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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第5章~命の林檎~
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61.再会①

 暗闇に浮かぶその顔を持てシグルズは目を丸めた。


「母さん……?」


 間違うはずもない。その優し気な表情は、深い森のような長い髪は、どこからどう見ても、記憶の中で微笑む自身の母親――シアナ・ブラッドその人だった。


 驚いた様子のシアナは炎に照らされた白い顔に満面の笑みを浮かべると、飛びかかるようにしてシグルズの首に抱きついた。


「シグルズ、シグルズなのね! こんなに大きくなって……!!」


 かつて抱いてくれたその腕は、今のシグルズにはとてつもなく小さく感じた。それでもそこに感じた優しさは、あの小屋で過ごしていたときと何ら変わらなかった。


「……ああ、久しぶり、母さん」


 そう言って、シグルズも小さな背中を抱きしめた。


 シアナは気の済むまで成長した我が子をその腕で抱きしめると、彼の首に回していた腕を解き、彼の瞳を見上げた。


「……会えたのは嬉しいけど、どうしてシグルズもここに来てしまったの?」


 もっともな反応だとシグルズは思った。自分の息子が世界樹第二階層〈死者の国ブラハ〉に来ているともなれば、「なぜここに来たのか、なぜいるのか」という疑問をぶつけるのは何ら不思議なことではない。


「それは……」


 シグルズが答えようと口を開く。


「まあ、立ち話もアレだから、家まで案内するわ。ついてきてちょうだい? ほら、お母さんの手を握ってていいから」


 シグルズの回答を待たずしてシアナはシグルズに対して手を差し出した。


「家……があるのか? この第二階層に?」


 その手を取ることなく尋ねる。


「あるわよ。あまり立派なものじゃないけどね」


 言うと、「行くわよ」と言いながらさらにシグルズに自分の手を握るように促した。


「いや、俺はもうそんな歳じゃ……」


 顔を逸らし、差し出された手を拒む。死んでいるとはいえ、シグルズは既に二十歳も超えた大人だ。母親の手を握らなければどこかに行くことができない年齢でもなければ、手を繋がなければ不安になるわけでもない。


 シグルズが差し出された手を拒絶すると、シアナは「そうよね、もう大きくなったものね」とどこか寂しげに笑った。


「それじゃあ、ついてきて。こっちよ」


 寂しげな表情を隠すようにして背を向けたシアナは、そのまま自分が来た方向へと歩き出した。シグルズも無言でそれについて行く。


 ほんの三、四歩程度歩いたところでシアナの足が止まる。振り返る。彼女の目が一度シグルズの顔を見た後、さらに後方に視線を注いだ。それに釣られるようにシグルズも後ろを向く。


「あなたもおいで。きっとシグルズの恋人でしょう?」


 その視線は、二人の少し後ろで立ち止まったままのエルマ・ライオットに向けられていた。どうしていいのか分からないのか、単に自分の意思で足を動かすという選択肢を捨てたのかは分からないが、エルマはその場から動こうとはしなかった。


「私は……」


 そんなんじゃないと、否定の言葉を入れようとした。俯き口籠る。続きを言葉にしてしまえばいいではないかと、エルマ自身思った。否定して、この場を去ってしまえばいいではないかと。


「エルマ」


 だというのに、エルマは自分の名を呼ぶ騎士崩れが差し出す手をどういうわけか待ってしまっていた。


 差し出された手を一瞥して、もう一度下を向く。無言のまま、自分の足元を見ながら歩を前に進めた。


 エルマが歩き始めたことを確認したシアナは「それじゃあ、行きましょうか」と言いながら先頭を歩き始めた。


「ここが世界樹第二階層だってことは、二人とももう分かってるかしら」


 歩きながら少しだけ振り向いてそう尋ねてくるシアナにシグルズは「ああ」と相槌を打ち、エルマは口を閉じたまま小さく頷いた。


「それじゃあ、あまり説明する必要もないわね」


 再び前を向く。


 世界樹第二階層〈死者の国ブラハ〉は生命の樹である世界樹の中でも特別異質な場所だ。その存在を知らないものはいない。この場所が死者の吹き溜まりで、輪廻の輪から外れた魂の廃棄場ということは、おそらく人間に限らず妖精、巨人、魔族の間でも共通認識であるはずだ。ここがどこか分かっているのであれば、説明はそれほど必要ない。


「あの、一つ質問いいですか?」


 なにか疑問を抱えたのか、エルマがおずおずと手を挙げる。


「なにかしら。えっと……エルマさん、だったかしら」


 そうですと、シアナの確認に首を縦に振る。首を左右に動かして何もない暗闇に視線を張り巡らせるかのように瞳を動かす。


「この、どこからともなく聞こえる呻き声みたいなのってなんなんですか?」


 エルマの素朴な疑問はシグルズも抱いていたものだった。どこから聞こえているかも分からぬ無数の呻き声や断末魔。頭に直接響いてくるかのような環境音。いつの間にか耳が慣れてしまっていたが、よくよく耳を傾けてみると実に不気味な音である。

問われたシアナは「ああ、これ?」と言いながら小さく笑う。


「これは魂が第二階層に取り込まれた人たちの声よ」


「取り込まれた?」


 シグルズが復唱する。シアナは「ええ」と頷いた。


「第二階層に堕とされた魂は、ほんの一日は意識を持ったままこの何もない空間を彷徨うわ。そうしているうちに、どんどん魂が第二階層と同化していくの。そうして少しずつ膨張し続ける空間が、この第二階層〈死者の国ブラハ〉」


 そう説明したシアナの話をシグルズはなるほどと思いながら聞いていた。しかしながら、そこに一つの疑問が芽生える。


「……母さんは、なぜ同化していないんだ?」


 シグルズの母――シアナ・ブラッドが亡くなったのは今から十年以上前の話だ。だというのに、彼女は今なお意識を持ち、こうしてシグルズやエルマと言葉を交わしている。


「それは――」


 そこまで口を開いてシアナが立ち止まる。前方を指さし「着いたから話の続きは中で」と言ってシグルズの方に振り向いた。


 シグルズとエルマは彼女の向こう側を覗き込む。彼女が指さす先には木製の小屋があった。なんて事のない木組みの小屋だ。


「……あの小屋は」


 シグルズがぼそりと呟く。その小屋に見覚えがあったのだ。忘れるはずもない。シアナが指さす先にある小屋は、シグルズが、そして彼の両親が幸せを育んでいたあの小さな家だった。

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