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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第6章~愛~
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74.竜神の策②

 そんなことができるのかと、シグルズももちろんリンファも思った。しかしヨルムントの提示した提案以外の手段を二人は講じることができなかった。


「それしか手段はないの? あなたの言う『フェンルの中に入って彼女を殺す』しか。正直、あなたの策には乗りたくないのだけれど」


 リンファが言う。これにはシグルズも同意した。


「そうは言うけどね、今も肥大化し続けるこの大樹を枯らすには、中にいるであろうフェンル自身を討つしかないんだ。先に言っておくけど、お前たちに拒否権はないよ。拒否することはつまり世界樹の終わりを意味する。今のお前たちは救世の英雄になる以外に選択肢はない。木の中への道は僕が抉じ開けよう。そこに入ってくれるだけでいい」


 ヨルムントはそう言うと、反論を受け付ける間も見せずに行動を起こした。どこからともなくミシミシと軋むような音を立てる大木に触れる。


「隙間を作れるのは僅かな時間だ。その間に飛び込んでほしい」


「……待ってくれ。それは俺たち二人で行くのか?」


 シグルズが問う。視線をじっとヨルムントに向けた後、少しだけ首を回してリンファを一瞥する。それでシグルズの考えが分かったのか、リンファは小さくこくりと頷く。


「俺たちがこの大木の中にいる間、不審の塊であるお前を誰が見張る」


「ヘイルがいるだろう。彼が僕を見張ってくれるさ」


「神が神を監視するの? それが本当に信じられるとでも? 私たちが樹の中にいて外から隔絶されている間に、あなたが何もしないことを誰が保証してくれるの?」


 リンファがヨルムントに強い眼差しを向ける。それで彼女の言わんとしていることを読み取ったのか、ヨルムントはどこか気だるげに息を吐いた。


「……分かったよ。どちらか一人に残ってもらおう。まあ確かにお前たちの言い分は十分に理解できるものだ。僕が同じ立場でも同じことを言うだろう。それに、きっと樹の中にいるフェンル本体を殺すのに必要な血は二人分もいらない。なにかあったときのために一人を控えておくことの方が賢い選択だ」


「存外、簡単に引き下がるんだな」


 ヨルムントの回答が意外だったシグルズがそう零す。


「まあ、ね。一応知恵を司る神だから、最も賢い選択を選ぶさ。それで、どちらが中に入るんだ?」


 ヨルムントが尋ねると、リンファとシグルズが目を合わせる。答えはどういうわけか互いに共通認識として最初から用意されていた。「私が」とリンファが一歩前に歩み出る。


「分かった。それじゃあ、道を開こう。さっきも言ったけど、開いている時間はそう長くは()たない。フェンルを覆う樹木は既に彼女の手を離れ意思を成し、他者を拒み世界樹を飲み込もうとしている。だから本当に一瞬だ。その一瞬に飛び込んでほしい」


 その言葉にリンファが頷く。ヨルムントは樹の僅かな窪みに両の指を掛ける。その前にリンファは立つと、首を振り向かせてシグルズを見た。


「また、後でね」


 ひらひらと小さく手を振る。僅かに微笑む。「ああ」とシグルズも微笑み返した。


「準備はいいね。……行くよ!」


 その声の勢いのまま、ヨルムントは少しだけ腰を落として腕を開く。樹が軋んだ音を立てながら、少しずつ樹皮に亀裂を走らせていく。


 そこから僅かに漏れ出る眩い光がリンファの瞳を刺激する。


 ヨルムントによって作り出された小さな洞は少しずつ広がっていく。僅かに振り向いたリンファの目には、歯を食いしばり白い顔を僅かに赤くしたヨルムントが見えた。


 再び正面に向き直り、洞が広がっていくのを見つめる。あと少し、あと少し。自分が通るのに丁度いい大きさに広がる機会をじっと待つ。


 リンファが動き出した瞬間と、ヨルムントが「今だ!」と叫んだ瞬間はほぼ同時だった。彼女が光の中に飛び込んだのと同時に、ヨルムントがまるで拒まれたかのように大樹から弾き飛ばされた。


 「無事に行ったようだね」と、ヨルムントがよろけながら膝に手をついて立ち上がる。


「さて……」


 呟き、男はその白眼をシグルズに向けた。シグルズもそれを睨み返す。空気が凍り付き、重苦しく肌に纏わりつく。


 シグルズはヨルムントの心の内側が読めなかった。いや、大体の予想は出来ていた。この軽薄な男の言葉には常に裏がある。この向けられた視線の向こう側に、真っ黒な腹がある気がしたのだ。なにかを企んでいる可能性をどうしても否定できないのだ。


 自身の握りしめる槍――バルムンクの柄を握りしめしかし構えず、じっとヨルムントの出方を窺う。


「……やめだ、ここで僕らが争ったってなんの利益も生まない」


 ため息とともに、ヨルムントはそう言って重そうに腰を下ろし、尻を地面につけた。


 シグルズは依然として警戒を解くことなく、視線をヨルムントに向ける。彼の一挙一動に気を配る。


「……そんなに警戒するな。無意味な争いを僕はするつもりはない。僕を消し去りたいほど憎んでいるのは分かるが、今だけは殺意の矛を収めてくれ。今僕たちが第一に考えるべきは私怨なんかじゃない。世界樹の未来だ」


「そうじゃ。お主の気持ちも分かる、混血の騎士よ。しかし今は、そんなことにかまけている場合ではないのじゃ」


 空神ヘイルもヨルムントに同調するようにシグルズを諫めた。しかし神々の言葉はまるで説得力を持たなかった。無意味な争い? 気持ちも分かる? 何をふざけたことを言っているのか。


「この状況を作り出したのはお前たちだろう? 自分たちで招いた結果に対して、なぜそれほど他人任せでいられる?」


「他人任せにしているわけじゃない。単に僕たちには何もできないというだけなんだ」


「それを分かっていてこの結果を引き起こしたんじゃないのか? 違うのか?」


 シグルズの指摘は的確だった。「そう、だが」とどこか煮え切らない反応をヨルムントが見せる。


 そうだ、竜神ヨルムントはこうなることを全て分かっていたはずなのだ。分かっていて、全てを役者として自分の手のひらで躍らせた。


「……色々と想定外のことが起きたんだ。本来ならばこの事態も簡単に収束するはずだった。エルマ・ライオットの握ったニーズヘッグなら、地神フェンルも飲み込めるはずだったんだ。愛に飢えた少女の嫉妬が、本物の愛を食らい尽くすことなんて造作もないことだったはずなんだよ」


 ヨルムントがさらりと口にした言葉の数々。彼にとってそれはあまりにも軽く、取るに足らない話だったのだろう。


「今……なんと言った?」


 声を震わせたのはヘイルだった。ヘイルはふらふらとヨルムントの前に歩むと、座り込んでいる彼の胸倉を力強く掴んだ。


「……お主! フェンルをはじめから殺そうとしておったのか!?」


 ヘイルの怒号にヨルムントが何かに諦めをつけたかのように「はあ」とため息を吐く。


「ああ、言ってしまったじゃないか。そうだよ、僕の目的は地神フェンルを殺すことだった。ずっとずっと、最初からそうだったんだ」


 瞬間、空気が一気に重くなるのをシグルズは感じた。遠い彼方の空で稲妻の轟きが鼓膜を震わす。


「神が神殺しをしようというのか! お主何を考えておるんじゃ!!」


「おやおや、自由と安らぎを司る空神ヘイル様が随分と血気盛んだね。お前も自らが背負うものを忘れて彼女のようになりたいのか?」


 ヨルムントのその挑発紛いの言葉がヘイルには効いたのだろう。胸倉を掴む手を離すと「案ずるな」とまるで別人とも思えるような低い声でヨルムントが提示した可能性を否定した。


「しかし、お主の言動と行動は看過できぬ。最古の神として相応の罰は下す」


「ああ、それで構わないよ。どんな罰を貰えるのか楽しみだ」


 そう言って、竜神ヨルムントは笑っていた。

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