないメリッサはそれを淡々とこなしていた。また十日ばかりが過ぎて、もう二十日あまりもイズリーシュと顔を合わせていないことになる。皮肉にも、メリッサの皇太子妃教育だけは順調に進んでいた。

もともと明晰だったのだろう、適切な教師と環境を整えさえすればメリッサは面白いように知識を吸収していった。そもそも勉学は貴族のたしなみであり、娯楽なのだ。帝国内の属国であれば帝国共通語が話せれば事足りるし、それぞれの詳しい事情など知らなくとも市民は生きていける。だから基本的な読み書き算盤だけが市民には求められる。

逆に言うならそれ以上を市民が学べる場所もないのが実情だった。

国立の高等学院は帝都だけでも五つあるが、貴族かまたは相当な資産の持ち主でないと入学することはできない。実質、市民は高等教育を受ける機会がないのである。

メリッサも、帝国民学校では覚えがよく理解が早いと教師たちに評価はされていたが、かといってそれ以上を学ぶ場所などなかった。

仕方なく始めた皇太子妃教育ではあったが、今やメリッサはその学び自体にも大いに興味を持つようになっていた。

勉学は意外なところで自分たちの生活にも根付いていることが、学ぶにつれて少しずつわかってきたからだ。


一方、イズリーシュがなかなか足を運ばないことに、二人の仲を心配するリッチェ達東宮の侍女たちも気を揉んでいた。イズリーシュ宛に、侍女たちからお伺いの手紙を出してみたのだが、今は本当に忙しい時期らしくイズリーシュの直筆で詫びの品と手紙が返ってきた。

リッチェはそれをメリッサに差し出しながら、イズリーシュに決してメリッサを蔑ろにする気はない旨を伝えたのだが、メリッサは「ありがとうございます、わかりました」と答えただけだった。


その返答を聞いたリッチェは立ち上がって、イズリーシュからの手紙とお詫びの品をそっと机の上に滑らせメリッサの前に置いた。

「メリッサ様、どうかこちらをご覧ください」

「‥はい」

リッチェの有無を言わせぬ口調に、思わず封筒を手に取った。

宛名を見れば、流麗な文字でメリッサの名前が書いてある。さすがに皇太子殿下は字も美しいのだな、とメリッサはぼんやり思った。

横からリッチェがペーパーナイフを差し出してくれたので、それを受け取りのろのろと開封する。



メリッサ

あなたのもとを訪れられない私を許してくれ。

いや、‥あなたのためには私は訪れない方がよいのだろうか。

私があなたに無理なことを強いているのはよく理解している。あなたはきっと私の顔を見たくないと思っているかもしれない。

だが、あなたを軽んじていないと周りにも知らしめるためにも、やはり私はあなたのもとを訪れるべきだと考えている。

今は公務が立て込んでいてなかなかそちらへ行けないが、あと十日ばかりもすれば少し落ち着くはずだ。

あなたには大変不快かもしれないが、またその頃にはあなたにお会いしたい。

何か、欲しいものややりたいことがあれば、できうる範囲で応えるように東宮官庁にも申し伝えておく。何でも申しつけてほしい。

少しでもあなたが心穏やかに日々を過ごせることを願っている。

                                イズリーシュ


読み終えてから、リボンがかかった箱を開けてみた。

以前、イズリーシュと話した時に話題に出た、近隣諸国との歴史をわかりやすくまとめた本と、小さな焼き菓子、そして紫色に輝く美しい石があしらわれ金で出来た細身のバングルが入っていた。

本は確かにメリッサが読んでみたい、と言っていたものであったし、焼き菓子は美味しい、とイズリーシュとともに食した時に思わず言ったものだった。

そして、紫の宝石がいくつも細かくあしらわれた細い金のバングル。


「‥綺麗」

「お付けになりますか?」

リッチェに問われ、一瞬心が揺れたがすぐに首を横に振った。紫色はイズリーシュの瞳の色だ。恋人でもない自分がイズリーシュの瞳の色を身につけるのは、おこがましく感じられて気が進まなかった。

「ではお茶をお淹れ致しましょう」

焼き菓子を見たからか、リッチェはそう言って一度下がった。


気を遣ってもらっている。リッチェにも侍女たちにも、そしてイズリーシュにも。


ここまでしてもらっておいて、イズリーシュを受け入れられない自分がとんでもない我儘を言っているような気さえしてくる。

イズリーシュのことが嫌いな訳ではなかった。

ただただ、恐ろしかったのだ。いずれ会わねばならぬ皇帝陛下や皇后陛下も、いずれ出席すべき公式行事やパーティーも。

平民で、何も持たない、持っているものはイズリーシュの子を産めるという能力でしかもその事は他の者たちには知らされていない。

皇宮の者たちからすれば、メリッサは「皇太子殿下の気まぐれで婚約者におさまった運のいい平民」にすぎないのだ。あの、悪意溢れる貴族社会で、自分が生き抜ける気が全くしなかった。


だが、イズリーシュは?


メリッサは、今まで平民としてそれなりに苦労はあったが、日々充実した時間を過ごしていた。友達も自分で選べたし仕事も自分で考えて皇宮に勤めると決めた。

イズリーシュは生まれた時から皇太子で、他に兄弟もいない。おそらく小さい時から皇帝になるべく、帝王学をはじめとしたさまざまな学問をおさめる必要があったに違いない。メリッサと同じ十八歳という若さでありながら、貴族院の者たちや大臣たちと同等に渡り合い、属国や他国にも外遊に行っている。


メリッサはそこまで考えて、はっとした。

イズリーシュは、いつもメリッサの話を聞き、侍女たちにメリッサの様子を聞いてメリッサの好むものを贈ってくれたり話題にあげたりしてくれていた。

だが、メリッサはイズリーシュ個人のことを何も知らない。


‥‥知ろうとも、しなかった。


ササライの言葉がふと頭に浮かぶ。


『身分の高い方には二種類の人間がいるってぼくは考えてます』

『一つには、身分の高さをその人の価値だと思い込み、そこに疑問を抱かず胡坐をかいている下劣な人間』

『また、一つには、高い身分には相応に義務と責任が付帯することを理解し、それに見合う働きをしようとする人間』


イズリーシュは確実に後者の方の人間だろう。

そして、今自分は、前者の方の人間になりつつあるのではないか。イズリーシュを<皇太子>という記号でしか見ていなかったのではないか。


イズリーシュがどんな気持ちで、ほぼ初対面の平民の女を婚約者に据えようと思ったのか、その葛藤をメリッサは知らない。そして知ろうともしなかったし想像しようともしなかった。


ただただ、自分が憐れで我が身に降りかかった不幸を嘆くだけだった。

自分に与えられたものを享受することで精いっぱいだった、という言い訳もできるかもしれないが、イズリーシュの多忙さを考えれば言い訳にはできないだろう。


少しずつ積み重ねてきた勉強の甲斐もあって、なぜイズリーシュがこれほど直系の跡継ぎににこだわるのかも、今ならもっと理解できる。


メリッサは立ち上がって書き物机の方へ歩いて行った。そして振り返って、ちょうどティーワゴンを押して戻ってきたリッチェを見た。

「リッチェさん、‥‥殿下にお返事を書きたいんですけど、出来上がったら変なところがないか見ていただけますか?」

リッチェは、思わず口に片手を当てた。そして満面に笑みを浮かべて何度も頷いた。

「ええ、ええ勿論でございますとも!あの、すぐに便箋をお持ちしますから、メリッサ様はそちらの紙に下書きをなさっていてくださいませ!」

リッチェはそう言ってもう一人の侍女にティーワゴンを預け、すぐさま部屋を出ていった。


お読みくださってありがとうございます。

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