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「マーリン!」
ケイラは思わず駆け寄る。
先ほど泣いたばかりなせいか、目頭がすぐに熱くなる。
彼のローブをそっとつかんで感触を確かめた。
仮面を取った素顔のケイラは、七歳の頃の自分のような気がした。
言いたいことが次から次へと出てきて、何も言葉にできない。
「元気だった?」
マーリンはいつもと同じ調子で話しかける。
髪が少し伸びたものの、容姿はきれいで苦労していたようには見えなかった。
少しだけほっとする。
「ああ。マーリンは今までどうしてたんだ」
「いろんな土地を旅してきたよ。ただ、どこの国も栄えてはいなくて、同業者にも一度も会えなかった」
マーリンはふと寂しそうに言った。
やはりケイラは申し訳ない気持ちになってうつむく。
「僕はもう家に戻るよ。ブブも退屈するだろうし」
彼女の頭に優しく手を置く。
「王子様に言っておいてくれ。ぼくは何もしてませんって」
「帰ってこられるのか?」
ケイラは信じられないという表情をする。
「王子様の呪いが解けたんだろう?これでこの国もまた良い方へむかっていくはず。僕の罪も重くはならないだろう。君が頼んでくれるならね」
「どうして呪いのことを?」
そのことはケイラとシャン自身しか知らないはずだった。
ますます理解できないことばかりだった。
混乱しているケイラにマーリンはふふっと笑って「連れていきたい場所がある」と歩き出した。
城壁に沿って北へ歩く。
マーリンの背中はいつになく真面目だった。
城の北側はひんやりとしている。
マーリンが立ち止まったので、足を止める。
城壁のすぐ下に小さく盛られた土の山。十字架が立てられていた。
マーリンはその前で膝をつく。
「デンの墓だよ。口止めされてた。ここに来るまで内緒にしとけって。師匠はね、王に極秘で条件を与えられていたんだ。だいたいの国の統治ができたら、命を差し出すように、と。王も国を魔法使いに乗っ取られるのが怖かったんだろう。師匠はそれを了承した。姫君と少しでも一緒にいたかったから」
辺りに人気はなく、風もそっと吹いていた。
ケイラはじっと彼の言葉に耳を傾けた。
「デンは僕の恩師だと前に話したよね。僕は師匠にあらかじめ頼まれてた。君を育てること。魔法使いにすることを」
ケイラは徐々にぼやけていたものが形になっていく気がした。
「師匠は、処刑が行われれば妻も後を追うかもしれないし、君も城で安全に暮らせるとは思ってなかった。城の人が君を逃がしてくれただけでよかった。もし命を奪っていたら、師匠の計画は台無しだったからね」
マーリンはずっと墓に目を落としていた。
そこにデンがいて彼のことを見ているようだった。
「師匠は命を落とす前に、王の孫に複雑な魔法をかけたんだ。魔法使いでしかなんとかできないような呪いを。そして、彼とクレアがもう一度出会えるように仕向けた。君が王子様と結ばれるのを師匠は望んでた」
父がマリアを心底愛していたこと、そして、ケイラのことも同様に大切にしてくれていたことを、改めて感じた。
一筋涙がこぼれる。
マーリンの横に並んで、しゃがんで目を閉じた。
夢の中の面影はいつもぼやけていて、はっきりとは思い出せない。
けれど、父として確かにそこに存在していた。
マーリンは立ちあがって一歩下がり、ケイラを見守る。
風は吹いたが、今は冷たく感じなかった。
ケイラは全て整理して、すっきりして立ち上がった。
自分の十七年間がやっと一本の道につながった気がした。
「ありがとう、マーリン」
返事はせず、彼はにこっと笑っただけだった。
日が沈んできたので、二人はその場を後にすることにした。
以前よりも自分が自分であることに自信を持てた。
「結婚するんだろう?」
マーリンは突然隣でぼそっとつぶやいた。
「なんの話だ」
不思議な顔をするケイラを見て、マーリンも同じ顔をした。
「好きじゃないのかい、王子様のことが」
そう言われてやっと意味がわかったケイラは、冗談っぽく笑った。
「まさか。ただの幼い恋だっただけだ。戻ろうとは思わない」
マーリンは仰天して声をあげた。
「君は王家の子だろう。王子様とだって結婚して当たり前なんだ」
言い聞かされているようで、ケイラはむすっとする。
「わたしが決めることだろう」
つかつかと歩を進める。
いつの間にか町に出ていて、夕刻のこともありみんなわいわいと家路に向かっていた。
そのまま大通りを抜けていく。
「城での暮らしは過去の話。わたしはマーリンとブブと暮らしている今が好きなんだ」
十七歳の素顔のケイラは、夕日に照らされていつもより綺麗に見えた。
過去の荷物は片付いて、体も心も身軽だった。
マーリンは何も言わず、昔みたいにそっと彼女の手を握った。
二人と一匹はそれからまた静かに家で暮らすこととなった。
些細なけんかはあれども、穏やかな毎日だった。
たまに王子から招待状が届いて、城に遊びに行くこともあった。
シャンやエラとお茶を飲んだり、マリアのそばについていてあげることもあった。
ただ、それも時が経つにつれて機会も減っていった。
王子はたくさんの妻を持ち始め、国も巨大化していったのだった。
ぼんやりと外を眺めエラのことを心配するときには、マーリンがぽんと肩を叩いて紅茶をいれてくれる。
せめて皆が幸せであるよう、静かに祈るケイラだった。