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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第6章~愛~
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71.竜神の企み

「世界樹は、シグルズかエルマを生き返らせようとしておる。その黄金の林檎が、蘇るための鍵じゃ」


 空神ヘイルのその言葉に目を丸くしたリンファは「……ほんと?」と息を溢した。


「本当に、シグルズが生き返ってくれるの?」


「可能性の話だ。エルマが生き返る可能性だってある。むしろ僕としてはそうであってほしい」


 リンファは竜神ヨルムントの言葉を無視して「いつ生き返るの?」とヘイルに問う。


「分からぬ。世界樹第二階層〈死者の国ブラハ〉は世界樹に属していながら世界樹と隔絶された異界じゃ。時の流れも、空間の理もわしらの知っとるものとは違う。悠久の時を要するかもしれぬし、瞬きするほど短いかもしれぬ。どちらが生き返るのかも分からぬし、そもそも本当に生き返るのかも分からぬ。二人が生の果実を拒むことも考えられる」


 それを聞いたリンファは俯いた。確かに、今しがた示されたのはただの可能性に過ぎない。そもそも、〝生き返る〟なんていう奇跡のようなことが本当に起きるとも考えられない。大前提として、この二人のいけ好かない神が嘘を吐いている可能性の方がよっぽど現実的だ。


 ただそれが、その話を信じない理由にはなり得なかった。


「彼が蘇ったって意味はないよ。既に一度崩れた命、またすぐに死者の国へ旅立つ」


「……どういうこと?」


 リンファはヨルムントを睨む。ヘイルが一度ティーカップに口をつける。


「彼の傍にいるフェンルに彼の持ち物であった〝忌殺しの剣〟を託した。彼が目覚めたらその剣で彼を殺せ、と」


 リンファはヨルムントの口ぶりに強い違和感を覚えた。地神フェンルのことはリンファ以上にヨルムントはよく知っているはずだ。優しい心を持つ神だということをリンファは知っている。それはヨルムントも重々承知のはずだ。


「不思議ね。彼女のことをよく分かっているのなら、託す相手を間違えているのではなくて? あの子に命を奪う行為ができると思っているの?」


「いいや、全く」


 ヨルムントが淡々と答える。


「……竜神ヨルムント。あなた何を企んでいるの?」


 訝しむリンファに、ヨルムントはほくそ笑む。


()()といい。ファフニールの〝全知の力〟で」


 ヨルムントのその笑顔がリンファにはいやらしく感じた。ファフニールとその力は、もとは彼から生み出されたものだ。彼はその力の全容を知っている。


「意地の悪い言い方をするのね。この力はそんなに万能じゃないわ。自分の意思で未来を視ることができないのは、あなたも分かっているでしょ」


「ああ、そうさ。何とも不便な力だ。肝心な時に未来(さき)を見せてくれない」


 ヨルムントが鼻で笑う。


 ファフニールの全知の力は未来さえも見通す。しかしそれはリンファが先に口にした通り万能ではない。どの未来をいつ見せるのかは力を持つ者ではない何者かが勝手に決める。不意に視界に広がる未来の景色。そういうものだとリンファは認識している。そもそも、全知の力を使えたのもエルマ・ライオットとの戦闘のみだ。


「……ヨル坊、お主フェンルに何ぞ仕込んどりゃせんか? あの子は純粋な子じゃ。お主に何か仕込まれても気づきはせんぞ」


 ヘイルがヨルムントを睨む。その表情が、リンファが見た初めてのヘイルの感情に思えた。


「……何も仕込んじゃいないさ。同じ神である彼女に、僕が何かするはずがない」


「胡散臭いのう。こればかりはリンファ嬢の言葉に同意せざるをえぬ。お主、一体何を企んでおる」


 先のリンファの質問に重ねるようにヘイルが尋ねる。しかしヨルムントは頑なに「なにも」と答えた。


「そんなに彼女のことが心配なら、二人揃って様子を見に行けばいい」


「別に私は地神フェンルが心配なわけじゃないわ。ただシグルズのことが気掛かりなだけ。あなたが彼を殺そうとしてるのは分かってるから」


「どちらにしろ、心配なら急ぐことだ。これから起こることは僕の意思でどうにかなることじゃない。全ては地神フェンルが決めることだ」


 ヨルムントが両肘をテーブルについて手を組み、顎を乗せる。小さく頬を吊り上げる。その直後、大地が揺れた。


 腹に響くような重い音と共に、大地が――世界樹が小刻みに激しく震える。


「なっ、なに!?」


「なんじゃ!?」


 リンファとヘイルは驚きに立ち上がり、周囲に視線を配る。一体何が起きているのか分からなかった。これほどに大地が揺れることを、リンファも神であるヘイルすらも経験したことがなかった。


 ただ、竜神ヨルムントはこの状況にひどく落ち着いていた。相変わらず椅子に腰かけたまま「ああ、ほら」と呟く。


「僕の言葉に耳を貸しているから、間に合わなかったね。竜の魔女、空神ヘイル」


 そう言って、竜神ヨルムントは不気味に微笑んだ。



§



 地神フェンルの目下で、一人の騎士がゆっくりと瞼を持ち上げる。一度死んだ男が蘇ったのだ。


 もう一度、フェンルは男の奥のベッドで横たわる紅葉色の髪の少女を見る。彼女の身体を覆っていた純白の毛布は既に血を吸い真っ赤に染まっている。少女の顔はまるで眠っているみたいに穏やかで、とても死んでいるとはフェンルには思えなかった。視線をずらし、膝の上に置いた忌殺しの剣を見る。それを手に取り逆手に持つと、自分の頭上に降り上げようとした。


「……ここは」


 目を覚ました男の――シグルズ・ブラッドのその声に、フェンルは咄嗟に忌殺しの剣を自分の背に隠した。


「おっ、おはよう!」


 笑顔を向ける。シグルズは「地神フェンル……」と小さく口を動かす。


「……そうか、俺は本当に生き返ったんだな」


 そう言うと、彼は首を回して横のベッドに横たわる少女を見る。フェンルもその視線を追う。「エルマちゃんは……?」と視線の先の少女のことを尋ねる。


「エルマは……俺に生きることを託した。彼女にただ生きてほしいと言われた。だから俺は、生きることを選んだ。彼女を殺すことを選んだ」


「そっか……」


 きっとそうだろうと、フェンルは思っていた。エルマならば彼の生を望むだろうと。エルマ・ライオットは自分の愛を貫いたのだ。


「竜神ヨルムントはどこにいる」


「えっ」


 シグルズが布団を捲って出ようとする。足を床につけ、立ち上がる。フェンルは背に隠した忌殺しの剣を握りしめたまま一歩後ずさる。


「えっと、多分ヨルムントは下の階にいると思うよ」


 答える。「そうか」と頷くシグルズにフェンルは「どうするつもりなの?」と問いを繋げる。


「無論、殺すつもりだ。殺せるかは分からない。俺は俺の力を信用できない。だが、奴を殺さなければ守るべきものも守れない」


「そう、だね。あたしもそう思う」


 彼がそう言うのは納得がいった。ヨルムントはこの世から混血という存在を跡形もなく消すつもりだ。それが世界樹にとって最善であることはフェンルも承知している。ともすれば、それに抗うというシグルズの行動は至極真っ当なものだ。当然の行動だ。


 だがそれを、神であるフェンルは容認していい立場ではない。


「……ごめん」


 手を震わせながら隠していた忌殺しの剣を晒す。胸の前に持ってきたそれを、小さく振りかぶる。


「ごめん、本当にごめん。あたしは、あたしは殺したくなんてないの。でも、シグルズくんを生かしておくことはヨルムントの身を危険に晒すことなの。だからあたしは、シグルズくんを殺さなきゃいけないんだ」


 言葉ではそう言う。頭でも分かっている。目の前にいる混血の騎士をここで仕留めなければならないと。


 握った剣がするりと手から抜け落ちる。からりと軽快な音を立てる。


「あ、はは……手、力入らないや」


 それを拾い上げる気力はフェンルにはなかった。何が正しいかもわからず、自身の思考も混ざりあい、言動と行動は少しずつしかし確実に乖離していく。


「殺さなきゃいけないんだよね」


 誰かに確認を取るように呟く。


「でも、殺したくないよね?」


 誰かに同意を求めるように声を震わす。腰を落として忌殺しの剣を拾い上げる。


「……フェンル?」


 シグルズの目からも、フェンルの様子が普通のそれでないことは明白だった。声からは覇気が抜けまるで色がない。目の焦点もどこか定まっておらず、その様は不気味にすら思えた。


「あたしは、地神フェンル。愛の女神。でも、なんであたしは愛の結晶を潰さなくちゃいけないの? ねえ教えてよヨルムント。教えてよヘイル、教えてよシグルズくん。どうしてあたしはあなたを殺さなくちゃいけないの?」


 部屋の窓がガタガタと揺れる。耐えかねた窓ガラスが空気を裂くような音を立てて激しく割れた。吹き荒れんばかりの突風が部屋に流れ込む。


 風はフェンルの周りに縒り集まり彼女を中心に渦を巻く。その中でフェンルが頭を抱えて座り込む。


「誰か、誰か教えてよ……! 〝愛〟ってなんなのッ!!」


 訴えかけるような叫び声と共に大地が揺れた。小刻みに、そして大きく震える。まるで地神フェンルの心を代弁するかのように。


 蹲るフェンルに寄り添うように床から蔦が伸び彼女の腕や足に絡みつく。体に巻き付き少しずつ覆っていく。緑色だった細い蔦は気がつけば太く逞しい樹皮を纏っていた。その姿は既に地神フェンルの面影を失っていた。まるで人の形をした樹木そのものだ。


 腕だったと思われる捻じれた枝が持ち上がる。その先端は真っ直ぐにシグルズを捉えており、刹那の速さでシグルズの眼球めがけて一直線に伸びた。寸でのところでそれを交わす。切っ先がシグルズの頬に赤い線を作った。


 そこに佇むものにシグルズは生気を感じられなかった。地神フェンルと呼ぶのもおこがましい存在だった。そこに居たのは、正真正銘世界樹の産み落とした化け物だった。

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