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小鳥たちがさえずり、心地よい風が吹いて草木をなびかす。
ケイラは花畑で花を摘んでいた。
この夢を見るときは、決まって同じ景色から始まる。
日差しは柔らかく明るいのだが、木々の向こうはいつもぼやけていてここが何処だかはわからない。
しかし不安は一切なかった。ケイラは一人ではなかった。
そこには男の子が一人いて、ケイラと一緒に花を選んでいた。
栗色の髪に色白の肌、ぱっちりとした青い目に高い鼻。
これ以上の美男子がいるのかというくらい、容姿端麗だった。
彼が自ら放っているのか、ケイラがそう見てしまうだけなのか、彼のまわりはきらきらと輝いている気がした。
「ぼくの花束、あげるね」
少年はケイラに花束を差し出した。
「ありがとう」とケイラは花束を受け取る。恥ずかしさに耐えられず、後ろの木立を振り返る。
そこでは、黒のローブを着た魔法使いと白いドレスを着たお姫様がいて、ケイラにほほえんで手を振ってくれる。顔までははっきりしないのだが、それは父様と母様だと夢の中のケイラは思い込んでいた。
彼らに近寄ろうとしたとき、地面が大きくぐらついて鳥たちがいっせいに飛び立った。
地下から巨大な怪物のうなり声のようなものが響いてくる。
ケイラは思わず耳をふさぎ、恐怖から逃れようと誰かのそばに行こうとした。
しかし、少年の足元や父や母の足元までもガラガラと崩れ始め、姿が見えなくなってしまった。
空も木々も風景の何もかもがはがれ、闇とケイラだけが残る。
五感の全てを失ったようで気が狂いそうになって、思わず金切り声をあげる。
夢の中の声ではっと目が覚めた。
びっしょりの冷や汗と、荒々しい呼吸。
手はかすかに震えていた。
夜が明ける前で、部屋は薄暗くぼんやりしていた。涙が一筋頬をつたう。
記憶を失くしてから度々同じ夢を見る。
ケイラは大きくため息をついた。
幼い頃はこの夢を見たあとは散々泣いていたが、今はもうそんなことができる年じゃなかった。
マーリンに心配をかけさせたくなかった。
朝食をとり、魔法の練習をする前に「話がある」とマーリンを呼び出した。
ブブはちらと二人を見てから、ぴょんと外へ散歩に出かけていった。
「どうした?」
マーリンはきょとんとしたが、ケイラの様子を見て少し納得したようだった。
二人は面と向かって椅子に座る。ケイラは両手を膝の上で固く結んだ。
マーリンは静かにケイラからの言葉を待っている。
「同じ夢を見る、と小さい頃話した」
自分の声が少し震えているのに気がついて、口をつぐんだ。
「今でも見るのかい?」
ケイラは頭を重たそうにして頷いた。
「マーリンはわたしの過去についてなにか知っているのか?どうしてここまでわたしを育ててくれた?」
マーリンに過去のことを尋ねたのはこれが初めてだった。
知るのが怖くて今までは何も聞けないでいた。自分は捨て子かもしれない。
彼は慎重に言葉を選んでいるようだった。
少し間を置いて優しく話し始める。
「ケイラは、アーク王の娘マリアと魔法使いデンの子供だ。ぼくも多くは知らない。けれど、きみは城で育ち暮らしていたと聞いている。本当の名前は、クレアだ。ぼくはデンの弟子。きみのお父さんに魔法を教わった。デンが城に仕える前に一度だけ会って、ぼくはお願いされていた。万が一のことが起きたら、娘を頼む、と」
クレアというのか。そうつぶやきながらも自分がこの家に来た当初の、泥にまみれたドレスを思い出した。
汚れてはいたものの、靴や宝石の首飾りなどが安物ではないことは幼いながらにもわかっていた。
他人事のようにしか聞けなかったが、最後の一言が耳にとまった。
「万が一のこと?」
「ぼくにもわからない。だけど、デンの身に何かが起きたんだ。彼の魔法のエネルギーを感じることができなくなった。その十日後にやっときみを見つけることができた。衰弱しきっていたんだ」
記憶の初めにはすでにマーリンが横にいた。
父に何があったのか、なぜ自分は衰弱していたのか、記憶を辿ろうとしても一向に見えてこなかった。
「今度、城の式典に魔法の演出で呼ばれてるんだ。ヒントを探しに、一緒に行くかい?」
ごはんでも食べに行こうかと誘うように彼は言った。ケイラはつられてふふっと笑う。
「そうだな。それもいいかもしれない」
「ただ一つだけ」
マーリンは口元で人差し指を立てた。
「クレアという名前は内緒にしておくこと。そして、顔を隠すこと。これが条件だ」
その口調が師匠のようで父のようで、心配だからこその条件なのだとケイラは飲み込んだ。
「わかった」と言ったケイラの顔は、しっかりと前を見すえていた。
ケイラの頭がぼんやりしたまま式典は始まり、上の空でかけた魔法は気付けば成功していた。
バルコニーからどうしても目が離せない。
あれが私の両親だ、と自信を持って言える顔は一人もいない。
それでも気付かずに通り過ぎていくのが怖かった。
ふと我に返った時には、下の街に降りていた。
マーリンはただ静かに隣に寄り添い歩いていた。
「わたしは父と母を見殺しにしてないか?」
馬に乗ったあと、マーリンの耳元でぼそりとつぶやく。
「父様はわたしを守ろうとしてくれたのに、わたしは何もできないのか?」
風と蹄の音にかき消されまいと、マーリンはか細いその声に意識を集中させた。
「親とはそういうものだよ、ケイラ」
彼女はそれ以上何も言わず、マーリンの背に頭を預け静かに涙を流した。
家に帰るとすすり泣きをしているケイラを見て、ブブは仰天した。
「どうしたんだよ、マーリンとけんかでもしたのか。らしくねぇじゃねえか」
ケイラは全く応じずそのまま部屋へ入って行った。
「あいつがここに来た日を思い出すな」
ブブがひとり言のように言った。
マーリンは腕を組んでケイラが姿を消したあとを見つめる。
「ブブ、しばらくケイラを頼む。あの子は両親を助けるつもりだ」
「そりゃまた無謀なことを」
黒猫はのんきにあくびをする。
「しばらくここを留守にする。彼女も一人前になったことだし、本格的に情報を集めて回るよ」
日が昇ってしばらくしてから、ケイラは目を開けた。
力が入らず、焦点も合わなかった。
夢の中の夢で、父に会った気がした。
もう一度目を閉じてしまおうかと考えたとき、ふと部屋の隅で黒い物が動いて、はっとなって起き上がった。
「なにをしている」
ブブが気だるそうにそこにいた。
彼はいつも森を散歩したり、昼寝したり、ごはんを食べたり、好き勝手暮らしている。
人の近くに現れるときは、退屈で喋り相手がほしいときだと決まっていた。
「俺だって好きでここにいるわけじゃねぇさ。お前から目を離さないよう頼まれてんだ」
ブブは一つ、大きなあくびをした。
「マーリンか」
体が鈍るからと、ブブは無理矢理ケイラを散歩に連れ出した。
ケイラは昨日よりはしっかりしていた。
もう悲しい気持ちもおさまっていた。
マーリンが情報を集めてくると聞き、わずかに期待しながらもそんなに都合のいいものではないと思った。
ブブは多少気を遣っているのか、マーリンの役を演じようと思っているのか、ケイラに深く考えさせる時間を作らなかった。
ブブのする話はマーリンの何倍もくだらなかったが。
彼をそうさせてしまった自分が滑稽で、あるときケイラは急に笑い出した。
「なんだよ」
ブブは笑っている理由がわからず、何かあるのかと辺りをきょろきょろする。
「いや、すまなかったな」
久しぶりに笑ったら、心が軽くなった気がした。
立ち直れたと、自分自身でも感じられた瞬間だった。