関わっちゃダメ
見ちゃダメだ。
人と関わると不幸にしてしまうから。
私、雪野しずくは生まれつき人の死亡日が分かる。
それに加え、5秒以上見つめると死亡理由までわかってしまう。
こんな能力。
何故私なのか、と考えたことだってあった。
でもいくら考えたってわからないものはわからないし。
諦めることにした。
だが、この能力を普通だと思っていたことだってあった。
これが普通ではないとわかったのは、小学校低学年の時のことだった。
一番仲の良かった女の子。
柚ちゃんの死亡日が翌日だったことが原因だった。
「柚ちゃん、明日車に轢かれて死んじゃうよ。気をつけてね」
それを聞いていたクラスメイトたちは一斉に笑った。
笑って、笑って。
なんで分かるんだー?とか嘘つくなよ〜とかヤジが飛んできた。
私としては、大事な友達を守るために必死だったのに。
柚ちゃんも困ったように笑っていた。
「嫌なこと言わないでよ」
私が聞いた柚ちゃんの言葉はそれが最後だった。
次の日、彼女は学校に来なかった。
登校中に飲酒運転の車に轢かれ、命を落としてしまったらしい。
ヒソヒソと声が聞こえる。
クラスメイトたちの視線が痛かった。
助けられなかった。
その事実に幼い私は絶望していた。
「呪いじゃね?」
誰かが言ったその一言が嫌に耳に残った。
「呪い?」
「やだぁ…怖い…!」
『呪い』という言葉は一瞬でクラス中に広まった。
私はクラスメイトたちから恐れられるようになってしまった。
悲しかった。
馬鹿にされつつも、楽しく遊んでいた人たちが一瞬で離れて行くのは。
柚ちゃんが亡くなった次の日には、私の呪いという話が他のクラスにまで広がっていた。
その次の日には他の学年にまで。
ほんの3日で、私は学校中から嫌われ、恐れられる存在となってしまった。
怖がられ避けられていたとしても、いじめというものは存在するもので。
実行犯を見たことはないが、私の上靴やノート、教科書類はいつも落書きや泥、またはビリビリに破かれていたりした。
悲しくはあった。
ただそれよりも先に、私は諦めてしまった。
私がこんな能力を持ってるのが悪いのだ。
いじめられるのはしょうがない、と。
小学校高学年ごろになると、いじめはどんどん過激さを増していった。
トイレに入ってると水をかけられるのは当たり前。
廊下を歩けば、本当に小学生が考えたのかと思われるような中傷が書かれた紙を投げつけられたりした。
途中からは開く、拾うことすらやめたが。
中学校からは家から出られなくなった。
外に出ると殺される、と無意識に思っていたのだろうか。
玄関のドアに手をかけようとすると、全身の震え、汗、動悸が止まらなくなった。
部屋からも出なくなり、母親が部屋の前にご飯を置くようになった。
父は、いじめのことを誰に聞いたのか、学校に対して不満をぶちまけていた。
母はいつも泣いていた。
何故、何故あの子なのかと。
中学校2年生の後半になる頃、引っ越しをした。
学区が変わる程度で大した移動でもないが、それでも心は楽になった。
少しの散歩くらいなら外に出られるようになった。
買い物程度なら着いて行けるようになった。
私の回復に、父と母は飛び上がらんばかりに喜んでいた。
泣かせたくないと思って、頑張って外に出るようにしていたのに、外出先から戻ると母はいつも泣いていた。
人は嬉しくなっても泣けるのだ、とその時初めて知った。
中学校3年生の時は、保健室登校なら少し行けるようになった。
勉強は学校できちんとしていたので、先生に高校受験は問題ないと言われた。
通信制にするか、しばらく悩んだ。
でも、私の心の中で誰かが言う。
『今まで十分迷惑かけてきたのに、これからもまだ迷惑かけるの?』
私は通信を目指すことをやめ、公立高校を受験することにした。
合格した時、また母は泣いていた。
父も涙を見せまいとしていたが、やっぱり泣いていた。
涙脆いのかなぁ、なんて思ったりしていた。
そんなこんなでいじめから数年。
私は高校生になった。