7
街へ出ると、人々はいつもより賑わっているように思えた。
今日は舞踏会の日だった。
若い女たちは集まって顔を輝かせている。
うわさは一瞬で広まったようだった。
参加者はきっとこの国だけに収まらないだろう。
兵士も口にはしていなかったが、ケイラにだって察しはつく。彼は妻を探しているのだ。
「なんだ、うらやましいのか」
足元でブブがからかうように言った。
彼と並んで街を歩くのは初めてだった。
「あまり喋らない方がいい。変に思われるからな」
二人はストムベリーに向かう途中だった。
一度、メリーの店に寄ることにする。
自分が昔着ていたドレスを見てみたかったのだ。
メリーは袋に入れて一式をケイラに渡してくれた。
さすがに十年も経つと、そのドレスはおもちゃのようにしか見えなかったが。
きれいに洗われ丁寧に保存されていた。
途中からハトがケイラたちを見つけて道案内してくれた。
ブブとハトは楽しそうに何か話している。
ちょうどストムベリーの豪邸に着いたとき、一つの馬車が城の方へ向かって行ったのが見えた。
ケイラはまた窓から中を見る。
暖炉の前で膝をかかえて泣いているこのあいだの少女がいた。
ケイラはきっと誰もいないだろうと、無断で表から入った。
「どうして泣いているのだ」
ケイラは彼女の後ろに立って、静かに声をかけた。
オレンジ髪の少女ははっとして振り向くと、ケイラの姿を見るなり体を震わせた。
「心配するな。魔法使いだ。名はなんという」
少女はまだ怯えたままで、小さな声で「エラです」と答えた。
彼女は小さく汚れていながらも、美しかった。可愛らしい丸い瞳をしている。
ケイラと同じくらいの歳だと思っていたが、それにしては小柄だった。
「私も、舞踏会に行きたい」
彼女はケイラに、というよりはひとり言として口にした。
「行けばいいじゃないか」
他人事のようにケイラは言った。
ハトがすかさず騒がしく鳴いて、ブブが代訳をしてくれる。
「エラはいじめられているから、きれいなドレスも宝石も何にもないんだってさ」
ケイラは頷いて改めて少女の全身を眺める。
「そうか。それなら、力になれるかもしれない」
ケイラはメリーから渡してもらったドレスを広げた。
さすがにかなり小さかったが、ケイラはそのドレスをイメージしてエラに魔法をかけた。
すると、そっくりのものをエラが身にまとっていた。
装飾品は魔法じゃなくてもつけてあげることができた。
そして、靴もエラの足がかなり小さかったためそのまま履かせてあげた。
ケイラは彼女の髪を洗い、整え、結んであげる。
昔メリーがしてくれたのを思い出した。
表に出て一頭の馬に魔法をかけて、五頭の馬をもつ大きな馬車にしてあげた。
「本当にありがとう」
エラは瞳に涙を浮かべて何度も礼を言った。
ケイラは穏やかにいいえと首を振る。
「魔法は十二時で解けるから、それまでに帰りなさい」
エラが頷くと同時に、馬車は勢いよく駆けていった。
「なんで十二時なんだ?」
ブブが不思議そうに尋ねる。
「いいだろう、べつに」
それからすぐに国の迎えの兵士がケイラを探しに来て、ブブを残して急ぎ足で城へと向かった。
太陽は山にかかろうとしていた。
大広間には実に様々な色のドレスを着た女性が集まっている。
「間に合ってよかった」
部屋に着くなりセオンが額に汗を浮かべながらひとり言をもらした。
「遅くなってすまない」と挨拶がわりに感情も込めず頭を下げる。
「焦ることはないよ。まだ一時間ある」
夢ならよかったのだが、シャンはこの間見たときと同じ顔をしていた。
ただ、立派な白のタキシードを着ていて凛々しくは映った。
この国の王子様。ケイラは胸の中でつぶやいた。
シャンの顔を直視できず、すぐに魔法をかけてあげた。
彼はガラス越しに自分の顔を確認する。
「君への恩は一生をかけても返しきれない」
真剣な表情でシャンは言った。
「一生王子様にこき使われるのはごめんだ。その顔を治す方法を考えなければ」
彼はこの間、デンの呪いだと言っていた。
ということは、この魔法の力はデンのものだろう。魔法は複雑にからまっていたが、もしかしたら解けるかもしれなかった。
「そろそろ時間ですので、移動しましょう」
セオンがきびきびと口にした一言で、ケイラは我に返った。
そのまま黙って二人を見送ろうと思ったのだが、予想外にもセオンは魔法使いも誘った。
「せっかくですので、舞踏会もいらしてください。少し魔法の演出もしていただけると盛り上がりますがね。御馳走ももちろんありますし、いい酒も入ったんですよ」
セオンは一人で楽しそうに喋っていた。
年配の彼の誘いを断れるほど、上手な言い訳を思いつかなかった。
広間の真ん中は踊り場、奥にはそれを眺める立派な玉座があり、シャンはそこに座っていた。
ケイラも席を勧められたのだが、断って隅の壁に背を預けた。
ケイラは音楽に合わせて少しだけ光の玉を広場に踊らせた。
きっと誰も見ていないだろうが。
全ての女性は頬を赤らめ、他の貴族の男性と踊りながらも王を盗み見ているのだった。
シャンは興味を示さずダンスを眺めていたが、はっとして腰を浮かせたのをケイラは見逃さなかった。
そして、踊っている人々の間を抜けて一人の少女の前にひざまずく。
「僕と踊っていただけませんか」
踊り手はみな足を止め、音楽も自然消滅した。
シャンの声が広間にぼんやり響いた。
「はい」
少女は瞳をうるませながらも、笑顔で頷いた。
純白の衣装。オレンジ色の髪。私の命の恩人、とケイラは心の中で呼んだ。
まさか、と思ったが、やはりそうか、とも思えた。
音楽は仕切りなおして再び流れ始めた。
人々は王子に踊り場を譲って隅にはけた。
これ以上に似合っている二人はいない、と誰もが感じたのだった。
慣れないながらも堂々と恥じることなく、シャンとエラはすべるようにステップを踏む。
二人は目を離すことなく、今のこの時を存分に楽しんでいるようだった。
家に着いたのは朝方だった。
魔法も一二時を過ぎた頃には解かして、それからは体も軽くもくもくと歩いた。
ブブがそろりと家の前に現れる。
「ずいぶん遅かったな」
「すまなかった。歩いて帰ってきたんだ」
眠そうな声を聞くと、申し訳ない気持ちになった。
帰ってこられる場所があることに、ケイラは改めて気付きほっとする。
「城の奴ともめたのか」
「いや、疲れたから途中で抜けてきたんだ。心配かけたな」
黒猫は少し頷くようなそぶりを見せてから、一つ大きなあくびをして部屋へと入って行った。
ケイラもつられてあくびをし、仮面を外しながらそっと後に続いた。
二人は太陽が傾きだした頃に起き出し、簡単な食事を一緒にとった。
いつもならマーリンが用意してくれていたのだが、ケイラもずいぶん手慣れてきた。
質素なものだったが、ブブも文句は言わない。
彼は食後の運動にと、散歩に出かけていった。
ケイラは机に頬杖をついて、考える。
デンは一体何がしたかったのか。
命を失うときに、王国の孫に呪いをかける必要があったのか。
マリアの気がおかしくなるのも無理はないと思った。
実の父が夫の命を奪うのだ。
日が暮れた頃、ブブが小走りで帰ってきた。
ぴょんと机に飛び乗る。
「あのハトのところの娘、王子様と結ばれたらしいぞ」
ブブは得意げに言った。
自分が手助けしたのが嬉しいのだろう。
そうか、とケイラは表情も変えず相づちを打つ。
「なんでも、娘が靴を落として帰ったそうで、それを頼りに兵士たちが国中を探し回ったんだとさ」
なんとなく予想はしていたが、事が早すぎてケイラの気持ちは収まらなかった。
「ブブのおかげだな」とうっすら笑顔で言う。
それが今口に出せる唯一の言葉だった。
黒猫は弾む足取りで、この話をみんなに伝えようと森の中に消えていった。