第二幕 第二場 靴磨き職人との出会い
第二幕 第二場
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城下は西方 中心街の外れ
目の前を横切る通りを眺めるようにその隅(舞台の中心から下裾側にずれたところ)、地べたにあぐらかいて靴磨きの男が座っている。そこにトルーデンが通りかかって、靴磨きの男の目に止まる。(トルーデン、幕の下裾から入って靴磨きの男を通り過ぎる)遅れて下裾のあたりに従者たち、立ってその行方を眺めている。
靴磨きの男
やい、そこのいい男!
やいやいそこそこ、
トルーデン、すっと振り向く
トルーデン
何か御用ですか?
靴磨きの男
こりゃ!歌が終わるまでに振り向かれたのは初めてだ!見れば端正な目鼻顔立ち!こりゃ美麗秀句も歯が立たねえってもんだ。どうです?あなた手に何も持っちゃいないようですが、てことはこの先何もありませんから引き返すのが話の落ちです。どうです、そうなりゃ靴を一つ綺麗にさしてあげたい。私が靴を磨いたなら、もう今日ばかりはそれが泥に塗れてしまわぬようにくるりと振り向いて戻ってくださいな。
トルーデン
確かにこの先には森がずっと続いているばかりですから、貴方の言う通りそのようにしましょう。ですが何故このようなところに。人もなく、店もなく、しかし、貴方の瞳の奥に隠れたり見えたりしているその輝きを私は知っています。私の父にも同じ輝きが、それに先に出会ったお方にも。であれば何故、ここにこうして腰を据えておられるのか。そればかりが気がかりに。
靴磨きの男
そんなことに大した理由なぞありはしませんでしょうなあ。運は引かれたもんか引くもんか、それが判らなきゃいけないね。してして。これがお父様の瞳にですかい?(靴磨きの男が自分の瞳を指さす)それは大層なことをおっしゃいますなあ。いや何、お会いしたこともございませんから、だがしかし、貴方様の靴を一目見れば、手に取るように判りますぞ。貴方様の目を耳を鼻を口を、その端正、整然とした嘘偽りのないお姿を拝見すれば、えいえい、この目を持っていればこそ!纏う衣服も意味は持ちませぬ、ひとえに!それこそ王の血統たる所以に他なりませぬなあ!はっはっは!
トルーデン
靴で判ることがあるのですかそれもこのようなみすぼらしいものであるのに。
靴磨きの男
そのお召し物もそのお靴も、そのお髭だってそれがあんまり浮ついているようにしか見えませぬ。まして私は、こと靴のこととなればこの世界に右と出るものはございませぬ。お父様は王様としてその冠位を懐中にお収めになりました。私はであれば靴の磨き方そればかりを収めたのです。そのような人間にとって、誤魔化し試みるのは非常に難儀にございます。それは、、あんまり美しくない汚れ方だ。汚したというより他はない。さようで?
トルーデン
ええ。それはもうまさしく。恐れ入りました。かほど不自然にも不釣り合いにも見えるとは、失礼ですが、お名前を伺いたい。きっと不釣り合いだ不自然だとというのは私の靴ばかりではないようですから。
靴磨きの男
これはこれは、そのようなことを仰っていただけるとは、ああ。畜生。そういう時にお出しできる酒もないのだ。貴方様、大変にありがたい御言葉です。ええ。こんなに嬉しいことはない。しかしですね、私は不自然でも然るに不釣り合いでもありませんので。時勢の自然とは、これ何より先に立つ物のことにございます。その一片の加勢。私は進んで道を選びました。そして身の上、それより豊かなものを頂くほどの生活を望んではおりませぬ。お呼びいただければいつでも伺いましょう。来いと言われればそれはいつでも。たといこの体に耐え難き痛苦が襲ってこようとも一刻刻まぬうちに伺いましょう。傲慢に映りましょうか。ええ、きっと貴方様にはご理解いただけると確かにそのように思ったのですからそのように申し上げた次第で。傍の目にはきっと試しているように映るやも、しかし、貴方様は川流れの感を、即ち道理をご存知でいらっしゃる。申し遅れました。私、靴磨きのジダールにございます。この天下において、私の右に出るものはおりませぬ。
トルーデン
ジダール。ああ、さようで、これは必然、世の道理とは私を囲んで、さながら同心円のよう。その見聞は王宮の奥の広間まで届いています。貴方がその。いや、街には溢れんばかりの名声が轟いているようですが、このようなところに。見つからぬのも無理はありませんな。それは傍目に自然には映りませぬ。私も考え違いをしておりました。中には、ジダールなどという人間は存在せず、噂が浮つかせた泡のようなものであると、その様に申す人間もいましたが、火のないところに煙はと言いますから、やはりそうでありましたな。貴方の考えについて私が言えることといえば、何かあるものでしょうか。しかし、私にはそれが傲慢の片棒を担ぐそれではないことが、そして貴方のそのお答えにもそれが全くとしてあり得るものでないことくらいは、何故かそれが手に取るように判りました。他意など全くあるはずもありません。しかし、ジダール。差し詰めきっと生きづらくはありませぬか、信念や誇りというのは、たといそれが真夏の眩い太陽のように人々を照らしても、しかし幾許か経てば必ず雲に、当人が動けば自ずと木陰に遮られ、そうでなくともやがては沈まなくてはならぬのです。あるいは、冬は太陽が煌めきを抑えてしまう。そういう場所と時間と季節の流れの中にあって、貴方のそれはどうしてその煌めきを失わぬのです。私は若いのですか?若すぎるのですか。
ジダール
随分と、難しいことをお聞きなさいますなあ。はは。いやあ、うーん。そうですなあ。袖振り合うも多生の縁って、あっしはそういう偶然が好きだのに、世の道理というものを、あるいは定めというものを同時に小脇に抱えているのです。人間なんでしょうな。定めて人間なんですからね。老いも若いのも人間なんだ。日向か日陰か日か月か、どういうわけか夕暮れも木漏れ日もそこにはないように物事は足早に過ぎていく。ああ、割り切れたら楽だなあと、思うが、私の生活は割り切りに関しちゃこの上ないのにですよ。参ったなあ。ね。人間なんてのはそんなもんでしょう。大切なのは信念が信念でなきゃ誇りに埃が被ってちゃ、、致し方がない。それしか言えませんけど、案外大事なんじゃ、、って、思うくらいで。教養も何もあったもんじゃないんですから失礼ですがあっしに聞くようなことじゃない気が致しますけどね。いやなに、若いんだ。ええ。そうだそうだ。季節はゆっくり変わっていきますよ。ゆっくりです。雨が降ってそれが時折バケツか何かをひっくり返したかみたいに貴方の懐中まで濡らしてしまうことも。ですが、夜も雨もやがては枯れなくてはなりませんな。であればそれらは所詮、光が差すまでの幾許に過ぎませんよ。そん時、向き合う物事がやっと形を帯びて、はっきりと判りましょう。えぇ。えぇ。きっとそうだ。
トルーデン
貴方は豊かですね。それは大地の恵みよろしく、あまりに普遍的なもののように。貴方は、あまりに豊かなのですね。
ジダール
感ずる何かがあったならそれで嬉しい限りですな。さっ、その靴をお出しになって。この膝に。
トルーデン 靴を差し出す。
ジダール
最後に一つ、ご質問させていただくことをお許し願いたい。純粋な疑問で。どうして信念だ、誇りだって、そのように悩んでおられたのです?一国の息であられるからですか?
トルーデン
いえもっと、しかし陸続きの問題かも知れませぬ。聞いてくださいますか?
ジダール
ええ。そりゃあもう。聞かせてくださいな。
トルーデン
この国が、全てに潤ってあるいは全てに富んで、そういう夢を見ました。綺麗な国土のその上に、川の飛沫の音が、木立が遮るのを抜けていくように、薄影と日向が斑模様に入れ替わり立ち替わって、その間をこの国の未来を担うことになるであろう子供達が枝葉を片手に走り抜けていく。どこまでも恵みの広がる、どこまでも幸せが吹き抜けている、私はその木漏れ日の中にいました。夢の中の。
ジダール
ああ。貴方様はそれを求めていらっしゃるのか。なるほど、、、
トルーデン
無謀なことではないと思うのです。
ジダール
ええ。そりゃ勿論だ。夢がなけりゃ次の現実が陳腐になるばかりで。人は明日に笑えなくなっちまう。夢は夢だからいいし、夢が現実になるのもまたいいんですな。貴方様がその気でおられるなら、私はここからそれを見届けたいですな。出来ますとも。ええ。きっと。必ず出来ますとも。
トルーデン
貴方のような人が側にいてくれたならきっと私の治世は泰平この上なく、そのような気がしますな。
ジダール
まさか、いいえ、失礼ですがそりゃ間違いですなあ。
トルーデン
謙遜は良いのです。
ジダール
いや!本当のこと言ったまでで。胡蝶蘭って、あの綺麗な白い花のことですけれどもね?あれは見る分いいですが、育てるのには結構大変で、然るに近づくより見惚れるのが華なんですな。これは二つの意味で。なかなか上手いでしょう?いやなに人を選ぶ例えには違いありませんがね。
トルーデン
間違いはないのですから良いのでしょう。それでどうという方があんまり可笑しい。
ジダール
ええ、ええ、まさしくその通りでしょうなあ。そうだ。貴方様にお伝えしたいことが。おひとつ、これは老体の戯言として、耳をおそばに頂けませぬか。近くの数人にも聞かれたくはありませぬので。
トルーデン
ええ、では。それは何のことです?
ジダールが体をトルーデンによこす。
ジダール
貴方様のお近くのお方です。魔女狩りに出られて帰還するとかしないとか。巷では黒い噂が流れております。魔女の恨みを買ったと。
トルーデン
それは、何を意味していると。
ジダール
そのままの意味に。
トルーデン
ワイゼルという宰相が、魔女狩りに出かけている。
ジダール
魔女は昔から「血の流れ」を非常に嫌うのです。彼女らは狡猾です。くれぐれも、お気をつけください。
ジダールの顔が離れて、再び作業が始まるがトルーデンはただ俯いている。
ジダール 靴を磨き続ける。(暗転)