追憶は空しくあり、癒しはあなたの愛にあり。
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# 「The Tower」は、劇的な変化を象徴します。
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私は医師の夫と二人で暮らしています。何不自由のない生活をしているはずなのに、とても不自由です。何か不満があるんですけど、上手く言葉にできないんです。自分がバラバラになりそうな気がして、必死に自分で自分を抱えながら生活しているみたいです。
最近は悪い夢をよく見るようになりました。夢の中のことは覚えていないんですが、叫び声で起きてしまうと、大切なものを失ったような悲しい気持ちになり、しばらく泣きやまなくなります。夫を起こしてしまうので、寝室を別にしてもらいました。
夫に名前を呼ばれても自分のことだと気づかないことがあります。夫は治療の副反応でそういうことがある、一般的には数カ月もすれば定着するからといって、あまり気にしていないみたいです。
鏡を見ていても、鏡の中の自分の顔が、突然に別人のように感じることがあります。まるでホラー映画みたいです。さすがに錯覚だと思いますが、不安だったので、一度だけ治療をしてくれた夫に「治療に何か問題はありましたか?」と聞いてみました。
すると、いつもおとなしい夫が突然激しく怒り始めて、私を罵倒し続けたので、本当に怖かったです。 私の処置は完璧だ!お前が問題なんだ!と、繰り返し言われたので、いまもあの形相が頭に残っています。
あの出来事から、もう夫には相談できなくなりました。また怒鳴られたらと思うと怖くて相談できません。でも、ひどい人だと誤解されそうですが、夫は優しくて、常に心配してくれています。悪夢が怖くて眠れないだろうと、眠れるように薬も処方してくれました。
夫が仕事に行っている間も、洗濯や掃除などの家事をしながらも、いつになったら治るのか、とても心配で落ち着くことができません。夫にも話していない出来事もあります。それも含めて、誰かに全て打ち明けて、話を聞いてもらいたいとずっと思っていました。
そんな時に、占い師の噂を聞きました。すごい人だって評判で「千年を生きた見者」と名乗ってるらしいです。高度な医療進歩によって肉体的な寿命がなくなったと言われて久しいこの社会でも、百年や二百年を生きてる人はいますが、なかなか千年も生きてる人はいません。いい加減な嘘つきのように思うのに、それでも女性に評判です。占い師としては優秀で、不思議な雰囲気が魅力的で、長身の男前らしいのです。
なかなか予約がとれないらしいんですけど、思い切って予約して行ってみることにしました。
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# 「The Fool」は、旅立ちを象徴します。
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長く生きているが、今ほど驚愕した事もないだろう。突然に別れを告げられて連絡が取れなくなった恋人が、いま、目の前に現れたのだから。予約された名前を見直すが、それは彼女の名前ではない。雰囲気こそ別人のように変わってしまっているが、かつて将来も誓い合った恋人に違いない。俺が彼女を見間違えるはずもない。
「よろしくお願いします……」
細く弱々しい声で語りかけてきた。あの天真爛漫で周りを全て明るい気持ちにしてくれた笑顔は何処に?動揺しながら、彼女に席に座るように促し、俺も対面の椅子に座る。じっと彼女を見つめるが、彼女は俺を見ても、かつての恋人だったと気づいていないように思う。あれから時間もずいぶん経ったから、生まれ変わり治療を受けて、俺のことなど忘れてしまっているのかもしれない。
生まれ変わり治療、それは、記憶の最適化とも言われている。医療技術の進歩により、老化や怪我や病気であっても細胞単位で健全な状態に更新できるので、不老不死といっても良いほど、からだの老いから解放されたのだが、今度は精神の老いが問題になった。
生きていれば、悩みや後悔は溜まっていくばかり、それをしっかり明日への糧に出来る者もいれば、囚われて心が壊れてしまう者もいる。その治療法として、記憶の一部を引き出して、消したり曖昧にしたりと最適化処理をした上で、体に戻す方法が考案された。それが「生まれ変わり治療」という。
失恋の記憶などは、人によっては真っ先に忘れてしまいたい記憶のひとつだろう。彼女もきっと、生まれ変わり治療を受けて、俺のことは忘れたのだろう。だとしたら、下手に俺が元恋人であることを打ち明けて、記憶を刺激してはよくないことになる。黙っていよう。それが良い。
俺は彼女のことが忘れたくなくて、生まれ変わり治療を拒否しつづけているのだが、男と女の過去の恋愛に対する考えの違いだろう。
女は過去の恋愛を塗りつぶして新しい恋愛を、男は過去の恋愛が消えないように空白を探して新しい恋を書き足していくという。塗りつぶされたものはもう戻らない。そう自分の中で言い聞かせながら、占い師として、彼女に向き合う。
「では、まずはお話を聞く前に、タロットカードを用いてあなたの過去、現在、未来を見させてください」
「は、はい、先に占うんですね」
「ええ、お話を聞いてしまうと、占い結果が純粋なあなたの運命ではなく、私の気持ちが入り込む事もありますので、先入観を持ちたくないんです」
「わかりました、お任せいたします」
俺はわかったような事を言ったが、タロットカードについては少し習った程度の素人だ。これはあくまで、本心を出しやすくするための演出にすぎない。誰しも悩みを抱えてここにくるが、気持ちが強すぎて、ただ愚痴を言うだけになってしまう。聞きたいのは上辺の不平不満ではない、もっと本質的な部分だ。
俺は、静かにタロットカードをテーブルの上に広げて、ゆっくりとシャッフルした。その様子をじっと彼女が見ている。占うべき彼女の様子をうかがいながら、シャッフルを止めるタイミングを計る。そしてタロットカードを一つにまとめ、一枚、二枚、とタロットカードを数えるように、カードの山から手に取り、6枚を手に取ったら横に置く。そして、7枚目、8枚目、9枚目を、彼女の前の置く。
「あなたの過去、現在、そして未来を見せていただきます」
「はい……」
「最初のカードは月の正位置です。月は深層心理や感情を象徴し、不誠実、秘密がある、不安などを示しています」
「秘密がある……」
「次のカードは吊るされた男の逆位置です。自己犠牲や新しい視点を求めることを示しますが、逆位置では、停滞や抵抗を示しています」
「……」
「最後のカードはタワーの正位置です。タワーは突然の変化や崩壊を象徴し、過去の枠組みや信念が崩れ去ることを意味します」
「……つまり、どういうことですか?」
「私は、貴方を見た時から、貴方の過去と現在に大きな隔たりがあるのを感じていました。貴方自身も自分の過去になにか秘密……、あるいは疑惑を抱いていますね。現在の貴方は囚われている、いや、囚われているというよりも、くさり、くさび……、そうですね、偽りではない過去から、強いメッセージを受け取った、のではないでしょうか。それが鎖となって、あなたを守っている、あるいは楔となって、とどめている。これ以上に壊れてしまうのを、どうにか保っている。でも、それも長く続きません、いずれ崩壊に至るでしょう」
「……!」
「では、あなたのお話を、聞かせていただけますか?」
「はい、ぜひ、聞いてください」
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# 「The Magician」は、自己変容と創造性を象徴します。
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評判に違わぬ占い師だと思いました。まさに、私が悩んでいる本質を言い当てました。特に、彼が言った「メッセージ」という部分には驚きを隠せませんでした。そのことは、誰にも、夫にさえ打ち明けていなかったのです。
「私は数カ月前に、生まれ変わり治療を受けています。そして記憶は復元されているはずなのですが、その記憶に強い違和感を感じているのです。まるで別人と間違えたのかと思えるほどに」
私は彼にどのようなことで悩み、苦しんでいるのかをいっぱい話しました。悪夢のことも、ときおり鏡に写る自分が別人のように見えることも、夫に対する恐怖や嫌悪感まで。
「……治療をしてくれたのは夫ですが、夫にそのことを相談すると、ひどく叱られてしまうのです」
うなずいたりして聞いてくれていた彼が、手をあげて、私の話を止めてから、言いました。
「すみません、ひとつだけ。記憶の復元方式は何を選択しましたか?」
「デジタル化、というのですか?そのやり方だと夫から説明されました」
「なるほど、最新式の精神遺伝子保管や意識エッセンスの量子化ではないのですね」
「えっと、それはいったい……?」
「旦那様は説明されていない、のですね。記憶の復元方式にはいくつかやり方があるのですが、それぞれメリットとデメリットがあります。記憶デジタル化は最も古いやり方で、実積が多く、拒否反応などの問題が起こった時にやり直しがしやすいんですが、デジタル化の際に、感情的な情報や本人が意識する情報の重要性、つまり大切にしたい思い出とそうじゃない思い出の区別がつきにくくなってしまうんです」
占い師がとても詳しく記憶の復元方式を説明してくれるのですが、聞きながら、私はとても不安になっていました。すべてを夫任せにしたことが今になって仇となり、何か問題があったのかもしれないのに、それを追求することの障害になっているように感じました。復元方式で、そんなに差があるなんて、夫は説明してくれなかった。
「記憶デジタル化では感情の持ち越しが不十分となり、別人のように感じてしまうことがあると聞きました。しかし、それは生活する中で解決していくものだと言われてますね」
「ええ。夫にもそういわれました。でも、それだけじゃないんです」
「それが、メッセージ、ですね」
「はい。まさにおっしゃる通り、ある日、身に覚えのない宛先から封筒に入った手紙が届いたのです。開いてみると、たった一言だけ書かれたメッセージカードのようなものが入っていました。すぐにそれが、治療を受ける前の私からのメッセージじゃないかと感じました」
あのメッセージを見た時、私は何か言葉では表せない衝撃を感じました。嫌悪が全身を駆け巡りました。誰にも言えないような恐怖に支配されていました。よく改めもしないで、そのまま封筒と一緒にゴミ箱に投げ入れました。
その一言だけみたら、何でもないことのようにも思えますが、デジタル化されていない、手書きの情報には強い感情がありありと表現されていたのです。それは警告だと感じました。
「なんと書かれていましたか?」
「恋をするな、と書かれていました」
私は非常に困惑していました。なぜ過去の自分がそのような警告を残したのでしょうか。独身ならともかく、既婚者の私に「恋をするな」とはおかしな話です。こんなこと夫に見せたら、また叱られてしまうのではないかと思って、封筒もメッセージカードも見つからないようにすぐに処分しました。
「それこそが、塔を破壊する神の雷か、あるいは……」
「……私はどうすればいいのでしょう?」
私は今後の行動に深く迷っていました。どのように対処すればよいのでしょうか。
「占術師として、私情をはさまず、タロットカードが示す運命をあなたに伝えるとしたら、それは、すべてを一新する覚悟で現状を受け入れ、新しい人生を生きてみるのも良いでしょう、と言います。でも……」
「でも……、貴方は違うとおっしゃるのですか?」
「恋を、しませんか?」
「え?」
じっと見つめられた大きな瞳はとても透き通っていて、睫毛も長く、いつまでも見てられるほど整った顔をしていて、見とれてしまいそうでした。そんな真剣な表情で、恋を語られたら、私の意思など関係なく、心がときめいてしまう。ドキドキとしてしまう。
彼は立ち上がり、きれいにお辞儀しながら。
「私に、本来の貴方を取り戻す、お手伝いをさせてください」
真剣にそう言ってから、顔を上げて微笑みました。
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# 「The Hermit」は、内なる声に耳を傾けて孤独な探求の旅に出る賢者を象徴します。
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彼女が帰った後、申し訳なく思いながらも、予約をすべてキャンセルすべく、しばらく休業しますとお詫びの連絡を続けていた。俺は許可していないのだが、雑誌などで女性に評判の占い師として取り上げられたこともあって、予約はずっと先まで埋まっていた。しかし、彼女の問題を解決するためには、時間が必要になった。何よりこんな精神状態で繊細な占いはできない。
彼女はきっと何か大きな問題に囚われている。何かおかしい。
彼女には「生まれ変わり治療の副反応で、感情の継承が不十分だから別人のように感じる」と説明したが、それは本人だからこそ感じる些細な違和感が連鎖的に大きな違和感になるのが一般的だ。ボタンの掛け違いのように、ジグソーパズルで一つだけ違ったパズルのピースが混じってるかのように。しかし、彼女の場合はそれ以上の大きな違いを感じている。過去の彼女を よく知る俺からしても、彼女はまったく別人のように感じられる。
恋をするな。その一言だけが、今の彼女をギリギリ保っている、そのメッセージを受け取っていなかったら、きっと彼女はもう全くの別人としての自分を受け入れ、こうして俺と再会することもなかっただろう。それはきっと、助けを求める叫び声だ。
彼女の話を聞いて、気になったのは「記憶の復元法」だ。彼女にも説明したが、それ以上に記憶デジタル化には問題が多く、今は使われていない方法だから。どうして彼女の夫は、問題のある方法を彼女に一切の説明もなく選択したのだろうか。
別れた恋人のことを調べるなんて、未練でもあるのかと気味悪がられそうで、気が進まないが、彼女には助けが必要だから、これも運命と思う事にしよう。
彼女と彼女の夫のことを調べてみることにした。俺は長く生きていて、多くの人の悩みなどを聞いてきたこともあって、人脈は広い。捜査官関係者にも知り合いはいるので、少し話を聞いてみようと思った。
新たに連絡先を交わした彼女から、メッセージが届いた。良かった、俺からのデートの誘いを受けてくれるそうだ。彼女にしたら、今の状況をどうにかしたい一心なんだろう。良く知らない男とデートするというのだから、不安も感じているに違いない。しかし、我に策あり。彼女の好みはわかっている。
俺は、彼女を取り戻す。
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# 「The Empress」は豊饒、愛情、母性といった女性性を象徴します。
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「お待たせしましたか?」
待ち合わせ場所に着いて彼を探していると、今ちょうど来たかのように彼が声をかけてくれました。
「いいえ、今、ついた……」
振り返りながら、お決まりのようなセリフが自然と出てきたのですが、彼を見て、思わず言葉が途中で止まってしまいました。こうして明るい日の光の下で見ると、よりはっきりわかります。この人、背がすらっと高くて、肌が透き通っていて、清潔感があって、おしゃれで。とかく一言で言えば「男前」「イケメン」です。
「よかった、今日は来てくれてありがとうございます。ちょっと先にお話ししたいので、近くのカフェに行きませんか?」
「はい」
言われるがままについていく私は、彼に促されるまま、彼の手を握って、歩き始めました。イケメンって、何をするのもスマートなんだなぁとか、自分でも何を思ってるのかわからなくなってます。彼に案内されて、静かな雰囲気のカフェで、席について、紅茶を一口飲んで、ようやく彼をまじまじと見ました。
「それで、今日のデートプランなんですが」
「デートプラン!」
「ええ。いつもは旦那様と休日はどうすごされてますか?」
デートの始まりだというのに、いきなり他の男の話をして現実に戻してくれるな!と思ったが、まあ、それは私の事情からしたら、やむを得ないのかもしれない。
ちなみに、今日のデートのことは夫にきちんと伝えてあるが、気分転換になるなら、と言われただけ。その夫とのデートと言われても、そもそも医師である夫は忙しくて、休日にどこか出かけるなんてことをしたことがない。
「……そうですね、復元した記憶では美術館巡りをしてた、とあるんですが、今の私は美術品にそれほど興味はないみたいです。知識としては知ってるんですが、何か感情が伴ってません」
「そうですか。では、私からの提案を聞いてほしいんです」
「ぜひ。もうすべてお任せします」
イケメンに任せるに限る。そう思って、もう一口、紅茶を飲んで、イケメンを眺めて。心が落ち着いていくのを感じる。イケメンは癒し。
「ゲームをしにいきましょう」
彼に連れてこられたのは、大きなアミューズメントセンターだった。少し戸惑う、こういうところに来たこともなく、ゲームなんてしたことがない。ここで何をするというのだろう。そう思っていたら、彼が「何も聞かずに、このゲームをしてみてください」という。
存在感のすごい太鼓がデデンと置いてある。
「太鼓のゲームですか?」
「ええ。簡単です、音楽に合わせて太鼓を叩くリズムゲームです。画面上に表示されるマーカーに合わせて、太鼓を叩くタイミングを合わせてプレイします」
彼が説明してくれる、マーカーは赤い「ドン」と青い「カッ」の2種類があって、画面に出てくる「ドン」は太鼓の中央を叩き、「カッ」は太鼓の端を叩く、と。
確かに簡単そうだけど、どうしてこのゲームを私にさせたいのだろう。疑問に感じながらも、彼がコインを入れて、ゲームをスタートしてしまったので、手渡された太鼓のバチを両手にかまえて、画面を見つめた。
その一時間後。汗だくになって太鼓をたたく私がいた。
「あー!おしい!最後に集中力きれた!」
「すごい、スコアランキング12位ですよ!」
「まだよ!まだこんなもんじゃないはず!昔は……」
むかしは?そう言いかけて、私は急に冷水をかけられたかのように、目が覚めるような思いでびっくりした。アミューズメントセンターには、来たことは無い。このゲームも初めてしたはず。なのに、昔はどうだというのか、私はもっと上手だったとでも言うのか。
「少し休憩しましょうか?自動販売機とベンチがありますから」
「はい……」
彼に促されて移動したが、私の心はまた強い不安に支配されていた。いつの間にか彼に手渡されたミネラルウォーターをぐっと飲んで、一息つく。そんな私の様子を見て、それでも彼は私の心情などにあえて触れることなく、にこやかに話をしている。
「次は何をしましょうか、おすすめは……」
「あの!」
「はい」
「どうして私にあのゲームをさせたんですか?」
「今は、占い師の勘ってことにしてもらえませんか?あのゲームが好きそうだなって占ったということに」
「え、それはどういう……」
「今は、この状況を楽しんでください。任せてください、心からきっと楽しめますから」
「それも、占いでわかってる、のですか?」
「ええ。そうです。千年を生きた見者ですから」
「それ、本当なんですか?」
「千年はさすがに盛ってますが、私はわけあって、生まれ変わり治療を受けたことが無いんです。生まれ変わってないのだから、体も魂も長生きしてる、ってことで、そう名乗ってます」
「いったい、何年くらい……」
「さて、三百年から先は数えてません」
「そんなこと、出来るんですか?心が疲れてしまわないんですか?」
「訓練をすれば、誰でも出来ますよ。脳が老化しないんですから。自分自身で頭の中に大きな宮殿を建てて、その中に記憶をきちんと整理して納めていきます。不要になった記憶はきちんと鍵をかけた部屋に納めます」
彼は簡単そうに言うけど、そんなに簡単につらい気持ちも悲しい記憶も整理できるなら、誰も苦労しない。生まれ変わり治療を誰も必要しなくなっているはずだ。
そうまでして、彼はなぜ生まれ変わり治療を拒んでいるのか。生まれ変わり治療を受けたのに何も知らない私に比べて、詳しく説明ができるくらい、熟知しているというのに。
「どうして?と聞きたそうな顔をしていますが、いずれ話をしましょう。でも今は、貴方が楽しむためにここに来ましたから」
「そう、ですね。そうでした」
気を取り直した私は、彼におすすめされたゲームを二人で楽しんだ。うっかり夕飯の準備する時間を過ぎてしまい、スーパーで総菜を買ってお皿に並べただけの夕飯を出したら、夫に嫌そうな表情をされた。でも、そんなの気にならなかった。
時間がなくてあわただしく、手を振って彼と別れたときの、胸を締め付ける寂しさに比べたら、夫のことはどうでもよくなった。
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# 「The Hanged Man」は、自己犠牲や転機を迎える状況を象徴します。
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彼女とのデートは、彼女のためと装いながらも、本心は俺も心から楽しかった。ゲームをしてはしゃぐ彼女を見て、出会ったときのような気持ちが今でも残っていることに気づいた。もう心の宮殿の奥深くに封じたはずだった気持ちが。
今日の彼女は、相談にきたときの別人のような彼女ではなく、俺と付き合っていたときの、明るく、無邪気で、可愛い彼女だった。手を重ねて、次はどのゲームをしようかと相談するのさえ、幸せな時間だった。
でも、デートが終わって。彼女は夫の待つ家に帰っていく。手を振って寂しそうに微笑んだ彼女を見て、思わず、彼女を引き留め、強く抱きしめたい衝動にかられた。
そうしなかったのは、彼女がまだ不安定な状態で、スキンシップによって急激に記憶の揺り戻しが発生したら、頭痛や吐き気などが彼女を襲う。彼女の体への影響を心配して。
いや、そんな冷静なふりをすることもないか、ただただ必死に我慢した、それだけのことだ。もし彼女が両手を広げてハグをうながしたら、彼女の心配などよそに、迷わず抱きしめていただろう。
不老不死と言えるほどに長く生きていようとも、どんなに医療が進んで記憶を消したり出来る世の中であっても、これだけはどうにもならない。昔から言うではないか、お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りはしない、ただ愛しい人の腕に抱かれるが唯一の救い、と。
冷静になりながら、今日のことを振り返る。
太鼓の達人を彼女にすすめてみて、はっきりした。彼女の記憶は、法的に規定された「生まれ変わり治療」から逸脱して、別人と言えるほどに、改ざんされている。
生まれ変わり治療の目的は、「精神の疲弊を治療する」ことなので、処置するのは「エピソード記憶」に限定されている。法的にもそう規定されている。その他の「手続き記憶」などには手を出さないはずだが、彼女はあれほどやり込んだ太鼓の達人で、最初は全くの初心者のようであった。しかし、続けていくうちに、生来のリズム感の良さや反応能力は治療の影響を受けておらず、体の使い方やゲームの要領を把握して、瞬く間に熟練していく様子は、水を得た魚のようで、彼女が彼女であることの証明にもなった。
これは何かある、そう確信するには十分な状況証拠だった。
彼女と彼女の夫のことも、人脈を駆使して調べてみると、夫のことはすぐに分かった。生まれ変わり治療を研究して臨床もする医師だ。優秀な人物のようで、いくつもの論文を発表していて、生まれ変わり治療の分野では、第一人者だ。
だからこそ、わからない。彼こそが、新しい記憶の復元方式を開発して、実践している人物だ。なのに、なぜ愛する妻の治療に、わざわざ問題だらけの古いやり方を使ったのかがわからない。
そして、もう一つ。彼に近しい人たちから、後ろ暗い噂も教えてもらった。彼が過去に結婚した女性は複数いて、そして皆が早くして亡くなっている。その死因は、未だに原因不明ということになってる。
不老不死が実現した現代医学をして、その最先端にいる夫にして、愛する妻の死因が不明のまま、追求せず、またすぐに新しい女性と結婚している。捜査分野の人たちが言う、彼と彼の妻の死には、なにか裏がある。彼に知られないように静かに捜査している、と。
これは探偵でもない俺の推理だが、彼女の夫は、地位や技術を悪用して、彼女の記憶を書き換えた。そしてこれまでも気に入った女性に対して、同じことをしていた。飽きたら記憶を消して、死因がわからなくなる方法で自分に捜査が及ばないような悪い企みをもって、殺した。
彼女はすでに夫の檻から解き放たれようとしている、それを知った男がいったいなにをするのか。
彼女が危ない。そう思い立ったとき。
スマートフォンが鳴り、彼女からメッセージの到着を知らせる。慌てて開くと、ただ一言だけ。
助けて、と。
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# 「The Lovers」は、決断と選択、二つの対立する側面の調和を象徴します。
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寝室に戻ると、そのままベッドに横にはなれず、今日のことを考えていた。
今日は時間を忘れるくらい楽しい1日だった。彼と一緒にいた時間があっという間に過ぎていって、できるだけ長く一緒にいたかった。会話も弾み、ずっと笑顔でいられた。二人でおいしいものを食べたり、ゲームをしたりと、特別なことをしたわけじゃないのに、彼と一緒にいられるだけで心がとってもウキウキしていた。
生まれ変わり治療を受けた後では、これが間違いなく初めての経験だったし、偽りかもしれない記憶を思い出しても、こんなに楽しかったことはなかったみたい。
あの治療を受けたとき、メモリークラウドに保存された記憶を受け入れたけど、そこにあったのは退屈で粗末な思い出ばかり。私の人生や思い出がこんなささやかなものなのかと、世界が狭くて窮屈に感じていた。
でも今日、彼と出会って、そうじゃないってことを教えてもらえた。一人で悩んでいた自分が少し恥ずかしくなった。何か特別なことをしなくちゃいけないって思い込んでいたみたい。
でも、そうじゃないってわかった。普通の会話を楽しむこと、ありふれた時間を過ごすことでも、心が満たされるのだと。そのとき、一緒に笑って手をとって分かち合える人がいるって、それがどんなに素晴らしいことか、彼が教えてくれた。
彼と一緒にいたい、その気持ちが強くなるほど、何か別の暗いものが私を引き戻そうとしているのを感じる。恋をするな、と言うかのように。
そうだ、彼がまるで私のことを知っているようだった。どうしてなのか聞きたかったのに、答えてくれなかった。彼は何か隠している。私を欺こうとしているの? 占い師だから、すべてお見通しだと言って、他人の心に入り込んでくるのかもしれない。
彼は、今の私ではなく、本当の私を知っている。たぶん、私よりもずっとよく知っているはず。そして、きっと私も彼のことを知っているかもしれない。彼を見てトキメクのは、ただイケメンを見て感じる喜びじゃなくて、愛しい人との再会の喜びのようだった。
彼が占ったように、私はきっと偽物だったのかもしれない。好きでもない美術館巡りの記憶や、やったこともないはずのゲームに夢中になっていたら、すぐに上手くなっちゃったり。あのとき、つい口走った「昔は」の続きは「もっと上手にできていたはず」。でも、そんな記憶はどこにもないというのに。
今の私と、本当の私。私の小さな頭のなかで互いに戦ってるのを感じる。夫を頼るべきだという私と、彼を信じたい私。偽物であっても私の記憶を受け入れて楽になれと言う私と、本当の気持ちを大切にしなさいという私。それらが交差するところには、輝くハート形の恋のシンボルがあった。
ズキっと頭が痛む。
吐き気も伴って、頭痛が激しくなってきた。意識が飛びそう。助けを呼ばなければ。
スマートフォンに手を伸ばして、彼に助けを求めるメッセージを送った。送ってから気づいた、私の夫は医師なのよ。今、この家にいる、自分の寝室にいるはずなのに。私は彼に助けを求めた、あの気持ち悪い夫じゃなくて、かっこいい彼が助けに来てくれることを望んだ。
そのとき、ノックもなしにドアが開き、夫が部屋に入ってきた。
「え、あなた?」
あまりの頭痛でまともに夫の顔も見えないけど、雰囲気がおかしいのはわかる。
夫は何も言わずに近づいてきて、手に持っていたものを乱暴に私の首元に押し当てた。びっくりして払おうとしたけど、強い眠気に襲われ、意識が...。
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# 「The Judgment」は、深い自己認識と生まれ変わりや最終的な判断を象徴します。
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すぐに彼女の自宅に行ってみたが、玄関のドアは開け広げられており、中を探したが誰もいなかった。
彼女になにがあったのか。あの怪しい夫がどこに連れて行ったのか。最悪のケースならすでに殺害されて、今はまさに遺棄されようとしているのかもしれない。そのくらい危険な状況だ。
彼女を家に帰すべきじゃなった、やはり、あの時の魂の欲求に従って、抱きしめて、放さなければよかったんだ。
昔、彼女からとつぜんに別れの知らせが届いた時もそうだ、格好をつけて、それを受け入れるふりをした。彼女が望むなら、自分はスマートに身を引こうと、見栄を張った。そうじゃない、本当に彼女を失いたくないのなら、もっと必死じゃなくちゃいけないんだ。
俺は、自分を落ち着ける。間に合う、その前提で自分は何ができる?
雑な推理通りだとしたら、彼女の夫は、これまでも何人もうまく死因不明となるやり方で処分してきた男だ。そして死体からであっても脳に残った情報を吸い出せてしまう現代医療を熟知している。だから真っ先に証拠隠滅を図るはずだ。
つまり、生まれ変わり治療をするつもりだ。記憶デジタル化によって、改ざんした嘘の記憶を植え付けるつもりなのだろう。
今ならはっきりとわかる、彼が古臭い方法をあえて選んだのは、記憶の改ざんが容易だからだ。他の方法は、高度なセキュリティが組み込まれていて、改ざんは困難になる。他でもない、彼がそれを開発した。
生まれ変わり治療には大掛かりな装置が必要なので、場所は限られている。そう、考えるまでもない、彼の勤め先の病院だ。かなりの地位を持つ彼なら、どうとでも理由をつけて、強引に、彼女の同意が無くても、生まれ変わり処置をさせることは出来るのだろう。
警察の知り合いに連絡して病院で落ち合う。そして、生まれ変わり治療の処置室へと強引に乗り込んだ。
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# 「The Devil」は、束縛、執着、物質主義といった暗い側面を象徴します。
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気がつくと、見覚えのある医療装置の寝台に寝かされて、拘束されていた。頭を固定されていて、周りを見回せないが、ここには以前に来たことがあるので、何処なのかわかった。
ここは夫の勤める病院の、生まれ変わり治療を受けた部屋だ。
夫が私の顔を覗き込んで、夜にうるさいからと睡眠薬を飲ませすぎて耐性がついてしまったか、とブツブツ呟いている。私は必死に声を出して、夫に問いかけた。
「いったい、なにをする、つもり?」
夫は答えた、失敗作だから処分するがその前にフォーマットしておかなければならない、呟くように言った。なんのことだかさっぱりわからない。でも、まともじゃない事はわかった。
「しっぱい?」
夫はもう私を見ずになにか作業をしながら、違う!私の処置は完璧だ!お前が失敗作なんだ!何度も調整しながら書き換えた!だが僕の愛を受け入れない!これほど優秀な僕を!なぜ受け入れ!!……、もう何を言ってるのかわからなくなってきた、夫の言葉は言葉ではなくなっていき、私の意識は混濁していく。
きっと私は殺されるのだろう。どうしてこんな事になったのだろうか。体の自由がきかない、頭痛はさらに激しくなってきた、もう声すら出ない。
助けて。頭に浮かんだのは大好きな彼。
急に騒がしくなり、なにが起こっているのかわからないが、大勢の人間が部屋に入ってきたのがわかる。夫が大きな声で叫んでる、あなたやかましいですよ、なんて場違いなことを思っていると、私の拘束が解かれていく。
私を抱きしめてくれたのは彼だった。とても強い安心感から、私はそのまま眠るように意識を失った。
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# 「The Sun」は喜び、明るさ、希望を象徴します。
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私たちは答え合わせをしました。
「どうして俺と別れた?」
「さあ、憶えてないわ」
「あの野郎、記憶バックアップをとっておけよ!消えた記憶はもう戻らない!」
「いいじゃない、そんなこと」
「よくない!それが知りたくて生まれ変わり治療をせずにいたんだ!」
「男が細かいこと気にしちゃだめよ、もてないわ」
「なぜ、恋をするな、とメッセージを送ったんだ?」
「それも憶えてないわ。でも、私自身のことだから想像はできる」
「野郎に言い寄られて、身の危険を感じたから?」
「いいえ、違うと思う」
「失恋を忘れたくて?」
「少なくとも、失恋を忘れたくて生まれ変わろうとしたのではないのは確かだわ。そんな柄じゃない」
「では、なんで?」
「たぶん、私が書いたものじゃない」
「え?」
「あれを受け取った時は、記憶の違和感も手伝って、てっきりそうだと思ったのよ。意味深でしょ?」
「でも、だれが書いて、どうして君に送ったの?」
「今思えばなんだけど、たぶん、あれって治療前に私が応募した懸賞の景品だと思う」
「景品?」
「当たり前のことを名言っぽくしてみたステッカーよ」
「ごめん、まったく意味が分からない」
「言葉はランダムだったと思うから、たまたまあの言葉が届いたのでしょうね」
「それ、誰が納得するの?」
「俺の記憶から君の本来の記憶として移植したけど、大丈夫?」
「そうね、前よりずっとましね。無理なくよく馴染む感じ。技師の人がびっくりしてたよね。こんな整然とした意識エッセンスは初めてみたって」
「愛の成せる奇跡だね」
「でも、私は家事が得意っていうのは、あなたの願望が入ってない?」
「そんなことはない」
「あなたと私は結婚してなかったんでしょ?なのに家事してる私なんて知らないはずよ」
「よくお弁当を作って持ってきてくれてた」
「そんなの、恋する女が男を落とすときの常套手段じゃない、あてにはならないわ」
「……」
「あの気持ち悪い男も私に専業主婦をさせてたけど、男はみんなそうなの?」
「あんなのと一緒にしないでもらいたいんだが」
「まず真っ先にしなきゃいけないことがあるわ」
「なんだい?」
「ランキング更新にいかなきゃ!」
「太鼓の達人の?」
「ええ!あんな下手な成績が私の記録として残ってるのは我慢ならない!」
「大丈夫、未だにランキングの一位は、前の君のだよ」
「え、そうなの?じゃあ、それを塗り替えにいかなきゃ!」
「どっちにしろ、行くんだね」
「当然!」
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# 「The World」は完成、調和、達成を象徴します。
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矛盾しないようにって考え始めたら沼にはまりそうになって偶然に任せてみた。