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今こそ仁義を尽くさせていただきやす

作者: 藤泉都理

【第一話】






『なあ。今度こそ、血を流さねえですむな』



 ああ、オヤジ。

 オヤジ。

 申し訳ねえ。


 拾ってくれた恩を返せないまま死ぬのは、途轍もなく口惜しく。いやそもそも、この正念場にやらかしてしまった事は、何度腹を掻っ捌いても赦される事ではねえですが。



『あいつらと和平の盃を交わしさえすれば』



 どうか、わしが死んでも、オヤジの夢を叶えてくだせえ。

 どうか。



『これからおめえたちと何をしてやろうかなあ』



 どうか。













(2023.4.12)


【第二話】




 何故捨てられたのか。

 何故拾ってくれたのか。


 幾度となく生まれる疑問は泡沫となり消えていくのみ。


 ただ、生かしてくれた、生かし続けてくれているこの恩義に報いる為に。

 オヤジの夢を叶える為に、この命を使い尽くそう。

 そう、心に決めた。

 のに。




 不甲斐ねえ。






 二十年の月日を懸けて設ける事ができた、敵対組織との和平の盃を交わせる場。

 その間に流れ続けた。

 目に見える血も、目に見えない血も甚だしく、夥しく。

 永久に残るほどに。


 無事に終わらせなければ。

 わしも含めて組員は全員堅く心に誓い、蟻一匹侵入できないように計画を立て、当日も心身を集中させて警護に当たっていた。

 カタギの連中に迷惑をかけぬように、住宅街や商店街、オフィス街からも離れた公園内の一角に建てられた茶室が、和平の盃を交わす場として設けられた。

 公園はもとよりその周辺も封鎖。ヤクザだけではなく警官も警備に配置されていた。


 襲撃もありえる。

 誰もが神経を尖らせていた。

 早く盃を交わしてくれ。

 誰もが無事に終わる事を願っていた。


 誰もが。

 もう血が流れない事を願っていた。


 そう思っていたが、違っていたらしい。


 気付けば。だ。

 気付けば、オヤジと敵対する組織の組長の前に駆け走り。

 気付けば、畳の上に伏していた。

 血でも消せないんだな。い草の匂いは。

 初めに思ったのは、そんな場違いな事。

 次に思い直したのは、この場を収拾する事。

 オヤジの夢を叶える事。


 誰が。

 敵対組織か。

 警官か。

 同じ組の者か。

 カタギの連中か。

 誰がこの場を、オヤジが、オヤジと志を同じにする者が、心血を注いで設けたこの場をぶち壊しやがったのか。




 俺だ。

 俺だった。

 攻撃ありきだったのだ。

 邪魔はあると、重々承知していたではないか。

 だから俺が攻撃を躱せていれば、攻撃を受けても致命傷を負いさえしなければ。

 犯人を捕まえて、この場は収拾できたのだ。

 俺がへましなければ。


 夢は叶えられたのだ。




 四方八方から怒号が響き渡る。

 誰がやりやがった誰がやりやがったといきり立つ声。

 空に打ち上げられる空砲と実弾が入り混じる銃の発砲音。

 襖や障子、窓硝子が派手に壊される音。

 畳を、木板を、地面をけたたましく蹴り上げる音。


 どうか、どうか。おねげえだ。場を収めてくれ。

 どうか。

 どうか、






 死んで事が収まるなら、喜んで死ぬ。

 喜んで死ぬのに。






 ああ、オヤジ。

 オヤジ。

 申し訳ねえ。


 申し訳、ねえ。


 ずっと堪えていた涙をこんな刻に流させるなんて。


 本当ならば、和平の盃を無事に交わした時にとっておいた大切な涙だったのに。

 全員が笑って流す涙だったのに。




 申し訳ねえ。

 申し訳ねえ。


 言えた立場にねえのは、重々承知しているが。

 どうか、どうか。

 夢を叶えてくだせえ。

 どうか。

 どうか、











(2023.4.12)





【第三話】




 姿勢正しく、細い目はやや伏せがちに。

 両の手は軽く合わせて下丹田の上に添えて。

 内巻きの髪の毛と同じ淡い若草色の広がったスカートも、透け感が美しい東雲色のフレスコタイも乱れがないように、華麗に優雅にやおら歩を進める。


 ごきげんよう。

 暗殺者として育てられた令嬢は世話係に物腰やわらかく挨拶をしながら、床が桜色の大理石調タイルで敷き詰められた廊下を進んで、ボスの元へと向かった。




 いつもと変わらない日だった。

 変わらない日になるはずだった。




 暗殺する対象者の写真を見せられるまでは。













(2023.4.12)



【第四話】




 前髪をかき上げて露になった広い額。

 刻まれた眉間の皺。

 鋭い目。

 少しこけた頬。

 すーっと通った鼻。

 薄い唇。

 胸に垂らす長い三つ編み。

 骨太で骨格がしっかりとしている体躯。

 

 前世の組長と外見が瓜二つだっただけではない。

 写真からも伝わるその静かな気迫だ。

 深淵の森の如きその気迫を写真越しに受けた瞬間。

 前世の記憶が瞬く間に浮かび上がったのだ。






 王族に連なる者、財を成している者、研究者など、世間に名を知られる者が招待を受けるこの茶会で、舞春まいはるは暗殺者としてではなく、表向きの家業としている薬草栽培で財を成した一族の者として、義父と共に参加をしていた。


(オヤジに会える)


 王子が主催するこの茶会。

 前世は組長であったと確信している王子と初めて会う舞春は今、ほんの僅か緊張した面持ちで義父に紹介された人々と挨拶を交していた。

 このような華やかな場に未だに慣れておらず緊張しているのですまったく困った娘ですよ。

 眉を下げる義父からそう説明された招待客が微笑ましいですねと声をかける中。

 その時が来た。


「これはこれは王子様。このような素晴らしき茶会にご招待いただき、真にありがとうございます」

 

 義父が浅く頭を下げて王子に挨拶をすると、王子は小さく頷いて微笑んだ。


「お越しいただき感謝します」

「こちらが私の養女である舞春です」


 ドクドクドクドクと、両耳の奥にも心臓が生成されたのではないかと疑うほどに、脈打つ音が大きく鳴る中。王子に身体を向けられた舞春は緊張を残したまま、スカートの両端を軽く持ち上げて、頭を深々と下げた。


「舞春と申します」

「第二王子のあかつきと申します」


 舞春はスカートから離した手を重ね合わせては下丹田に添えて、真っ直ぐに王子を見てはにかむように微笑んだ。






『敵対国と和平協定を結ぼうとしている第二王子を消せ』


 ボスでもある養父にそう命じられた舞春はいつものように静かに返事をしたが。


(私を拾ってくれたボスには申し訳ないが、私はオヤジを殺しはしない)


 組長としての記憶がなくても構わない。

 究極的には、組長でなくても構わなかった。


(私はオヤジの魂を継ぐ王子の夢の手助けをする)


 現世こそ。

 ボスを、組織を裏切ってでも。


(王子を死なせはしない)











(2023.4.13)



【第五話】




 血で血を洗う抗争は組長を継ぐ前から、それこそ自分が生まれる前よりずっと昔から続いて来た。

 おまえも同じだ。

 先代から言われて来た。

 おまえも戦い続けるのだ。

 組を守る為に。

 組員を守る為に。

 地域の秩序を、しいては平和を守る為に。


 嫌だ。

 初めて言われた時からずっと持って来た想い。

 自分はいい。

 組員が血を流すのは嫌だ。

 嫌だった。


 けれど知っている。

 嫌だと言っても、言うだけでは何も解決しない。

 ならば、組員が血を流さないようにするにはどうしたらいいのか。

 戦いを止めればいい。

 敵対組織と和平の盃を交わせばいい。

 和平の盃を交わすにはどうすればいいのか。

 敵対する理由がないと示せばいい。

 互いの領分を侵さず傷つけないと示せばいい。

 示すにはどうすればいいのか。


 金。

 土地。

 動力源。

 言葉。

 人間。


 すべてを使った。

 すべてを使えば、落としどころを見つけられると信じていた。






『俺を助けてくれねえか?』


 人が足りなかった。

 助けを必要としていた。

 だから、みなしごに目を付けた。

 けれど、強制はしたくなかった。

 だから、この手を取らなくても生きてはいけるみなしごに、そう問うた。

 この手を取ったみなしごの中に、あいつも居た。




 死んでほしくなかった。

 組員もみなしごも。

 人間として生きてほしかった。

 けれど。

 次々と消えゆく命を眼前にして、わからなくなった。




 俺はただ殺し続けているだけではないのか。











(2023.4.13)



【第六話】




 ベストとジャケットにオリーブの金の刺繍が施されている純白のタキシードで身を引き締めた第二王子、暁は今、自邸の庭で行われている茶会から少し退席して、自邸内の客室にて、舞春をおもてなししていた。


(さてどうするか)


 蝶が羽を広げたような形に見える、オリーブ色の革で作られたバタフライチェアに腰をかけて、暁は紅茶を飲みながら舞春を見ていた。


 二人の間には、一本足で木目調のラウンドテーブルがあり、その上には三段のケーキスタンドが置かれており、ケーキスタンドの一段目にはサンドイッチ、二段目にはスコーン、三段目にはケーキがすべて一口で食べられる大きさで乗せられていた。


 ハムとレタスのサンドイッチ。

 プレーンスコーンとチョコチップ入りスコーン。

 正方形の苺と生クリームのケーキ、円柱形の抹茶と小豆のケーキ。

 舞春は礼儀に則って一段目から順々にゆったりと食し紅茶を飲み干して、ラウンドテーブルの上に置かれた白地のソーサーに白地の小さなティーカップを音を立てぬように乗せると、暁を真っすぐに見た。


「とても美味しかったです」

「言葉をかけられないほどに集中して食べていましたね」

「申し訳ございません。とても美味しくてつい一人で楽しんで。暁様に退屈な時間を送らせてしまいました」

「いいえ。見ていてとても和みましたからお気になさらず。おや。紅茶がありませんね。おかわりはいかがですか?」

「ありがとうございます。けれどもう、お腹も胸もいっぱいで入りませんので、ご辞退します」

「そうですか」

「はい。ありがとうございます」

「はい。お招きした甲斐がありました」


(さてどうするか)


 所作を見る限り、一般的な令嬢よりもゆったりとはしているが、どこも引っかかる部分はなかった。

 が。

 眼前にいるのは、あの八雲家の養女。

 自分に差し向けられた、暗殺者。


 薬草栽培で財を成した八雲家は、裏では捜査権も逮捕権も及ばぬ敵対国で暗殺者を育て上げて、自国の権力者とも繋がっている敵対国に不利な自国の者を暗殺しているとの情報は得る事ができた。

 その暗殺者は八雲家が開発した薬物によって操られている、とも。


(暗殺者など)


 胸糞悪い。

 が。

 今はまだ情報のみ。

 証拠が見つからない以上、八雲家に捜査権を出す事すらできない。


(もっと)


 情報がほしい。

 それ以上にもう。

 血を流してほしくない。

 今回の敵対国との和平協定が結ばれれば争いを止める事もでき、八雲家の捜査の協力を求める事もできる。

 権力者もろとも八雲家の悪事も暴いて、暗殺者として育てられた者たちを救う事もできるのだ。


(彼女も)


 一度は絡み合った視線は、会話が途切れると共に舞春が目を伏せる事で解かれ、暁だけがその姿を見る形になっていた。

 とりあえず様子見。今回はこれでお開きにすべく、暁がお茶会に戻りましょうと提案しようとした時だった。

 舞春が目線を上げて、また真っ直ぐ暁を見た。

 途端、暁は射貫かれた、と思った。

 鋭く長い針のようなもので胸に留まったまま。

 先程とは雰囲気が違うと察したのだ。


 舞春はやおら立ち上がりバタフライチェアから退くと床の上で正座になり、両の手をハの字の形に添えては口を開いた。

 その間、暁から視線を逸らさなかった。











(2023.4.14)



【第七話】




 茶会も無事に終える事ができた暁は招待客を見送ってのち、執務室で書類を見ながら夕飯である照り焼きチキンのサンドイッチを食べ終えて今。自室の天蓋付きベッドに仰向けになり、少し硬いマットレスの上に敷かれたふかふかの布団の身を沈めながら、銀色のオリーブの刺繍が施された黒地の透き通るレース布を仰ぎ見ていた。




『私はあなたを殺すように命じられましたが、私にあなたを殺す意思は微塵もありません』




(油断を誘う為、と考えるのが常套だろうが)


 捕らえた事がある三人の暗殺者は全員、舞春のようにとても薬物によって心身を侵されているようには見えなかった。

 薬物の効果が切れる刻限が来るまでは。

 突然の出来事だった。

 冷静沈着だった暗殺者が突然、薬がほしいとがなり立てたかと思えば、事切れたのだ。

 半日、三日、一週間と、捕えてからがなり立て、そして事切れるまでは暗殺者によって差があったのは、どこかに薬物を隠し持っていた為か、人によって持続性に差があるのか。死体を調べても薬物は検出されなかったので、本当に薬物を使われているのか、そもそもそんな薬物が本当に存在するのかさえわからなくなる。




(偽の情報を与えられても、どうしようもないしな)




『私はあなたの夢の手助けをしたいです。けれど、私は暗殺者。今迄数知れない命を葬って来ました。あなたが暗殺者は不要というのならば、私は』


(夢を叶えたら喜んで処罰を、死刑宣告を受け入れる、か)






 表層は変わらない物腰やわらかな態度。

 けれど確かに雰囲気が変わった。と、感じた暁は丁寧な対応を止めた。


『今すぐに死ねと言ったらどうする?』

『今すぐは無理です』


 舞春は正座のまま、即断した。

 夢を叶えた瞬間を見るまでは絶対に死なない、と。


(ケーキスタンドが気に入ったのか?)


 暗殺を止めたいと思うほど?

 ケーキスタンドが薬物に打ち勝った?

 正気に戻ったから暗殺を止めたいと申し出た?


『八雲家に復讐したいか?』

『いいえ』

『八雲家に対して何を思う?』

『拾っていただいた恩があります。そのおかげで生きて来られた。感謝しています』


 殺害を強いられた憎しみや怒り、絶望は垣間見えなかった。

 見えなかっただけか。

 言葉通りか。


『人を殺させているのにか?』

『私が生きる為には必要だったので殺した。ただそれだけの話です』


 暗殺対象である自分を殺せなかったら、三人の暗殺者のように事切れるのではないか?


『薬物は使われているのか?』

『いいえ』


 嘘か真か。

 恩がある八雲家をかばおうとしているのか?

 本当に薬物を使われていないのか?


(八雲家の当主め。情に訴えて、俺を手玉に取る気か)


 可哀そうに薬物を使われて暗殺者として育てられた娘の命を使って、和平協定を潰させるつもりなのか?

 娘を殺したくなければ思いのままに動け、と、八雲家の当主はそう諭しているのではないか?

 このまま見殺しにするのか、おまえの守るべき大事な国民だろう、と。


『本当に薬物は使われていません。使っていません』


 本当だとすれば、薬物なしで人を殺した事になる。

 薬物は使われないで、心を潰されたのか。

 それとも。

 それとも、

 薬物も使わないで、心も潰されないで、正気で、人を殺して、いたとしたら。




『とても美味しかったです』




 あの恥じらいのある笑顔が嘘だとは、とても思えなかった。

 本当に心地よかったのだ、見ていて。

 とても丁寧に、優しく、嬉しそうに、ゆったりと食べていたから。

 過ぎゆく時間がとても温かく、気が緩んだ。


(だが、彼女が知らぬ間に薬物を使われている可能性もある)


 薬物が使われていなくても、使われていたとしても、命令に背いたと気がつかれれば、殺される可能性が高い。

 薬物が使われていなかったら助けられるが、薬物が使われていた場合、助ける方法が、ない。






「もう、朝か」


 思考に耽っていたようだ。

 カーテンをしていない窓の外では、空が白み始めていた。











(2023.4.15)



【第八話】







 スタートラインがまっさらな子どもだったから手を取ってくれた前世。

 スタートラインが真っ黒な暗殺者の今生は、






「あなたが夢を叶えた瞬間を見られれば、それだけで」











(2023.4.15)


【第九話】




『薬物は使われているのか?』

『いいえ』




 八雲家の邸内に設けられた自室にて。

 天蓋付きのベッドの端に腰をかけた舞春は、銀の四葉のクローバーの刺繍が施された淡い紅色の透き通るレース布に手を当てながら考えていた。






 八雲家の暗殺者は全員、薬物が使われている。

 みなしごだった自分たちは暗殺者として育てると宣言されると同時に、薬物が投与された。

 この薬物は身体強化と共に恐怖感を拭い去り平常心を与えるが、一定期間内に投与しなければ、または、ボスが命令すれば事切れるようになっている。

 ボス曰く、ボスの命令だけを受けるこの薬物は生きており、暗殺者が生きていても死んでいてもこの薬物自身が身体の細胞に擬態して、確実に検出されないようにするらしい。




『第二王子はこれまで三人もの暗殺者を捕えています。暗殺者の実力は横並び。正攻法では第二王子の暗殺は無理です』

『第二王子は強いけれど甘い。暗殺者を殺さずに捕らえている事からも明白です。自分から暗殺者だと明かし、暗殺しない、味方になりたいと言えば、少しは揺らぎ、隙を見せると思うのです』

『暗殺日は調印式当日。その日までに隙を多く見せる相手になってみせます』

『確実に命令は実行します』


(などとボスに申し上げたが)


 ヤクザだった前世では殺害も薬物も詐欺も強迫も厳禁だった。

 胸糞悪い。

 オヤジがそう吐き捨てて厳しく禁じたのだ。

 お国や役所、世間から弾かれた者たちを守る為にこの組はあるのであって、犯罪をする為の組織ではない。

 ただ自分の身は自分で護れるようにと、武器への対処法などを合わせた護身術を叩きこまれた。

 おかげで、オヤジが禁じたすべてを平気でやっていた敵対組織の急襲から生き残ってこられたのだが。

 すべてが後手後手だったのではないか。と、今は思う。

 敵対組織がやらかしてから対処する、だったから、死んでいった組員も居るのではないか。

 こちらから急襲していれば。


(いや。オヤジが望んだのは敵対組織の壊滅じゃなくて、和平の盃を交わす事だ)


 落としどころがあると、二十年耐えて来た。

 第二王子もずっと耐えて来たのだろう。

 調停式はもう目前だ。


(今の私ができる事は)











(2023.4.16)



【第十話】




(餌付けされているのだろうか?)


 あれから毎日暁の邸に呼ばれてお茶の時間を過ごしている舞春。三段のケーキスタンドの中身は変わりながらも、ただ暁に無言で見つめられては一時間後には見送られる日々は変わらなかった。


(何も訊いて来ないのは、どうせ偽情報を掴まされて無駄だと思っているからか?)


 もくりもくり。

 ゆったりと丁寧に食す。

 厚焼き玉子のサンドイッチ。

 塩漬けされた桜の花びら入りのスコーン。

 三角形の苺タルト、半月形の紅茶のシフォンケーキ。


(早く苦悩から解放させて、こんな風にどこぞの令嬢とゆったり過ごしてほしい)


 その為には。


(ボスを殺害したとしても、いくらでも替えは効く。すぐに後釜が配置されるだけ。大元を潰さないとどうしようもない。が。やはりその為には和平協定国の協力が必要)


 舞春は紅茶をゆったりと楽しみながら、内心で乾いた苦笑を零した。

 一時的に暗殺を停止させる事しかできない。

 せめてこの身に流れる薬物を提供できればいいが。


(細胞に擬態しているとの情報を渡せば。いや、それだけでは。何か特徴があるはず。やはり。あちらに帰った時に少しでも多く情報を得て)


 前世ならば、手助けしてくれる仲間が居た。

 だが今生は、居ない。ただボスの命令を受けて個々で暗殺を果たせばいいとしか考えて来なかった。必要性がまったく感じなかったのだ。


(その上、ボスに裏切りを悟られてしまえば、殺されるだろう)


 恩はある。感謝をしている。拾ってくれたおかげで生きて来られた。

 それでも、裏切る事に躊躇はない。

 オヤジの、王子の夢の手助けできるならば。

 覚悟はある。けれど、薬物という足枷があまりにも大き過ぎた。

 それに。


(暗殺者ではなかったら。王子は快く手を取ってくれただろうか)


 警官や王族関係者、いや、暗殺者以外だったら何の権力も持っていなくとも。

 助けてくれと、この手を取ってくれただろうか。

 前世のように。


(喜んで死ねるのに。今生では、守って死ぬ事さえできそうにないな。いや。前世では死んだせいでぶち壊したわけだから、ただ死ぬだけの方がましか)


 何もしない方がいいのだろうか。このまま。調印式まで誤魔化して、調印式を無事に終わらせる事ができたら、用なしで殺されるだけなのだから。

 夢を叶える瞬間を見られるのだ。

 それだけでいいのではないだろうか。

 余計な事をしなければ。

 情報ならば和平協定が結ばれて国の協力を得られる。あっという間に集める事ができるのではないだろうか。薬物の研究も。


(私が知っている事を死ぬ直前に伝えられれば)


 このままでいいのではないだろうか。

 もう少しだけ、もう少しだけだから。

 この陽だまりの中で過ごしていれば、いいのではないだろうか。




(一緒に戦いたかった、なんて)




 過ぎたる夢だったのだ。









(2023.4.17)



【第十一話】




 夢を見た。

 長い縁側に座り日本庭園に向かって足をぶらぶらさせながら、幼い少女が庭師である私に訴えるのだ。


 退屈だ何かして、と。


 苔の上の枯れ葉をい草の小さな箒で掃いていた私は少女に近寄り、箒とちり取りを腰にぶら下げると黒の玉砂利の上で、頭に巻いていた鉢巻きを手に持ちとぐろを巻いて竜の置物ですと言った。

 途端、少女はぎゃんぎゃんと泣き喚き出した。

 つまらないつまらないと言って。

 つまらないと泣き出すなんて不思議な生き物だなあ。

 ぼんやり眺めながらも、ふと、どうしてか、思ったのだ。

 よかったなあって。




「ど。どうしてないているの?わたしがつまらないって言ったから?わたしがなきだしたから?なかないで。ないちゃだめ。わらって」

「ごめんなさい。どういうわけだか、涙が止まらなくて。それにおかしくもないのに笑えません」

「えええ。おとななのにわらえないの?もう。しょうがないわね。そのてぬぐいをかして」

「汚いからだめです」

「ばっちいの?」

「はい。汚いし臭いのでだめです」

「えーもう。じゃあちょっと待っていてよ」


 泣いて怒って大変だなあ。

 思いながらぼんやりと元気よく駆け走って行く小さな背中を見つめた。

 涙は枯れる事なく、流れ続けた。


 よかったなあ。

 よかった。

 平和な世界で今度こそゆったりとみんなと一緒に過ごせるんだ。




『これからおめえたちと何をしてやろうかなあ』






(スタートラインが変化したって。ままならないものだなあ)











(2023.4.17)



【第十二話】




(明日がアジトに行く日で、明後日が調印式)


 暁の邸内の客間にて。

 欠かさず招待されたお茶の時間。

 桜えび、かぼちゃ、マヨネーズのサンドイッチ。

 ほうじ茶のスコーン。

 木苺のロールケーキ、正方形のショコラケーキ。

 流れる時間はゆったりと温かく優しくも、ほんのりと冷たい風が常に通り過ぎる。


(今日も何も訊かれなかったな)


 舞春は白地の小さなティーカップを白地のソーサーに乗せて、伏していた目を上げて、真っ直ぐに暁の目を見た。

 視線が絡み合った。

 けれど、どちらも言葉はなく。


 舞春は迷っていた。

 暁に問いかけるか否か。

 私はどうすべきか。と。

 やれる事は少ない。が。何もできないわけではない。

 失敗したとしても死ぬだけなのだ。今回は。何も支障はない。そう、何も。

 ただ、自分の気持ちがすっきりしないだけ。

 ほんの僅かでも多く手助けをしたいという気持ちが。

 違う。それだけじゃない。本当は。

 本当は和平協定が結ばれた後を一緒に。

 叶うわけがない。

 万が一生き残れたとしても、暗殺者なのだ。

 刑に則って、死刑。死ぬのだ。

 怖くない。

 ただ、無念だ。

 今生でも、叶わない事が。

 夢の続きを一緒に歩めない事がとても。




「どうして泣いているのか?」

「ええ。美味しいものが毎日食べられて幸せだなと思いましたら、涙が流れてしまいました。見苦しい姿をお見せしました。申し訳ございません」


 暁に指摘されて初めて泣いている事に気づいた舞春。おっとりとした口調でそう告げると、ドレスの胸ポケットから取り出したハンカチで目元をやわく押さえて、微笑を浮かべて暁を見ようとしたがその瞬間、思わず身体を微動させてしまった。

 動揺を露わにしてしまった。


 初めてだった。

 写真でしか知り得なかった、静かな気迫。

 深淵の森にも似たその気迫が直に身体を貫いたのだ。

 矢の如く。

 脳が危険信号をけたたましく鳴らす。

 この人間には敵わないのだと。


(そりゃあ、そうか。この人はオヤジだもんな)


 俺たち組員全員がかかっても敵わない人間だ。

 強く再認識した舞春は、ハンカチを胸ポケットにきれいにしまい直すと微笑を湛えた。


(でも、私たちが敵わない強い人間のオヤジでも、完璧なわけではない。綻びは必ず出て来る)




 泣いてしまいたかった。

 強く。

 いやだいやだと。

 どうして平和に暮らせないのだと。

 どうしてこの人と一緒に過ごせないのだと。


 強く強く。

 泣いてしまいたかった。












(2023.4.17)



【第十三話】




 殺されたのではなくて、自分で殺したのではないか。

 時々、どちらかわからなくなる。

 自分で殺した。自殺だ。

 そうであるならば、理由は何だ。

 自分が死んだら。


 ん、いや。

 自殺だったら別に和平の盃は支障なく進むのではないか。

 この和平の盃に不満があったんですねーと言われるだけでちゃっちゃと片付けられて終わるのではないか。

 和平の盃は無事に交わされて、平和に暮らせる未来へと進むのではないか。


 何だろう。

 自殺するとしたら何でだろう。

 怖かったのだろうか。

 和平の盃を交わす事で生活が一変すると。今迄通りには過ごせないと。

 まあ、怖いかな。うん。新しいスタートラインを切るのだ。うん、怖い。平和な日々を過ごせるって知っても怖い。平和って知らないもの。血生臭い世界をずっと生きて来たもの。そりゃあ平和な日々を望んでいたけれど、想像と同じって事でいいのかな。


 怒って泣いて笑って、色々な感情を剥き出しにできるの?

 急襲されて殺されるかもって常に警戒心を抱かずに日々を過ごせるの?

 ずっと険しい顔のまま過ごさなくていいの?

 ゆっくり眠れるの?ゆっくりご飯を食べられるの?ゆっくりテレビを見られるの?ゆっくり風呂に入れるの?ゆっくりトイレに入れるの?

 行動に制限がかからずにオヤジと一緒に色々な事に挑戦できるの?

 何もしない時間を、ゆったりとした時間を過ごせるの?




 楽しそうだと思う反面、いいのかなと思ってしまう。

 そんなに自由でいいの。











(2023.4.17)



【第十四話】




 例えば、生活にゆとりのある暮らしの中で産声を上げたとしても。

 一度味わってしまえば。味わった感覚が消えなければ。消そうとしなければ。

 環境はたいして関係ないのではないだろうか。

 悪人は悪人のまま。

 人を陥れては愉悦を感じ続ける。

 生きていると実感し続ける。











「莫迦だな、おまえは」


 調印式当日。

 周囲に建物や高い木など人を隠れさせるものがない平原にて。

 第二王子の暁と八雲家当主が、純白の木で作られたラウンドテーブルを挟んで、同じ木で作られた椅子に座り向かい合っていた。




 第二王子である暁のいる国『雨水』と敵対国である『寒露』。

 この二か国は長年武力闘争が続いていたが、この度の和平協定が結ばれれば永久に武力闘争を禁止し、平和が訪れるようになる。


 この和平協定締結に尽力したのが、暁と八雲家当主であった。

『寒露』の第二王子であった八雲家当主は、幼い頃に先代の八雲家当主に薬草栽培の才能を見出されて八雲家に養子に出されていたが、この度の和平協定締結の為に二国間の橋渡し役を見事果たしたとして、この場に座る事を許されたのであった。


 これで平和な日々が過ごす事ができる。

 誰もが胸を熱くさせた。

 これで争いの中で誰も死ななくて済む。

 胸を張り裂ける思いをしなくて済む。

 見える血も見えない血も流さなくて済む。

 誰もが。





 誰が信じられようか。

 立会人が列席し、警官が警備するこの日が高く昇る調印式の場で、和平協定に書名をしようとする当人が。

 八雲家当主が第二王子を殺害しようとするなど。

 誰が。





「莫迦だな、おまえは」

「はい」


 八雲家当主の養女として、立会人の席に座っていた舞春は、ボスでもある八雲家当主と同様に口から血を流していた。

 暁を倒す為にと八雲家当主に願い出ていた大量の薬物接種により身体が悲鳴を上げ始めた事に加え、八雲家当主の命令により薬物が舞春の命を削り出したのだ。

 急速に。

 けれど八雲家当主の背後に居た舞春は、平然とした態度を変えずにラウンドテーブルに叩きつけては抑え込んでいた手からナイフを奪い取ると、素早く背中に回した両手を片手で押さえ、もう片手で首元を押さえ込み、強引に曲げさせた膝を地面につけさせて跪座の形を取らせ、八雲家当主の動きを封じ、暁を見た。


「牢屋に入れるまで、私がこの方を押さえます」

「しかしっ早く」


 治療を。

 やおら言葉を飲み込んだ暁は舌打ちをしては、腰を下ろし八雲家当主を真っすぐに捉えた。八雲家当主はすました顔で暁の視線を真っ向から受けた。


「どうにかしろ」

「黙秘だ」

「彼女を治す方法を教えろ」

「黙秘だ」

「きさ「暁様。どうぞこの場の収拾を最優先にしてください」

「舞春!」


(ああ。結局。今回も)


「ご安心ください。司法に裁かれるまでは死にません」


 舞春は感情を排した表情でそう告げると、警官の指示に従って八雲家当主を連れて行くのであった。











(2023.4.18)



【第十五話】




 薬物の効果だろう。

 舞春が八雲家当主の手をラウンドテーブルに叩きつけられるまで、何が起こったのか誰もわからなかった。その手に握られたナイフを視認するまで誰も。

 それほどまでに、刹那の出来事だったのだ。

 意味がわからなかったに違いない。

 八雲家当主の手には確かに万年筆が握られていたのだ。

 今まさに書名しようとする時だったのだ。

 舞春が居なければ、暁は殺されていたのだ。


 何故暁を殺害しようとしたのか。

 八雲家当主は黙秘を続けている。

 すました顔をしてずっと。


 調印式をぶち壊したかったのだろう。

 理由は利益。

 暗殺を依頼した者から受け取る法外な報酬、武力闘争時には認められていた恐怖感を拭い去り高揚感を与える薬物や、攻撃の為の毒薬、戦闘員の治療薬など様々な利益を失いたくなかったのだろう。

 上から命じられて渋々橋渡し役を演じていたが、実際に調印式に立った時やはり財が惜しくなって急襲した。と。

 けれど、それだけではないように思える。

 それだけでは。





 舞春は言葉通り、八雲家当主を牢屋に入れるまで押さえ込み続けて、牢屋の施錠が完了した瞬間、その場に倒れたと報告を受けた。





 舞春は暁を助けた英雄として、また、平和を願う女神として両国の民衆から称えられて、一時は『寒露』が信じられないと頓挫しそうになった和平協定締結への大きな後押しになった。





「無事に調停式を終えた」


 暁は舞春に報告した。

 晴れやかな日であった。

 温かくも、ほのかに冷風が流れる日であった。











(2023.4.18)



【第十六話】









「オヤジ」

「ああ」

「変な夢を見てた」

「ああ」

「俺が暗殺令嬢で、オヤジが王子で、敵対組織の組長が俺のボスだった」

「ああ」

「一時はぶち壊れそうになった和平協定も無事に締結できたんだ」

「ああ」

「暗殺者に使われていた薬物もどうにか治療薬ができそうだって」

「ああ」

「オヤジ」

「ああ」

「和平の盃は交わせたのか?」

「ああ」

「オヤジ」

「ああ」

「すまねえ」

「俺も。すまなかった」

「オヤジ。謝らねえでくれ」

「ああ」

「オヤジ」

「ああ」

「わし、遊園地に行ってみてえな」

「ああ、俺もだ」











(2023.4.18)








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