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ノンシュガー

作者: 果樹園



「コーヒー飲むけどいる?」

「もらおっかな」


ベッドから体を起こして、キッチンに立つ彼に向けて返事をする。


「はい、熱いよ」


ありがと、とカップを受け取る。

まただ、この舌の上に転がる苦味。


「お砂糖入れてもいれようかな」

「あ、苦いのダメだっけ?」


同棲して2年。

彼はわたしの好きなコーヒーの飲み方を知らない。



別に、恋愛に対して大きな希望や期待を持っていたわけではなかった。

どちらかといえば冷めた考えを持っていて、

「どうせ赤の他人が仲良しこよしできるわけない」

そう思っていた。


そんな冷めていた私でさえ、これほどまでに甘みがない恋愛には流石に堪える。


付き合い始めの頃は、自分の信じる道をまっすぐに歩んでいく彼がとても煌めいて見えた。

私の手を強く握って、彼は私をいろんな場所へと連れて行ってくれた。

しかし半年を過ぎたあたりから、彼は私の手を放してしまっていた。どこへ行くにも一人で、私はそのあとを追いかけるのに必死だった。

1年が過ぎたころだろうか。彼は携帯にロックをかけるようになった。肌身離さず持ち歩いて、通知欄には女の子からであろうメッセージがいくつも来ていた。

それでも離れることが出来なかった。きっとまた、私の手を引いてくれるだろうと小さな希望を持ち続けていた。


愛してる人に好かれていない。

そう感じてしまえばしまえばしまうほど、カランカランと音をたてて氷が溶けていくアイスコーヒーのように、彼への愛が薄れていく。



ある日、彼の注文していたらしいTシャツが届いた。

いわゆるプリントTシャツとか言うもので、たいそう気に入った様子だった。

「これめっちゃかわいい、やばいかわいいこれ」

「よかったねぇ、お気に入りだね」


そういえば、彼氏の「可愛い」聞いたの、凄い久しぶりだな。

嬉しそうに笑いながらくるくる鏡の前で回る彼氏を見ながら、喉の奥がきゅ、と締まる感覚を覚えた。


あ、やばい、だめだ。


涙がこみ上げてくる。

バレたくない、気づかれたくない。


「切ったタグ捨てとくね。」

彼にそう言ってタグを捨てると同時に、涙を無理やり拭った。



今日はデートだった。

やるせ無い気持ちを持ったまま、その気持ちに上書きするようにアイラインを引く。

彼の運転する助手席に乗って、彼のお気に入りのアイシャドウで出かけた。


「あ〜、ちょうど秋服新調したかったし買おっかな。」

「俺も服見よーっと」


家族連れ、女子高生。そして恋人達。

ショッピングモールに並ぶ店前には、新作の秋服達が胸を張るように店頭に並べられていた。

「あ、この服かわいい」

手に取ったのは真ん中に海外アニメのキャラのイラストが入ったオーバーサイズのオーバーオール。ストリートファッションに目がない私にはとても見逃すことが出来なかった。

家にある服と合わせられないかと考えていると、後ろから彼の声が聞こえてくる。

「この服似合うんじゃない?着てみなよ」

彼に目を向けると、白いレースのワンピースを持っていた。

「あ、うん。」

私は急いで持っていた服を近くに戻す。

「ほら、俺こういうの好きなんだよねー。もっと見てみよーよ。」

嬉しそうに笑う、そうだね、君はこんな服が好きだね。でも、私は

「うわ、なにこれ。俺こういうタイプはちょっとやだなぁ」

振り返ると、さっき私が持っていた服を彼氏が渋い顔をしてみていた。


でも、私は?



家のクローゼットを開けると、いつも自分のクローゼットではないように感じた。

誰か他人の、私とは全く縁のないような服ばかりが並んでいた。


そう、私のじゃない。

彼氏が思い描いた、理想の彼女のクローゼットだ。


淡いピンクのワンピースに、青空色のタイトパンツ、その横にはふわふわとした茶色のカーディガン。

違う。私が着たいのはこの服たちじゃない。私が好きな服はどれも彼に言われてやめた、彼を思い出して手を止めた。


思えばずっと、彼の言いなりだった。身に纏うもの、食べるもの、聞く曲、話す言葉。ふと鏡に目を向ける。そこに映っていたのは私ではなく、彼の着せ替え人形だった。


今まで我慢していた思いがこみ上げる。

しまい続けてきた本当の私が、「出して、お願い」と喉元まで押し寄せる。私はゆっくりと口を開いた。


「狭かったよね、ごめん。」


「え?なんか言った?」

後ろで買った服を試着する彼が言う。

「うん、別れようって。」

「いきなりどうしたの、機嫌悪い?」買った服を畳みながら彼は続ける。


「悪くないよ。なんなら気分いいし。」

スーツケースに荷物をまとめる。小さな抵抗として隠し持っていた私の全てを次々と詰めていく。彼が焦りながら何か言っているけど、私の意志は固く決まっていた。


「私やっぱり自分のために生きたい。好きなものを食べて、好きな服を着て、好きな曲とともに歩きたい。そのためには、あなたから離れなくちゃいけない。」


靴ひもを結んで、玄関の扉を開ける。


「家に残ってるものは捨てるか実家に送って。もう私には必要ない。この家も、あなたも。」

そういって、スーツケース一つで家を出た。タクシーに乗って「近くの駅まで」と伝える。



さぁ、ここからは全部私の思う方向に進める。こんなに自分の思うがままに行動なんてしたこと一度もない。興奮しているのか、手が小さく震えていた。


タクシーを降りると、見慣れたはずの駅がいつもより大きく見えた。改札前には小さな旅行会社のパンフレットが並んでいた。

おもむろに一冊手に取ると、表紙には「八丈島」と大きく書かれている。パラパラとページをめくってみると、あまりにきれいな海に息を吞んだ。



「いいじゃん。」



羽田空港までは一時間とちょっと。これからの人生に思いを馳せて、私は目を瞑った。



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