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彼女は純白のドレスをまとい、白鳥のようにも見えるすらりとした体つきをしている。
髪はなにもかまっておらず、そのまま長く垂れ下がっていた。
扉を閉めた音で、その女性が振り向く。
その瞳は怯えたうさぎのように、暗く震えていた。
一粒の光さえ宿していない。
「あなたは…だれ」
細い声だった。
ケイラは少し近づくと、ふわりと広がったドレスの裾から鎖がのびているのを見てしまった。
ただ、彼女は囚人のようには見えなかった。悲しげだが、美しく可憐だった。
「あなたの娘です」
「…娘」
胸が苦しかった。
彼女の中にケイラはひと時たりとも入り込めない。
「私はずっと一人ぼっちです。生まれてからずっと…。だから、闇しか知らない」
ぼんやりした表情から気持ちを読み取ることはできなかった。
まるで神が語っているような、無意識の世界を生きている。
わたしとおなじだ、とわかった。母は、なにか病気なのだろうか。
「幸せではないのですね」
瞳が涙で潤んだ。マリアはかすかにほほ笑んだ気がした。
そっと扉を閉めて、再び人がいないか確認すると来た方へ歩き出した。
くずれ落ちてしまいそうだった。
振り返ったら、二度とそこから離れられないような気さえした。
何かしてあげたいのに、無力だった。そばに居ることは簡単だったが、それでマリアが救えるとは思えなかった。あまりにも時が経ちすぎてしまった。
長い階段を走るように下っていった。
頭に浮かんでくる全ての思考を振り払いたかった。
そろそろ入口だろうと外に出る扉を探そうとしたとき、地下から魔法のエネルギーを感じてはっとした。間違えるわけがない。マーリンのものだった。
行きは兵士に従って歩いていたので気付かなかったのかもしれない。
下にいることの意味を考えてどきりとした。
ケイラは唇を噛み、辺りに人気がいないのを確認して兵士に化けた。
うまくやれるかわからなかったが、何もせず帰るわけにはいかなかった。
息を殺して静かに地下へと進む。
ほとんど闇に近かった。
細い廊下の右側に数少ない松明が灯り、左側は倉庫と、進んでいった先には牢屋があった。
体が勝手に震えてくる。一度目を閉じて、マーリンのエネルギーを探す。
ここだと思う牢屋の前で立ち止まった。
ケイラが目をこらして中を確認する前に、声が飛んできた。
「いやー、助かったよケイラ」
のんきなマーリンの声。
ケイラは何も言えず、安堵のため息をもらした。
鍵の束が廊下の途中の壁に掛けてあったのを、彼女は見逃さなかった。
何十個という鍵が連なっていたが、ケイラは冷静に一つずつ試していった。
囚人たちが「おれも助けてくれ」「開けてくれ」と口々に叫ぶのだが、何も聞こえないふりをした。
かんぬきは思っていたより早く外れ、マーリンも兵士の姿になり地下をあとにした。
人々は慌ただしく行き交っており、誰も彼らを気にするものなどいなかった。
丘を下り街を抜け、最後の城壁を過ぎると魔法を解いて元の姿に戻った。
その先からは森の小道が続く。
マーリンは静かに歩き何も聞いてこなかったので、ケイラから口を開くこととなった。
「どうして城にいたんだ」
「情報を集めてたんだ。城の記録書が見たくて王に化けたら、まわりに人がついて元の姿に戻れなくなっちゃってさ。おまけにそのあと、本人とばったり会っちゃったんだ。まさかケイラに助けてもらっちゃうなんて、師匠として恥ずかしい限りだよ」
命が危ないところだったのに、実に愉快だったと語る。
いつものマーリンだった。
怒られると思っていたケイラは、胸が少し痛んだ。彼は優しすぎる。
「わたしのためか」
「ぼくが勝手にしたことだ」
マーリンはぽんと落ち込む彼女の頭に手をおいた。
ケイラはわかっていた。もう一緒にあの家には住めないことを。彼は追われる身となったのだ。
「これからどうするんだ」
マーリンの顔はとうてい見れなかった。ほがらかな表情を見たらきっと泣いてしまうだろう。
「魔法を学びに、旅に出るよ。もともと僕はさすらい人でね。べつに苦じゃないよ」
もしかしたら自分は十年間ただのお荷物だったのかもしれないが、それを口にすることはできなかった。マーリンはもちろん違うと言うに決まっている。
小さな町に出て、マーリンはそこで馬を二頭借りた。
一頭の手綱をケイラに渡す。
「ケイラはもう、僕がいなくても十分にやっていけるよ」
力なく手を伸ばし受け取る。
「王が亡くなって、国は荒れるかもしれない。みんながぼくを忘れた頃にまたふらっと帰ってくるよ」
その時に私はいるのか、とさらにうなだれた。育ててくれた恩の一つも返せない。
「じゃあ、もう行くね」
すばやく馬に乗ったマーリンは、ケイラの家とは逆の北の方へ去って行った。
遠ざかっていく姿はにじんで、しっかり見送ることさえできなかった。