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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第5章~命の林檎~
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62.再会②

 扉を開けたシアナに続いて小屋に入る。中は驚くほどに記憶の中にある間取りと同じだった。壁に僅かに空いた隙間、脚の折れかけた四人程度座れる大きさの木製テーブル、お世辞にも広いとは言えないベッドが二つ。どういうわけか部屋の中は光源があるわけでもないのに明るかった。


「懐かしいかしら? ベッドに腰かけて、寝る前によく本を読んであげていたわね」


 シアナは過去を(しの)びながら小さく微笑んだ。「お茶を淹れるから座って待っていて」と告げ、壁際の古びた小さい台所へ向かう。


 シグルズは何の違和感もなく、さもそれが当然であるかのように自分がかつて座っていた席についた。それに続くように、シグルズの斜め前にエルマが腰を掛ける。


「――お母さんが同化していないのは、〈目覚め〉を迎えたからよ」


「え?」


 突然口を開いたシアナにシグルズは首を振り向かせる。少しばかり呆けたような反応に、シアナは「さっきの話の続きよ」と小さく補足を入れる。


「〈目覚め〉は種としての覚醒。巨人だったら角が生えて怪力になる、妖精だったら全ての種類の魔法を扱える、人間だったら魔力炉が発現して魔法が使えるようになる、魔族だったら〈権能〉の使用制限がなくなる。そういう種としての進化のことを言うわ」


 説明しながらシアナは水の入ったやかんに手をかざしていた。手と、それからやかんはほんのりと赤い輝きを帯びていた。どうやら魔法で湯を沸かしているらしい。しばらくして、蓋に空いた穴から湯気を吐きながらやかんが笛を吹き始める。


 手をかざすのを止め、取っ手を握って湯をティーポットに注ぐ。


「どうして、〈目覚め〉を迎えると第二階層と同化しなくなるんですか?」


 エルマが問う。


「分からないわ。けれど多分、世界樹の意思がそうさせていると思うの」


「世界樹の意思?」


 シグルズがその言葉を繰り返す。


「あくまでも仮説よ。逆に世界樹が単なる多種多様な生物の箱庭だとするならば、神々にとって不都合なものは生まれないはずよ。それなのに、現実では混血という不都合が存在する。存在できてしまう。神々が対処を強いられていることが意味するのはつまり、神々よりも上位の意思決定を下す存在がいるということ」


 紅茶を注いだティーカップをシグルズとエルマの前に置きながら、シアナは持論を述べた。テーブルの対角に開いた椅子に目を配ると、少し間を置いてからシグルズの隣、エルマの正面に座った。


「その上位の意思決定を下す存在が、世界樹だと」


 シグルズのその言葉にシアナが頷いた。


「……仮にそうだとしたら、世界樹は混血に――先輩に何を望んで存在を許しているんですか?」


 エルマの疑問にシアナは今度は首を横に振った。


「それこそ分からないわ。世界樹が何を考えているのか、混血にどうしてほしいのかも。ただ、そうね、世界樹が混血に対して何かしら特別な役割を果たしてほしいというのは、十分に考えられるわ」


「その根拠は?」


「もうすぐ分かるわ」


 含みのある言い方でシアナが答える。その直後だった。


「やっぱりダメだ! どうにもあの島にたどり着けない!!」


 そんな叫び声と共に小屋の扉が開く。少し高い男の声の主が悪態をつきながらずけずけと入って来る。


「あのじじいの権能を使っても駄目だった! あのじじいは使い物にならない!」


 そう言ってため息をつく長身細身の小綺麗な男は頭の上のシルクハットを脱ぐと、暑いと言わんばかりに前髪を後ろへ掻き上げた。


 その男のことを、シグルズは知っていた。


「……アンテロ・バストロヴィーナ」


 名前を呼ばれた男がシグルズの方に顔を向ける。


「お前は……ああ、サバトで会った竜の魔女の騎士か。なんでお前もここに……」


 そこまで言うと何かに気づいたように手を叩く。


「そうか、混血だから世界樹第八階層の〈聖域〉ではなく、こちらに堕とされたというわけか」


 頷きながら喋るその男――アンテロはシグルズを見て鼻で笑った。少し死線をずらすと、今度は赤毛の少女に向けて「知らない顔だね」と言葉を放つ。


「これまた見目麗しい少女じゃないか。初めまして、お嬢さん。バストロヴィーナ家が第三子息、アンテロ・バストロヴィーナです。以後お見知りおきを」


 脱いでいたシルクハットを胸に当て頭を下げる。その様相は先ほど扉を開けて入ってきたときの粗暴な様とはまるで似つかわないものだった。頭を下げられた当のエルマも「どうも……」とぎこちない挨拶をしながらも自分の名前を告げる。


 アンテロはエルマの横まで足を運ぶと彼女と同じ目線になるまで身を屈め、顔を近づけてじっと少女の顔を見つめた。


「……まるで竜の魔女に対を成すかのような容貌だ。きみは……人間だね? きみのようなうら若き少女が、一体どんな罪を犯したらこの死者の国に堕とされるんだ? 僕にはきみがそれほどの悪人であるようには思えない」


 突然の彼の行動にエルマが僅かに身を引く。「えっと……」と困ったようにか細い声を上げた。


「アンテロ」


 そんなアンテロを諫めるように、向かいで様子を見ていたシアナが名前を呼んだ。


「用件はなにかしら?」


 目を僅かに細め、アンテロを睨むような視線を向ける。そんな表情をする自分の母親を見るのは、シグルズにとって初めてのことだった。それは、初めて見る顔だった。


「悪いね、どうにも彼女のことが気になって、つい見つめてしまったよ」


「見つめるなんてものじゃないわ。あなたの悪い癖よ、直しなさい」


 善処するよと適当に返事をすると、アンテロは一つ咳払いを挟んでから「手を貸してほしいんだ」とシアナに用件を伝えた。


 エルマの横に座ることなく壁に寄り掛かるとため息まじりに話しだす。


「あの金の林檎は僕の力では到底届きそうにないということがここ数日で分かった。シアナに言われた通り混血のじじいを使ったが、林檎どころか島にすら辿り着けない。僕らにはお手上げだ。きみの力を貸してほしい」


「他の七罪の魔族はみんななんて言ってるのかしら?」


「全員首を横に振ったよ。自分が生き返られるのであれば手を貸すが、生き返ったところで既に肉体が無いのだから前提として不可能だと」


 アンテロがどうしたものかと腕を組む。視線をシアナに向け、回答を待った。だが、彼女の口から飛び出した答えはアンテロの望むものではなかった。


「なら、私の答えも同じよ。十年以上前に死んだ私も、生き返ったところで意味がないわ」


 突き放すようにそう答える。


「お前たちはそうかもしれないけど、まだ死んでから日の浅い僕やあのじじいには生き返る理由があるんだ。肉体だってまだ腐っちゃいないはずだ。棺の蓋を開けて土の中から這い出てやるさ」


「それはあなたの都合でしょ。あなたの都合に付き合って、私や他の子たちに利益はあるの? 魔族は己の利益を最優先するのよ。忘れたの? そもそも、私や他の魔族が手を貸したところで、結果は目に見えているのではなくって?」


「試す価値はあるだろう?」


 そう言って、アンテロは食い下がることなくシアナの説得を試みようとしてる。


「ちょっと待ってくれ」


 そんな二人の会話に、シグルズは自分の声を差し込んだ。


「……一体、何の話をしているんだ?」


 横に座るシアナと、向かいの壁にもたれ掛かるアンテロを交互に見る。


「蘇生の金の林檎の話だよ」


 アンテロが答える。


「なんでも、この第二階層の中心にある湖の中に浮かぶ小島に金の林檎がなる樹があるらしい。それを食べると生き返ることができるんだ」


「見つけたのはつい最近よ」


 アンテロの説明にシアナが補足する。


「これが、お母さんがシグルズの『根拠は?』っていう質問に『もうすぐ分かる』って言った理由。シグルズやアンテロが来る少し前に、この不毛な大地に一本の生命が目を出した。それはすくすく成長して、黄金色の実をつけた。その時期があまりにも図ったようなものだったから、世界樹が混血に対して特別な感情を持っているんじゃないかって思ったの」


「その当ても外れただろう」


 シアナの言葉にアンテロが悪態をつく。


「混血のじじい――第五階層の王か何だか知らないが、混血である彼を前にしても、金の林檎は島へ通ずるその道を開かなかった。シアナの仮説は見当違いだった」


「まだ分からないわよ。混血はあのおじいさんだけじゃないもの」


 そう言って、シアナがシグルズの方を見る。視線に誘われるように、アンテロもシグルズの方を見た。


「……そこの騎士が、あの孤島へ行く手掛かりだと言いたいのか?」


「ええ」


 シアナが頷く。アンテロはシグルズをじっと見つめ、「ふん」と鼻を鳴らした。


「あ、ダメよ、今から連れて行くのは」


 なにかを言おうと口を開いたアンテロに、シアナが釘を刺す。


「どうしてだ? 完全に『連れて行け』というような流れだっただろう?」


「そうだけど、それは明日。シグルズもエルマさんも第二階層に来たばかりなのよ。二人ともつかれているわ。今日はここで泊まってもらって、話はそれから。今日は引き取ってもらえないかしら?」


 シアナがアンテロにそうするように求めると、アンテロは一つため息をついてから「分かった」と答えた。


「なるべく急ぎたいところだが、どうせ断ったところで力任せに従わせるだろう? お前はそういう意地汚い魔女だ」


「理解が早くてよろしい。それじゃあ明日また迎えにきてちょうだい」


 シアナは立ち上がると、自ら扉を開ける。その行動はまるでアンテロに「出て行け」と言わんばかりのものだった。


 何度目かのため息とともにアンテロが立ち上がる。「失礼するよ」と言い残し、アンテロは静かに小屋を後にした。


 小さな音と共に扉が閉まる。僅かな静寂が室内を包んだのち、這った糸が千切れるようにシアナが短く「ふぅ」と息を吐いた。


「ごめんなさいね、アンテロの事情に巻き込んじゃって」


 そう言って微笑んで見せる。シグルズはシアナのその謝罪に「いや……」という曖昧な相槌を打った。


「そう、それで今日泊まってもらう部屋なんだけど……」


 思い出したように話題を変え、両の手を合わせながらシアナが視線を天井に向ける。シグルズはその視線の先に何があるのかを知っていた。


「屋根裏部屋か」


「そう、シグルズがよく拗ねて上がってたところよ。少し狭いけれど――」


 シグルズはその後に続く言葉を勝手に想像する。そこを使ってほしいと言うのだろう。屋根裏部屋は確かに狭いが、成人男性一人が寝る分には問題にはならない程度の広さはある。屋根裏へ上がる階段は今にも朽ちそうだが、そこも問題ないだろう。


「――分かった。俺は屋根裏で寝るとし……」


「お母さんが屋根裏を使うから、シグルズとエルマさんはそこのベッドを使ってちょうだい?」


 そう言って二つ並べられた小さなベッドを指さした。


 シアナのその言葉にシグルズも、そしてエルマもぽかんと口を開いた。


 呆気にとられたような二人に、シアナは不思議そうに首を傾げる。


「だってそうでしょう? 二人はお客さんなわけだし、まあシグルズにとっては実家みたいに見えるかもしれないけれど。それに二人が恋人同士なら、何も問題はないでしょう?」


 言葉の直後、がたりと音がする。エルマが慌てたように立ち上がった。顔を紅潮させながら「違います!」と全力で否定する。


「……でも、お客さんを狭い場所で寝かせるわけにはいかないわ」


「それだったら、俺が屋根裏で寝る。エルマと母さんがベッドを――」


「だったら、私が屋根裏で寝ます。先輩はお母様に甘やかしてもらいながら一緒に寝てください」


「ちょっと待て、俺はもうそんな歳じゃ……」


「お母さんが! 屋根裏で寝ます!!」


 バン、とテーブルを叩きながらシアナが言う。


 小さい頃、一度だけシグルズは自分の母親を怒らせたことがある。父親であるハイエットと下らないことで言い争いになったときだ。

 そのときと同じような表情を、今の彼女はしていた。それに気圧されるがまま、シグルズは「分かった」と小さな声で答えた。エルマもシアナの圧のある怒声に縮こまって黙り込んだ。


「よろしい。それじゃあご飯にしましょうか。二人とも、お腹が空いているでしょう?」


 手を合わせ、にこやかに笑う。そこには先ほどの怒り顔などどこにもなく、シグルズの良く知る優しい母親と同じ顔をしていた。


 それはあまりにも懐かしい、在りし日の思い出を再び見ているかのようだった。

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