旧童楽寺トンネル 1話
これは私が大学3年生の時の話だ。
私、須賀野光莉は、中学時代の同級生で、大学で再会した友人だった磐岬寧音に誘われて、県内でも有数の心霊スポットに行くことになった。今では後悔しかないが、この時はまだあんなことが起きるなんて想像もしていなかった。
ことの始まりは夏休み中の8月9日金曜日のことだ。息抜きと題して寧音に肝試しに誘われた。初めには行く気になれなかったけど、強引な寧音の言葉に負けて、行くことを決意した。私がついていく条件として、危なくなったらすぐに帰ることを言ったけど、多分、寧音は聞く耳を持っていなかった。
翌日、寧音から決行は明日の8月11日に決まったとメッセージが送られてきていた。集合場所は近くのショッピングセンター。集合時間は日を跨ぐ前の23時30分。ショッピングセンターから心霊スポットまでは寧音の友人でもあり、私のサークル仲間でもある飯口春人が代表して車を出してくれることになった。
現地集合なら私も山奥まで車を走らせないといけなかったから、誰かが運転してくれるのならそれに乗っかる他ないと思った。まだ免許を取りたてで狭い山道は特に自信がないから。
当日の昼間。心霊スポットに行くのだから持っていくものは何かないか。と、寧音に訊いたが、寧音はスマホさえあれば大丈夫。と、寧音がそう言うのならと、寧音の言葉を信じお菓子と飲みもの以外は何も準備をせずにのんびりとしていた。
たとえ友人の言葉であっても、信じ込む前に自分で考えて行動をとった方がいいと後で気づかされた。
時は過ぎて、夜の23時30分。
私は約束の時間に約束の場所を訪れた。ぴったりの時間に着いたのだが、そこには誰もいなかった。
寧音は時間にルーズだから、10分くらい遅れることが当たり前だ。だから私も早めに着かないようにはしている。
よくそんなんで友達をできていると思っているだろうけど、時間を気にしなくていい遊びをすれば、少し遅れることくらい何も気にしなくなる。まあ、待ち時間が暇であることには変わりないけど。
そんな時のためにスマホにくだらないゲームを入れている。短い時間の暇つぶしになるように。最近では漫画を見ているときによく流れてくる、試験管の中に入った色付きのものを揃えるゲームをしている。くだらないゲームだけど、ハマればできないこともない。短い時間の暇つぶしにはこれくらいが丁度いいいいんだ。
気がつけば時刻は23時35分になっていた。
そこへ、1台の車がショッピングセンターに入ってきた。闇に紛れるかのような真っ黒の軽自動車。駐車場は広々としているのに、隅っこに停めてある私の隣に停める。
これが飯口の車か。
助手席に乗っていた寧音が降りて、私の車の運転席の窓をコンコンとノックする。
車内で充電していたスマホを充電線から抜き取りエンジンを切って、車の外に出て車に鍵をかけた。
「お待たせ光莉」
「今日は早かったね」
「“今日は”って私ってそんな遅刻魔?」
「え? 自覚してないの?」
「みんなに言われるからしてますよ……」
「しているのなら良かった。それよりも行こうよ」
「そうね」
寧音が助手席に座るってことは私は必然敵に後部座席。こっちの方が1人で落ち着けるからいいけど。
後部座席の扉を開けた私は、中に見たくなかったものが乗っていたから1度扉を勢いよく閉めてしまった。
先に助手席に乗り込んでいた寧音がサイドウインドウを下ろして言った。
「光莉? どうしたの?」
「寧音。3人じゃなかったの?」
「あ、ごめん。光莉に言うの忘れていた。どうせなら人数も多い方がいいかなって。桂君って光莉と同じ高校なんでしょ」
だからって大丈夫じゃないんだ。同じ学校だったとしても馬の合わないやつくらいいるだろう。パターンとしては最悪だ。
「よりにもよってなんで」
「春人と仲いいんだって」
私も同じサークルだからなんとなくは知っているよ。よく話しているなって思っていたよ。でもね。こいつだけは違うんだよ。
こんなことなら断ればよかった。まさかこいつまでいるなんて、想像もつかなかったよ。
「光莉? やっぱりやめる?」
隣があいつなのは腹立たしいけど、それよりも寧音が心配だから。男2人に女1人は危険だから。
「行くよ。寧音を1人にはできないから」
寧音がサイドウインドウを閉めたのを見て、不本意ながら私も寧音の後ろの席に乗り込んだ。
「春人運転よろしくね」
「任せとけ。俺が1番経験あるからな。俺の運転技術を見せてやりますよ!」
前の2人、後ろに人が乗っていることに気が付いてないのか、仲良くしちゃってる。あんな奴のどこがいいんだ寧音。こいつはこの間ミラーを木にぶつけていたんだぞ。それも経験だというのなら、確かに1番の経験者だ。そんな運転でこれから狭い山道を行くというのに大丈夫なのか。ますます不安だ。
「須賀野さんもよろしくね」
隣で桂が私に言った。私は聞こえてないふりをして、外の何もないただ暗いだけの町の景色を見ていた。
こいつやっぱり苦手だ。
前の席2人は、くだらない話で盛り上がっていて、後ろの席2人は、どちらも無言。非常に温度差の激しい車内だった。
ショッピングセンターを出て車で走ること5分。平坦な道のりは終わり、山道に突入した。さっきまであった街灯は急に姿を消して、車のライトがないとほぼ真っ暗な道になった。
真っ暗な山道を車で登こと10分。
旧童楽寺トンネルのある手前のカーブミラーまでやってきた。ここから先は1本道になっていて、車で登ったらバックで降りてこないといけなくなるから、Uターンができるこの場所からは徒歩で向かうのが今では定石になっている。距離は100メートルもない。
噂程度の話だけど、この場所から徒歩になったのは、心霊スポットとしてはあまりにも恐ろしくないからだとか。少しでも夜道を歩くほうが恐怖心に駆られるからだとか。有名になればなるほど背鰭尾鰭のついた噂が流れる。この場所についての真実は、噂が多すぎてもはやわからない。
「よし、じゃあ、順番決めようぜ。シングルとダブルどっちにする」
車から降りると飯口が言った。
何だよシングル、ダブルって。
「私、怖いからダブルがいい」
「公平はどっちがいい?」
「僕はどっちでも」
「須賀野は?」
「私は寧音に賛成」
何のことかわからないけど、寧音の言っていることに賛成しておこう。
「よし、じゃあ、ペアになっていこうぜ。ペアはどうして決める?」
「じゃんけんでもする?」
男子2人で勝手に盛り上がっているところに寧音が何かを言いたげだ。
まあ、大体寧音が何をしたいのかわかった。飯口とペアになりたいんだろ。そしたら、私は必然的に桂とペアになってしまうな。嫌だけど、寧音のためならいいか。
「面倒だから、車の前と後ろに乗っていたペアでいいんじゃない」
私が喋ったことによって場の空気が一瞬固まってしまった。
悪かったね。普段喋らないやつが喋って。
「じゃあ、それでいこう!」
飯口がそう言ってくれたことによって、賛成多数でもないのに、そう決まった。
「じゃあ、提案者の俺たちから行ってくるよ」
顔の前で小さく手を振る寧音に手を振り返して、飯口の車の前で待っていた。ボンネットは夏には少し暑く、車からは少し距離を置いてだ。
暇だ。
スマホをいじりたいけど、あまり使いすぎたら肝心な時に充電が切れたりするから、あまり使いたくないし。隣のやつとは話ができないから暇だ。空ももっと開けていたら星とか綺麗なんだろうな。木が多すぎて空が見えないや。
私が空を見上げていると、隣の男がつぶやいた。
「暇だね」
話したくなかった私は聞こえていたけど、聞こえていないふりをした。すると、諦めの悪いのかまた私に話しかけてきていた。
「須賀野さんってもしかして俺のこと嫌い?」
よくわかっているじゃないか。それがわかってなんで話しかけようとするんだ。もしかしてバカなのか。まあ、同じ底辺高校出身だからバカなのは知っているけど。
「須賀野さん。何か話してないと怖くない?」
それ以上にお前と話をするのが嫌なんだよ。それがどうしてわからない。嫌っているやつと進んで話がしたい奴なんていないだろ。
私は徹底的に無視を続けるが、桂は懲りることなく話しかけてくる。
「幽霊とか特に未知のものだから怖くない? いないって信じたいけど、こんなところに来てしまうとどうしてもいるんじゃないかと思ってしまうよね」
こいつ本当に鬱陶しいな。寧音早く帰ってきてくれないかな。こいつの隣やっぱりいやだ。我慢ができない。
「須賀野さんって幽霊怖くないの?」
こいつどれだけ諦め悪いんだ。もういい加減にしてくれ。私の話しかけるなオーラも感じ取れないほど鈍感ではなかっただろう。
「お前うるさい。無駄話はしたくないから黙ってて」
桂は黙ったけど、さすがにちょっと言いすぎたかな。まあ、こんなやつにどう思われようが今更どうだっていいけど。
「俺ってやっぱり、随分と嫌われているんだね。何となく気づいていたけど……」
「当たり前だろ。あんなことがあったのだから。逆に女子から嫌われてないと思っているのだったら相当なナルシストだと思うぞ」
「やっと口を聞いてもらえると思ったら、ひどい言われようだな」
何で笑っているのこいつ。キモ。
「お前あの事件の犯人だろ。軽蔑されて当然だ」
あの事件とは、高校1年のとき、クラスの女子ランキングというものが出回った事件だ。
「それ……まだ言われるんだな」
「未来永劫。出会うことがあれば言われ続けるだろ。あれは人として最低だ。逆にお前はあんなことされて嬉しいのか」
「嬉しくはないけど、気にはしないかな。自分の評価なんて高が知れていること知っているから」
「佐東にされても同じことが言えるのか?」
「ああ……それはちょっと考えるかな。何でお前にそんなこと言われないといけないんだって」
「それと同じだ。どちらも侮辱してることには変わりないけど、自分の物差しで人に点数をつけていいわけがないだろ」
地味に私は高順位だったことは本当に寒気がした。
「水を差すようで申し訳ないけど、須賀野さん多分勘違いをしているよ」
は? 確かに真実は聞かされていなかったけど、私が知っていることが1番有力説だろう。女子の間ではそうだった。まあ、出どころは佐東だけど。この件について佐東が大嘘をつく理なんてないだろ。
「それって……」
桂に真実を聞こうとしたが、そんなタイミングで飯口と寧音がいちゃつきながら戻ってきた。
「楽勝だったな!」
「嘘ばっかり。上から落ちてきた葉っぱにびっくりしていたじゃない」
「あれは誰だってびっくりするだろ」
寧音が嬉しそうで良かったけど、今の私はそれどころじゃない。
「桂行くぞ」
「はいはい。じゃあ、次は僕らが行ってくるよ」
寧音と飯口が「いってらっしゃい」と言っていたけど、それよりも桂の話が聞きたくて聞こえてないふりをした。
「桂。今更だが、真実を聞かせてくれ」
「いいけど、もう少し進んでからにしよう。あまり春人と近いと聞かれるかもしれないから」
舌打ちをしそうになったのを直前で気づいて口を閉ざしたが、バレなかったかな。
「そろそろいいだろ。それに、あの2人は私たちの会話なんて聞く気がない。遠く離れなくても聴かれる心配はない」
成り行きで先を歩いてしまっているけど、ちょっと怖い。最後尾ってのも嫌だけど、今この時は後ろの方が有利ではないか。背後には寧音と飯口がいるんだから。
「ああ、そうだね。そろそろいいかも」
「いいかも」と言った割には、こいつはなかなか話し出さなかった。
「お前言う気ないだろ」
「言う気はあるよ。でも、僕の方でも心の準備と言うか、ちょっと考える時間を頂戴」
「何言っている。ここはそんなに長くないのだからそんな時間はないぞ」
「分かっているけど、どう話したらいいのか分からないんだ」
お前コミュ障だったか? 大学では誰にでも普通に話していたじゃないか。コミュ障のフリして話せなかったってことにするなよ。
結局桂が話し出すようになったのは、私と桂が壁に触った後のことだった。
壁から飯口の車まで長い距離はないから、時間を作るために普段よりも遅いペースで歩いた。
「須賀野さんが勘違いしているってのは、僕があのランキングを作ったってとこだよ。僕はさ、あれを北森から見せられたの。北森が言うには僕が1番最初に見た男子だったみたいだから、誰かと一緒に作ったわけではなさそうだった。もちろん男子の誰も関わってないとは思ってないけど。で、問題はそのランキングのこと。あれを佐東に送ってしまったのが僕なんだよ。こんなので身の潔白を証明することはできなと思うけど、これが真実。多くの男子はあのランキングに関わっていないよ。男子の中枢にいた僕が知る限りではね」
私の第一印象としては桂が嘘を言っているようには見えなかった。桂は嫌いな相手だけど、男子の中では優秀な方。何をするにあたってもこいつは常に中央付近にいた。もし男子が全員でランキングをつけるとして、こいつのところに話が来ないのはおかしいと言うわけだ。
「それを自覚しているのもなかなかにキモいな」
何も言わない桂の顔をスマホで照らすと、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を浮かべていた。
「何?」
「いや、まさか。嫌われているのはわかっていたけど、直接そんなこと言われるとは思ってなかったから」
「今更だろ」
「それもそうだね。他に何か聞きたいことない? 思い出したくない話ではあるけど、隠しているほうがもっと嫌だから」
何言っているんだ。お前はそんないい感じのやつではなかっただろう。腐りきっている人間の方が私もひどい言葉が言えるのに。
「じゃあ訊くけど。なんで佐東に漏らしたんだ?」
桂もこれだけは訊かれたくなかったようで、聞いたこともないくらいの長いため息を吐いた。
「あれは僕のミスというか。北森が送ってくれたのを佐東に見られてしまったんだよ。今となってはあの時の僕はおかしかったと思うよ。佐東の言葉なんて聞くんじゃなかった」
こいつもこいつで後悔していることはあるんだな。
「あんな奴のどこがいいんだか」
「最初はみんな感じたと思うけど、男子にも優しい女子ってなかなかいないからね」
「美人局とかに引っかかりそうだな」
「限定せずに広義の詐欺って言葉にしてほしいけど」
「事実だろ」
「まあ、そうだね……」
これ以降、飯口の車に近づいてきたため会話を終わらす。
「公平。どうだった?」
「ああ、何も起きなかったよ」
私も寧音に訊かれる。
「光莉ー。大丈夫だった?」
「うん。大丈夫。何も起きなかったよ」
このまま帰る流れになるのかと安心していたけど、飯口は全く満足いってなかったみたいで。
「時間もあるし、あのトンネルの中に入れる穴がないか探してみないか?」
と言い出した。
「はあ! 終わったら帰るんじゃなかったのか!」
「そのつもりだったけど、何も起きないなんて拍子抜けじゃんか。こんなんじゃ帰れないだろ」
「私たちに霊感がなかったってことでいいじゃないか! みんながみんな心霊現象に遭遇しているわけじゃないんだから」
「だったら多数決で決めようぜ。それなら文句ないだろ」
嫌な流れだな。ある程度の正当性はあるとして、勝ちが初めから決まっているから言い出したのだろう。都合のいいことには民意を都合の悪ことにはマイノリティーを。どこかの政治家かお前は。
「わかった。それでいいよ」
「よし。じゃあ、捜索するに賛成の奴は?」
言い出しっぺの飯口は手を挙げるとして、飯口の言いなりになりかけている寧音も手をあげる。なんでお前まで挙げるんだ桂。お前だけは挙げるなよ。この裏切り者め。
「賛成多数ってことで続行ってことでいいな」
「ああ。寧音が言うのならそれでいいよ」
嫌だけど仕方ない。寧音がそう言うのなら。