67.エルマとシグルズ①
騎士訓練校時代のエルマ・ライオットの心は荒んでいた。粗暴で粗野で誰も他人を寄せ付けない。そういう風に振舞っていた。
本来のエルマはそうではなかった。可愛いものや甘いモノだって好きだし、キラキラした宝石だって好きだった。しかしそれをひた隠し、孤独であり続けようとした。家族を失ったエルマは、これ以上に何かを失うことを酷く恐れていたのだ。
だったら最初から何も得なければいい。何も欲さなければいい。孤独でいい。孤独は楽だ。何かを失う恐れがない。だからずっと一人で木剣を振り続けた。
「精が出るな」
早朝の鍛錬場にエルマ以外の人物が、その錆色の髪の男がいることはこの日が初めてではなかった。ただ、彼もエルマと同じように愚直に剣を振るい、鐘が鳴れば鍛錬場を出ていく。
真面目な他人以上の評価を、エルマは彼につけなかった。それはきっと向こうも同じだろうと勝手に思っていた。
だから、彼が話しかけてきたことにエルマは心底驚いた。
「……別に」
荒々しくそう答え、背を向けた。再び木剣を振り続ける。
「エルマ・ライオット訓練兵、だったか」
エルマは再び驚いた。名前を認識されているとは思わなかったのだ。
「私に何か用?」
「一年生に問題児がいると聞いてな。思い切って話しかけてみたところだ」
その言葉で初めて、目の前にいる錆色の髪の男が上級生であることに気がついた。それでも、態度を変えるつもりはなかった。
「何? 私を矯正しようとか思ってるの?」
「そんなつもりはない。ただ、今日の昼一緒に飯でもどうかと思っただけだ」
「口説いてるつもり? もっと他にいい女がいるでしょ」
「まあ、朝っぱらから剣を振るうしか能のないもの同士語り合えると思ったんだ。それじゃあ昼、食堂横の国王像の場所で待っている」
彼のその言葉の後、始業を知らせる鐘が鳴る。エルマの返事を待たずに彼は訓練場を後にした。
その日の昼、エルマは食堂には向かわなかった。向かえば国王像の近くで彼が待っているだろう。そう思い、一人鍛錬場に向かった。
誰もが昼食をとって穏やかに過ごす昼下がり、その場所には他の者がいるはずがなかった。
「やはりここに来たか、エルマ・ライオット」
錆色の髪の男が木剣を振るう手を止め、エルマの方に振り向く。男を見たエルマは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「そんなに嫌そうな顔をするな。飯を奢ってやろうってだけなんだ。タダ飯を食えると思ってついて来ればいい」
タダ飯という言葉に耳が傾く。騎士訓練兵として給料は貰っているがそれほど多いわけではない。生活まわりのものと食堂代を払ってしまえば手元に残るのは雀の涙だ。
兵舎で同室となっている女の子が、いつもお金がないと嘆いていることを頭の片隅で思い出す。
壁に設けられた剣掛けに木剣を戻して先に歩き出した男の後ろをエルマは黙ってついて歩く。
「シグルズ・ブラッドだ。混血でもなんでも、好きに呼んでくれていい」
町に出ると、男が突然そう名乗った。
「混血?」
「ああ」
エルマが聞き返すと男は頷く。
「人間の父親と魔女の母親から生まれたんだ。神の禁忌に触れた忌子だよ」
「あっそう」
エルマは彼にさほど興味がなかった。混血と言う事実そのものには多少なりと驚いたが、別にそれを知ったところでエルマには関係のないことだ。
「驚かないんだな」
「驚いてほしかったの?」
睨み上げると、男は小さく笑って「いや」と返事をする。
「この話をすると多くのものは驚くし、者によっては逃げ出したりするからな」
言いながら、男が足を止める。
「着いたぞ。今日の飯処だ」
彼の少し後ろで足を止めたエルマは目の前にある建物を観察した。古く汚い木犀の外壁、隙間からは店内の様子が窺えた。明らかに質の悪そうな店だった。
「もっと女の子を連れてくるのに相応しい場所とかあるんじゃないの。ケーキ屋とか」
文句を垂れる。すると男は「ここが安くて量が多くて美味いんだ」と言いながら先に店に入っていった。
ついて入った中の様子は隙間から覗いていたものと相違なかった。店内は小汚く、中には脚の折れたテーブルもある。
「好きなものを注文するといい」
一足先に席に着いていた男がメニュー表を差し出しながら言う。エルマは男の向かいに座りながらメニュー表を受け取る。
そこには肉料理の名前が並べられていた。串焼きやフライ、ステーキもある。定食もあるようで、エルマはその中で一番値段の高いものを指さす。
「これで」
すると男は頷いて店員を呼び、注文を述べた。店員がそれをメモに取り、厨房の方へと走っていく。
その背を目で追うエルマに、男は「孤立しているようだな」と話しかける。
「それが何?」
「どうして他人をそうまでして避ける?」
男のその質問をエルマは無視した。この男に自分の心中を語る必要などどこにもないのだ。
「それでは強くはなれないぞ」
その言葉に、エルマの眉がぴくりと動く。
「毎日のように木剣を振っても強くなれるわけじゃない。エルマは何のために騎士を志したんだ?」
なんのため。そんな愚問に対する答えなど、エルマはとうに持ち合わせていた。
「そんなの、強くなるために決まってる」
「強くなることが目的ならば、それまでだ。真の強者、騎士団長のバロック・ハーヴェストは家族を守るために騎士を志した。強くなることは手段でしかない。その先に目的がない限り、強くはなれない」
その発言に腹が立ったのだろう。まるで、何か守るべきものでもなければ人は強くなれないかのような言い草が、エルマには受け付けなかった。
強くなることが目的で何が悪いのか。そこを目指し、その高みへ近づき、自らを極めれば、なにも失うことはないのだ。
この男に自分の何が分かるのかと、憤りを顕わにして椅子の足と床を激しく擦れ合わせて立ち上がった。
「あなたに、何が――」
「お待たせしました。ご注文のステーキ定食です」
なんと間の悪い店員だろうかとエルマは思った。もしくはよっぽどの図太い神経の持ち主なのだろう。
怒りに身を任せて叫ばんとしていた口を閉じると、エルマは静かに座った。自分の前に置かれた、芳ばしい香りを湯気とともに立たせている目の前のステーキ定食をじっと見下ろす。
「なに、遠慮しなくてもいい」
男が言う。もとより遠慮するつもりもなかったエルマはご丁寧に「いただきます」と小さく口を動かしてから、ナイフとフォークを手にした。
味はまあ、不味くはないと感じた。だからといって周辺の似たような飲食店と渡り合える味かと言うとそうでもなかった。値段が安いのだから仕方がないのだろう。その割には上出来であるともいえるが。
「気に入ってくれたか?」
男が期待したような目をエルマに向ける。「別に」と答えてそのまま食べ続けた。
食事中、男は先ほどの話の続きをしようとはしなかった。ただただ眼前に出された安い定食に舌鼓を打ち、満足げに顎を動かしているだけだった。
訓練校に戻ると、男はエルマに「今日はありがとう」と礼を言った。
「騎士団長閣下と時々行く店だが、ここ最近の閣下は忙しいらしくてね。いっしょに行けてよかったよ」
男は笑っていた。
「そう、二度と誘わないで」
ぶっきらぼうに言い放つと、彼に背を向けその場を去った。




